昼下がりのご依頼・薬品調合(銀貨一枚)・2/4
翌日、朝の陽がようやっと注ぐかという所。まだ仄暗く掴めない霧のような闇の残る頃合いに、二人は高地を歩んでいた。朝露を含んだひんやりとした空気の中、足早に進む二人の吐く白い息だけが唯一、二人が今歩いていることを証明している。
「まさかこんな早朝から出発することになるとは思いませんでしたよ……。もっと早く起こしてくれてもよかったのに」
アルトアは不機嫌そうな声色でぼそりと言った。
「いやまあ、最初はもう少しゆっくり出発しようと思っていたんだよ?でも君がなかなか起きないんだもの。昨日早朝に出立するって言ってたから準備済みだと思ってたら、何にも荷物が無いものだからさ。びっくりしちゃったよ」
「……すみません。でも私だっていつもこんな時間に起きている訳じゃないですからね。たまには惰眠を貪ることくらいあります」
「それはそうだろうけど、だからって寝坊するのは感心しないな」
言葉調子は怒ったり呆れたりしているようにも聞こえるが、その実ミシェル本人はそんなことはなく、むしろにこやかにアルトアに言葉を返していた。
「……というか、そもそも今こうして高地にいるのがやっと夜明けくらいですから……やっぱり私、思っていたよりも早めに起こされたんじゃ……」
「んー……まあまあ、細かいことは気にせず」
「……まあ……いいですよ」
「それよりほら、そろそろ見えてきたよ」
ミシェルが指差す先には、深い緑の葉を茂らせた木々の群生地があった。
「……あの木がどうかしたんですか」
「あれはね、この森では比較的メジャーな樹木なんだけれど……実は毒薬の材料でもある」
「……毒薬の材料」
「うん」
「……毒薬の材料」
「毒薬の材料」
「……」
「どうしたの」
「いえ、なんでもありません。続けてください」
ミシェルはこくりと首肯すると、納得していない様子のアルトアに説明を再開した。
「えっと、その木の枝を乾燥させたものを煎じて飲むと、どうなるかというと」
「……死に至る?」
「正解」
「……本当に毒薬の材料なんですね」
「そうだよ。これは、『シュメルツトクの枝』という毒薬の原料になる植物だ。ちなみに原料となる植物はこれ以外にもいくつかあって……」
ミシェルは手元に持っていたメモ帳を開き、ページを捲ると、そのうちの一枚をアルトアに見せた。そこにはスケッチ付きでいくつもいくつもの植物の絵が描かれていた。
「これが『マロウクダの葉』、こっちが『ヒロオイの花びら』……それから」
「ちょっと待ってください」
「……どうしたの?」
どこかうきうきとした雰囲気のミシェルに対して、アルトアは困惑気味の様子だった。
「なんですか、まさかこれら全部使う気じゃ……」
「もちろん。これらは全て貴重な素材だし、出来れば全種類使いたい。だから採取しに行くんだよ」
「……よくそれだけ使おうと思いましたね」
呆れたような声で呟くと、アルトアは再び歩き出した。彼女の背中を見ながら、ミシェルは口元に手を当てて小さく笑う。
「……だって、沢山あった方が面白いじゃないか」
「面白い……」
二人は香草や薬草のために高地にある様々な場所を巡っていった。薬草の群生地帯、香草の自生地、珍しい花々の咲く花園。それらを見て採集をしつつ回る中、ミシェルは時折アルトアに質問を投げかけた。
「時にアルトア、君はあの領主さんのご依頼の話を覚えてる?……ああ、どんな毒薬を作るのかっていう話だよ」
「……はい、覚えていますが」
唐突なミシェルの問いに、アルトアは戸惑いながらも答える。
「確か、人を殺すための毒薬ではないと言っていた気がしますが」
「そうだね。君はあの人の話をどこまで信じてる?彼が嘘をついている可能性を考えたことはないかな」
ミシェルの言葉を受けて、アルトアは自分の記憶を掘り起こした。彼が店に来た時、注文の際の会話を思い返す。
「……『害獣駆除のための毒薬を作ってほしい』との依頼でしたね。毒薬の時点で少し疑わしく感じはしましたが」
「うん、確かにそんなことを言ってたね。では、あの辺りの山でよく見かける獣って何だと思う?」
「……熊とかでしょうか」
至極普通、王道極まるが、しかして自然な発想。しかしミシェルはやはり微笑みつつ首を横に振った。
「惜しい。もっと身近なところにいるよ。それに、あそこまで出没が稀なものでもない。答えは猪や野犬だ」
「……それが何か」
「分からない?この二つはどちらも、人に危害を加える可能性のある動物だ。そして、どちらにも共通するものがあるよね」
「……?」
「どちらも、彼らだけでもどうにかできるということ」
ミシェルは立ち止まると、くるりと振り返ってアルトアの顔を見た。
「こんな閑古鳥が鳴くような何でも屋に即効性の毒薬なんて頼まなくたって、普通に兵士や狩人を雇えば済むことだ。でもそれをせずにわざわざここに頼むということは」
ミシェルはそこで一度言葉を切った。アルトアはその先に続く言葉を予想し、ごくり、と唾を飲む。彼はその続きを口にした。まるで、歌うように軽やかな口調で微笑んだまま言った。
「舐められてるね。何か別の目的があって、そのためにあんないい人ぶってたんだろうさ」
◇
「……おや、もう夕方か」
