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冒険者と聖女  作者: 弓場 勢
序章 虹色の面影
7/50

Episode : The past of Luke

一章は11/20から二日おきに投稿していきます。

 ――――どこで道を間違えたのだろうか。


 お前は勇者だと突然言われて魔神討伐を命令されたときだろうか。それとも幼い頃に英雄になりたいと願った頃から既に誤っていたのだろうか。


 幾ら空を見上げても瞳に映るのは空を埋め尽くす暗い雲のみ。いつも隣で笑っていた幼馴染の姿はどこにも見当たらない。

 深い海の底に沈んだかのように曖昧な意識。

 油がきれ、可動部の錆び付いた鉄の義手。

 光を灯さない左目。その全てがどうでも良かった。幼馴染を失ったと言う事実と喪失感に比べれば些事同然。


 右手の甲には十字剣を象った勇者の紋章が青白く輝いている。今はこの紋章を見ても怒りすら湧いてこない。

 たった一つ彼女が残したペンダントはその光を失っている。


――――ああ、俺は何でここに居るんだろう……?


 思考を最後に彼の意識は暗い闇の底へ沈んで行った。


          ♢


 多種族国家フランティア、北端の町シュネー。

 この町では一年を通して雪が解けない。

 町に建ち並ぶ家屋は寒さを凌ぐために極力窓の数を減らし、玄関扉も外窓と内窓の二重になっている。

 そんなシュネーの町から一歩外に出ると、そこは足跡を付けることすら躊躇うような美しい雪原が広がっている。

 その雪原の中には一人の少年が倒れていた。

 手に持っていた木剣を放り出し、うつ伏せになったままぴくりとも動かない。


「いつまで寝てんだー? 凍っちまうぞー」


 気だるげな口調で話すのは、少年と同じ木剣を持った初老の紳士だった。紳士はいつまでも起きない少年を見て「運動にもなりゃしねぇ」とため息をついた。


「おじさんが強すぎるんだよ! この馬鹿力め!」


 愚痴をきいたからか、または別の理由があってか。雪のように透き通った白い髪の少年が悪態をつきながら飛び起きた。


「口の悪いガキだな、仮にも師匠として教えてやってんだ。師匠と呼べ師匠と!」


「何が師匠だ、おじさんで充分だね!」


「うるせぇ! 剣術教えてやんねーぞ!?」


 不毛な言い争いは長々と続いた。最後に初老の紳士は木剣を肩に担ぎ、


「師匠が嫌なら『デオンさん』と呼べ!」


「嫌だね!」


 デオンは「このガキは……」と諦めたように木剣をもつ右手を体の正面に引き寄せ、左手は背中に回し直立した。


「今度は左肩に仕掛けるぞ! まともに剣が握れなくなる体になりたくなかったらうまく受け流すんだな!」


「なんて無慈悲な!?」


 二人のこの光景は、もう半年も続いている。

 三十年近く続けた役人(騎士)の仕事を辞めたデオンは、シュネーの町に余生を静かに過ごすために里帰りをした。

 しかし、長年連れ添った愛剣はどう頑張っても手放すことが出来ず、護身用という体でもって帰ってきてしまった。それが良くなかった。

 ――――ねえ、おじさん! それって本物の剣だよね。だったら僕に剣術を教えておくれよ!

 幼い顔をきらきらと輝かせて「お願いします!!」と言ったのは、十歳になったばかりのルークだった。


          ♢


 最初は近づく事さえ出来なかった。それでもルークはめげずに一ヶ月、三ヶ月、半年と我流の剣術でデオンに挑み続けた。


 そのかいあって、半年も模擬戦ばかりを繰り返せば何太刀か切り結ぶことくらいはできるようになってきた。デオンの神速とも呼べる刺突を、反時計回りに腰をねじり間一髪で避ける。それぐらいは出来て当然。毎日のように個別指導を施しているのだから出来なければ早々に見切りをつけられていただろう。


