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冒険者と聖女  作者: 弓場 勢
一章 回り始めた歯車と潜む月
19/50

17 本音と海

「やだ、絶対にやだ」


 開口一番にアイリスが否定した。


「魔界は影這う狼(シャッテンヴォルフ)が雑魚扱いされるような場所だ。そんな所に俺の私用でお前達は巻き込めない」


「やだ、魔法使ってでもついていくもん」


「もんて、子供じゃないんだから……」


 ルークは本気で一人で行こうとしていた。だからこそアイリスの扱いに戸惑ってしまう。助け舟を求めてノエルの方を向けば、


「僕は魔界に用事があるのでルークさんに付いていきます。一人で行くより安全なので」


「えぇ!?」


 魔界に行くと聞けば大抵の冒険者は二つ返事で「さようなら」という。それくらいに危険な場所にも関わらずノエルには「用事があるからついていく」と言われてしまった。これを認めてしまえばアイリスは十中八九付いてきてしまう。ルークにとってそれは極力避けたいことだった。

 魔王は強かった。比喩などいらない、強いの一言で全てが覆されてしまう。策など通じないだろう、力でも魔力でも負けてしまっている。どうしようと迷ってるうちにアイリスが口を開いた。


「ルークまた忘れてるでしょ」


「え……? 何を……」


 しまったと思った時にはもう遅い。失言とは取り返しのつかないものだ、今回も同様である。


「本当に忘れてたの!?」


 ノエルは勿論だが、ルークには心当たりが無かった。アイリスと行動を共にするようになってから一ヶ月以上の時が経っている。その中でこんな時に出してくるような約束事にルークは本気で心当たりが無かったのだ。


「海を見せてくれるって言ってくれたの本当に忘れたの……?」


 数秒間、たっぷりと間を使い「あれかー!」と心の中で頭を抱えたルーク。今の今まで完全に忘れていた。ちらりとアイリスの方を見ると、リスの様に頬を膨らませている。


 しかし、ルークにとってもこれ以上は仲間を巻き込めるような案件ではないのだ。次に魔王と対峙すれば下手をすれば殺されるだろう。

 前回の戦闘では本気であっても全力を出しているわけではなかったのだ。最後の最後にその力の片鱗を見てしまったがゆえに確信してしまった。

 あの場にアイリスを連れて行ってしまえば四年前の二の舞いだぞ、と。


「っ……。その約束は他のやつと果たしてくれ。レオニダス王に頼めば良い冒険者を紹介してくれるはずだ」


「何よ……それ!」


 失言にさらに失言を重ねてしまった。アイリスの顔には僅かに怒りの表情が浮かんだが、それもすぐに掻き消えた。次いで、悲しそうに目尻を潤ませて「なんでよ」と唇をキッと噛んだ。

 分かってくれと言うつもりは無かった。ルークにとってアイリスは掛け替えのない大切な仲間だ。もちろんノエルも。

 だからこそ、二度と失いたくなかった。魔界に生息する魔物は全てが埒外の化物共だ。(つがい)(ドラゴン)を餌として倒してしまえるような奴らばかりなのだ。

 (ドラゴン)などそれこそ力のある人間が五人近く集まってようやく倒せるかもしれないような強敵。そんな事実を知ってるからこそ大切な仲間を連れていけるわけが無かった。


「私は、そんなに頼りないの?」


「そう言う訳じゃない、ただ……」


「ただ、何よ。ルークは私に海を見せてくれるって言ったじゃない」


 言葉が詰まって出てこなかった。いや、言うべき言葉を見つけられなかったのだ。「そんな口約束」そう言おうと口を開いて――――口を閉じた。

 ルークにそんなことを言う勇気がなかったのだ。ノエルは我関せずと言わんばかりに口を噤んでいる。


「ねえ、なんで何も言ってくれないの」


――――違う、俺はただ……。


「ただ」なんだと言うのだろうか。アイリスの顔が少しずつ怒りに染まっていった。先程までの愛らしような、微笑ましいような怒りなどではない。初めてあったときのような警戒色の混じった表情(カオ)でもない。冷えきった双眸が二本の矢となってルークを射抜く。


「ルークはいつも私に何か隠してるよね。ドゥルの洞窟の時から、分かってたんだよ?」


 ビクッとルークの肩が跳ねた。ドゥルの洞窟といえば、人を魔物に変える魔法についての手紙を見つけたときだ。あのときルークはそれを咄嗟に隠し、アイリスの目に入らぬようにと話題を逸した。それ以外にも挙げればきりがない程にたくさんの隠し事をしている。自分が勇者であることがその最もたる例だ。


