自分を殺そうとした悪女の幽霊と恋に落ちました。
テリュース・アイスレッド伯爵令息は、王立学園に通う17歳の生徒だ。
金髪碧眼の背の高い彼は、図書室で調べ物をしていたのだが、あまりにも夢中になって調べ物をしていたために、すっかり日が傾いてしまい遅くなってしまった。
図書室の職員に声をかけられる。
「そろそろ図書室を閉めるので、帰って下さいませんか。」
「ああ、もう真っ暗だ。すみません。すぐに帰ります。」
慌てて上着を羽織り、カバンを手に取ると、廊下へ出る。
真っ暗な廊下に、ポツンポツンと点いている灯り。
ガラスの覆いで覆われいるその灯りは蠟燭に火が灯されているだけのとても暗い灯りだ。
誰もいない学園の夜は薄気味悪く廊下を歩けば、灯りに照らされた自分の陰だけが、黒く浮かび上がり、薄気味悪さを余計に感じさせる。
「急がないと…そう言えば、この先は…」
そう、呪われた公爵令嬢の幽霊が出ると言うあの外階段に通じる扉があるのだ。
二月前にあった事件…テリュースは知らなかった。
地方の伯爵家からこの学園に来たのが一月前だったからだ。
聞いた話では、隣国から来た悪女アリーディアがこのマリリオ王国のフィリス王太子殿下を魅了で操っていただけでなく、婚約者であったレスティーナ・ハルティリス公爵令嬢を階段から突き落として殺そうとした。いや、実際に殺したのだ。
しかし、アリーディアは生き返ったレスティーナにより、ハルティリス公爵家の呪いを逆に受けて、今も階段から落ち続けているはずだ。何度も何度も落ち続け、階段の下で頭を打ち、死ぬほどの苦しみを味わっているはずである。
他の生徒達の話によれば、二月前は、階段から落ち続ける幽霊の姿が昼夜見られていたそうだが、今では悲鳴が時折聞こえてくる位で姿は見えなくなった。
それでも…階段には今でもアリーディアの幽霊がいて、階段から落ち続けていると言う。
テリュースはこの階段の傍へうっかり来てしまった。
出口は逆方向のはずである。何故?何故、自分はこっちへ歩いて来てしまったのだ?
呼ばれたのか?
アリーディアの幽霊に。
きゃぁああああああああああっーーーーー。
その時、外から悲鳴が聞こえて来た。
耳をふさがないと…今すぐ逃げないと…
バンっと外階段への扉が開け放たれた。
きゃあああああああっーーー。
強い力で外階段の踊り場へ引き込まれた。
にいいいいっと笑う女性が目の前にいて、そして、ぐいっと胸元を引っ張られた。
バランスを崩してテリュースは階段から…
ぴいいいいいよーーーーーーーーーーーーーっ☆
すぽぽーーーーーんんっと服を脱ぎ捨て、身体が光り輝き、
テリュースはぷるるんんんっと姿を変えたのだ。
丸い身体。小さな羽が生えて、目はつぶらで、嘴がついている。
そう、テリュースはピヨピヨ精霊だったのだ。
ぴよぴよぴよと鳴きながら、ゆっくりと羽を動かして階段を降りて行くピヨピヨ精霊。
ゆっくりと階段の下へ降りていけば、さっき、自分を階段から突き落とした例の幽霊と目があった。
頭から血を流して、真っ青な顔でこちらを見ている幽霊アリーディア。
ぴいいいよーーーーーーーーっ。
ポンっと音がして、人間の姿に戻るテリュース。
しかしだ。テリュースは素っ裸だった。服をすぽぽーーーんとピヨピヨ精霊になる時に脱げてしまったのだ。
「きゃああああああああっーーーーーー。」
アリーディアが真っ赤になって悲鳴をあげた。
「ちょっと貴方っ、何て格好しているのよっ。服を着て頂戴っ。」
「俺だってこんな格好したくてしている訳じゃないっ。そもそもお前が俺を突き落としたのがいけないんじゃないのかっ。」
「だからって、何てそこですぽぽーーーーんって服を脱ぎ捨てるのよ。」
