16 事の顛末
割と、いやかなり重要なミスを読者の方に指摘していただいたので直しました。
現在は一時更新を止めていますが修正や細かな改稿はしていくので、今後とも冒険者と聖女をよろしくお願いします。
アイリスの身体に短剣が突き刺さった直後、空気が張り裂けるのではないかと思うほど、甲高い悲鳴が響いた。縄が千切れるような音を立てて、大切な何かが壊れていくようだった。
アイリスが刺されたのは背中からなので傷口を抑えることも出来ない。唯一できたのは、コルデーの腕を振りほどき短剣を自分で抜いたことくらいだろうか。
鮮血がどくどくと溢れ、ルークの血溜まりと混ざる。しかし、アイリスは傷口ではなく胸に手を当てて魔力を自分自身に流し込んだ。技術無く、理性なく、ただ本能ままに自分の中に流れ込んでくる異物を押しとどめ閉じ込めるために。
瞬間、アイリスの身体がビクッと跳ね苦痛に顔を歪ませた。それでもアイリスは構わず傷口から入ってきた何かがそこに到達しないように防いでいる。
「其方は何をしている……! そんな事をすれば魂にその苦痛が刻まれるのだぞ!!」
魔王はいち早くアイリスのしようとしていることに気づいたのだろうがもはや遅い。アイリスの魔力は例えれば大規模な湧泉のようなもので、量もさることながら大量に作り出される魔力の余剰分は周囲の精霊たちに分け与えられる。アイリスはその余剰魔力を異物を押しとどめ、囲うことに使ったのだ。
魔王たちの本来の目的である月の女神の中に宿る魂、それがアイリスの中に潜り込んだモノだった。
だから偶然、間の悪いことに見ていたのだ。ルークはアイリスが短剣に刺し貫かれるところから全て。アイリスは倒れて動けないルークの肩を抱いてふるふると震えていた。刺された瞬間は肩に爪が食い込むのではと思うほどに指先に力が入っていた。その後の事も何となくだが理解出来た。
アイリスの苦しむ顔がすぐそばにある。ルークが目を開けたことにも気付かないほどに苦しみ藻掻いていた。
――――黒い感情が溢れる。
「まずいな……。遅れてどうこうということはないが、あと数分で月が沈む。それまで抑え込められたら厄介だ、気絶させるしかあるまい」
――――強さへの乾きが蘇る。
――――あの日の無力を思い出した。
魔王は腰に提げた鞘を手に持ち、振り上げ、アイリス目掛けて振り下ろした。アイリスがぎゅっと目を瞑った。しかし、彼女に届くはずの衝撃はついぞ来ず、アイリスは恐る恐る目を開ける。
黒剣を受け止めたものがあった。左腕はだらんと垂れているが、それでもそれを受け止めた右腕のなんと力強いことか。
「貴様は……」
「……――――」
ルークは視線の先に敵を据え、刀を構えた。鞘に納め、居合の型を。魔王は何故かルークの瞳を見つめて笑っていた。
「そうか、〝悪魔の目〟を……! くふっ、我はそちらの方が好みだぞ。無我の境地とは相反する我欲を極めた境地か」
「ルーク……?」
アイリスは何とか意識を保っているらしく、苦痛に歪んだ顔を持ち上げた。そしてルークの顔を見て怯えた様な表情を見せたのだ。まるで、この世にあってはならないモノを見たかのように怯え、傷の痛みも忘れたかのように後ずさった。
「…………モっと、強ク」
「ふん、欲に底は無いというが貴様のそれは比ではないな」
意識は朦朧としていて、手足の感覚も定かではない。それでも足は動き、手は積み重ねてきた経験に従って動いた。身体強化は一切施していないにも関わらず、刀は今まで見てきた中でこれ以上は無いという速さで振りぬかれた。
「なにっ!?」
ここに来て初めて魔王が戸惑いの声を上げた。魔王の右手は宙に舞い、ルークの刀は既に魔王の肩口に迫っている。しかし、ルークの手を伝わった感触は肉を裂いたそれではなく、硬い何かに衝突した感触だった。間一髪コルデーがサーベルの腹で魔王を守ったのだ。そしてルークの顔面に向けて火球を放つ。ぼうっ! と音を立ててルークは顔から煙をふいた。
「……じゃ、マ」
ルークはそれを意に介さず、身体を強引に捻り、隣にいるコルデーを蹴り飛ばした。ブーツの踵がコルデーの鳩尾に食い込んでいく。
