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冒険者と聖女  作者: 弓場 勢
一章 回り始めた歯車と潜む月
15/50

13 国焼きの炎

「コルデー、ミシェル。お茶の時間よ、こっちへいらっしゃいな」


「はーい!」


 母の優しい声と妹の元気な声。

 私は大きくもなければ小さくもないとある国の伯爵家の長女だった。その国では人間と獣人が共生していて、貴族の中にもちらほらと獣人の顔がいた。平和な国だったのだ。

 幼い頃から火の魔法の才に秀でていた私は、成人した十五の頃からその名を国中に知られていた。父もそこそこ大きな領地を持つ騎士でもある為、爵位以上に信頼と尊敬の念を周囲から集めていた。

 

「コルデー、学園の方は順調ですか?」


「はい、座学も魔法も上手くできていると自負しております。ただ、剣術の方は……」


 ルナール家の長女であるコルデー。私は就学に合わせ母のアンヌ、妹のミシェルと共に王都の屋敷に使用人と騎士を引き連れて父と別居している。来年から妹のミシェルも七歳になり、初等学園に入園するので三人で越してきたのだ。父は伯爵として領地を治め無ければならないのでお留守番である。実家から馬車で出ていくときに見た父の表情は尻尾も気力無く垂れ下がりとても居た堪れないものだった。


「貴女は貴族ですがその前に一人の乙女なのです。剣術は最低限で良いのですよ」


 そう言っていつも優しくしてくれる母が好きだった。幼いながらに笑顔で励まそうとしてくれる妹も大好きだった。八年前のあの日までは私は確かに幸福だったのだ。

 巷ではあまり流行っていない少し高めな紅茶に甘口なサンドウィッチ。どれも私の好みでは無かったけど母と妹が大好きだったから料理も覚えたし紅茶の淹れ方だって使用人の人に教えてもらった。家族の笑顔を絶やさぬ事。それは女性でありながら家の跡継ぎたる私の密かな願いであり将来への決意でもあった。


 それから一年の時が経ち、ミシェルも学園に慣れ始めてきた頃の話だった。ミシェルが擦り傷だらけで屋敷に帰ってきたのだ。迎えに行った使用人の話では(やぶ)に向かって転んでしまったらしいが、いくつかそれとは違う傷もある。

 それからも何度かそういう事があり、私は初頭学園の休日登園の日に様子を見に行った。勿論招待を隠したうえで、である。私の名は私が望む望まないに限らずそれなりの知名度を誇るためバレてしまっては様子見の意味がなくなるからだ。

 そしてその日の昼時に見てしまった。


「ほらもっと泣けよ!! ははっ!! うずくまって動きゃしないぜこいつ」


 他所の貴族の子が笑っていた。


「痛いよぉ……やめてよぉ……」


 妹は涙を流し泣いていた。

 妹を叩き、殴り、蹴っている奴がいた。同じ貴族ゆえにどこの家の坊っちゃん(馬鹿ども)かはすぐにわった。


「あなた達……何してるの!!」


「なんでここに紅炎姫がっ……!?」


 紅炎姫は私の二つ名だが、私にとっての(あざな)は〝コルデー〟だ。そんな二つ名など興味すらわかなかったがこの場においては「紅の炎を操る姫」という二つ名が効果を発揮していた。二つ名と言うのも役に立つ場面があるのだと初めて知った。

 貴族の坊っちゃん(馬鹿ども)は私を見ると一瞬怯んだようだが、幼い子供の思い込みや好奇心というものは多少の恐怖で掻き消えるものではない。たちまち嘲るように笑いだした。泥まみれの汚いブーツを妹の背や頭に擦りつけている。

 途端に心の中にどす黒い炎が渦巻いた。


「何って……ペットを躾けてやってんのさ。見てわかんないの?」


「ペット……?」


「そうペットだよ。獣の耳が生えてて尻尾もあれば立派なペット。あぁ、お前も耳生えてんじゃん。一緒にしつけてやるから来いよ」


 彼らはひとしきり笑ったあと私に近づいてきた。曰く獣人が誇り高い貴族の位を得ているなどおかしいのだ、と。

 コルデーの心の中の炎はついに限界に達した。自分たちは勿論、優しい両親まで侮辱されたように感じたのだ。そして刹那の間にこう思ってしまった。


――――炎に灼かれて苦しめばいいのに。


『このこたちをもやせばいいの?』


「え?」


 突然聞こえた幼い子どものような声に驚き短く声を上げたのも束の間。直後、身体からほんの少し力が抜けるのと同時にぶわりと辺りの気温が急上昇した。しかし、身体を襲うのは思わず身震いしたくなるほどの寒気だ。