 大事なのはその後。右手右足共に前に出きったデオンの右側にスッと回り込み、木剣を逆手に持ち替えて首筋目掛けて斬り付ける。

 右脚と右腕が前に出ている状態で止まったデオンにとって、右側への反撃(カウンター)は簡単に反応できるものでは無いはずと踏んだ上でだ。


「まだ甘いな」


 しかし、デオンが身体を独楽のように回した事によって最高に決まったと思っていた反撃(カウンター)は空振り。

 さらに、あろう事かそのまま回転の勢いに任せて蹴りを放って来たのだ。

 咄嗟に剣でガードしたおかげで痛みは感じなかったが、腕はずきずきと痺れる。

 何より、ルークの小さな体はその衝撃に耐えられず宙に吹き飛ばされてしまった。


「うわぁっ!?」


 間抜けな声を上げながらすっ飛び、先程と同じように真っ白な雪原の中に倒れた。


「ぷはっ、少しくらい手加減してくれたっていいじゃないか!」


「はっ、手加減してくれだなんて言ってるうちはガキのまんまだなぁ。ん?」


「なにおぅ!?」


 またもや言い合いが始まる。十を超えたばかりの子供に言い争いをする男を果たして紳士と言っていいのだろうか。

 そんなこと、当時のルークは考えもしなかっただろう。


「またルークの負けだねー」


 毎度の如くデオンとルークがいがみ合っている途中。町の方から幼い少女の声がした。

 首にぶら下がっている、虹色の石を嵌め込んだペンダントが印象的だ。


「なんだよアリス。また笑いに来たのか」


「だって面白いんだもの」


 アリスはくすくすと笑いながら近づいてくる。

 彼女は五歳のときからの幼馴染で、ルークとアリスの両親は同じパーティの冒険者だった。  

 そんな彼らがとある依頼で命を落としてからは二人で町の修道院で過ごしていた。


「はい、今日のお弁当。デオンさんも顔を拭いてから食べてくださいね」


「アリスちゃん相変わらず厳しいねぇ」


 そうして三人で昼食を取って、太陽が西に向かい始めた頃にアリスと二人がかりでデオンに挑む。アリスは魔法に秀でていて、その才能も周りの魔道士と比べて群を抜いている。


 アリスが魔法でデオンの動きを封じ、止めをルークがさす。技量はともかく才能のあるアリスの牽制。

 一般男性くらいならば簡単に倒せるほどにまで剣の技量を高めたルーク。

 二人がかりでデオンに勝てたのはそれから二年後のことだった。


         ♢


 ルークとアリス、デオンが特訓し始めてから早くも五年の月日が経った。

 成人し、十五歳になったルークは全身の筋肉も程よく成長し、真剣も軽々と扱えるようになっていた。

 それらとは反して精神的にも成長したたからか、性格は昔よりもおとなしくなった。


「師匠、今日の特訓が終わったら話があるってどうしたの?」


 ルークはアリスと共に今日の特訓のあと、デオンに「用がないなら少し俺に付き合え」と言われたのだ。


「私も気になる!」


 ルークとデオンの一対一の勝負を観戦しているアリスが声を張り上げる。

 アリスも五年の間で背が伸び、髪もあまり切らずにいたおかげか腰辺りまで伸びている。

 もちろん、魔法の腕もみるみる上達していき今では相手をできるものが町にいないくらいだ。

 そのため、ルークと外で魔物や大型動物を狩ることで戦闘経験を積んでいる。

 