「かはっ……!?」
コルデーの身体は投げられた人形のように飛んでいき、向かいの民家の壁に激突した。威力も速さも先程とは全く違う。今のルークにとって身体を襲う激痛でさえ一種快感のように感じられた。
「〝悪魔の目〟を強くなるためにではなく力を封印するために使うとはな!!」
魔王は斬られた右手を何事も無かったかのようにくっつけると、ルークに襲い掛かってきた。その目は本気だった。右手で黒剣を振るい、左手で黒い塵を撒き散らす。黒い塵はルークが魔神と戦ったときのものと同じモノだ。
「魔神、ノ……?」
つまりはアリスを苦しめた黒塵がそこにはあった。
「ぐっ! 完全に人間をやめているな、貴様!」
このときの魔王は確実に全力全開の本気だったのだろう。母親の狂気から生まれた権能すらも用いたにも関わらずルークは止まらなかった。魔王の攻撃を全て相殺、反撃仕返した。四年前に浴びた黒い塵を全身に浴びても尚止まらず駆ける。それは先程までの闘いとは比にならない正真正銘人外の闘いだった。
「その青い瞳……既に狂っていたか。このままでは魔王として名乗りを上げたにも関わらず一夜で討伐されてしまいそうだな……」
魔王は黒が凝縮された球をアイリスに向けて放った。ルークはまともな思考すら出来ていなかったが、何故だか身体は黒球の方へ向かっていった。黒球が身体に触れた瞬間、身体中に耐え難い激痛が走った。何とか意識を保ち、倒れそうな身体を踏みとどませることができたが、魔王はその隙にコルデーを抱えて、宙に逃げてしまった。
「ま、て……!」
「我を倒したくば己の足で魔界までやって来い、その時は我も歓迎しよう」
手を空に向けて伸ばすが二人はそのまま何処かへ去ってしまった。気付けば月は沈んでおり、辺りは獣たちの雄叫びに包まれていた。
後ろを見るとアイリスが倒れている。苦しそうに息をしているが止血は出来たらしい。ルークは声を掛けようとして、声が出ないことに気付いた。ついでと言わんばかりに喉まで激痛が走ってきた。
「ッ――――――――!?!?」
どっと汗が吹き出す。息がうまく出来ない、全身震えが止まらず歯の根は全く持って噛み合うことがない。
どこから現れたのか、地面につくほどの長い腕を持った猿の魔物が姿を表した。
左目は見えず、左手も動かない。
それでも、もう一度失うのは耐えられなかった。また見殺しにするのは許せなかった。
子鹿の様に震える足に力を入れ、刀を構える。かかって来いと言わんばかりの眼差しを向けて、ルークはもう一度走り出した。
♢
「お目覚めですか?」
視線の先には見知らぬ天井と見知らぬ顔があった。働かない頭を無理やり起こし、今の状況について考えた。天蓋に透けて見える天井は白を基調として豪奢な飾り付けが施されていた。
そもそも天蓋付きの寝台に寝られる者が限られている。アルクスフィーニは人類の要、人類の盾と呼ばれるような魔族との最前線に置かれた国だ。そんな戦闘を前提にした国の城にここまできらびやかな部屋など数えるほどしか無い。
「ここはシルト城の貴賓室でございます」
「なっ……あづっ……」
自分がとんでもない所にいると知った途端反射で身体を動かしてしまった。傷は思った以上に深いようで、ルークは痛みに耐えられずとすんと上体を寝台に寝かせてしまった。
もう一度ゆっくりと考えようと、あの日の事を振り返り――――
「アイリ……! いだっ!!」
「何をやっているのですか……。勇者様は今回の生存者で一番の重傷者なのですよ」
寝台の側に立っているのは黒と白の給仕服に身を包んだ若い女性だった。女性に歳を聞くのは行儀の良い事ではないので聞くことはしなかったが、ルークと同じくらいか下手をすればアイリスと同年代だろうか。
「色々聞きたいことはありますけど、アイリスとノエル……俺の仲間は無事ですか?」
「はい、お二人も重傷ではありましたが回復魔法が効きましたからルーク様より早くお目覚めになられました。一週間も眠っていらしたのはルーク様だけでございますよ?」
最後の言葉に思わず目を見開く。ルークは魔王達が去ったあとの記憶が定かでは無いので、一週間も寝ていたのは流石に驚いてしまった。