(魔力の枯渇……? なんでそんなものが……)


「ああああああああっ!?!?」


 私の疑問に対する解は目の前で起こった出来事が全て教えてくれた。ミシェルを守るように炎の竜巻が吹き荒れ、妹の周りに群がっていた少年たちの身体を掻っ攫って行った。炎は赤黒く、私自身がこの炎を呼んだのだと理解するまで多少の時間が必要だった。


「火、止め……なきゃ」


 私は目の前の自分の怒りを体現したかのような赤黒い炎に怯えて、震えた手のまま魔法を解除しようとした。


『ほんとうにいいの?』


 その瞬間、先程も聞こえた声が再び頭の中に響く。悪魔の囁きのように薄暗い口調でもなく、ただただ「なぜそうするの?」という幼い子供の様に疑問に対して純粋に問いかけているかのように……。

 その声を聞いた瞬間私は手を下げてしまった。術者の制御を離れた魔法がどうなるかなど想像に難くない。

 それからの事は良く覚えておらず、初等学園の教師が駆け付けた時には既に少年達は真っ黒な炭人形と化していた。私もミシェルもとてもここで起こったことを話せるような精神状態では無かった。この事件は王都中にすぐ広まる事になった。


 不幸な事に私が焼き殺してしまった貴族の少年達は三人。うち一人は侯爵家の長男でルナール家より爵位が高かったのだ。私は間違いなく死刑、それもかなりの長時間苦しんだ末にだ。

 父や母、妹にも情状酌量の余地はないだろう。心底絶望したし、家族の笑顔を私自身が壊してしまったことに憤りすら感じる。

 しかし、不幸とは重なるものだとはよく言ったものだ。今後の自分や家族の運命に怯え、震えながら事件当日の日は床についた。

 そして翌日、これが全ての始まりだった。


「尻尾が重たい。なん、で……?」


 そこには二本の狐の尾があった。どちらも自分の腰から生えている。二本の尾、それは紛れも無く人の身より堕ちた者(フォールン)の証。


「あ、ぁあ……」


――――よりにもよって、こんな時に。


 両手で顔を覆う。この国ではたとえ死刑囚であっても余程の重罪でない限り、苦痛が少ないようにと斬首刑が採用される。しかし、身内が殺人を犯しましてや堕ち人(フォールン)となってしまえばもう手遅れだ。貴族殺害と魔族を排出した両方の罰に問われマシな方でも火刑、最悪磔だろう。


「コルデー、いますか?」


 母が部屋の扉を叩く。そして扉を開いた母の顔は蒼白だった。それだけでは無い、母の後ろには父も居たのだ。左手に持っていた直刀のサーベルがごとりと床に落ちる。


「その尾は……」


「母様、父様。私は……」


 言葉が出なかった。喉が震え、目尻に涙が浮かんでいるせいで視界も歪む。自分の体を両の手で抱けば体も震えていた。


「コルデー、良く聞きなさい」


「私は、母様とミシェルの笑顔が護りたくて……それなのに……」


 父が床に落としたサーベルを拾い上げ、それを私の目の前にずいっと差し出した。その勢いに虚をつかれた私は父と目があった。そして、合う度に見せてくれた優しい瞳でさも当然と言わんばかりにとんでもない事を言い出した。


「ルイ・オブ・ルナールの名に於いてシャルロット・コルデー・オブ・ルナールを我が一族の当主として認める。シャル、良く聞きなさい。シェリーを連れて国の外に逃げるんだ」