「そりゃあ、特訓後のお楽しみってやつだ。そんなことより集中しないとまたあざをつくるぞ?」


「なにおぅ!?」と返答をしつつもすルークは今行っている模擬戦闘に意識を集中させていた。

 実のところデオンは歳のせいもあってか、剣術だけでは既にルークの方が勝っている。

 アリスと戦えないのもそういう理由が挙げられる。力だけとっても全盛期の若者と老人という差があるのだ。


 この五年間、剣術だけでは足り無いと考えたルークは、独学で体術の方の研究も行っている。

 もちろん付け焼き刃の体術でデオンに敵うはずも無いので、特訓後にこっそりと鍛錬を続けることによって少しずつ体術を自分のものにしていった。


 今度こそは勝てると踏んで、剣だけでなく足技や拳も織り交ぜて戦う。

 元騎士であったデオンからしてみれば邪道以外の何物でもないだろうが、ルークは騎士では無いため遠慮という言葉を切り捨てて攻撃を繰り出す。


 気になる模擬戦闘の結果は、デオンがルークの喉元へ突剣(レイピア)を寸止めしたことで決着が着いた。

「また負けたー!」と悔しさを空に向かってぶちまける。ルークはいつもと変わらない雪原に四肢を放り出した。


「自分の剣術に合わない剣で五年もの間成長し続けたことのほうが驚きだ。全く持ってお前らにゃ敵わんよ」


 特訓を終えたルークとデオンは互いの剣を鞘に納め、アリスと共に町に帰った。

 町に帰ったルークは期待と不安が混じった気持ちで歩いていた。アリスも同じ気持ちだろう。

 実は今日は成人の儀がある日。今日で晴れて大人として認められるのだ。


 それにデオンの言っていた〝お楽しみ〟もある。五年前に比べ成長し、大人と認められてもまだ心の中は少年少女のままなのだ。

 デオンはその様子を見て苦笑しながら「こっちだ」と言い、決して広くは無い道を歩き始めた。


 シュネーは一応町ではあるが、大きな村とあまり変わりが無い。なので道行く人が家族を見かけていつもそうするように声をかけてくる。


「今日も特訓かい? 三人ともお疲れ様。うちで焼いたパンいるかい?」


「ようルークとアリスの嬢ちゃんにデオンの旦那! かりんで作った果実酒があるんだが飲んでくか?」


「あぁ、デオンさん。こないだは孫に手紙を届けてくれてありがとうねぇ。どうも最近体調が良くなくて……」


 パン屋の奥さんが、酒場のマスターが、近所のおばあさんが……おばあさん?


「郵便屋の仕事なんてしてるのか……?」


「んな訳ねぇだろ、俺は紳士だからな!」


 何言ってんだこの人はと思いながら、ルークとアリスはありがたく果実酒とパンを頂いた。

 因みにアリスは酒に極端に弱いので彼女の分の果実酒はデオンが飲み干した。


          ♢


 町の中を歩いて辿り着いたのは、シュネーに一軒だけの鍛冶屋だった。扉を開けるとチリン、チリンと鈴の心地良い音が響く。


「おお! デオンか、らっしゃい! 頼まれてたもん出来上がったぜ!」


 そう言って元気の良い笑顔を見せるのはデオンよりも歳を取っている、しかしこの場にいる誰よりも鍛えられた筋肉を持った禿頭の老人だった。


「助かります、現物を見させていただいても?」


 デオンが敬語を使っているところを一度を見たこともなかったので、ルークは後ずさるほど驚いたが何とか声には出さずに済んだ。

 アリスも目を見開いて驚いている。

 そんなふうにしていると突然ゴトッという音をたてて厚めの布に包まれた細長いものがカウンターに置かれていた。


「作るのに苦労したんだぜぇ? なにせ鋳型が使えない上に素材が手に入んねぇんだからよ。お前さんがどうしてもって言うからコネを使いまくって極東から砂の鉄まで取り寄せたんだぜ?」


「出来は?」


「俺の文句にその一言だけたぁ……。俺は鍛冶師だぞ、最高に決まってらい!」


 デオンは「そりゃあいい」と言いながらその包みを取る。すると、中には僅かに黒い光沢を持った鞘に入った剣があった。柄は鮫皮の上に紐を巻き、鞘の上から見るに刀身は半ばから反った形をしている。