「皆がそれを教えてくれた。ルークも皆に好かれているみたいだから『何を』までは教えてくれなかったけれど、いつも悲しそうな顔して『あの子が辛そう』って自我の薄い精霊がルークのことを教えてくれた」


――――ルークは魔法が使えないけど精霊には好かれてるんだね。


 ルークがシュネーで暮らしていた頃にアリスにも言われた言葉だ。精霊を通して自分の感情がバレバレなのでは今までやってきたことは逆効果じゃないかとルークは歯噛みした。

 ルークがアイリスにひた隠してきた感情が本人には伝わっている。だのにルークは一向に打ち明けようとはしない、アイリスからすればかなりのストレスだっただろう。


「俺は、アイリスに心配をかけたくないから……!」


「そんなの分かってるよ。出会って一ヶ月と少ししか経って無い私じゃ信頼できないのも分かるよ! でも、なんで私と話すときのルークはずっとずっと辛そうにしてるの!?」


 アイリスが初めて感情露わに叫んだ。


「そんなことは……」


「嘘つかないでよ。仲間として大切に想ってくれてるのは伝わってきた。それでも時折ルークはとても悲しそうに辛そうに口を閉じる。こんなの精霊に聞かなくたって分かるよ!!」


 好き勝手に言いやがってとは言えなかった。けれど代わりに、別の言葉が口から滑るようにして出てきた。若干の怒気を帯びた声は自分でも驚くくらい低い。


「俺の……」


 拳を血が滲むまでぎゅっと握りしめた。


「俺の大切な人達はいつも俺の手の届くはずのところで死んで行った。父さんと母さんも子供らしく「行かないで」って叫べば生きて帰ってきてくれたかもしれない。アリスだってもっと俺が抵抗してれば魔界になんて行かなくて良かったかもしれない! 全部俺があと一歩踏み出せないせいで皆死んで行ったんだ!!」


 あふれ出した想いは止まらず、更に加速する。


「魔界じゃ命なんてものは枯れ葉より簡単に吹き飛んでく、魔王なんて以ての外だ!! だから次こそは俺だけで終わらせなくちゃいけないんだ。これ以上、俺の甘い決断のせいで大切な人を失いたくないから。なのに、なんで、なんで分かってくれないんだよ!!」


 全身の内外を針で刺されたかのような痛みが襲った。強引な身体強化の後遺症がルークの身体を破壊してしまったのだ。傷は見た目上は治っているが完治したわけではない。声を荒げただけでこの有様だ。

 それでもルークの行き場を失った感情は収まることを知らない。水いっぱいの(かめ)に水を注ぎ続けて水が溢れるばかりなのは必定である。

 

「それに俺はこれ以上お前といるとアリスとお前を重ねてしまう。それが嫌だから、離れるしかないって……! 決めたのに、なんで!!」


 こんなのは我儘だ。そんなのはルークだって分かっていた。けれど分かっていてもそれを抑えられるほどルークは大人でもなければ強い心の持ち主でも無かったのだ。言い訳にもならない、ただ自分が嫌だから、自分の思い通りにならないから。そう言って喚き散らす幼子と何ら変わらないではないかと自己嫌悪に陥る。


「知ってたよ。アリスさんの事は……うん、初めて知ったけどルークが私を別の人と重ねてたのは気付いてた」


 困ったように笑みを浮かべて、優しい声でそう言い放つ。ルークは「ぇ?」と間抜けな声をもらして、顔を上げた。


「確信したのは、お酒のときかな。私さ、ルークの前で一度もお酒飲んだことないのに『酒飲んだらすぐ寝ちゃうでしょ』なんて言われたんだもん」


「そんなことは」と口を開きかけて、やめた。あった。確かにそんな事を言った記憶がある。ノエルが仲間になる少し前のことだったか、そんな会話をした記憶がある。


「私はアイリス。ドルイドのアイリスよ。ルーク、私の目を見て、アリスさんに見える?」


 ルークは両頬を柔らかい二つの掌に挟まれ、ぐいと顔の向きを変えられる。――――首に激痛が走った。見れば見るほどアリスに似ている。透き通るような金髪も目の色も、優しさが人の形を取ったかのような丸い顔も。性格も悪戯っぽさは欠片もないがかなり似ている。そう、似ているだけなのだ。アイリスはアリスではない。


