本を探して
「『流転する水 彼方の神秘の防衛者』」
ベルランの杖は同質の素材との連結が可能な造りをしていたので、手のひらサイズだったチョークのような杖に、彼の持っていた連結用の石材を繋げて竹箒の柄ほどの長さにした。
両端をそれぞれ持ち、それを回路にして2人の魔力をガラスの鉢にセキラの唱える呪文と共に流す。グニャと視界が歪んだと思えば、目の前が真っ暗になった。
瞼は鉛のように重く、開くことはできない。頭が痛くなるほどのキーンという耳障りな音が響いたと思えば、ガラスが割れた音がした。
(え、砕けた?やべっ)
セキラはその音で目をようやく開けることができた。開けた。
うーん、水中。
だが、当たり前のように空気が吸える。しかも広い空間だ。
(内部の空間拡張)
どの肉体を安置している場所でもこの魔法は使われている。
(九尾の狐とドワーフに“胎”以外の制作を頼んでたんだっけな)
胎の場所だけが“最初の水神”が生前に作ったものだ。
今回のガラス鉢は巨大だったがセキラの背丈ほど、150センチほどの大きさだった。
中に入れるとしたら上からだが、そこまで入り口も広くはない。むしろ狭い。もちろんセキラよりも背の高いベルランでは入れたとしても頭がとび出るだろう。
入るために使った魔力と呪文は、この空間拡張の魔法を発動させるためのものだろう。“水の記録庫”も似たような設計だが、入った時の感覚がまた少し違う。
なお、セキラが制作者を知っているのは、一つ前の水神の長がその記録庫のシステムを内部から破壊したせいで、作り直す羽目になったからだ。
セキラが幼い時の話だが鮮明に覚えている。ものすごく周りから長がバッシングを受けていた。
(懐かしい、あの方はそれが原因で長やめたんだったな)
背後がガラスだったので少し触れる。それから辺りを見渡した。
「音はしましたけど、鉢を壊したわけではないようですね…」
ひとまず安心だ。
隣にはまだ目を開けないベルランが漂っていた。放っておくとどこかへ流されそうだ。
「うーん…エリンギ…まいた、け」
寝言がハッキリとしている。険しい顔だ。
(悪夢でも見ているのか?やっぱり魔女でも少し負担が大きかったか)
仕方なく彼の服の袖を掴みながら、クルエッタの魔法書を探し始めた。
しかし、この水中は驚くほど何もない。
もちろん外観から水草や岩が見えているわけでも、あからさまな危険物が水中に漂っているわけでもなかったが、それにしても何も無い。本当にここにクルエッタの魔法書はあるのだろうかと疑問に思ってしまう。
そもそもこの保管庫にあること自体信憑性が怪しいのだが。
(なにせわたしの記憶は改竄されている。意図が分からないから、どこまで変えているのかも分からない)
“最初の風神”から教えて貰った情報しか頼れるものが無かった。魔法書が無かったときの次善策などあるはずもない。
(でも考えなきゃだよな)
「死ぬな!エリンギ…ッ———はっ!」
ベルランの夢は佳境を迎えていたようだ。やっと目を覚ました。
「…うわぁ、神様に引っ張られてる。初めての経験です」
「そうですか。自分で動けますね?」
「すいません。ありがとうございます」
ベルランは正面を向く。
「ここが…」
さまざまなクローゼットが不規則に、不可思議に配置されていた。
宙に浮く、脚を使わず側面を下にする、逆さまに、そして斜めに、芸術作品のように飾られていた。ショーケースも作品説明も何もないが、クローゼット自体の意匠の細かさもありそう思えてしまう。
ただその数は少ない。
「これだけ、ですか」
「そうみたいですね」
2人でも見切れないほどあっても、保管庫にある時点で全て危険物ということになるのでそれはそれで複雑だが、この空間の広さに対して、ここまで少ないとは少し拍子抜けだ。
「わたしはこちらを探します。あなたは向こうの方を」
扉を開けて慎重に本を探す。クローゼットの中に入っているものの数は1つだったり2つだったり、用途、起源の分からないものだらけだ。
ここ?
そこ?
もう一度、もう一度見直そう。そう時間はかけていられないが。どこかで見落としている可能性がある。
………ない。では、ベルランの方に———
「水神様!俺のとこには無いです!」
寝言と同様ハッキリと、そう聞こえた。
クルエッタの魔法書は保管庫のどこにも無かった。
(ならわたし達はどうするべきだ?)
とりあえず神都?ここを更に細かく精査する?地上で出来ることはもう無い?
ひとまず気になることを思い出す。
(“顎”について)
クルエッタの魔法書は無かった。それ以外のモノ、危険物は数十ほどある。来たことがないので保管庫全体の構造が分からない。もしかしたら隠し部屋みたいな場所があるのかもしれない。
(スレンドのこと)
メイテイを騙している。理由はある程度思いつくが…本人に会って追求しないと分からない。
(“最初の風神”様との合流)
あの言葉が本物であればそろそろ神都に来てもいい頃だろう。というかあの方が来ないともう収集がつかなくなっている。
(メイテイの怪我)
わたしたちが神都にいた時点で手足は限界を迎えそうだった。そろそろ治療をする必要があるだろう。ただしセキラも治癒はできない。
医療知識はあるが魔法を使わない医術だと、どうしても復帰が難しい。安静にしてと言っても、メイテイがそれを聞くはずがない。今の状況だと治癒魔法を使った方が好ましいだろう。
(神都の神たち)
被害はどれぐらいだろうか。火神はほとんどが迅速に動けていた。一部は状況を理解しきれなかったり過去のトラウマが根強く、動けなかった。だがそれぐらいは他の人でカバーできるだろう。
水神はなんだかんだで判断が早い。逃げるなり籠るなり戦うなり、何かやればその役目をまっとうできる。魔法の系統の関係もあり、そこまで被害は多くないだろう。
風神は———分からない。
彼らは必ず未来に従う。ビフェリオ以外の風神を見たことがないからかそれ以上イメージできない。どうせなるように“する”だろう。
全体で気になるのは死傷者の数。
メイテイの怪我もそうだが重症者は迅速に治療したい。あの事件で多くの人口が失われた。ある程度の時が経ったとはいえ、まだ以前の人口まで回復していない。死者を多く出すわけにはいかない。
セキラが知る限り治癒系の魔法を持った人は周りにはいないが———
水神の長であれば他人の治癒が可能だ。
それは魔法ではなく、ましてや権能のひとつでもない。
長であるからこその権利のひとつ。
各保管庫からの“最初の水神”様の固有魔法の抽出。
そこでやっと思い出した。
「…長、そうだ長様ですよ!」
「急にどうしたんです!?」
「わたしたちの、水神と火神の長がまだ姿を見ていません。神都があんなんになっているんだから何かしら行動を起こすはず…」
というか今まで正直、ビフェリオ以外の長の存在を忘れていた。こうなればまた話は変わってくるだろう。
火神の方はあまり知らないが、“最初の火神”様の直系の息子なので実力は保証されているようなものだろう。
「魔女、連絡役頼んでいいですか」
「あ、うす」
「神都に行ってメイテイにクルエッタの魔法書がなかったことを伝えてください」
「水神様は?」
「ここでもう一度捜索し直します。魔法書が隠されていてもいなくても、ここには危険物が保管されていますから。役に立つものがあるかもしれません」
「承知しました!失礼します!」
「脱出の方法は掴めましたか」
「入る時に解りましたよ」
(やはり彼は優秀だ)
ベルランはガラスの壁に触れ、まるで溶けたかのように居なくなった。




