出立
白色の朝霧が漂う中、外套に身を包んだ兵達が街道を駆ける。森を貫いて整備された街道は昨晩の雨でぬかるみ、走り抜ける者達の足音を大きくしていた。
彼らは連絡が取れなくなった村を目指していた。
「この街道を抜ければ村があるはずだ。」
先頭を走っている者が後ろを振り返り、声をかける。
「ほんとにこんな山奥に人が住んでるのか?」
「聖域は広いからな。中央府に登録されていない村もたくさん残っている。」
「その分では今から行く村は登録があったんだから、ましな方か。」
「おい。どうなってるんだ………」
街道を抜け、街に到着した一行は言葉を失って立ち尽くした。目の前には焼けた建物と、村の中央から同心円状にえぐられた地面があった。
「ここで何があったんだ」
「ひとまず郡司の息子を探すぞ。」
先頭に立って進んでいた男が村だった土地に足を踏み入れる。
「こんな状況で生き残ってるとは思えませんけど」
兵が焼け跡を進んでゆく。
「おい!こっちに足跡があるぞ。おそらく滅茶苦茶になった後についたものだ。」
「あれって………。だれか倒れてるぞ!」
「村の生き残りか?すぐに保護しろ!」
足跡をたどって進んだ先には、一人の少女が何かを抑え込むようにうずくまり、地面に倒れていた。
◇
雨上がりの早朝、律と蓮は内地の街道に面した団子屋で団子を食べていた。
「ほんとに良かったの?ついてきて。」
律は食べ終わった団子の串をボーっと眺めながら蓮に問いかけた。
「もちろんです!逆に桜聖殿に同行できるなんて夢のようです!」
蓮は団子を振り回しながら全身で嬉しさを表現する。
「そうか。ならいいんだけどね」
同行者はいらないと主張していた律だったが、伊織と五十嵐が半ば強制的に一人連れてゆくことを決定し、それに立候補したのが蓮だった。
桜聖の旅の付き添いとしてひそかに募集がかけられ、律と多少面識のあった蓮が選ばれた。
「次の魔力滑車は一時間後のようです」
蓮は懐から時刻表を取り出してつぶやく。聖域転移によって電動の動力技術の多くは失われ、人力トロッコのような移動手段が生き残った。
魔力滑車は魔力で身体強化を発動した人間がハンドルを動かす人力トロッコである。速度は電車などと比べると遅く、自転車ほどのスピードで進み、ブレーキが利きにくいのが特徴である。
「次の街からは完全に中央府が統治している領域に入りますよ。」
蓮は不安と期待の入り混じった顔で律に地図を見せてくる。
「蓮も内地に来るのは初めてなの?」
「いえ。麗梅流の方から夜桜に入るときに一瞬だけ立ち寄ったことがあります。中央府は土地を郡に区切って、各地に郡司を派遣してその土地を統治させているんですが、郡司によってかなり統治システムに当たりはずれがあるって話なんです。」
「次のところはいいところだといいな」
律は不安を抱えた蓮の様子を見てつぶやく。
「トラブルだけは起こさないようにお願いします。」
桜聖の伊織にトラブルはできる限り避けるようにと言われている蓮は、願うようにしてつぶやいた。
「そろそろトロッコが来ますから準備してください。」
時間になり、二人はトロッコが来る場所へむかう。
「分かった。」
律は土を盛っただけの駅に立ち、トロッコが止まるのを待つ。ハンドルを漕ぐ暑苦しい掛け声が徐々に近づいてくる。少し速度を落としトロッコが通過する。
「律さん!乗ってください!」
蓮はトロッコが止まるのをボーっと待っていた律を見て叫んだ。
「飛び乗るのか」
律は少し慌てながら無事トロッコに乗り込んだ。
「焦りましたよ。」
蓮は無事に律が乗り込んだことを確認してほっと息をつく。
「ごめん。止まると思ってた。」
「僕も良くは知りませんが、トロッコは一度完全に止めると動かすのにたくさんの力が必要なんだそうです。客が乗るときであっても低速で動いている状態を維持したまま走っています。」
