18 灰霧の殺人鬼
信心深い者たちが寄り集まって出来た神聖国グラウベン。この国はヴァルト大陸の東に位置する宗教国家だ。象徴に三対の翼のマークを用い、主神は天翼人の主神と同一視されている。
町並みは平凡、木と石造りの家々が道の脇に生えるように建ち並ぶ。この大陸の特徴として一年を通して、寒すぎず暑すぎずと、とても素晴らしい気候になっているので住みやすさも抜群。
グラウベンの国教である聖天教は酒も葉巻も賭博も不可能。他種族と交わることを許さず、禁欲的であれと何かと戒律も厳しい。しかし、色恋の話ならともかく性について疎い学生には知らぬ存ぜぬだ。学院内を歩く学生たちは皆明るく、微笑ましい。
「先日のお話聴きましたか?」
白と青を基調とした制服に身を包み小道を歩くのは二人の女学生。一人の少女が分厚い教本を胸に抱き、声を弾ませた。
「先日……何か面白いお話でもお聴きになられたのですか?」
答えたのは灰色の髪を一箇所に結いた少女だ。木炭のように黒い瞳が話しかけた少女の瞳に映った。
「セシリーは本当に魔法以外は興味が無いのですね。裏でもこっそり剣術の練習もしていますし」
「そのことは言わないでください。私も罰則は受けたくないので」
聖天教では刃物の扱いを禁じられており、この国の聖騎士は皆、剣や槍、弓の代わりに鎚鉾を使用する。刃の着いたものを持つだけで罰が与えられてしまう。もっとも、包丁やハサミ等の道具は例外だが。
「そうやって一人だけ楽しいことしてらっしゃるのね。ずるいですわ」
セシリーが苦笑を浮かべ「ごめんなさい、お話聴かせてもらっても良いかしら」と言うと先程までぷくっと頬を膨らませていた少女はあからさまに目を輝かせた。セシリーはもう一度苦笑を浮かべ、少女の話に耳を傾けた。
太陽が南の空に昇る頃。町は活気で溢れ、多くの人々が目当てのものを探しか歩いている。そんな人達を呼び込むのは青果店の主人や肉屋の女将。その中でも一際存在感を放つのはやはり聖騎士だ。町の見回りをする彼らは、実に堂々としていて女子ならば尊敬の眼を、男子ならば憧れの念を抱くだろう。
「ですが!」
突然だった。少女がいきなり声を張り上げるものだからセシリーは驚き上体をそらしてしまった。少女はそんなセシリーをお構いなしに話を続ける。気付けば、他の生徒たちの視線が集中していた。
「町を突然襲う灰色の霧!! 気付けば聖騎士様の首が……あいたっ!?」
「ミス、クリス。学院内では淑女として下品に大きな声で話すことのないようにと何度も言われているはずです。それに口は慎みなさい」
クリスと呼ばれた少女は偶然すれ違った教師に叩かれた頭を押さえている。クリスは「うう」と涙目になりながら説教を受けていた。セシリーはそんな彼女を横目にクリスが語ろうとしていた事件について考える。クリスが話そうとしたのは最近有名な〝騎士狩り〟の話だ。
聖天教は天翼人を天の使いと信じ、人間は神の僕なのだと主張する。それだけならば良いのだが、彼らは人間と天翼人以外の種族は人では無いと謳っているのだ。他種族を見境無しに殺す様な輩はいないが、この国での人間と天翼人以外の種族の扱いは奴隷かそれ以下だ。
しかし、それを良しとしない者もいる。曰く「我らが神は万民を愛すものなればこそ、全ての民に平等であらせられる」と。さらに同じ志を持つものなかにも穏便派、過激派がいるのだ。世界的に有名な宗教でも中身は一枚岩ではないのである。
そして件の〝騎士狩り〟は万民平等を謳う者達の中でも過激派に属する者だと言われている。
「大体、亜人や獣人などに我々と同じ大地を踏む資格などないのです。彼らはそんな常識すら知らないからあのような暴挙を働くのです!!」
「そ、そこまで言う必要は……」
クリスが教師に反論しようとした瞬間に周囲が灰色に包まれた。視界は遮られ、距離を測ることすらできない。セシリーは腰に手を伸ばすが、愛剣は見つかれば罰せられるので家の中に置きっぱなしだ。セシリーは一歩先が見えない濃霧の中、クリスを探した。
「クリス、どこですか!?」
「こ、ここですわ!」
声のする方へ駆けた瞬間、視界の端に何か見えた。灰色の霧の中でなびく銀糸。片手にキラリと光るものを持ち、それを無造作に振るうのと同時にごとりと何かが落ちる音がした。
それが何かを察したセシリーは友人を守るように立つ。灰色の霧は徐々に晴れていき、完全になくなったとき、そこには目を疑う光景が広がっていた。
「嘘……〝騎士狩り〟? だって彼が狙うのは騎士だけのはずじゃ……」
クリスの震えた声がセシリーの耳朶を打つ。目の前には先程までクリスを叱っていた教師が首から上を完全に断たれた状態で横向けに倒れていたのだ。
「エステル姉さん……」
学院内は瞬く間に阿鼻叫喚の地獄絵図へ早変わりし、その日を境にグラウベンでは一人また一人と信者が殺されていった。
話は脚色され恐怖と共に名を変えて国中をかけ巡る。そうして出来上がった恐怖の象徴を人々はこう呼んだ。
――――灰霧の殺人鬼、と。
二章のプロローグです。短めです。