「長さもぴったりだ」


「あたぼうよ!」


 二人で言葉を交しているが、ルークにはそれがなんなのか気になってしかたが無かった。そんな彼の様子に気づいたのかデオンは苦笑しながら〝それ〟を差し出してきた。


「お前もそろそろ自分の武器を持つ頃だろうと思ってな。成人祝いの品だ受け取れ」


 そして、剣のようなものを受け取ったルークは、柄を握り鞘からおそるおそる引き抜いた。

 はたしてどうだろう、引き抜いたものは確かに剣だった。

 刀身は若干厚く片刃。刃に表れている綺麗な紋様が目を引く。刃が反っているおかげ抜剣も難なくこなせた。


「これを俺にくれるのか?」


「そう言ってるだろ。それはな、この大陸から海を東にずっと渡って行ったところにある大陸で使われている刀っていう片刃剣だ。お前の剣術と相性が良いと思ったんだ」


 デオンが丁寧に説明してくれているのは分かっていたが、ほとんど聞こえていなかった。

 嬉しかった。初めてプレゼントという形で尊敬する人から真剣を貰ったのだ。それが嬉しくて、嬉しくて、


「ありがとう。一生大事にするよ!!」


 ルークは溢れんばかりの感謝を伝えた。涙が流れても気になどならなかった。しかし、これではアリスは面白くないだろう。事実、頬を膨らませ恨めしそうにルークを見ている。


「そんでもう一つはアリス、お前のだ」


 だが、デオンも非情では無い。きちんとアリスの分も用意されている。

 その言葉を聞くやいなや、目をきらきらと光らせる彼女を見れば誰もが〝単純だな〟と思うこと間違い無し。

 それでもルークだってこんなにも嬉しいのだ。嬉しくないはずが無い。


 手渡されたのはイチイ木の杖。先端には紅玉(ルビー)が埋めこまれている。


「イチイは悲恋の木と呼ばれちゃいるがその象徴は〝不滅の魂〟と〝再生〟だ。紅玉も勝利の石と呼ばれるくらいだからな。縁起のよさは折り紙付きだぞ」


 それを聞いて更に目を輝かせるアリス。魔法を扱う上で杖というのはかなり重要なものだ。

 魔法の方向性を定めたり、魔法の威力を高めやすくしてくれる。


「ありがとう!! デオンさん!!」


 アリスの笑顔はまるで太陽のようで、その笑顔を見たデオンと鍛冶屋の主も微笑んでいた。

 その後、日が沈んだ頃からルークとアリスを含め成人する少年少女の祝いをした。

 この記憶を思い出すたびに楽しい情景が頭の中に浮かび、それから……それから――――――――


「あああぁぁぁ!!!!」


 人っ子一人いない荒野で叫びながら上体を起こす。うなされていたらしい。

 嫌な夢を見たものだ。未だに夢の中なのでは無いだろうかと思ったくらいだ。


 最後に幼馴染を見た祭壇の方へ視線を巡らせる。そこは、つい先刻まで魔神と呼ばれる恐ろしい神が座していた場所だ。

 そこでルークとアリスは魔神に戦いを挑んだのだ。逃げることも叶わず、只々状況に流されるままに。


          ♢


 目の前には艶かしい光沢を放つ銀髪の女性がいた。その姿は巨人と呼ぶに相応しい大きさを有し、瞳を見ればそれが生き物のそれでは無いことが伺える。


「あれが魔族と魔物の主神……」


「魔神……?」


 言葉を発するわけでもなくルークとアリスを視認すると。狂気を宿した瞳が別の生き物のようにぐるんと蠢いた。


『――――yr――――――――!』


「ルーク避けて!!」


 アリスの悲鳴のような言葉に従い、後ろへ跳ぶ。すると、先程までルークのいた場所には小さなクレーターが出来ていた。

 この攻撃を境に二人と一柱の戦いは幕を開ける。


「なんだあの攻撃は!?」