「なるほど………」
律は転移前の高校での物理の授業を思い出していた。静止摩擦力とかなんとか。物体が動き始める直前が一番摩擦による抵抗が大きい。
「人力でもそれなりに速度が出るんだな」
「人力とはいってもハンドルにはサポート機構が組み込まれているようですから、このくらいの速度は出ますよ。料金は少し高めですが。」
「まだそのあたりの相場感覚がつかめてないんだけど………。高いの?」
律はトロッコに乗る前にきいていた運賃を思い浮かべていた。トロッコの運賃は100円ほどで律の感覚で言えば、むしろ安いくらいだった。
「はい。お店で定食を食べると5円から10円です。さっきの団子屋は三本で50銭でした。」
「銭単位の硬貨がなかったからな………。いまいち掴みにくい。紙幣もなくなったんだもんね。」
聖域内では紙幣が姿を消し、全て硬貨に変わっていた。ちなみに貨幣は中央府が発行しているようだ。
「僕もその話を聞いたことがありますし、歴史で実際に紙幣を見たこともあります。でもやっぱり紙がお金になる方が信じられません。」
「でも夜桜の街の中では門下はカードで買い物できるだろ?」
律は武器屋で買い物をした時のことを思い出して言った。
「門下ではなく師範以上ですが、できますよ。でもそれは師範以上だと社会的に信用できるからですよ。夜桜への信頼がそれを可能にしてるんです。」
蓮はどこか胸を張るように言った。
「前の世界の紙幣もそれと同じようなものだと思うけどね。」
「そうですか?」
「うん。紙幣は貴金属と交換できる手形から始まったって聞いたことあるよ。」
「なるほど………。それならなんとなく理解できる気がします。」
「まあ、俺も良く知らないけどね。」
別に社会科が得意なわけではなかった律は、これ以上蓮に質問される前に話を切り上げた。
「にしても、聖域の中は平和だよね。」
律は壁にもたれかかりながらつぶやく。
「そうですか?頻繁にあるわけではないですが、迷宮から魔物があふれてくることもありますし、何よりここのあたりは盗賊が多いです。」
「盗賊ね………。そんなに多いの?」
「はい。盗賊団の中には聖域転移時からあるような、ある意味由緒ある盗賊団もあるようですよ。」
「盗賊団に由緒も何もないだろう。」
律はため息をつきながらこたえる。
「聖域転移直後は生活のために略奪などが横行していたと聞きますから、ある意味彼らも被害者なのかもしれません。」
「そっか………。」
二人をのせたトロッコは中央府管理の街を目指して進んでいった。
◇
「蓮、起きて。蓮。」
日が沈んですぐ、律は舟をこいでいた蓮の肩をゆすって起こす。
「ん、ぅ。どうしたんですか?」
蓮は眠そうな目を擦りながらこたえる。
「このトロッコが進んだ先で『気』を感じた。」
「『気』ですか?律さんが持つ力ですよね?聖域内では律さんくらいしかいないって言ってませんでしたか?」
「ああ。そのはずなんだけど、もしかしたら霊獣が聖域に入ってきてたりするかもしれない。俺と同じ人間の可能性もあるけど。」
律は考え込むようにして顎に手を当ててつぶやく。
「霊獣ですか!?大変じゃないですか!」
蓮はようやく覚醒し始めたのか律の言葉に驚いたのか、飛び起きる。
「そうだ。俺は少し様子を見てきたいから先に街に行っててくれないか?」
「分かりました………。霊獣クラスになると、僕がいても仕方がありませんもんね」
聖域内でも霊獣の存在は知られており、伝説の魔物のような扱いを受けていた。聖域転移時の襲撃で、運が良いのか悪いのか霊獣に遭遇した人が九死に一生を得て、そのことを伝えているようだ。
「ごめん。先に行っててくれ。」
律はそう言うとトロッコの荷台から飛び降り、暗くなり始めた森へと走っていった。