「それは……」


 ルークの歯切れの悪い返事に何かが切れたような音がした。気付けばアイリスの手はルークの頬を離れていた。


「な、何してるんですか!?」


 今まで無言を貫いていたノエルが急に声を荒げたので何事かと顔を上げると――――

 

 アイリスが木で出来た短剣を束ねた自身の髪に当てたのだ。見た目はただの木剣、されど刃の中央には奇怪な文字のようなものが彫られていた。

 あれは武器に魔法付与(エンチャント)を施す際に使うものだ、つまりは見た目以上にアイリスの持つ木剣は切れる。


 ざり、と髪の切れる音がした。ノエルは唖然として、口をぽかんと開けている。ルークも姿見で自分を見れば似たような顔をしているのだろう。アイリスは腰にかかるほどまであった金髪を首根の少し下で切って落としたのだ。指からするりと抜けた数束の髪がぱさりと床に落ちた。


「これでも私はアリスさんに見える?」


 強い眼差しでルークを見つめるアイリス。ルークは驚いて声も出なかった。目の前の光景が単純に信じられなかったのだ。母には女性の髪は大切になさいと教わった。魔法的な意味合いでも髪は貴重なものだ、長年魔力を溜め込んだそれは下手な魔石よりも魔力を含んでいる。

 それをアイリスは切ったのだ。ルークに自分はアリスではないと証明するためだけに。


「……見えない」


 アイリスは「そうでしょう!」とでも言いそうな顔でルークを見下ろしている。しかし、肝心な魔界の話はまだなのだ。本当に危険な場所だ、ルークの前半の言葉は紛れも無く真実。そのことをアイリスに説こうとして、片手で制された。


「私はアリスさんじゃない。これからだって強くなれるし、字だってそのために覚えたんだよ」


 そう言ってルークの前に突き出した紙面。そこには綺麗な字でレオニダスに向けて、宮廷魔術師に教えを請いたいと言う旨が綴られていた。文法も間違えていない、しっかりとした丁寧な文章だ。


「ルークが寝てた間、私だって看病ばかりじゃなかったんだよ。魔法についても教わったし、身体強化以外の魔術だって教えてもらったわ。これからもルークに付いていくために考えて必死に頑張ったんだよ……!」


 アイリスの瞳は潤んでいた。気を緩めればすぐに涙が出てしまうであろうところを、ぐっと止めて泣くまいと目元に力を入れている。


「なのに、ルークは勝手に私を他の人に重ねて『また死んじゃう』なんて決めつけて! 何でもかんでも勝手に決めつけて、自分を傷つけないでよ!!」


 先程よりも強く、アイリスが感情のままに声を荒げ、ルークに詰め寄る。直後、抱き着かれた。意味が分からずに困惑するルークにアイリスはそっと囁くように言葉を紡いでいく。


「辛いなら相談してよ。私じゃ力になれないかもしれないけど、辛いものを一緒に背負うことくらいなら出来るから。お願いよ……」


 参った、降参だ。ルークはそう思った。こうなってしまってはルークにはアイリスを止められる気がしなかったのだ。完敗である。


「ごめん……。今度からはちゃんと、話す」


 そう言うとアイリスの顔がぱあっと明るくなった。ノエルはアイリスに止められていたのだろうか、ようやく終わったという顔で身体を伸ばしている。


「魔界に行くための話をしよう。もちろん三人で」


「うん!」


 アイリスもノエルも笑顔だ。本当に眩しく感じる。ルークも未だ若輩の身であるが、二人に関しては少年少女の面影が残っているせいか余計に眩しく感じた。

 ルークは顔を綻ばせながら、もう一度話し始めた。次こそはパーティー全員で魔界に行くために、と。


          ♢


 アイリスと本音をぶつけ合ったあの日から四日が経った今、ルーク達はヴュステ大陸北東の港町アレキサンドルからとある大陸への定期船に乗っていた。空は一面に藍銅鉱をぶち撒けたような群青、海は船が浮かぶくらいの水深はあるが遠浅なのか海底の白い砂まではっきりと見える。ルークが人生で見た中で間違いなく一番きれいな海だ。

 

