19 神聖国グラウベン Ⅰ
これからどんどん盛り上がって(予定)いきますよー!!
雲一つない晴天。穏やかな波打ち際。陽の光をこれでもかと反射させる白い砂浜。頬を撫でる南風が妙に暖かい。
「遠くまで来たなぁ……」
ぼそりと呟き、ルークは自分達が乗ってきた船を見やる。対魔物用の衝角がボロボロに折れ曲がり、船首楼にも凹んだり穴の空いた箇所がいくつか見られる。客の中にいた技師の話では竜骨も雷を受けた木のように滅茶苦茶に裂けているとのことだった。「これで良くここまで保ったもんだよ」とは船を診た技師の言葉。
約半月の航行の途中、回遊範囲を抜け出してきてしまったのだろう番の水竜に出会してしまったのだ。それも下位の竜ではなく上位の竜の個体だ。さらに運の悪いことに水竜の片割れは子を孕んでいた。
最低限の武装が付いていても所詮は木造の旅客船。船は本来停泊する筈だった港への進路を大きく東へ迂回。これは、気の昂ぶった竜の番を港に連れて行く訳には行かないためだ。そんな事をすれば港は一瞬で壊滅である。
船に装備された弩砲や衝角、護衛の冒険者が一丸となりなんとか撃退。しかし、水上での有利は水竜にあり、撃退には追い込んだものの船は戻ることを許されずそのまま東へ東へと流れてしまったのだ。
ルークとアイリスも戦闘には参加したが、山の一角をほんの少し削ったところで山は崩れないのだ。結局のところ数時間もの間、水竜と戦い続けた挙句このざまである。
船が停まったのはヴァルト大陸の東側にある海岸で、近くには聖天教の総本山である神聖国グラウベンがある。不幸中の幸いと言えば聞こえは良いがここからグラウベンまでの移動手段は己の足だけ。ましてや、ルーク達は問題ないが客の中には獣人や鉱人等の亜人もいる。人間と天翼人以外への迫害が度を越しているあの国には泊まれない。
しかし、ルーク達には別の問題があった。グラウベンには入国出来るだろう。しかし、そこから本来の目的地であるシュヴァルトへは馬車で二週間近くかかるのだ。シュヴァルトは通称騎士の国と言われるほどの大国で、首都リッタには世界でその名を轟かす騎士王がいる。シルトが人類の盾ならばリッタは人類の矛だ。
「グラウベンで運賃を稼がないとな……」
残念なことにルーク達にグラウベンから先に行くほどの資金もなければ、食糧もない。半月の航行では保存食も嵩張るだけなので、本来の停泊地である港町で買い込むつもりだったのだ。
それに最大の問題として貨幣があちらとこちらでは違う。港で換金するつもりだったアルクス金貨――ヴュステ大陸の主用金貨――が三枚、手元に余っているが両替商を見つけるまでは迂闊に差し出せない。適当な店で両替して本来の価値より安くされてしまっては事である。
「船酔いの後にグラウベンに行くなんて最悪です……」
船酔いで死にかけたノエルはルーク以上にどんよりとした顔で白い砂浜に腰を下ろしていた。水竜が襲撃してきたときもとても戦える状態ではなかったらしく、水竜を撃退した後に様子を見に行ったら屍人のようになっていた。
アイリスは状況が分かってないのか、満面の笑みで海水を魔法で巻き上げながらキャッキャと騒いでいる。水が噴水のように噴き上がったかと思えば空中で綺麗に弾けた。
水滴一つ一つに太陽の光が反射して、非常に美しい。こんな状況でなければルークも微笑ましく見守っていただろう。
もっとも、暗い雰囲気を醸し出していた子供達には大好評だったので、魔法をこんな所で無駄使いするなとは言わなかった。言っても無駄だからだ。
その日は船客全員で夜を明かし、グラウベン付近の街道まで移動することにした。
♢
神聖国グラウベンへは難なく辿り着けた。ヴァルト大陸は東に行くほど先細りの形になっていくので国から海岸線までの距離が短かったのだ。徒歩でもたったの三日で辿り着けた。どことなく神々しさを感じさせる真っ白な城壁が、ルーク達を出迎えるしかし、問題は門をくぐってからだった。
「天使様!! よくおいでくださいました!! ささっお仲間の方々も是非私の宿をご利用下さい!!」
「天使様から金を巻き上げたらバチが当たっちまう!! 林檎三つただであげるよ!!」
異常なまでな歓迎――否、ノエル個人に対する持ち上げが度を越しているのだ。ノエルは「そら来た」と言わんばかりに萎えた表情をしている。これがノエルが神聖国グラウベンに行くのを嫌がった理由だった。こればかりはルークも予想外で、話には聞いていたものの、ここまでとは思っていなかったのだ。