「ピヨピヨ精霊にならないと、階段から転げ落ちていただろうっ。この悪霊がっ。」
「だからって目のやり場に困るじゃないのっ。」
「そう言いながら、手の隙間から凝視しないでくれっ。」
テリュースは恥ずかしかった。
いやもう、しっかりと見ているだろうっ?この悪霊は。
本当に危なかった。普通の人間だったら、階段から転げ落ちて死んでいる所だ。
ともかく、服を着ないとっ。あまりにも恥ずかしい状況である。
古今東西、幽霊に出会って素っ裸になったのは、自分位な物だろう。
テリュースは慌てて、階段の途中で落ちている服を拾い集め、着用し、
改めて、幽霊をまじまじと観察する。
学園の灰色で胸元にリボンのついた制服を着ている。
頭から血を流していて、青白い顔をしているが、なかなかの美人だ。
幽霊アリーディアは嬉しそうに微笑んで、
「あら、呪いが解けたのかしら。ずっと階段を登って、転がり落ちて、頭を打って死の苦しみを味わっての繰り返しだったのに。こうして貴方とお話が出来るだなんて。」
「それは良かった。と言いたいところだが、俺は殺されかけたんだぞ。」
「わたくしは人を殺すのなんて何とも思わないわ。誰もわたくしの事を愛してくれなかったんですもの。誰からも必要とされなかったんですもの。みんな殺してやりたい。」
「そんなに寂しい人生だったのか?」
階段にテリュースは腰かける。この幽霊アリーディアに興味が湧いた。
アリーディアと言えば、隣国のサランディスト公爵令嬢で、王妃教育も終えた優秀な令嬢だったと聞いた事がある。
テリュースはアリーディアに、
「君はどうして、隣国からここへ来たんだ?隣国で何があったんだ?」
アリーディアもテリュースの座っている階段の一段下に腰かけて、
「わたくしは隣国アレノア王国のエリオス王太子殿下の婚約者だったの。でも…エリオス王太子殿下は他に好きな人がいたのよ。わたくしは、小さい頃から両親にも愛されずとても寂しい想いをしてきたの。エリオス王太子殿下に愛されたかった。でも、無理だと解ったから、魅了の首飾りの力を使ったのよ。心も身体も操る魅了の首飾り。エリオス王太子殿下はわたくしの言いなりだったわ。でも、魔導士によって見破られてしまって…
わたくしは牢獄に入れられた。
この国に来たのはマリリオ王国を混乱させる為。アレノア王国の国王直々の命で来たのよ。
それが牢を出る条件だった。
わたくしは、マリリオ王国のフィリス王太子殿下に魅了の首飾りの力を使ったわ。
そして、邪魔な女レスティーナを階段から突き落とした。その結果、レスティーナの呪いを受けたの。階段から落ち続け、死の苦しみを受ける呪い。うふふふふ。わたくしにふさわしい罰だわ。悪女アリーディアにふさわしい。」
「でも、君は泣いているじゃないか…」
アリーディアはそう言いながら、涙を流していた。
泣きながらアリーディアは、
「わたくしだって、必要とされたかった。愛されたかった…だから王妃教育だって頑張ったの…お父様お母様に褒められる為に。でも、お父様もお母様も、出来て当たり前だとちっとも褒めてくれなかったわ。王太子殿下もそう。会えば他の女性の話ばかり。わたくしを褒めてよ。わたくしを見てよ。お願いだから、わたくしを愛してよ。」
テリュースはそっと、ハンカチを差し出した。
アリーディアは首を振って、
「幽霊はハンカチは必要ないわ。優しいのね。」
「泣いている女性を放ってはおけないだろう?」
「有難う。ねぇ。また、わたくしに会いに来てくれる?一人でここにいるのは寂しいわ。」
「君はずっとここにいるのか?」
「さぁ…呪いは解けたけれども、わたくしはここから動けない。そんな気がするの。」