「わからない、でも魔力を使ってるから魔法と同じはず!! さっきみたいな変なやつが来たら気を付けて!!」


 ルークは頷き、魔神へ肉薄する。魔神はその場から動く気はないようで近づくだけならば難は無かった。


『――――tho…rn――――――――is!!』  


 魔神に一歩近づくごとに氷の茨がルークに襲い掛かる。その全てを躱し、あるいは斬り捨てながら前へ進む。

 ここに来るまでの間にも死線は幾度となく超えているのだ。この程度ならばまだ容易い。


「走る雷光。その身を捉えること能わず、何人たりとも並び立つこと無し。纏え、雷霊(トニトルフェン)


 アリスの魔法によって生み出された雷がルークに纏わり付く。直後、迸る雷を得たルークの前進する速度が上がる。

 氷の茨が出るよりも速く魔神に肉薄し、その腹を斬りつけた。

 今や彼の一挙手一投足は光に勝るとも劣らない速さだ。氷の茨に阻まれる一瞬までの間に何度も魔神を斬りつける。


『……――――yr――――――――』


 しかし、先程はうまく聞き取れなかったものの、魔神の詠唱によって即座に傷口を塞がれてしまった。

 そもそもルークの与えた傷に対して痛痒を感じていたかさえ怪しい。


「駄目だ、すぐ回復される!!」


 ルークは叫びながら攻撃を躱し、ときにはいなす。隙を見つけては魔神を斬りつけるを繰り返していた。しかし、傷は与えられても傷口は瞬時に閉じきってしまう。反撃も激しく、一時後退を余儀なくされる程だ。


「分かった! 私が口を塞げるか試してみる!!」


 一年前に手にしたばかりのイチイの杖を構えたアリスは力ある言葉(詠唱)を紡いでいく。


「夜の影にしのぶ小人。言葉を憎む者。その手に持つのは布かナイフか――――――――」


 アリスの詠唱は速く、正確だ。

 一瞬で詠唱の大半を言い終える。


『eolh……――――ansur――――――――』


「来たれ、口を封じる者(オースケラ)


 ただ、相手は魔の神。簡単に口を塞がれるのなら神などとは呼ばれないだろう。

 舌打ちをしたアリスは続けて詠唱を続ける。

 女性としては少々荒っぽいがここは戦場、咎める者はいない。


「氷雪纏う鷲、氷を操る者。冬去り春に残る尾羽は冬の足跡となり死神の足跡となる。閉ざせ氷霊(モルキエス)


 魔法で声を奪えないのならば、そもそも口を開けなくすれば良い。


『……――――――――ッ!?』


 初めて驚いたような声を上げた魔神は、巨体を後退させてルーク達から距離を取った。


「ハァッ!!」


 もちろんルークはその隙を見逃さず、全力で地を蹴る。先程よりも速く、調子は最高。口も封じたおかげで即時回復される心配もないだろう。

 一太刀でその命を屠る為に巨体の喉元めがけて跳躍。

(獲った!!)

 瞬間、勝利を確信する。刀はズパッと魔神の首を根本から切り飛ばした。巨体が揺らぐ。

 首を切り離された魔神の首から下は倒れる前に粉塵になり風にさらわれていった。


 やがて首から上の部分も崩れ、美しい銀髮もその姿を荒野の空へと散らしていった。

「やったよ!」と声を上げて後ろを振り返る。


「ルー……ク?」


 視界の奥には体中を黒い斑点に侵食され地に伏したアリスが倒れていた。


          ♢


「アリス……? 何があった!!」


 彼女の顔から首筋にかけては黒い斑点が現れ、彼女自身息が荒く意識もはっきりしていないようだ。


「だめ……! あの黒い風は触れちゃ駄目!!」


 黒い風と聞いて辺りを見渡す。見れば二人の周りを黒い風――――塵と化した魔神の残骸が漂っていた。

 ヒュウと風が一際強く吹くと塵がルーク目掛けて飛んでくる。

 