「あの、押さないでくださ……」
ノエルの儚い懇願は、瞬く間に人々の歓声のような奇声に描き消されていった。
聖天教の天翼人に対する神聖視である。彼らの信ずる聖天教の主神は三対の白き翼を持つという、天翼人はその特徴を欠片なりとも持っている為ここまで神聖視されるのだ。
「天の使いがいらしたぞ」と。そのせいか刃物の持ち込みも本来は厳しいのだが「天使様のお仲間ならば問題ありません」と来たものだ。
シルトの時もそうだったが、門番がこんなにも杜撰な者達で務まるのだろうか。ルーク達としては助かるから構わないのだが。
「早く、宿に行きたいです……」
「のーくん、大丈夫? 顔が真っ青だよ?」
アイリスは先程貰った林檎を片手に呟いた。意外にも人々の興味の対象はノエルだけでは無かった。アイリスも中々の美貌を持っている。髪はまるで陽の光を宿したかのような金糸、瞳の色は神秘を体現したかのような緑がかった碧眼だ。
さらに本人の天真爛漫な性格も相まってノエルと一緒に歩く様は天使と妖精のよう。
アイリスはシルトの酒場で慣れてしまったのか数多の視線に晒されてもあっけらかんとしている。
兎にも角にも道行く人に話しかけられては、引き止められ「うちの宿に来なよ!!」と言われてから半刻。遅々として進む気配がない。ノエルは船酔いで屍人化したときよりも酷いのでは無いかと思うほどの真っ青になっていた。
アイリスも流石に心配になってきたのか周りの人たちを抑えようとしてくれている。
「やあやあ、よく来てくれた親友!! 長旅で疲れただろう? 僕の館へ案内しよう!!」
そこへ突然、若い男の声が割って入った。髪は薄茶色。背まで届く長髪を一箇所に結った天翼人の男性が、ルーク達の前に立ちはだかった。着ているのは法衣、それもかなり高位のものだろうか。
「ここじゃ、何をするにも落ち着かないだろう? 私の館へ案内しよう」
パーティーリーダーであるルークが了承するより早くノエルが二つ返事で「行きましょう」と言ったのは偶然ではあるまい。
男の住んでいる館は存外近くにあった。確かに立派な館ではあるが、庭からは心地のよいソプラノの合唱が聞こえる。この声は小さな子どもでもいるのだろうか、と思ったが声の数は四や五ではない。本当にここだろうかとルークが考えている間に男は迷わず門を開け放ち、敷地内に入っていった。
「パパ――――――――!!」
「うんうん、パパだよぅ!!」
ぽかんと口を開けた、比喩無しで。隣にいるノエルとアイリスも同じだ。ふわりと舞う毛。もふもふとした毛が実に暖かそうだ。表すならば仔犬のような子供だった。否、犬の獣人だった。
その他にも十人近くの亜人や獣人と言った種族に属する子ども達が庭で遊んでいた。人間の子どもも、その倍はいる。ふと、何かに気付いたように獣人の子を抱きかかえた男は身を捻りルーク達をその視界に据えた。
「ここまで連れてきて言うのも何だけれど、君たちは聖天教じゃあ無いよね?」
直後、凍るような感覚が全身を襲った。他の二人は「はい、違いますけど」とごく普通に受けごたえをしている。この感覚を突きつけられているのは自分だけなのだとルークは悟った。
「君は?」
「……僕も生憎、神には悪印象しかないので」
「そうか、そうか」
殺気だと、直感で気づいた。矢よりも細く、槍よりも鋭く研ぎ澄まされた一筋の殺気をルークにだけ当ててきたのだ。ルークは理由が分からず、頭の中が軽く混乱した。殺気を当てる理由は見当が付く、何故自分にだけ当てられたのかが分からないのだ。
「済まないね、この国では獣人や亜人の子供たちへのあたりが強いから。ここで養っていることは口外しないでほしい」
もう一度、今度は真っ向から当てられた。
「はい、分かりました」
流石にルークと男のやり取りに違和感を覚えたのか二人も少々訝しんでいたが、何でもないと手を振っておいた。ルーク達三人は、男の館へ案内された。男はロウウェルと名乗り、ルーク達を客間に通した。
「いやあ、若いね。白髪君以外はまだ二十歳も超えてなさそうだしね。君たちにとってはこの国はとても窮屈だったろう?」
「そうですね、故郷で話を聞いていたので近寄ることもあるまいと思っていたんですが……」
