昼下がりのご依頼・薬品調合(銀貨一枚)・4/4
「そういえば、今日は何をすればいいんですか?」
「今日は特に何もないよ。お客さんが受け取りに来るから、その対応ができればそれでいい」
「それなら、私は部屋の掃除でもしていればいいでしょうか」
「うん、頼むよ」
「分かりました」
アルトアが食器を片付け始めると、ミシェルはソファに座ってのんびりと過ごし始めた。二人して各々過ごしていくとすぐにしばらくが経ったが、まだティロアは来訪しない。ミシェルは退屈しているのか、するりと本を取り出して読み始めた。アルトアの方は集中できていないのか、店の棚を整理しつつもチラリと時計を見てはまた視線を戻すということを何度も繰り返している。
「……店長」
「ん?どうしたの」
「いえ、その……」
「何だい、お客さんが現れないから心配しているとか?」
ミシェルはニヤッとして言う。
「……はい」
対照に、アルトアは申し訳なさそうな顔で答えた。
「大丈夫だよ。ほら、もうすぐ来るはずだから、そしたら分かると思う」
ミシェルは特に気にも留めないといった感じで答えると、椅子に身体を預けて再び読書に没頭した。その様子を見てアルトアも落ち着きを取り戻したようで、その後は順調に家事をこなしていった。
そして、時刻が正午になる少し前になった頃にようやく家のベルが鳴る音が響いた。しかしそれはティロアではなく、なんてことない遅れた朝刊の配達員だった。
特段の驚きも無さげに新聞を手に持って戻ってきたミシェルの姿を見て、本当に彼は事情が飲めているのか、今日来なければ自分たちは損を被ったことになるのに、と思わずにはいられなかった。
椅子に掛けて悠々と新聞を読み始めてしまったミシェルに対し、アルトアは心配と不安に駆られて声をかけた。だがミシェルは「もう少し待ってみようか」と言うばかりで、一分の焦りすらない。そんな超然としたミシェルを無理に動かすという訳にもいかず、アルトアは致し方なく昼食の買い物に出るほかなかった。
そして昼の食事の段になっても、然したる来客はない。食事を始めるタイミングを幾度か待ったものの誰も来ることはなく、食べ始めても、また食べ進めても、何なら最後の一口や食後に至ってもドアをたたく音も、ベルが鳴った音もなかった。
こういった中というのにミシェルは変わらずあっけらかんとしたように、傍らに受けていたらしいアクセサリーの修理や、薬草をブレンドした茶葉作りなんかをこなしていた。午後が一時間、二時間と過ぎていく中で、さしものアルトアも流石に心配の念が強まってきていた。
そして…………畑や、民家や、鐘楼を橙が包み……陽が落ちていく。その夕刻の時分になっても、尚も来訪する者はなかった。
アルトアはすでに心配だのなんだのということなど通り過ぎて、一種興味を失ったように椅子に座っている。ミシェルはと言えば、ゆっくりと飲み進めていたティーカップの中身を既に飲みきった様子でカチャリと皿に置き、やはりこれまでと幾分変わらずリラックスした態度でいるまま。
「…………店長」
「ん~……?」
緊張だの心配だのということから隔絶されたような声色と態度でこちらに向く彼。
「あぁ、もうこんなに時間が経っていたんだね」
ミシェルは窓の外を見やりながら言った。アルトアは内心で溜息をつく。
「……店長、どうして何も言わないのですか」
「えっ?」
「……依頼人ですよ」
「……ああ、その話かい」
「……だって、そうでしょう。普通はこうなる前に何か連絡があってしかるべきなんですよ。それが何の音沙汰もなくて、しかもこんな時間まで待っても誰一人訪れないなんて、変じゃないですか」
「まぁ、確かにそうだよね」
「それに、今朝言っていましたよ。『お客さんが来る』って」
「うん」
「なのに、そのお客さんが来ない」
「そうだねぇ」
「お客さんが来て初めて、私達は依頼料を受け取ることができるのではないんですか?それなのに、何も起こらないということは……」
「アルトア」
ミシェルの声色が少し変わった。今までのどこか抜けた調子から一転して、真剣味を帯びた声である。アルトアはその変化を感じ取り、口を閉ざして彼の言葉を待つことにした。が、その後に出てきた彼の言葉は穏やかで、先ほどまでの緊張感に満ちたアルトアの気持ちを和らげるものとなった。
「君が言いたいことは分かるよ。でも、安心して欲しい」
「どういうことでしょう」
「それは、これからお客さんが現れるからだよ」
ミシェルの言葉に反応してドアの方に目を向けると、戸を叩く音が聞こえてきた。アルトアは椅子から立ち上がり、ドアへと駆け寄る。ミシェルは座ったままで、微笑みを浮かべている。
「失礼いたします」
ドアの向こうからはびしりとした男性の声がする。それは明らかにティロアの物ではなかったが、アルトアが何か口にするより早くミシェルが「どうぞ」と言い放ったことでアルトアは何も言えずにそのまま立ち尽くしてしまう。
「失礼いたします」