「それに、アイリス様は王との会食を拒んでまで毎日この部屋で貴方が目覚めるのを待っていました。動けとまでは言わないのでアイリス様が起きたらお礼をしてあげて下さい」
そういうと女給は部屋を去っていった。ふと女給が立っていたのとは反対側に目をやると、アイリスはうたた寝をしているようでコクリコクリと首が傾いていた。窓にはまっている硝子を見れば自分の瞳は紅玉の様に輝いており、両目もしっかりと視える。
今のルークは憑き物が落ちたかのように頭がスッキリとしていた。身体は相変わらずだが、悪戯心が芽生えるくらいには精神的には落ち着きを取り戻していたのだ。
アイリスの頬を人差し指で軽く突いてみた。ふにっと柔らかい感触が返ってきた。突かれるたびに「うゅ……」と煩わしそうに眉根が寄るのが何だか面白くて、つい左手まで上げようとして我に帰った。
(これ以上はやめよう……)
しかし、アイリスはルークの悪戯のせいか起きてしまったようでゆっくりと瞼を上げた。そこにあったのは蒼玉のような碧眼。
はっと息を呑んだ。動悸が激しくなり、胸が苦しくなった。
(そんなはずはない……! なんで……!
ばっと顔を上げるとそこには驚いた顔のアイリスがいた。瞳はいつもと変わらない緑がかった碧眼だ。
「ルーク?」
驚愕に目を見開いていた表情が次第にぱあっと明るくなっていき、アイリスはルークに抱き着いてきた。
「よかったぁ……!!」
「い、痛い痛い!!」
ルークのちょっとした悲鳴を聞いたアイリスは恥ずかしそうに口元を片手で隠しているが、頬が紅潮しているのがどうにも隠せていない。
「ごめん……」
「いいよ、それよりずっと看病してくれてたんだって? ありがとう、アイリス」
喉を撫でられたような猫のような顔をするアイリスは微笑ましく、ルークは改めて部屋を見渡すとこの部屋が如何に手の込んだ作りをしているかが分かった。
「のーくんもそろそろ来ると思うよ。毎日この位の時間に来てたから!」
机には食べやすいようにか、林檎をすり潰したものがちょこんと置かれていた。それを食べている最中、貴賓室の扉が開いた。
「あ、のーく……ん?」
「ノエル殿でなくてすいません」
そして部屋に入ってきたのは筋骨隆々な長身の男性だった。今はかなりラフな格好のようで、赤銅色の筋肉の主張が激しい。かと言って礼を失するような格好かというとそうでもなく、その姿からは確かな威厳が感じられた。
「申し遅れました。私の名はレオニダス・アルクス。アルクフィーニの当代国王です」
一礼するとじっとその力強い瞳でルークを見つめた。砂色の髪は短く刈り上げられており、精悍な顔つきは戦場に赴く者のそれだった。口調は丁寧な言葉遣いで、声は穏やかなものだった。
「万全とは行かぬようですが、生気もかなり戻ってきておられる様子でなによりです。アイリス殿も毎日付き添っていたかいがありますね」
にこりと優しく笑うレオニダスと、ぼっと顔を赤くするアイリス。しかし、当のルークはというと二つの意味で気が気ではなかった。
一つは目の前にいるのはこの国の王で、ルークが寝ているこの貴賓室は他国或いは他大陸からやって来た賓客のためのものだ。つまりは一般のものがおいそれと入る事のできる部屋ではない。
そしてもう一つは、
「鉄壁王……」
「ぉお……おやおや、その名で呼ばれるのは久しいですね。そしてお恥ずかしい」
レオニダスはルークの憧れた英雄の一人なのだ。自軍の二十倍の戦力者を覆した大陸最強の王。しかも相手は人より遥かに強い魔族だ、彼がどれだけの偉業をなしたかはこれだけではっきりとわかるだろう。
「さて、今日ここへ足を運んだのは他でもないルーク殿。貴方にいくつか聞きたいことがあるのです」
「俺に、ですか……?」
「はい、出来れば二人だけで」
一国の王の話だ。断れるはずもなく、それに彼の目は今までの印象を全て打ち壊すかのように鷹の様に鋭くなっていた。
「アイリス、少しだけ外してくれないか?」
「う、うん……? でもルーク……」
「大丈夫だよ」