 父の言っている意味が分からなかった。私はその時、恐怖と混乱のまま()()を受け取ってしまったのだ。


「シェリーは部屋にいる筈だ。さ、早く!」


「っ……はい!」


 言われるがままに部屋を飛び出し、状況の分かっていないミシェルを屋敷の外に連れ出す。裏庭から走って抜け出すとそこには既に兵士と教会の神父がやって来ていた。


「罪人がどこに行こうというのだ。手に持っているのはルナール伯爵家の宝剣か? ルナール卿は何をしているのだ!?」


 そう言われてはっと気付く。私が受け取ったのはただの剣では無く、ルナール家の当主である事を示す宝剣だ。


「今、この時よりルナール家の当主はシャルロット・コルデー・オブ・ルナールである。私は既に王の剣に非ず」


 父と母が私と神父達の間に割って入り仁王立ちしている。それも素手でだ。


「故に騎士では無い私に剣は不要。主を、娘を逃がす時間を稼ぐだけならば何ら問題は無い」


「コルデー、ミシェル。ここは私とルイが引き受けます。早く逃げなさい」


 そこから先の事は覚えていない、思い出したくないものだった。父は素手であろうとも剣を持った兵士に臆することなく立ち向かい、母は魔法で私達を執拗に追う兵士達を足止めしていた。

 戦いによる喧騒も両親の背が見えなくなる頃には聞こえなくなっていた。


「あ、あぁあああああ…………!!」


 今までの感情が涙を伴って爆発した。ミシェルを抱き抱えて必死に逃げた。追ってくる兵士達から逃げながら泣いてないて行き着いた先は断崖絶壁。既に逃げ場などなかった。


「ふんっ煩わせてくれる。しかしまあ、あやつが最後に抵抗してくれたおかげでお前ら獣人を容易く殺せるというものだ」


 その声はこの国の王の近衛騎士のものだった。眩しく感じるほどの金鎧を身に纏い、剣も合金と言う彼の傲慢さを如実に表している。


「獣人を殺す……」


 しかし、そんなものはどうでもいいのだ。近衛騎士の言い方ではまるで……。


「なんだ。学園の優等生でも所詮は学のない獣か。まだ気付かないのか? そこのちび狐に侯爵の子供をけしかけたのは俺だよ、短気な獣人らしくさくっとやってくれた上に堕ち人にまでなってくれてありがとう!! おかげでこの国から汚い獣人を一掃できるというものだ!!」


 私達は利用されたのだ。この国から獣人を排除するための撃鉄として。


「さあ、このまま連れて行っても俺の虫がおさまらんな……。奴め、素手のままで兵士を的確に気絶させていく技術、本当に人間じゃなくてよかったよ。お前ら、そのちびを罪人の前で殺れ」


「そんなことさせるわけ無いじゃない!!」


 父から託された剣を鞘から抜き放ち構える。恥ずかしいことに構えはガタガタでとても剣を震えるようなものでは無かった。


「宝の持ち腐れとはこのことだな」


「あっ!?」


 剣はあっさりと弾かれ、ミシェルも奪われてしまった。


「やめてっ!!」


 この場で魔法を唱えようにも封魔の首輪を付けられているせいで魔法を唱えられ無かった私は、虚弱な細腕だけで抵抗するしかなかった。そんなことをしているうちにもミシェルの喉元に剣の刃が食い込んでいく。


「お姉……さま……」

 

「やめてえぇぇぇぇ!!」


「殺れ」


 ミシェルの喉元から真っ赤な血が噴き上がる。その瞳からはまたたく間に光が失われていき、兵士はミシェルの遺体を投げ捨てた。


「ミシェルっミシェルっ!!」


 即死だった。妹の体は既に呼吸を止め、鼓動を止め、発熱すらもしなくなった。冷たく重くなっていく。


「その女を捉えろ」


 抵抗する気力も既になかった。両親の最後の願いも守れず、妹すらもこの世を去った。縄がきつく身体に巻き付くのも何もかもがどうでも良かった。


「そうだな、刑場に連れて行く前に良い物を見せてやろう」


 近衛騎士は汚く下衆な笑みを浮かべてそれを放り投げる。中から現れたのはずたずたに切り裂かれボコボコに殴られた父と母の生首だった。


「ぇ……?」


「全く下賤な獣がいつまでも暴れるから私の金鎧にも汚れが付いてしまった。この屑がっ……」


 そう言って父の顔に唾を吐きかける近衛騎士の顔は歪んだ愉悦で彩られていた。


 その時だ。私の中に炎が灯った。

 希望の炎などではない、復讐の炎だ。


『ふくしゅーしたい?』


 以前にも聞いた声だ。幼い少年のような声。


「――――――――やる。燃やして、やる」


「はぁ? 何だってぇ?」


『わかった。ぼくのちからをかすからこるでーはぼくに……』


「身も魂も全てあげるわ」


 瞬間、私の体が炎に包まれた。以前の様に感情の爆発に任せてではなく、自分の意志で怒りのままに炎を操る事ができる。


「なっなんだそれは!!」


 近衛騎士は後ずさり、その顔は恐怖に歪んでいる。


「今は幼き竜、灰から生まれし者よ。私は怒りの鎖に繋がれた獣。火は消え、残るは我が意志のみ。天は赤く、地は朱く、全ては赤き星に還る。時の黄昏、明けの訪れぬ世界を今ここに。力を示せ、眠れる炎神の子(サラマンダー)