「ああほら…………いらっしゃった」
赤い衣に黄色い羽織物を召したその姿は、アルトアも当座知っている……
「王国の治安維持、頼れる警備兵さん方だ」
ミシェルはすべてを知っていたような、いや、事実知っていたのだろう声で言った。
「お疲れ様です。国定魔導士のミシェル・ブルアスター様ですね」
「はい」
「こちらは助手様でございますか」
「ええ、はい」
「ありがとうございます。私は警備隊長補佐、デニルと申します。早速ではありますが、ミシェル様にご同行願いたく存じ上げます」
「分かりました。アルトア、留守番よろしくね」
ミシェルは席を立つと、ゆったりとした足取りで扉の方へ向かう。アルトアは慌ててその後を追う。
「あの、店長……」
「アルトアは心配しなくていいよ」
ミシェルはそれだけ言うと扉を開き、外に出てしまう。そして玄関先で待っていた馬車に何の不思議もなさげに乗り込む。その流れにアルトアはただ呆然と見送るしかなかった。
だが、ここでぼんやりしているわけにもいかないと、アルトアは急ぎ家に戻り、店仕舞いの準備を始める。といっても、今日は来客など無かったのだから、すぐに済む作業ではあったが。
そして全ての準備を終えた後、自分にできることを無意識に探して、アルトアは結局店の前の掃除をすることに決めた。箒を手に表に出てみれば、既に日は落ちており、辺りには月明かりと街灯の光しかない。夜道とはこのようなものであっただろうかと思いつつ、アルトアは手を動かしていく。
「(店長は……大丈夫なんだろうか)」
アルトアはふと思った。思えば、彼はいつも自分の心配をしてくれるばかりで、彼自身のことを全くと言って良い程語らない。それを考えるほどに疑問が次々と浮かんできてしまい、アルトアは思わず溜息をつく。
「……悩んでいても、ですか」
アルトアは再び仕事に戻るべく、気を取り直すように大きく深呼吸をし、背筋を伸ばした。
◇
日が落ちて暗い黒が空を覆う頃、店の前にガラガラという馬車の音が響いた。音を聞きつけたアルトアが店内から飛び出すようにして出てきたのと同時に、その馬車は止まった。
「…………!」
馬車が止まり、中から人が降りてくる。アルトアは思わず身構えたが、現れた人物を見て拍子抜けしたような顔になった。
「お待たせいたしました。長くお付き合いさせてしまい申し訳ございません」
「いえ、そんなことありませんよ」
降りて来たのはミシェルだ。
「店長……?」
「やあ、ただいま。お待たせして悪かったね」
足取りも軽く、ミシェルはこちらに向かって歩いてくる。その様子にアルトアは何とも言えない感情を抱く。
「あの……」
「ん?何かな」
「どちらに行っていたんですか」
「あぁ」
ミシェルはアルトアの言葉を聞きながら店内に入り、その奥にある暖炉に火をつける。ぱちぱちと薪の燃える音が響く中で、ミシェルは振り返って答えた。
「ちょっとね。まぁ、明日の朝になれば分かるさ。それより夕飯にしようか。お腹空いただろう」
そう言ってミシェルは変わらない足取りで調理場に向かい、食事の準備を始めた。
「……」
アルトアはその様子を見つめていたが、やがて諦めて自分も店内に戻っていく。ミシェルが何を隠しているのか、アルトアは知りたかった。しかし、本人が言わない以上、自分が問い詰めるのは違う気がした。
◇
翌朝になって、その事情はあっけなく分かった。朝食を済ませたところでミシェルが朝刊を持ってきた。
「これは……」
「見ての通りだよ」
アルトアが手に取った新聞には大きくこう書かれていた。
『チェリバートン地方マリテン領主・ティロア、汚職並びに反体制的勢力との関与の嫌疑で逮捕』
「どうやら、昨晩のうちに捕まったみたいだね」
他ならない依頼人が逮捕された記事を読んでいるにも関わらず、ミシェルはいつも通りだった。
「……これは」
「見たままだよ。どーもあの領主さん、自分の領内での収入だけじゃよく回ってなかったみたいでね。汚職に手を染めた……ばかりか、調べをしたら近頃噂の賊との関係もぽろっと。それで、昨夜捕まえられた」
「…………」
「どうしたんだい。何か疑問でも?」
「いえ……依頼人が捕まった以上どうしようもないですが、その……料金は」
「ああ、うん。それはもう頂いているよ」
「えっ」
ミシェルの言葉にアルトアは目を丸くする。
「何も商品と対価の受け渡しだけが報酬の取り方じゃないってこと」
そう言って笑うミシェルの人差し指と中指には、きらりと光る銀貨が一枚挟まれていた。
「犯人確保の御礼ってとこ。一応俺は国定魔導師だし、こういうの渡しておかないと上の人がうるさいんらしいだよ」
ああ、そうそう、とミシェルは付け加える。
「あの領主さん調べるほどいろんな話が出てきてさ。なんでも愛人関係で揉めてたりもしたみたい」
そこまで言った後、ミシェルはアルトアにちらと視線を送って、続けた。
「ねえアルトア。あの毒薬、一体何に使うつもりだったんだろうね?」