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冒険者と聖女  作者: 弓場 勢
一章 回り始めた歯車と潜む月
17/50

15 逃れられぬ刃

 首筋から生暖かい液体が流れた。一瞬何が起きたのか分からなかった。アイリスは液体の流れているところを手で触れた。べとりと手のひらについたのは紛れも無く自分の血だった。

 次いで激しい、焼かれるような痛みが首元を襲う。傷は大して深くない、深くないがゆえに痛みだけが全てアイリスに伝わる。


「ぁあ……なん、で」


「当たってないわね。何かに弾かれたわ……そんな事をするのは、まあ一人しかいないわね」


 アイリスの目線の先。そこには短刀を投擲した姿勢のまま腹から剣を生やしたルークの姿があった。


「何で、ルーク…………」


          ♢


 黒い鎧を纏った魔王は黒剣を構え、ルークに向き直った。腹に空いた穴は黒い霧が穴を覆い尽くし、瞬く間に修復してしまった。


「未だ、か。そのうち俺を追い越すとでも言いたげだな」


「事実、そうなる。魔王たる我が身は人でも無ければ魔族のものでも無い。ゆえに生物における限界などは存在しない」


「いいや、無理だな。作られたモノには必ず限界がある。お前は俺を越すことはできない!」


 魔王の眉がヒクリと動くのが見えた。ルークは空を駆ける隼よりも速く屋根の上を駆けて、


「五秒で土塊に戻してやる」


 魔王が反応するより早く刀を振るった。今までとは違い大気が震え、立っている屋根はミシミシと悲鳴を上げていた。ルークは身体強化を限界まで引き上げた事により速さだけでなく単純な力まで先程の倍以上にまで上がっていたのだ。


「過度な身体強化は身を滅ぼす。その身であと何分……いや、()()()持つのだろうな」


 ルークの顔が苦痛に歪む。それでも強引に身体を回し、ひたすら刀を振るった。乙女が踊る剣舞のように止まることなく刀を振るうそれは、普段の戦闘であれば自ら隙を晒す愚行だ。しかし、限界まで能力を引き上げた身体ならば威力と剣速を殺さないこの方法こそが最適解となりうる。ましてや相手は一人だけなのだ、一対多での弱点など気にするべくもない。


「ふっ……。乙女達に混ざって舞踊をやっている方が似合うのではないか? その容姿ならば数多の女からの歓声を聞けるぞ?」


「っだまれ……!」


 最後の一太刀は全身を使って左から右への横一文字で、右手を撥条(バネ)の様に撥ねさせて魔王の腹を斬り払った。しかし、全力の一撃は浅く魔王の鎧を掠めるだけに終わりその鎧も瞬く間に修復されてしまう。

 力の差が開きすぎているのだ。ルークは技術で勝っていても魔力や腕力、その他諸々全ての身体的能力が魔王に大きく劣っている。それゆえの決定打に欠けた一撃。仮に相手が人間、魔族であるならば今の一撃で勝敗は決していただろう。


「効かんな……。得物を扱う技術に於いては遅れを取ったが、貴様と我では生物としての能力が違いすぎる」


 ルークは一度途切れた剣撃を即座に再開させた。幾筋もの剣閃が宙に刻まれた。再び激しい剣戟が始まるが、魔王はルークの剣撃の悉くを弾き、防いだ。そして先ほどと同じようにまた攻め返される。力だけならば刀を斜めに構えて受け流せば良かったが、速さで上回れた以上ルークには魔王の連撃に対抗することが出来ない。先見の目を持つわけでもないルークの敗北は必至。


――――それでもルークは笑った。

 

「敵わぬと知っても諦めぬどころか、笑みすら浮かべるか」


「当たり前だ、お前はしばらく眠ってろ」


 直後だった。屋根が崩壊し魔王の身体がぐらりと揺れた。地に落ちた魔王を埋め尽くす大量の瓦礫が山のように重なった。ルークは隣の民家の棟に足を乗せて、瓦礫の山に埋もれた魔王へと視線をおくった。起き上がってくる気配は感じられなかった。瓦礫程度なら痛痒も感じないだろうがこの僅かに生まれた時間を無駄にするわけには行かなかった。そして、アイリス達を助けに行こうとしたとき、


「我は貴様を通さぬといったのだ」


――――ギャリィインッ!!


 金属が削られるかのような不快な音が響いた。魔王は一瞬でルークの背後を取ったのだ。何とか上体を反らして直撃は避けたが、黒い刃は胸甲にその傷跡を残していった。そんな馬鹿なとちらりと瓦礫の方へ視線を移すと、瓦礫の山の中央には退けられた痕跡が見える。

(音も気配もしなかった……! どうして!!)