 それは終わりを知らせるモノだった。それは怒りの権化だった。それは太陽そのものであった。


「ぁっ……バケモノ。お前はバケモノだ!! お前たち、罪人シャルロットをすぐに始末しろ!!」


「私達を一族をバケモノにしたのは貴女達よ。貴女が愛した夢の中の国とともにこの世から去りなさい」

 

 目を開けば目の前には白い翼を持った少女のミシェルがいる。名前は同じ、声もどことなく似た雰囲気を持っている。それでも彼女は妹とはなんの関係もない赤の他人なのだ。


「あの……」


「何でもないわ。食事が終わったら教えて頂戴、ここを出るわよ」


 そして私はまた逃げ出した。


         ♢


 結界が掻き消えたとき逃げ出そうと思えば逃げ出せただろう。けれどミシェルはそうしなかった。単にコルデーには敵わないと思ったのか他の理由があるのか、そこまでは分からないがここまで来てしまえば些末な事だ。コルデー達は今、ヴァルヴェレを通り過ぎカルベルグ山脈の麓まで来ていた。


「こんなところまで来てどうするつもりなんですか」


「目的地は山の上じゃないわ、端よ」


「端?」


 カルベルグ山脈の麓を沿って東に進んでいくと白い雪を被った森が姿を表す。雪帽子の森と呼ばれる森で、寒すぎるがゆえに住むものなど誰もいないと言われているほどだ。名前の通り雪の帽子を被ったトウヒの木々の間を通り抜け、雪の積もった大地に二つの足跡を残していく。


「優しいんですね」


「突然どうしたのかしら」


 本当に突然どうしたのだろうかと内心では警戒態勢をとるコルデー。ミシェルはコルデーの斜め前を歩いているため表情が読めない。変な動きをされた時にすぐ対応できるようにと斜め前を歩かせたのが裏目に出てしまった。


「私だって馬鹿じゃないです。シルトを落とすんですよね」


「なんでそれを……」


 ミシェルにはそのことを話していない。だから彼女がなぜそれを知っているのかが不思議でならなかった。


「貴女が誰かと親しげに話しているのを前に聞いたんです。確かサランさんでしたっけ?」


 迂闊だった。おそらく部屋の扉から聞こえてしまったのだろう。話す話さない以前の問題であった。


「それで貴女は何が言いたいわけ?」


「私をそれに巻き込まない為にシルトから連れ出してくれたんですよね」


 コルデーの耳がピクリと揺れる。確かにその通りなのだが自分の考えを見透かされるのはなんだか癪だったのだ。


「それに話はしなかったけれど、貴女が私に接しているときに見せた笑顔はとても心地よかったんです。故郷ではあんなに心地良い空間になんて居させてもらえなかったら」


「それは……」


「それはどういうこと」そう問おうとして止めた。大方予想は付いた。天翼人(アールム)は天上人の様に扱われるが実際は生活水準が高いだけで特に変わった暮らしはしていない。信頼できる知り合いの天翼人に聞いた話なので確かな情報である。しかし、そんな中でも作法や話し方といったものからはどういった生活をしていたのかが透けて見えてしまう。

 コルデーは生活に支障が出るわけでもなければ、隠したいわけでもないので特に意識していることも無い。対しミシェルは話し方は多少崩して誤魔化しているようだが、歩き方やカップの持ち上げ方まで一般家庭で身に付くものではない。