「くそっ!!」


 ルークは悪態を吐きながらアリスを抱えて走り出す。左目の周辺が僅かに触れてしまったようで、左目から突き抜けるように頭の中を強烈な痛みが襲う。


「ぐうっ……ああっ!?」


 この瞬間に理解した。これをまともに受ければ動くことすら出来ないと。

 事実、あの塵を浴びたアリスは気息奄奄(きそくえんえん)として、力も入らないようだった。

 故に頭の中を灼くような痛みを堪えながら走る。走っている途中にはたと気付いた。


――――左目が視えない。


 状況は最悪だ。塵に触れた部位の機能が失われるならアリスの症状もおおよそだが予想がつく。

 杖と一緒におぶった彼女が呻き声を上げながら僅かにだが意識を回復させる。


「ルーク、何をして……」


「逃げてんだよ。それより体調は?」


「両目が見えない。ルークの声も遠くて、身体の感覚も殆ど無いわ」


 予想したとおりルークよりも断然酷い状態だ。

 こんな状況で無ければ直ぐに全力を持って治療するのに、自分の無力が心底恨めしいと思った。


 依然、塵は風に乗って二人を追うように宙を駆ける。

 ルークは身体強化の魔術でアリスの魔法ほどでないにせよ、かなりの速さで走っている。

 それでも追いつかれるのは時間の問題だろう。

 それに、

(祭壇の外に逃げられないように誘導されてるのか?)

 もはや二人を追う黒塵が意思を宿しているのは明白だった。


「赤き小竜。火に住むもの――――」


 アリスが突然詠唱を始めた。ルークは驚き、非難に近いような声を上げる。


「無茶をするな! そんな体で魔法を使ったらどうなるかわからないんだぞ!?」


「炎は善を猛、らせ悪を敷く。されど……炎が天に届くことはない――――」


「聞いてるのか!! アリス!!」


 直感的に感じ取ってしまった。このまま魔法を使えばあと一回か二回でアリスの命は尽きる。


「アリス、今すぐ詠唱を止めろ!!」


 諦めてくれと心の底から願い、叫ぶ。その分は自分が走って逃げきって見せるからと。それでもアリスの詠唱が止まることはない。


「私は写し身た、るが故に薪を……焼べる者。消し去れ(焼き尽くせ)火霊(サラマンダー)ッ!!」


 爆風と轟音を伴って炎が()()()。炎はたちまちに塵を飲み込み、空を朱く染めた。

 アリスの呼吸がすぐ耳元で聞こえる。はっはっと浅い呼吸を繰り返している。そもそも空気を取り込めているのかどうかが怪しい。

 