 魔王は剣を構え、ルークに肉薄した。刀と直剣の打ち合いが三度繰り広げられる。しかし、ルークの身体はもう限界だ。人間には扱えない力を無理やり使い続けた代償が疲労や痛みとして襲い掛かってきた。既に剣戟として成立していないそれは一方的なものだった。防戦一方のルークにも次第に生傷が増えていく。

 そんなとき魔王の肩越しに何かが見えた。それは言われるまでもなくアイリス達だった。あちらも激しい戦闘を繰り広げているようで、三つの人影が忙しなく動いていた。そしてそのときはやって来た。コルデーの短剣がアイリスの首元に迫る。


――――駄目だ。それは受けてはいけない……!


 身体が勝手に動いた。腰に提げていた短刀を抜き放ち、投擲する。狙うは白練色の短剣。残り僅かな魔力を絞り出し、超高速で短刀は真っ直ぐと向かう。


「愚かな……。殺さぬと言ったろうに」


「殺さず傷付けるだけならその行為に意図があると見るのが当然だ。ならば傷付けさせる訳には行かない」


 遠くでアイリスの首元から真っ赤な鮮血が飛び散るのが見えた。出血量は大したこと無いが、本人にとってはさぞ衝撃的だっただろう。

 ルークの目にはアイリスの驚愕した顔がはっきりと見える。民家ニ十棟は先にいる彼女達の顔がはっきりと。ノエルは何かを叫んでおり、コルデーは感心したような呆れたような複雑な表情だ。

 ずるりと腹から生えた黒い刃が戻っていく。

 その直後、ルークは先程の魔王と同じく丈の何倍もの高さから身体と意識を落とした。


          ♢


「ルーク!!」


 すぐに回復しなければルークが死んでしまう。そう思って駆け出そうと身体を前に傾けた。


「隙ありよ」


 白練色の短剣がアイリスに迫る。


「もう一人忘れてませんか?」


 ノエルが間一髪コルデーの刃を受け止めた。そして魔法と槍の戦いが再び幕を開ける。いくつもの火球が飛び交い、ノエルはそれを全て槍で弾いた。決して躱さないのは流れ弾がアイリスに行かないようにするためだろう。


「アイリスさん! 早くルークさんのところへ!!」


「うん!!」


 ノエルは火球を弾きながら、コルデーとアイリスを結ぶ線上に立ち塞がり叫んだ。


「行かせないわよ……!」


 コルデーは無詠唱の魔法でノエルを牽制しようと火球をいくつも放つが、ノエルは防御も回避もせず突っ込んでいった。


「なっ!」


「無詠唱で使えるのは初歩的な魔法だけなんですね。それなら恐るるに足りない、僕の()()()()精霊は魔人だ!」


 轟ッと音を立ててノエルの両腕と槍を朱色の炎が覆い、コルデーの放った火球を相殺した。無詠唱の魔法というよりは〝火を出しただけ〟に近いのだが、それでもコルデーと戦うには十分だった。


「儀式契約をしたのね……」


「今までの僕じゃ貴女には敵わない。だからこそですよ。貴女を倒してミシェルを返してもらう」


「あの子の生死行方も分からないのによく頑張るわね」


 炎を纏ったノエルの左拳はコルデーに躱され、地面に突き刺さる。感情を剥き出しにした一撃が地面を砕き、波紋になって周囲に拡散する。


「当たり前だ。僕は二度と、家族を失わない!!」


 コルデーの様に魔法を無詠唱で放つ事は出来ずとも、ノエルはその身に炎を纏うことでコルデーと互角にやり合っていた。炎を纏っただけ、されど纏う朱は炎の魔人のもの。役不足などでは決してなかった。


「短剣だけでは無理ね。貴方を倒さなければアイリスの元にも行けないようだし……」


 コルデーは短剣を鞘に戻すと、サーベルを引き抜いた。美しい、白銀で出来た刀身はまるでお伽噺に出てくる騎士の剣のようだった。


「ここからは私と貴方の一騎打ち、それに私達の勝ちは揺るがないわ」


「何を!!」


 槍と剣が交差する。コルデーは根っからの魔道士だと思っていたアイリスは驚愕に顔を染める。その技量はもはや素人の目でも分かってしまうほどに玄人の域を抜け、達人の域に達していたのだ。ノエルが突けば、刀身を立てて受け流しするりと懐に飛び込んでいる。


「ぐっ……!」


「私が魔法だけだと思った? 侮らないことね」


「ノエルくん!」


「早く行って!!」


 思わず声を上げてしまったアイリスをノエルは叱咤した。戦況は最悪ではないが、良くもない。ノエルはコルデーの剣を何とか防いでいるような状態だ。ルークも出血が酷く、とても動ける状態ではない。対して黒髪の男は尚も健在、アイリスでは逆立ちしても勝つことなど出来ない。