「私、これでも神子だったんですよ」


 天翼人の神子とは彼らの主神であり太陽を司る神に祈りを捧げる未婚の女性のことを指す。地位で言えば世界にその名を轟かせる天王の次に偉い役職だ。


「そんなお偉い様がなんで魔族との最前線にいるのかしら」


「私が役目を拒んだから、ですよ」


 相変わらず彼女の表情は読めない。


「そう、それでなんで私を?」


「それはさっき言いましたよ。だから、そんなに自分を責めなくてもいいじゃないですか」


 今度はコルデーの方へ視線を向け、その苦しそうな瞳がコルデーの瞳に重なる。


「また、自分を責めてる顔」


「うにゅ、何を……」


 小さな手のひらがコルデーの左右の頬を引っ張ったり寄せたりを繰り返す。その手はひんやりしていて、けど微かに暖かく地味に気持ちいい。


「また、自分を責めているからです」


 同じことを二回言った。彼女が何を言っているのかコルデーにはさっぱり分からなかった。


「コルデーさんはいつも自分を責めてますね」


 この言葉はコルデーにも少し来るものがあった。要は虫の居所が悪くなった。機嫌を損ねてから表現するには可笑しいだろうが今のコルデーはそう表情した方が適切だった。


「私は怒りに任せて人を殺したわ。しかもそのまま国まで滅ぼした。私の短気が家族を殺した、それでも自身を責めるなというの?」


「そうです。もし我等が主神が貴女を赦さなくても私は貴女を赦します。だから私といる時くらい私をミシェルさんのように見てくださって良いんですよ?」


 これに耳を貸してはいけない。こんな甘言、受け入れたいに決まっている。しかし、受け入れてしまえばそれは今までの自分を否定することになる。()のために躊躇いながらも復讐を続けた自分を否定することになる。


「何で私にそんなに優しくするのよ……。貴女とまともに話したのだって今日が初めて、何より私は貴女を拐かしたのよ」


「そうですね、貴女に会わなければ私は今まで通りの生活のままだったでしょう。職場の人たちと楽しく仕事をして、兄さんと一緒に帰って、おじさんとおばさんと私達四人で食卓を囲んで。朝になれば兄さんを起こして、自分も仕事の準備をしに行く」


 なんてこと無い、普通の生活です。と。


「だったらなんで!!」


「貴女が時折見せた笑顔や聞かせてくれた声は家族に向ける暖かさだった。兄さんは私に負い目があるのか知らないけど遠慮してそんな感情を向けてくれた事はない。勿論両親でさえも。そんな私の欲しかったものを教えてくれた貴女が本当の悪人だとは思えないんです」


 第三者から見ればコルデーの迷いや後悔は歪だ。コルデーは今までに沢山の人を殺してきた。最近では人を魔物化させ散々苦しませた挙句、不快だからという理由で燃やしたことだってある。人を殺しながらも殺したくないと躊躇い、赦されないと理解っていながらも許されるのなら赦してほしいと願う姿。その姿はさぞ滑稽だろうと自分でも思う。


「私のやったことは赦されないわ」


「知ってます」


「私は、もう後戻りは出来ない。進むしかないのよ」


「けれど誤った道を正すことはできます」


 ミシェルは小さな胸にコルデーの頭を抱き寄せる。コルデーは理解ってしまった。ミシェルの優しさが水の様に心の中に流れ込んでくるのと同時にそれでもなお激しく猛る黒い炎。

 コルデーは既に誤った道を正すことは出来ない。自分の中の()()がそれを許さない。どれだけ目を逸らしても大切な人達を殺したのは人なんだと訴える。抗えない。このどうしようもない怒りはもう制御不能なものなのだ。


 コルデーは立ち上がるとミシェルの手を引き、雪の積もる森の中を歩き始めた。最初は不審がっていたミシェルも次第に何も文句を言わなくなった。それから数十分歩いて辿り着いたのはとある寒村。


「ここは……」


 ミシェルが一言漏らす。中央に大きな燭台があり、雪が積もっているというのに炎が消える気配が無い。そして村人にも普通の村には見られない特徴がある。

 双頭の蜥蜴人(リザードマン)、黒い瞳の人間、真っ黒な片翼を持った天翼人。どれもが各種族には見られない特徴。全ての村民が堕ち人(フォールン)だったのだ。


「ここは世界から疎まれた者たちが行き着く場所。堕ち人だけの村」


 コルデーが来たのを確認すると一人の老人が歩み寄ってきた。先程の片翼の天翼人だ。天翼人の翼は普通白系一色であり色の幅もせいぜい薄灰色くらいまでだ。しかし、目の前の老人は白とは真逆の深い闇を思わせるような黒だ。