 彼女にこれ以上魔法を使わせる訳にはいかない。そう誓った直後だからか、次の一言で思考を一瞬にして叩き割られた。


「転移魔法を使うわ……だから、私を降ろして」


 転移魔法はアリスが創りだした。世界に術者がたった一人だけの魔法。

 消費魔力もさることながら体力もかなり消耗する魔法だ。そんなものを今の彼女の状態で使えばどうなるかなど自明の理。


「これ以上魔法を使ったらどうなるか分かってるのか!?」


「大丈夫だから……。それにルークだって魔法を使えばもう後戻りできないでしょう? だから降ろして、ね?」


「そう言われて『分かった』ってうなずける訳ないだろ!! 俺が走って逃げるからお前は休んで――――おまっ何をして……!」


 背負っているアリスが暴れ始めた。耐えようにもルーク自身も僅かとはいえ塵を浴びた影響か、力が思うように出なかった。

 結果、無理やり地面に降りたアリスを背負い直すしかなく彼女の方へ転身する。

 身体ごと回転させたのだから当たり前の事だが、そこにいたのはルークの知るアリスでは無かった。


「な、なんで……」


 膝から下がぼろぼろに砕けて無くなっていた。血が出ているわけではない。

 まるで彫刻が砕かれたかのようだった。捲れたローブから覗く太ももにも罅が走っている。


「こんな私を背負ってくなんて無理でしょ? だから魔法で脱出するのよ」


 走るだけではジリ貧。そんな事は分かっている。けれどここで反対して二人とも助かる手がある訳でも無いのだ。

 結局は魔法を専門にするアリスに頼ることしか出来ないのかと歯噛みする。

 それにそう言って笑ったアリスは故郷でよく見た勝ち気な彼女の笑顔そのものだったのだ。


「…………分かった、信じる」 


「ありがとう」


 アリスの詠唱は速く、正確だ。先程までの気息奄々とした彼女はそこにはいない。凛とした声が空間に響き渡り、魔力が見える程にまで輝く。可視化された魔力は怪しく輝き、やがて収束する。

 だからこそ、その瞬間まで魔法の知識に乏しいルークでは気付けなかったのだ。魔法が発動した直後の出来事。黒塵が渦に吸い寄せられるようにアリスの体に流れ込んでいく光景を見るまでは。


「アリス!?」


「ごめんなさい……。魔神は私の中に封印するわ」


「は、え?」


「これが最善。太陽が玩具を手に入れる前に彼を討つ為の布石」


「な、何を言って……」


 黒塵を全て身体に収めたアリスの体が徐々に崩れていく。神を身体に封印すると言ったがそれはつまり彼女自身が神を取り込む器になるということ。神の力は人の身に余るもの。身体が耐えられないのは当然の結果であった。腕の半ばまで崩れ、風に揺れるローブの袖が余計に現実を思い知らせてくる。


「嫌だ、お前まで俺の前から消えないでくれ。俺を一人にしないでくれ……」


 崩れゆく彼女の身体を支えながらこれは夢だと自身に言い聞かせても夢が覚めることはない。

 アリスは優しく微笑むと言葉を紡ぎ始めた。


「狂気を孕む白。され……どその輝きは安息を(もたら)す光、――――……者を須臾(しゅゆ)の間のみ微睡む世界へ誘いたもう」


 不思議な詠唱だった。視界がぐらりと揺れる。

 それでも必死に耐えて、たった一回しか使えない魔法を使ってでも助けると。

 詠唱を紡ごうと、消えゆくアリスを見つめる。見つめる事しか出来なかった。

(なんで、声がっ……!?)


「さようなら。幸せになって、あ――――」


 アリスの最後の言葉は声にならず、風にさらわれた。身体は完全に崩れ去り塵すらも残らない。

 ルークは泣き叫び悲観に暮れることなく、意識を暗い闇の中へ落としていった。


          ♢


 暗く靄のかかった意識を揺り起こしていく。先程まで感じていた肌寒い感触や暗い気持ちが薄れていく。同時に暖かい光が瞼を通してルークの寝惚けた意識を照らした。


「――――ーク、ルーク!」


 褪せた視界が急激に色を取り戻した。

 ガタゴトと揺られる中、アイリスがルークを強請っている。

 

「んぁ……ぁふ…………。ごめん、夢を見てた」


「ルークが夢見てたことくらいわかるよ。それより見て見て!」


 寝ぼけ眼のまま彼女の指差す方を見れば既にシルトが見える頃であった。

(もうそんなに進んでいたのか)

 今まで見ていたのは過去の記憶。思い出などではなくただの記憶だ。

 念を押すように、楔を打ち込むかのように自身に言い聞かせる。


 四年間、肌見離さず持ち歩いていたペンダントをぎゅっと握り締めながら。

 それが、ただの記憶などでは無いことの証明だと知る由もなく。


 そして、二人は二日の短い馬車旅を終えて城塞都市シルトに到着した。

 

2020/01/30 プロローグとの辻褄合わせの為に少し修正しました٩(ᐛ)و

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