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冒険者と聖女  作者: 弓場 勢
序章 虹色の面影
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04 影這う魔狼Ⅱ

 ぴちゃり、ぴちゃりと雫が滴る洞窟。その最奥で彼は目を覚した。

 外は真っ暗で黒がどこまでも、どこまでも続いている。

 手下は皆一様に腹が空いたと唸り声を上げながら、立ち上がった。


 獲物を求め、手下を引き連れ夜の森を闊歩する。しかし、彼や手下の姿を見ると、小動物はおろか肉食動物までも尻尾を巻いて逃げてしまう。

 野生動物など、比べられないほどに魔獣は強い。周りの手下の不満が自分にまで伝わってくる。


――――不快なものだ。


 されど宴は始まったばかり。今夜は新月。

 宴の主食(メイン)を獲るために今宵も彼らは森の民を鏖殺する。


          ♢


 ルークは刀に付いた赤黒い血を双角魔狼(ローヴォルグ)の毛皮で綺麗に落としてから、鞘に刀を戻した。

 剣に付着した血糊をそのまま放置していては、たった数太刀で使い物にならなくなってしまう。

 故に武器の手入れは怠ってはならない。


「終わったな。予定とは違うけ……かはっ」


 近くの木に背を預け、とすっと地面に腰を降ろす。降ろしたと同時に吐血した。


「ああ!! 回復魔法かけるからじっとしてて!!」


 慌てたアイリスがとてとてと駆け寄ってくる。

 その姿を見てふと、記憶の中の姿と重なることを思い出した。

(あいつもこうやって愚痴を零しながら駆け付けてきてくれたっけ)