ノエルがそのように返すとくすりとロウウェルは笑って、この国の細かな事情を教えてくれた。それから暫くは世間話に興じ、半刻経った頃に客間に別の人影が入ってきた。
「ロウウェル、紅茶……」
「おお、ありがとう。エステル」
見た目は幼い人間の子どもだ。清廉な印象を与える薄灰色の髪に炭のように黒い瞳が印象的だ。ノエルより年下のように見える。するとエステルと呼ばれた子はルークの不躾な視線を感じ取ったのか、ジトっとした目でこちらを見つめていた。
「私は十七、ちゃんと大人」
「え!? 私と同い年!!」
驚愕の事実である。まさかのタイミングでアイリスの年齢が明かされた。ドルイドだからもしやと思っていたのだが、今までの予想はどうやら邪推だったようだ。そして、驚いたと言えばエステルと呼ばれた少女も同様である。そんな胸の内が伝わってしまったのかエステルのルークを見る目は氷点下の眼差しだ。
「ささ、娘が入れてくれた茶だ。冷える前に飲んでやってくれ」
ロウウェルに促され、運ばれてきた紅茶を飲み干す。暑い湯が舌をなぞり、喉を下っていく。ルークは紅茶をあまり飲まないのだが、それでも美味しいと感じた。ほんの少し良い気分を味わっていたところにそれをぶち壊すかのように、ロウウェルの言葉が投下された。
「因みにこの国では水と青果水以外は戒律で口に出来ないから。外の人たちには言わないでね」
喉を下っている紅茶が喉を上りかけた。愉快そうに笑うロウウェルが憎らしくて堪らないのは自分だけではないはずだと言い聞かせる。
そんなルークの胸の内を知ってか、殺気を送った相手に見せるとは思えない、爽やかな笑みで問いかけてきた。
「それで本題なんだけど君たちは何でこの国に来たんだい?」
ロウウェルは相変わらず笑っている。声のトーンもやや弾んでいる。しかし、目の奥は笑っていない。下手をすればノエルと同じかそれ以上に何か隠している。ルークは居住まいを正し、口火を切った。
「僕らは先日アレキサンドルからの航行の途中で遭難してしまいまして――――」
大体の事情を話すとロロウェルは静かに「そうか」と呟き、顎を撫でる。
「なるほど……それは災難だったね。ここからだといくつかの小国と町を無視して最短ルートを選んでも、金貨五枚は掛かるだろうね」
「なっ!?」
「そんな馬鹿な」と叫ぼうとして、それを呑み込む。よくよく考えてみれば世界を南北に分かつ境界線を跨いで世界の北側に来たのだ。シルトでは北を通っていた太陽も、グラウベンから見れば南の空を通って見える。あちらで通じた常識がこちらでも同様に通じるとは限らないのだ。
がっくりと肩を落として、顔を上げればロウウェルがニヤニヤと笑っている。
「そこでものは相談なんだけれど、僕の手伝いをしてくれないかな? 期間は二週間で、報酬は聖金貨二十枚。この国にはギルドも無いし、持ちつ持たれつの関係、良いじゃないか」
ロウウェルは右手で二本指を立て、左手の人差し指と親指をくっつけて輪を作った。その言葉に真っ先に反応したのはアイリスだった。ルークがシルト城で寝込んでいる間に色々と学んだらしい。思わずっといった様子で立ち上がって、叫ぶ。
「ルークっ!! 金貨二十枚だって、受けよう!!」
こちらの物価は分からないが、聖金貨二十枚はどう考えても大金だ。金貨は金そのものに価値があるのだ。国によって金の純度が高かったり低かったりがあるが、その場合は金の含有率で価値が決まるらしい。
そして世界中に流れる金貨の中でも特に〝価値のある金貨〟と言えば、聖金貨にアルクス金貨、そしてシュヴァルト王国で発行されるヴァルト金貨である。
「因みに寝泊まりはここでしてもらって構わない。朝、昼、晩の食事も用意しよう」
「ここまで好条件なら断る理由は無いんじゃ無いですか? 町の人たちに群がられなくて済むし……」
ノエルも既にやる気満々のようだ。ルークはどうしても館の前で感じた殺気の事が頭から離れなかった。あんな直接的な殺気は人生で一度や二度しか味わったことがない。
氷のように冷たく、針のように細く鋭く尖った殺気。要は信用しきれないのだ。そして受けるか受けまいか、迷っているうちにロウウェルから決定的な言葉が飛び出してきた。
「流石に極東やヴァルカン大陸の天然温泉に比べたら敵わないが、風呂もあるぞ」
「その依頼、引き受けます!!」