笑顔を作るのも一苦労だが何とか笑顔を作ってアイリスには部屋を出てもらった。すこし寂しそうだったのは申し訳ないので今度かまって上げようと、密かに心の中で誓った。
レオニダスはまずルーク達が魔王達を退けた後のことについて話してくれた。三人共に動けずのあの状態で辛勝と呼べるかどうかすら怪しいが、兎にも角にもルーク達のお陰で魔王がシルトを去ったということになったらしい。
ルークは「相手に不都合が出来ただけで退けてなどいませんよ」と言ったのだが「それでも魔王を撤退させることが出来たのです。十分ですよ」と返されてしまった。憧れの相手というのもあるがやり辛いという意味でも居心地が悪い。
実のところルークの記憶はかなり曖昧で、魔王が去ったあとのことは殆ど覚えていなかった。なのでレオニダスから話を聞いたときはかなり驚いたものだ。
「俺がアイリスとノエルを担いで……? 失礼ですが、その時の俺にそんな余力は……」
「それでもお二方を担いで城の手前までやって来たのはルーク殿です。魔王との戦いは兵士による伝聞でしたが、かなりの激戦だったと聞きましたよ」
それに、と息を整えて佇まいを治してからレオニダス王は更にとんでもない事を言い出した。
「私達は城に籠もり、魔物たちを撃退していました。しかし、突然魔物の声が聞こえなくなったと思って城門を潜れば貴方が一人で皆掃討していたのです」
あの場に王国の兵士がいたのも驚きだが、あのときのルークは呼吸すら激痛を伴うような状態だったのだ。とても二人を担いで城まで行くなど考えられない。ましてやその状態で城門前に群がっていた魔物を掃討するなど以ての外だ。
これが事実ならば一体どうやってとルークが思案する中ヒントはレオニダスがくれた。
「単刀直入に聞きます。貴方のその目は〝悪魔の目〟ですな?」
ルークは「あぁ……」と独りでに納得した。魔王も言っていた〝悪魔の目〟とは、簡単に言ってしまえば使用者に悪魔と同等の力或いは魔力を与える一種の宝玉のようなものだ。ルークはこれを自分の爆発した感情を封印する為に使っている。おそらくその封印したモノが溢れ出てしまったせいでそんなでたらめな事ができたのだろう。
「はい、俺はこの目を理性を保つための箍として使っています。このことは……仲間には黙っておいてくれませんか?」
「心得ました。それにしても〝悪魔の目〟を己の魂の封印に用いるなど初めて聞きました」
レオニダスの瞳は先程よりは柔らかくなったが、それでも依然として緊張したままである。一国の王が何故一般市民の一人であるルークに緊張しているのか気になったが、その答えは本人の口から出てきた。
「先週の襲撃の際に魔王と名乗る男が突然現れ、こう言ったのです『今宵より十の月が回った時、もう一度この地を訪れる。我が軍勢が其方らの首を迎えに行こう』と。十の月が回るとき……つまり一年後です」
その目をルークは知っていた。レオニダスとて苦肉の策ではあろうがそれでも一国の王として。人類の最後の要を守る者として彼は口火をきったのだった。
――――勇者ルークに魔王の討伐を要請する。
その後、レオニダス王は貴賓室を去っていった。彼の言葉に対するルークの選んだ返答は沈黙だった。アイリスをこの部屋から出したのは〝悪魔の目〟の事を疑ってはいても彼なりのルークへの配慮と敬意だったのだろう。〝悪魔の目〟は本来、それだけ危険なもので、勇者というのは存在だけで価値がある。
それから立って歩けるようになるまで更に二日を要したルークは、諸々の準備を整えて九日振りに三人だけで集まった。アイリスは毎日ルークのところへ足を運んでくれていたが、ノエルはコルデーの言われたことが気になったらしくシルト中を散策し回っていたらしく、夕餉のとき以外で顔を合わせるのは久し振りだ。
そんな中ルークは口火を切った。
「俺は魔界に行こうと思う」
あの日からの近況や世間話等そっちのけで本題を口にしたルーク。当然二人ともぽかんと口を開けたまま見事に固まってしまった。
「だから、パーティーを解散しよう」
今日のシルトは晴天で大地を照りつける日差しが気温をぐんぐん上昇させていく。そして、それに反するかのように三人の間に冷ややかな空気が流れた。