 目の前の少女とは関係の無い過去の話。

 だというのに透き通るような金髪に緑がかった碧眼は、見れば見るほど過去の情景を思い浮かばせる。

 妙な懐かしさに身を委ね、自分でも呆れてしまうくらいに全身の力が抜けていくのを感じた。

 アイリスが回復魔法の詠唱をしているのを傍らに月を見ようと彼女の後ろに視線を向ける。

 瞬間、影が伸び月が輝いた。

 否、月ではない。月と呼ぶにはあまりにも煌びなかで、爛々と輝き過ぎている。

 影の中から爪がぬるりと飛び出した。

 その爪が向かう先は――――――――


「危ない!!」


 影から現れた爪はすでにアイリスの(うなじ)から拳一つのところまで迫っている。

 刀を抜いていては間に合わない。仕方なくスペアとして持ち歩いている片刃の短刀(ダーク)を腰から抜き放つ。


 アイリスのすぐ後ろで金属と金属がぶつかり合う音がした。刃が触れているのは本当に爪なのかと疑うような固さである。

 全く勘弁してほしい。心の中で吐く毒が誰に伝わるはずもないが、毒の一つは吐きたくなってしまうもの。

 万が一を想定して爪から遠ざけるために抱き寄せたアイリスを傍目に見る。彼女は驚愕故か口をぱくぱくさせ、大きく目を見開いていた。


「う、後ろで何が……?」


「魔狼の群れを率いていたのは双角魔狼(ローヴォルグ)じゃない。もう一体……ああっなんで言われたときに気付かなかったんだ!」


 セレイロ村で話は聞いてきたはずなのにあり得ないと無意識に切り捨てていた情報。それを頭の中で反芻する。


「小さな魔狼、子狼何かじゃない。あれは魔界にいる魔物――――――――影這う狼(シャッテンヴォルフ)だ!」


 座っているせいかうまく力が入らず、やっとの思いで影這う狼(シャッテンヴォルフ)の爪を弾く。

 ほぼ完璧だった奇襲を躱された影這う狼(シャッテンヴォルフ)は、忌々しそうに唸り声を上げると再び影の中へ身を潜らせた。


「すぐここを離れよう。もっと広い場所に行かないと俺達はいい的だ!」


 未だ痛む体を奮い立たせ、アイリスの手を引く。彼女は相変わらず唇を開けたり閉じたりしたままだ。


「ね、ねぇ。何が起きてるのか私にも教えてよ!」


「あいつは影の中に潜れるんだ。とにかく開けた場所に案内してくれ! とびきり広い場所だと助かる!」


「分かった、広い場所なら貴方が野営してた湖畔がある!」


 アイリスは魔道士ながらに多少なら走れるようで先導は彼女に任せる。

 さすが、森で暮らしてきただけのことはある。

 ルークは走りながら小型の提燈(ランタン)に火を付けて腰に吊るす。

 影這う狼(シャッテンヴォルフ)は影の中を自在に動けるが、影が途切れてしまえば一度出ざるを得ない。

 提燈で周囲を照らせば真下から襲われるという事故だけは防げるだろう。


「ついたよ!!」


 アイリスの先導で辿り着いた先は確かに先日拠点にしていた湖畔だった。

 今宵は新月。頼りになる明かりが提燈だけというのは中々に心細い。


「ありがとう。アイリスは機を見て強い光で辺りを照らしてくれ」


 ルークとアイリスは湖を背にして辺りを警戒する。影の中に潜っている間の影這う狼(シャッテンヴォルフ)の姿は特定できない。

 移動しているのかさえもこの提燈の光だけでは判別がつかない。


「分かったけど、それでどうするの?」


影這う狼(シャッテンヴォルフ)は影に潜れる。だから目を潰し、やつの入れる影を無くす。俺はその瞬間にあいつの素っ首を斬り落とす」


「わ、分かった」


 アイリスの返事が終わると同時に、待っていたのだろうか。木の影の中から影這う狼(シャッテンヴォルフ)がのそりと現れた。


「グルルルル…………」


 影這う狼(シャッテンヴォルフ)にとって夜は最高の狩り時。夜とは太陽が沈んだことによって世界全体に差す〝影〟のことだ。つまり夜である限り何時でも何処でも影に潜むことが出来る。


 しかし、能力だけ聞けば万能のように聞こえるだろうが、そういうわけでも無い。

 影の中には潜れるだけでそれ以上は何もできないのだ。影に潜るときも攻撃されてしまえば大きな隙を作ることになってしまう。


 それ故か先に仕掛けてきたのは影這う狼(シャッテンヴォルフ)の方。夜中でも目立つ金色の瞳を爛々と輝かせて()()()()目掛けて疾駆する。

 自分が圧倒的優位であるのならば進んで突撃することも決して愚策では無い。

 そして狙うならば不確定要素である魔道士だ。


「――――ッ! させるかっ」


 アイリスと影這う狼(シャッテンヴォルフ)の間に割り込み、敵を迎撃する。

 刀は刀身中央に行くほど反りが強く、抜刀しやすい作りをしている。

 そのため、目に見えぬ速さで鞘から抜き放たれた刀は、すれ違いざまにその刃を影這う狼(シャッテンヴォルフ)の身体へ難なく滑り込ませる。


 しかし、敵も簡単には攻撃を受けてくれない。

 渾身の居合斬りは掠めるだけにとどまり、ルークの腰より低く身を屈めて、足元から飛び掛るようにして襲いかかってきた。


「くっ……!」


 それを身を捻って回避するが、爪が左わき腹に掠ってしまった。ここまでで両者共に軽傷。ところが視線を戻せば周囲に影這う狼(シャッテンヴォルフ)は居なかった。

 誘われたと悟った時には遅い。最初から影の中を移動してアイリスのところまで行かなかったのは、ルークを引き離すためだったのだろう。


「アイリス、気を付けろ!!」


 本能だけでなく、ある程度の知恵を持ち合わせる生き物こそが魔物。

 強ければ強いほど人並みの知恵を持ちうるとも言われている。魔物であるというだけで生態系の上位に座する理由がまさにそれだ。

 影這う狼(シャッテンヴォルフ)は既にルークの守備範囲から抜け、アイリスの元へ一直線に駆けて行く。


「少し魔道士を見くびり過ぎじゃない?」


 しかし、アイリスの瞳は凪のように揺るがない。余裕すら感じられる。後ろで守られるだけでは無いと言うことだろうか。杖の先を影這う狼(シャッテンヴォルフ)に向けて詠唱を始めた。


「小さき老人、大地に寄り添う者よ。貴方の至妙な腕を持って、築け土霊(ノーム)


 轟々と音を立てて地面が隆起する。隆起した地面による土壁はルークの何倍もの高さだ。

 壁に進路を阻まれた影這う狼(シャッテンヴォルフ)は、混乱して留まる事はなく地を駆け続ける。

 壁に沿うようにして走っているのを見るあたり、外からアイリスの後ろに回り込んで攻撃しようというのだろう。

 しかし、こちらは二人で一組のパーティーなのだ。そうやすやすと後衛に敵を通す前衛は居ない。


「させるかって言っただろ」


 ルークは足全体に魔力を行き渡らせる。魔力による技術、略して魔術と呼ばれるもの。

 以前から何度か使っているが今回はより明確に意識する。魔術による身体強化を施すイメージ。


魔力による身体強化は骨と筋肉を強固にし、血の働きを増幅させる技術だ。骨ならばより固く、筋肉ならばより靭性と強度を高く、等々。


 刀の切っ先を正面に向け、刃を寝かせて突きの構えを取る。構え終わってから身体強化を施した足で思い切り地を蹴った。

 瞬間、間を置く事すらなく影這う狼(シャッテンヴォルフ)との距離を詰めた。

 

「ハァッ!!」

 

 目では到底追えない速度で繰り出される突き。

 刀剣による最速の攻撃の手応えは()()