雪国出身は風呂に目が無い、とは誰の言葉だったか。今までの迷いはどこへやら、風呂と聞いてからは即決だった。
「ちょろい……」
エステルが何か言った気がするが、そんな言葉はルークの耳元には届かない。ルークの故郷であるヴァルカン大陸にはいくつもの火山があるため、温泉がいくつもあった。
しかし、故郷を出てから五年。風呂にすら入っていないのである。毎回氷水かと思うほど冷たい水を被って、タオルで全身の汚れを落としていた。少なくとも故郷では毎日のように風呂に浸かっていたルークには今回の依頼は天恵である。
「それじゃあ、今日は休んでもらうとして早速〝お手伝い〟の事に付いて話そうかな」
そして、ルークの興奮ぶりを見て苦笑を浮かべたロウウェルは本人の言うお手伝いについて話し始めた。結論から言って、依頼としての内容は確かに金貨二十枚の価値に見合うものだった。というより、一介の冒険者に頼むようなものでは無かった。
「種類は問わない、竜の血をこの三つの瓶に溜めてきてくれ」
その言葉に三人がぎょっと目を剥く。竜の血を採ってこいとは言い換えれば竜を倒してこいと言っているようなものだ。誰かが息を呑む音が聞こえた。ルークも深呼吸をして、心を落ち着かせる。
「因みに何に使うか聞いても?」
これだけは聞いておかねばならないと。ルークは未だ揺れる心を押さえつけて、問う。生物の頂点の血を使うというのだからそれなりの研究か何かに使うのだろう。それは構わないが、問題は何を為そうとしているかだ。
場合によってこの依頼は受けられない。禁忌指定されている実験や魔法にでも使われれば、関連者として自分達の身にも危険が及ぶ。
「そうだ、言ってなかったね。僕は世界樹の雫の代わりになる神霊薬を作ろうと思ってるんだ。まあ、使うのは竜の血だから竜薬だけどね」
「それは、凄いですね……」
世界樹の雫と言うのはその名の通り世界樹の葉から滴る雫である。世界樹は世界の中心に聳える天を衝くほど高い大樹で、直径は小さな島くらいあるらしい。そんな巨大な樹の朝露、しかも最初の一滴だけが世界樹の雫になる。雫は一滴飲むだけで欠損部位すらも回復させるというまさに世界最高峰の霊薬だ。
にわかには信じがたい話だ。しかし、ヴァルト大陸への渡航中にも世界樹の幹は確かに見え足し、腕を切り落とされたとある王が雫を使って腕を取り戻したと言う新聞も見たことがある。
ロウウェルはそれに代わる、或いは準ずる薬を作ろうというのだ。これには素直に「凄い」という声しか出ない。
「どうだろうか?」
この問いの真意は「これでも引き受けてくれるかい?」だろうか。他人の考えている事が分かれば、などと思ったのは記憶の限りこれが初めてだった。
しかし、自分達にも時間が無い。ここで依頼を済ませて都市リッタにつく頃には魔族の進行が始まるまで残り八ヶ月。迷っている時間が、惜しかった。
「分かりました。今日明日で準備を整えて向かおうかと。アイリスとノエルもそれで良いか?」
「うん、竜ってすんごい強いんだよね……。緊張する……!」
「僕は大丈夫ですけど、やっぱり……」
ノエルが躊躇いがちに答える理由も分かっている。竜にたった三人で挑むなど自殺行為だ。普通のパーティーに比べて頭数が少なすぎる。そこでちらりと雇い主の方へ視線を向けた。
彼の隣ではエステルが能面のように無表情な顔でルークを見つめていた。それは殺気でも嫌悪感でも無かった。どちらかと言うと――――。
「ロウウェル、私も……付いて行って良い?」
「エステル? どうしたんだい、急に。確かに君なら十分戦力になるだろうけど、何か心変わりでも?」
「ん、そんな感じ」
二人が言葉を交わす。傍から見れば娘を諭す父親の様に見えなくもないが、実際は互いを信頼し合っているからこその確認なのだろう。
ロウウェルの目は出会ってから今までの会話の中で一番と言っていいほどに真剣だった。
「分かったよ。ルーク君、悪いけどエステルも連れて行ってやってくれ。彼女は魔法が大の得意なんだ。斥候としても優秀だし、近接格闘戦以外はほぼ何でも出来る」
「俺は構いません。むしろ大歓迎ですよ」
「よろしくね。エステルちゃん!!」
「ん、よろしく」
かくしてルーク、アイリス、ノエルのパーティーにエステルが加わった。エステルの口角がほんの僅かに上がった事に気付いたのはただ一人だけだった。