「解った。明日も授業が終わったら君に会いに来るよ。」
「有難う。」
自分を殺そうとした悪霊のはずだが、有難うと言ったその顔が、真っ青な幽霊の顔のはずなのに、あまりにも美しくて、テリュースはドキドキしてしまった。
明日も来ると約束をし、テリュースはその日は屋敷に帰ったのであった。
翌日、授業を終えると、真っ先にアリーディアに会いに行った。
夕陽が外階段を照らしていて、その階段の一番下の段で、アリーディアは学園の灰色で胸元にリボンの着いた学園の制服姿で座って待っていた。彼女が転げ落ちて死んだ時、制服だったからなのか。
テリュースが階段を降りて、アリーディアの一段上の段に腰かける。
アリーディアはテリュースに尋ねて来た。
「貴方はピヨピヨ精霊だと言っていたけれども、ピヨピヨ精霊が本体なの?それとも人間が本体なの?」
「俺の祖先がピヨピヨ精霊の血を引いていたらしい。子孫の中でふいにピヨピヨ精霊に化けてしまう体質の人が出ると聞いている。俺はもろに出てしまった。
危ない目にあったり、疲れていたりすると、ピヨピヨ精霊に化けてしまうんだ。お陰で命が助かったけれどね。」
「悪かったわ。突き落したりして。反省しているのよ。だって、貴方、わたくしに会いに来てくれたじゃない…嬉しいわ。」
アリーディアがこちらを見上げて来る。
「貴方の事を聞かせてよ。わたくし、貴方の事が聞きたいわ。」
「俺の事か?地方の伯爵家の次男で、大した男じゃないぞ。アイスレッド伯爵領の山奥の森にはピヨピヨ精霊が沢山住んでいるんだ。アイスレッド領の人達はピヨピヨ精霊達を大事にして、季節ごとにピヨピヨ精霊達の為にハチミツを樽で用意して、捧げているんだ。」
「まぁ、それじゃ沢山のピヨピヨ精霊達がハチミツを食べに集まるのは凄い光景でしょうね。」
「まぁね。ピヨピヨ精霊達は沢山の子を産めないから、滅びてしまわないように、守ってやらないとと言うのもある。一つの卵しか一回に産まないから。そしてとても大事にその卵を育てるんだ。生まれたピヨピヨ精霊は、両親だけでなく他のピヨピヨ精霊達皆から祝福され愛されるらしいぞ。」
アリーディアはため息をついて。
「羨ましい。わたくしも、ピヨピヨ精霊に生まれたかったわ。そうしたら、沢山愛して貰えるんでしょうね。」
「アリーディア。そろそろ帰らないと。また、来るよ。」
「有難う。また、明日、会いたいわ。楽しみに待っているわ。」
テリュースは授業が終わると毎日、アリーディアに会いに行った。
二人で色々と話をして、時には笑い、時には涙して。
テリュースはいつの間にかアリーディアに会いに行くのが楽しみになっていた。
あまり長い時間一緒にはいられない。
学園の勉強もしなければならないのだ。
とある日、アリーディアがテリュースに、
「もうすぐ試験が近いのなら、勉強を教えてあげるわ。わたくし、学園の成績も優秀だったのよ。」
「有難う。それじゃ教えて貰おうかな。」
階段に座って、勉強を教えて貰って、
アリーディアは頭が良かった。幽霊に勉強を教えて貰うなんて、自分位な物だろう。
アリーディアのお陰で、テスト成績も上がり、テリュースは教師に褒められたのであった。
ずっとこんな日が続けばいい。
そう思っていたのだけれども。
「あのアリーディアが出ると言う階段を早く取り壊して頂きたいわ。でないとわたくし…」
「そうだな。学園長に早く工事業者を呼ぶように進言しよう。」
いつものように、アリーディアに会いに行こうとしたら、廊下を歩く二人の人物がそのような事を話していた。
階段を壊す?アリーディアに会えなくなってしまう…彼女はどうなるんだ?