 ルークだけの我儘を口にするなら本当はヴュステ大陸の西端から直接魔界に渡りたかったのだが、今は大量の水竜が発生しているせいで船を出せないと言われたのだ。ゆえに遠回りになってしまうがヴュステ大陸から北に進んだヴァルト大陸を経由して魔界に行くことにした。


 それに、正直な話、今のルーク達では魔王たちには勝てない。コルデーなら何とかなるだろうが、魔王は三人がかりでも全力で来られたら一瞬で全滅だろう。それに記憶が確かならあの魔王は魔神と同じ能力が使えるのだ。

 四年前にルークとアリスの身体の尽くを使い物にしていった黒塵が。そのため三人の修行も兼ねて進路を変更したのだ。順調に進めば半年(五ヶ月)と少しで魔界に着くだろう。

 

 そのための第一歩なのだ。因みにアレキサンドルはシルトが防衛に特化しているのに対して、アルクスフィーネの流通の要とも言える町である。

 更に白い砂と綺麗な海、観光名所としての側面もかなり強かった。


 時は昨日まで遡り、ここに来て一日は息抜きと称して三人で町を巡った。ルークなりの謝罪の意である。ノエルもこの町をじっくりと見るのは初めてだったらしく楽しんでいるように見えた。妹のことが心配なのは変わらないだろうが、少しでも気を楽にしてくれればルークとしても嬉しい限りだった。


「ね、ねえ何あれ!?」


 アイリスが頬を紅潮させて指差したのは見た目のインパクトはルーク的には凄いものだった。なんと真っ赤なのである。赤葡萄酒の様な濃い赤ではなく、血のような赤。透き通っているせいか余計にぎょっとしてしまう。

 アイリスは文字が読めるようになったおかげでどんなものにでも興味津々だ。


「花を煮出したお茶……美味しそう!」


 こんなふうにとてとてと子犬のように走っていくさまは実に可愛らしい。全てルークの奢りという点を除けば。

 その後もこの国独特の剣舞――――踊り子を見てノエルが頬を赤くしていた――――や劇を堪能し、一日中こんな調子でルークの手持ちはかなり寂しいものとなってしまった。これでは林檎酒も買えまい。


 そうして束の間の休日を楽しんでの今である。ノエルは船に弱いらしく、甲板の欄干で干された毛布のようになっている。「落ちるよ」と言ったら「落ちても飛べるのでぇ……おぇ……」と言っていたのでそっとしておくことにした。

 アイリスはと言うと、


「わあ、町で見たときも思ったけど船の上から見るともっと綺麗……」


 青く輝く海に釘付けだった。笑顔というよりはその絶景に圧倒されて声も出ないと言った感じだろうか。確かに綺麗な海ではあるが水夫達からすれば見慣れた光景、ルークにしたって感動はアレキサンドルで充分味わった。

 だからこそ、この感動はアイリスだけの物なのだ。人生で空以外に初めて見る自然の〝青〟はそれだけ彼女の心を強く惹き付けていた。


「来て、良かったか……?」


 ルークは彼女の隣に立って話しかけた。アイリスの視線は海に固定されたままだが、返事はしっかりと返ってきた。


「大事な髪を切り離してもお釣りが来るくらい……。本当に、来て良かった」


「そりゃあ、良かった……」


 前半の言葉はルークの心にかなり深い傷を残していったが、自業自得なので突っ込むような事はしない。アイリスの瞳に涙が滲んでいる。また我慢しているのだろうか。


「あれ……? なんで」


 と、思ったら本人も戸惑っていた。


「こういう時は泣いたっていいんだよ」


「そうなの?」


「ああ、嬉し涙ってあるだろ? それと一緒さ」


 アイリスは涙を流した、頬を伝った雫が海に落ちた。それから顔をルークの方に向けて笑顔で言うのだ。


「ルーク、これからも宜しくね」


「ああ、こちらこそ」


 アイリスは隠していた。己の胸元に異様な紋章が浮かんでいることを。それは日を経るごとにほんの少しずつ銀色に染まっていく。これの正体がわかった上で隠していた。


「歴史の歯車は回り始めた。月は地上に潜み、偽りの太陽を穿つ」


 静かに語るその声が誰のものかも分からないまま、三人の冒険が始まった。

一章終わりました!!

一章としていますが、物語としては導入のつもりなのでこれからも楽しんでいただけると幸いです!

次回は二章プロローグか一章の後日譚当たりが来るかと思います。それでは!

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