ミシェルがふと空を見上げると、日は既に傾き始めていた。オレンジ色をした夕日が、暗がりの世闇とグラデーションのように溶け合っている。
「もう十分だね。そろそろ切り上げて帰ろうか」
「……はい」
二人が行きに持ってきた丈夫な革製の大きな袋には、香草や薬草、果ては日用の香辛料に利用できる類の物がたっぷりと詰められていた。昨日ミシェルの言っていた「毒薬作り以外に必要な材料」とはこういうことだった訳だ。無論依頼品の毒薬に使う毒草はミシェルが別な袋に分けて入れているので、そちらはアルトアが持つことになる。
「……ん?」
その時、ミシェルが何かに気づいたらしく声を上げた。そのままきょろきょろと周りを見回して、何かを探し始める。
「どうしたんですか」
「……ああ、あった。ほら見て」
地に這うような、なんというか無防備な体勢のままミシェルはとある植物を指差す。
「これ、知ってる?」
「……見たことはありますが」
それは、かなり背の低い樹木だった。赤みを帯びた幹に、枝先には小さな黄色の花が咲いている。
「名前は?」
「……すみません、そこまでは」
「じゃあこれは?」
次に彼が示したのは、葉っぱの部分だ。そこには、緑色の楕円形の葉が密集している。
「ああ、それは分かります。確か"メティコの葉"ですよね」
「うん正解。よく覚えていたね。アルトアの生まれた魔族の多く住む地域のライエル地方ではこれからお茶を煮出すこともあるね」
「ええ。実家の庭に生えてましたから」
魔族であるアルトアの口から実家、という言葉が出てくると、ミシェルはどうにも不思議な感覚がした。魔族の家……ともすれば邸宅だろうか、などと想像したのを振り払って、彼は続けた。
「実はこれ、よく似て全く違うものもあってね。見た目が似ているだけで毒性のないものもあるし、間違えると大惨事になることもあるらしいよ」
「そうなんですか?」
「うん。俺も前に似たような間違いをしてね、危うく死にかけたことがある。だから気をつけないと」
そんな話をしているのに相変わらず地面に這いつくばって、緊張も何もしていない楽観的とも言える表情で話すミシェルを見て、アルトアは思わずくすっと笑ってしまった。
「あ、今ちょっと馬鹿にしたね」
ミシェルはむくりと起き上がると、アルトアの方を向きながらからからと笑った。
「いえ、違います。ただ……」
「なにかな」
「店長はいつも、緊張感がないなと思っただけですよ」
そう言うと、アルトアは荷物を背負い直して歩き出した。ミシェルもその背中を追いかけるように荷物を引っ掴んで歩き出す。
「そりゃ失礼だなアルトア、俺はいつだって真剣だよ」
「それなら普段の仕事ぶりを見直してほしいですね」
「手厳しいね。まあいいけど」
そんな風に軽く会話をしながら、二人は帰路を急いだ。日の暮れた高地は急激に冷え込むため、早く戻らなければ無駄に体温を奪われかねない。
そんなことは二人とも百も承知だったから、自然と歩くペースが上がっていく。革袋に入った草類はこの冷えによって軽く凍ったような状態にあるので、使う分にはまだまだ問題ないのだが。やがて麓に着く頃には完全に日が落ちてしまい、辺りは薄暗くなっていた。チェリバートンまではまだ距離がある。
「仕方ないね、どこかで馬車でも拾おうか」
「それが良さそうです」
「じゃ、行こっか」
ミシェルがそう言って再び前を向いて歩き出そうとした時、アルトアがふと立ち止まった。
「どうかした?」
「……いや、あれ」
アルトアの目線の先にあるのは、街道を来たおあつらえ向きの馬車と、その御者台にいる温和そうな男性の姿だった。
僥倖、と言って差し支えなかった。寒さに耐えて、無理を押して歩きで帰ることなく無事に帰ることができた。しかも、こんなにも都合の良いタイミングで。
ミシェルは馬車の座席で腕を組み、目を閉じている。眠っているようには見えないが、かといって起きている風でもない。おそらく何か考え事をしているのだろう。アルトアはその横に座って、ちらと彼の顔を盗み見る。
ミシェルは、整った顔立ちをしていると思う。目鼻口のバランスが良くて、男にしては長い髪はさらりとしていて、肌は白磁のように白い。黙っていれば女性と見間違われることも多い。でも、今に限ってはその端麗な表情の中で何を考えているのかが分からない。
「……あの、店長」
「ん?何だい」
ミシェルがぱっと目を開けてこちらを見た。
「……いえ、何でもありません」
アルトアは口をつぐんだ。どうせ聞いても教えてくれないだろうという諦めもあったが、それ以上に聞かずとも分かるような気がして、聞く気にならなかったのだ。
「そっか」
ミシェルは再び視線を正面に戻してしまった。それからしばらく沈黙が続いた。
暫く馬車は二人と、その間にある沈黙を運ぶ。やがて速度はゆったりしてきて、目的の場所までたどり着いた。
着いてからミシェルは、早速作業にかかった。調合釜に湧き水を注ぎ入れ、火にかける。次に火魔法と空間魔法の応用で急速に乾燥させた薬草を粉にして混ぜ合わせ、ゆっくりと湯をかき回しながら少しずつ加えていく。水の色がだんだんと変わってきた頃合いで、ギュッと香草を絞り、鍋に落とす。この少ない液を加えるのに、あともう五十束だろうか。
ふっ、と汗をぬぐい、ミシェルは気合を入れなおした。