「アイリス、そっちだ!!」


 影這う狼(シャッテンヴォルフ)が向かったのは隆起した地面の向こう側、アイリスのいる場所だ。

 ここからはルークも壁を回り込んで追いかけるしかない。

 こんな時に魔法が使えない自分を恨めしく思う反面、自分に出来るのは刀を振るうことだけだと自らに言い聞かせ、必死に足を動した。


          ♢


「空舞う乙女、風と共に在る者よ。花と共に踊る貴女の綽名(あだな)妖蝶(プシュフェー)――――」


 地面を隆起させて作られた壁の頂上から影這う狼(シャッテンヴォルフ)が飛び出してきた。その瞳は爛々と輝いている。


「――――吹き荒べ風霊(シルフ)


 風が吹き荒び、壁の影から飛び出した影這う狼(シャッテンヴォルフ)を宙から更に上空へ押し上げる。

 アイリスは杖を真横に振るい「ありがとう、もういいよ」というと土霊(ノーム)達は隆起させた地面を元に戻して去っていった。

 

「私だってお飾りでここに来てるわけじゃないのよ?」


 影這う狼(シャッテンヴォルフ)はただ上空に飛ばしただけなので、落下死で終わるということもないだろう。

 地面を隆起させた壁を除けば、当然ルークがいる。だからこその警告。


「ルーク、目を塞いでてね」


「了解」


「揺蕩う光、光輝く精霊よ。形無き貴方の光は果てを知らぬ。焼き焦がせ、光霊(イルミクス)


 瞬間、カッと世界が爆ぜた。夜であるにも関わらず視界が白に塗り潰される。

 同時に、森から影が消え失せた。

 ルークとアイリスは事前に打ち合わせをしていたため直接光を見ることは無かったが、影這う狼(シャッテンヴォルフ)はそうでも無い。

 アイリスはそもそも術者なので多少の耐性があるおかげでもあるが。


「――――――――ッ!?」


 光が収まった瞬間、目の前には呻き声のを上げる影這う狼(シャッテンヴォルフ)がいた。

 おそらく目を焼かれたのだろう。影すら消し去る光の前に瞼という薄い皮の壁は無意味だ。

 もはや匂いでルークの居場所を特定出来ても影は匂いや音では位置を把握出来ない。

 たとえ視覚が失われていないにしてもしばらくは目を焼かれた痛みに苛まれるだろう。


 魔物とて痛みを感じる。生き物であるのだから当たり前なのだが、そうであるが故に痛みは我慢できなければそれは大きな隙へと転じる。

 

 もはや勝敗は決した。ルークは一歩、また一歩と影這う狼(シャッテンヴォルフ)へ近づいていく。

 ザク、ザクと地面に足をつくたびに聞こえる音。影這う狼(シャッテンヴォルフ)は本能に従ってか、ジリジリと森の方へ後退する。

 森と湖畔の境目ちょうど、影這う狼(シャッテンヴォルフ)は一目散に森に向かって駆けようと身体を屈めて膝を曲げた。

 ルークの足は先程の身体強化の魔力が残っている。結果、今回の戦いは影這う狼(シャッテンヴォルフ)の首を一刀のもとで斬り落とした事によって幕を閉じた。


         ♢


「今度こそちゃんと終わったみたいただね」


「うん、お疲れ様」


 ルークはとさりと地面に腰を下ろす。アイリスも同様に、いや地面に腕を大の字に広げてバタリと倒れた。

 そして、数秒経った後に片手で目の辺りを覆った。彼女の仕草が新月の闇の中でわかったのは提燈(ランタン)のおかげだ。


「生き物を殺すってあんなに残酷だなんて知らなかった。君が斬った魔狼の死体見たとき君のことがとても恐くなった」


魔物を討伐しに来たんだから何を今更。そう言えればどれだけ楽だったろうか。鶏や兎を屠殺するのとはわけが違う。

 生きるためと言う点では同じではあるが、それを細かく分けたとき食用や皮を得る為に殺すのか。

 それとも命の奪い合いをした結果殺したのとでは意味も違う。

 

「今日はもう疲れたし、寝ようか」


「うん」


 我ながら卑怯だとも意気地なしだとも、考えればいくらでも出てくる。

 最後に思ったのは、


「情けないなぁ、俺」


 決して少女に聞かれないように小さな声で呟く。ルークは下唇をキッと噛んで先のアイリスと同じように片腕で顔を覆う。

 逃げた自分が恥ずかしくて、アイリスの恐怖も悩みも知っていたはずなのに何も答えてあげられなかった自分が悔しくて。

 とうに枯れた涙の代わりに愚痴を吐く。


「何が――――」


 それからルークはしばらくの間、地面に寝そべっていた。元々の疲労も強かったのだろう。

 アイリスは完全に眠ってしまったようだ。陶器のような肌に透き通るような金髪。その姿はまるで精巧な人形のように見える。


 結局、ルークが拠点を一人で作ることになった。近くの木に簡単な屋根を作って、アイリスをその下に寝かせる。

 そうして提燈(ランタン)の火は消さずに自身の身体も木に預けた。


「おやすみ」


 夜闇を照らす月明かりも無く、その場を照らすのは提燈の明かりだけだった。

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