 アイリス達の勝利条件はコルデーを即座に無力化し、あの男をコルデーと共に退かせる以外に無くなってしまった。

 自分が狙われていることに対する恐怖。恐怖に伴って震える膝。それらを全て押さえ込んでアイリスはルークの元へ走った。


         ♢


「イフリート、全力でお願いします!!」


 ノエルは叫んだ。契約した炎の高位精霊に呼び掛けると魔人はノエルの隣で首を縦に振る。朱い炎がノエルの身を鎧のように包み込んだ。

 ノエルがイフリートと契約したのは一昨日のことである。その為炎を纏うという感覚に慣れないままだが今はそんな事を言っている場合ではない。

(シルトで起こっている騒動も間違いなく二人のうちどちらかが関係している。そうであれば、二人を無力化すれば人が魔物になる魔法の効力も潰えるはず――――)


「なぁんて、考えてそうな顔ね」


 コルデーの剣が首元に迫るのを何とか防いだ。素人ではないとは思っていたが、コルデーの剣の腕はノエルの想像を遥かに凌ぐものだった。

 その細腕から繰り出される剣撃は重く、速い。それにサーベルの特徴ゆえか、両手で上段斬りを放てば片手で器用に槍の攻撃を反撃するといった様に、剣を扱う上での引き出しがかなり多いのだ。しかし、ノエルとてそんな事実に甘えて首を差し出すほど愚かではない。引き出しが足りないのならば、こちらも足せばよいのだ。

 槍での攻撃に殴打や蹴りも織り交ぜ、コルデーと互いの武器を交える。

 そして、空を見た瞬間戦慄した。


「なん……」


 コルデーの後ろには百を超えるほどの火球が浮いていた、それも人を軽々と呑み込めるほど巨大な火球が。ノエルも決して弱いわけではなく、槍の腕前は玄人から達人の域に到達する程だ。

 それでも勝敗はこの瞬間に決した。火球は一直線にノエル目掛けて降り注ぎ、その身体を地面に打ち付け、焼き焦がす。


「その炎鎧を纏っていれば死にはしないわ。それとミシェルはちゃあんと生きているわ。会いたければ私を倒せるようになる事ね」


 全身に火傷を負ったノエルは尚も抗おうと手を伸ばしたが、半ばで意識を手放してしまった。コルデーの言葉を噛み締めながら暗い闇の中へと。

 

 その頃アイリスは必死に屋根と瓦礫の上を走っていた。今まで屋根の上で戦っていたせいで気づかなかったが、道は夥しい量の血溜まりと魔物たちで埋め尽くされていた。幸い森で暮らしていたおかげで不安定な足場でも危なげなく駆け、ルークの元に辿り着くことが出来た。


「ルーク! ルーク!」


 ルークは落ちた民家のすぐそばに倒れていた。名前を呼びかけても返事は無い。呼吸と鼓動はまだしているが指先が沈むほどの血溜まりができている。このままでは長くは持たない。


「哀しき泉の乙女、癒しの聖女よ。波立つ心に凪を、涸れた器に赤き水を。癒せ、水霊(ウンディーネ)


 血は止まり、傷口は塞がった。しかし、


「そんな……」


 ルークの胸に手を添える女性――――水霊(ウンディーネ)は白肌の女性の姿――――は静かに首を振った。曰く、死んではおらず暫くすれば目も覚ますとの事だがどうやら傷が深すぎるようだった。

 下手をすれば今後の生活に不自由が出る程だと。兎にも角にも命を繋ぎとめられて良かったと安心したのも束の間。ザッ、ザッと土を蹴る音が聞こえた。


「残るは其方だけだな」


 片手に黒い直剣を携えた男がアイリスの目の前までやって来た。そして男が「残るのは其方〝だけ〟」といったと言う事は、


「そうね、残念だけれどここまで。まあ、死にはしないから安心なさい。貴女(アイリス)の人格と魂が残るかは分からないけど」


 後ろからはコルデーが男と同じように直剣を右手に、短剣を左手に持って近づいてきた。彼女の言葉を聞いてぞっとした。背筋を気持ちの悪い汗が伝う。


「まだ満月は出ているな……。コルデー、さっさと終わらせろ。我らが呼び出した魔物に囲まれては笑い種にもならぬ」


「ええ、そうね」


 コルデーは左手を振り上げ、刃先をアイリスの背に向ける。


「私も女よ。だからせめてもの情けね、傷つけるのは服で隠れる場所にしてあげましょう」


「い、いや……」


 後ずさるも逃げ場は無い。そもそも二人ともがルークとノエルを無力化できるほどに強いのだ。アイリスには出来る抵抗は魔力で壁を作ることくらいだった。


「無駄よ。魔力防御も関係ない、どのみち貴女には逃げ場など無いのだから」


 呆気ないほどに容易く魔力の盾は音を立てて割れた。まるで硝子の様にぱりんと音を響かせて散っていく魔力の塊。


「大丈夫よ、魂が流れ込めば貴女が痛みを感じることはもう無いわ」


 そしてなすすべも無く短剣の刃はアイリスの背に深く突き刺さった。間が悪いことにその瞬間に赤い瞳が虚空を眺めていたとも知らずに。

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