「おお、コルデーさん。また来てくれたのか、あんたの火のおかげで我々は今日も寒い思いをせずに済む」


 村の中心にある大きな燭台を見ながら老人は言う。曰くコルデーが燭台に灯した火は半永久的に消えることはないと。


「そんなに礼を言われるほどじゃありません。ところでアデルがどこにいるかご存知ですか?」


「アデルですか? それならいつもの工房に籠もっていますよ。所でそちらのお嬢さんは? 見たところ堕ち人では無いようですが」


「ええ、今日はこの子をアデルにしばらく預って貰おうと思って来たんです」


 ミシェルが隣で「え?」と首を傾けているのを強引に無視して「それでは」と手を振り、老人と別れる。老人は朗らかな、好々爺という言葉がぴったりな表情で手を振って「またお会いしましょう」と言ってくれた。


「あの人も堕ち人なんですか……?」


「ええ、あの人は黒い翼を持ったがゆえに片翼を千切られ故郷を追われた。ここに居るのは皆そういう人たち」


 ミシェルは唖然として声が出ないようだった。さぞショックだったのだろう。彼女は優しいがゆえに先程の片翼の老人が悪人など、ましてや魔族()()()()()()事に気付いたのだろう。それからは黙り込んでしまい、村の中を歩き回ってようやく着いたのは一件の、周りと大して変わらない家。しかし、それは外観だけで、扉を潜ると中は暖かく、色々な植物が飾られていた。

 壺のような形をした植物や口のような形をした植物など。全体的に肉食植物か多い気がする。


「アデル、今いいかしら?」


「はいは〜い! あれ? 姐さんじゃないですかっ! お久しぶりです!」


 そこには作業着を着た赤い髪の少女がいた。妙に馴れ馴れしく。ミシェルを見つけると駆け寄って来て「君可愛いね? 新入り?」と聞いてくる。その他にも身長や誕生日。果てにはスリーサイズまで聞かれた。


「あの、他の人はいませんか? ちょっと生理的に無理そうです」


「酷いなあ!?」


 助けを求めたがコルデーは苦笑混じりに「我慢してちょうだい」とミシェルの願いをすっぱり切り捨てた。


「しばらく……二日か三日の間でいいわ。この子をお願いしても良いかしら?」


()()()()()はどうするんです?」


「この子がシルトに行けるようにしてあげて。私は戻ってこれないから」


「さいですか……悔いのないようにしてくださいね。じゃなきゃ村の皆が悲しむ」


「戻ってこれない」「悔いのないように」そんな言葉たち反応したミシェルが口を開こうとするがコルデーがそれを遮る。


「そうね、悔いは残さないわ。それと……」


 そしてコルデーはミシェルへ顔を向ける。今まで見せたことの無いような優しい眼差し、愛しい人に向ける表情だ。良く見れば頬がほんのりと紅潮している。


「ミシェル。シルトに戻ったらお兄さんを大切になさい。あの男といればまず死なないわ」


 するとミシェルの頬に手を添えて額と額を合わせる。獣人の間では親愛の意として認識される行為だ。コルデーはミシェルから顔を離すとアデルに目配せをする。アデルは無言で頷き魔法の詠唱を始めた。


「姿無き砂男、夢の運び手。背に載せた袋に詰めるは幾万の異人の夢。誘え、睡霊(ザントマン)


 突然の詠唱に驚いたのも束の間。ミシェルは自身を襲う睡魔に抗えずその場に倒れる。倒れる体をコルデーが後ろから支える。


「こる、でーさん? どう……」


 ミシェルの「どうして」という言葉は最後まで続かず、やがて静かな寝息をたてる。


「さようなら可愛い私の妹、ありがとうミシェル(もう一人の妹)


「それじゃこの子をよろしくね。アデル」


「姐さん。私は……貴女に救ってもらわなければ今頃荒野で餓死してた。ここにいるのは全員そんな奴らです。どうか、それだけは忘れないでください」


 アデルのその言葉にコルデーは微笑みだけを残して扉を潜っていった。


 そして寒村を発ったコルデーは一人サランの背に立ち、城塞都市シルトの遥か上空で佇む。サランは初めてあった頃は伝承通り赤い鱗の竜のような姿だったのだが、時が経つに連れて鱗は羽毛へ変わり気付けば小竜から錦鶏のような姿になっていた。


『コル……』


「月の胎児、狂気の子らよ。秩序は混沌へ、理性は野生へ。病を孕んだ実は地に落ち、やがて土壌を死に至らしめるであろう。人の身を持つ悪獣よその魂を曝け出せ」


 世界最大の城塞都市を混乱に陥れる大魔法が今発動した。

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