「あの…階段を壊すって本当ですか?」
二人のうち一人は有名な男性だった。
「そうだ。君は?私はフィリス。この国の王太子だ。」
もう一人の女性も自己紹介する。
「わたくしはフィリス王太子殿下の婚約者レスティーナ・ハルティリス公爵令嬢ですわ。」
慌てて、自己紹介する。
「テリュース・アイスレッド伯爵令息です。あの階段を壊すと。」
フィリス王太子は当然だと言うように、
「当たり前だろう。レスティーナがあの女に階段から突き落とされた。公爵家の呪いが無ければレスティーナが死んでいただろう。私もあの女に魅了を使われ操られた。」
レスティーナも頷いて、
「あの階段があると言うだけで、薄気味悪くて。今まで我慢して来たのですけれども、
もう、壊しても良いと思いますわ。アリーディアも十分、呪いを受けたでしょうし。」
テリュースは真っ青になる。
「お願いですから。階段を壊す事はやめて頂けないでしょうか。」
フィリス王太子が不機嫌そうに、
「何故だ?何故。階段を残したがる。アリーディアの幽霊が出る階段だぞ。」
「俺は、アリーディアを愛しているんです。アリーディアの幽霊と共に過ごす時間は俺にとってとても大事な…」
「アリーディアめ。この男を垂らし込んだな。幽霊になっても、強かな女だ。」
「垂らし込まれてなんていません。俺は…」
「もういい。階段は壊す。もし、邪魔をすると言うのなら、お前を牢へ入れる事になる。
階段を壊すのは王家の意志だ。いいな。アイスレッド伯爵令息。」
アリーディアっ。アリーディアっ。アリーディア。
階段へ走って行く。
「階段が壊されてしまう。一緒に逃げよう。」
アリーディアは首を振って、
「わたくしはこの階段から離れられないわ。それに…わたくしは幽霊…階段が壊されたらきっと逝くべき所へ逝くのね。」
「嫌だっーーー。アリーディア。俺は君の事が。」
抱き締めたかった。でも。アリーディアは幽霊。抱き締める事すら出来ない。
アリーディアはにっこり微笑んで、
「お願いがあるの…階段が壊される前の夜に、会いに来て欲しいわ。思いっきり正装して。
わたくし、ダンスが踊りたいの。宮殿でわたくしのダンスを皆、上手いって褒めてくれたわ。
貴方と最後の夜にダンスが踊りたい。叶えてくれるかしら。」
「ああ…一緒に踊ってあげるから…アリーディア。」
涙がこぼれる。
なんて自分は無力なんだろう。
そして、階段が取り壊される日が決まった。
その前日の夜、真っ白な夜会服に身を包んで、テリュースはアリーディアに会いに行った。
アリーディアは王立学園の制服では無くて、その日は真っ白なドレスを身に纏っていた。
月が煌々と輝く夜。
テリュースはアリーディアに手を差し出す。
「アリーディア嬢。ダンスのお相手をお願いできますか?」
「喜んで。」
二人で踊る最後のダンス。
幽霊だからアリーディアの手を握る事すら出来ないが、それでも…
彼女の手の温もりを感じる、そんな気がした。
初めての恋…
それは自分を殺そうとした悪霊との恋だったけれども。
それでも忘れたくはない。
アリーディアの事が好きだ。愛している…この最後の夜を胸にしっかりと刻もう。
そう、テリュースは踊りながら思った。
踊るアリーディアは美しかった。
金の髪がキラキラと月の光で光って、白いドレスがふわりと舞って。
月が西の空へ傾きかけた頃に、アリーディアはにっこりと微笑んで。
「有難う。テリュース。わたくし、逝くわ。逝くべき所へ。」
「愛しているよ。アリーディア。」
「わたくしもよ。テリュース。」
アリーディアが唇を重ねて来た。
テリュースも瞼を瞑ってそれに答える。
瞼を開けると、アリーディアの身体がキラキラと光って、
- 有難う。テリュース。愛してくれて。本当に有難う。-
嬉しそうな微笑みを最後に、すううっと消えて、その光はキラキラと光りながら天に登っていった。
アリーディアが消えた空の彼方を眺めながら、テリュースは涙した。
- さようなら。アリーディア。今度は沢山愛される人生を歩むんだよ。-
それから半年後。
森の奥のピヨピヨ精霊の夫婦に可愛い女の子が生まれた。
- なんて可愛い子だ。-
- 本当ね。愛しい愛しい我が子がやっと生まれたわ。-
- おめでとう。おめでとう。沢山の祝福を。-
- おめでとう。本当に、可愛い子だ。-
沢山のピヨピヨ精霊に祝福されて、嬉しそうに生まれたばかりのピヨピヨ精霊は笑った。
- ぴよぴよぴよ。ハチミツ食べたい。-
お母さんピヨピヨから、ハチミツを沢山食べさせてもらって。
あったかい、羽毛に包まれてぐっすり眠って…
- 今度こそ、沢山愛されて幸せになるんだよ。-
テリュースの願いは届いたのか…
沢山愛情を受けて育てられた可愛らしいピヨピヨ令嬢と遠い先に出会って再び恋に落ちる未来がある事を、今のテリュースが知る由もない。
テリュースは学園を卒業し、領地へ戻って行った。
馬車の窓から見る王都は、霞んで見えて、涙を手の甲で拭きながら、
悲しい恋の思い出に浸るのであった。