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冒険者と聖女  作者: 弓場 勢
一章 回り始めた歯車と潜む月
12/50

10 真実

 目を覚ますと、空には黄金色に輝く満月が浮かんでいた。パチパチと薪の焼ける音に疑問を抱き、首を巡らす。ここは一体何処なのだろうかと。


「ようやく起きたね。散々やってくれたんだ、寝酒にくらいは付き合ってもらうよ」


 焚火を挟んで向かい側の地面。そこにはルークが座っており、両手に持っているのは酒瓶と二つの洋盃(コップ)だった。酒瓶には〝クリュ・ブリュトン〟と書かれたラベルが貼られている。酒を嗜んだことの無いノエルでも知っている有名な林檎酒(シードル)だ。


「お酒はアイリスさんに駄目って言われてませんでしたか?」


「大丈夫だよ。俺は酒造で有名な町の出身なんだ、弱い酒なら熱でも問題ないさ」


 とぽぽと洋盃に林檎酒が注がれるのを見つめながら今までの事を振り返る。夜中なのを考えれば今はノエルがルークとの戦いに敗れて、堕ち人の女性に気絶させられた数刻、或いは数十分後だろう。未だに蹴られた顎が痛む、心なしか少しぐらぐらしているようにも感じられた。


「俺もお前を担いで宿に戻るほど体力は無いんだ。だから体力を回復させるがてら雑談でもしようか」


 ルークの赤瞳(しゃくどう)がすっと細められる。雑談とは言っているが目的はノエルの仕出かした夜襲のことだろう。ルークの瞳の奥はとても平板なように思えて、その様には恐怖すら感じる。それが理由なのかはわからないが、ノエルは自然と口を開いていた。


「なんで、僕に止めを刺さなかったんですか?」


 しかし、ノエルの口から発せられた言葉はそんな疑問。予想外だったのかルークは目を丸くしていた。


「お前にも理由がある事くらいは分かってるさ。幼馴染には優柔不断なだけだと言われたけどね」


「それにアイリスは傷つかなかったし、黒幕も分かった。良かったらでいい、俺にだけでも話してくれないか?」


 その声音と瞳からは先程までの恐怖は感じず、むしろ穏やかな気さえ感じられた。「はいよ」と手渡された洋盃には、夜闇の中でも黄金色に輝く林檎酒がなみなみと注がれていた。

 今度こそ、事情を話すと言い姿勢を正す。そしてノエルが口火を切るのだ。

 

「僕は……誘拐された妹を開放するという条件でアイリスさんにあの短剣を突き刺す依頼を受けたんです」


 そうしてノエルはルークに事の始まりを話し始めた。


         ♢


 それはとある満月の日だった。ノエルはへとへとに疲れきった体でギルド会館を後にした。背筋を伝う冷や汗が未だに止まらない。


 それは依頼を終えてギルドの窓口に向かおうとしたときだった。来る日も来る日も受ける依頼(クエスト)は薬草採取やら害獣駆除の類のみ。そんな事しかできない自分自身を疎ましく思いながらも受付嬢に依頼達成の報告をしに行った。

 ギルドのロビーへと通ずる両開きの戸を開けた瞬間、目を見張るような美しい女性がいた。透き通るような金髪を腰辺りまで伸ばしているのが特徴的だった。

 後ろからで顔は見えなかったけれど、少なくともそれは万人を魅了する色である事は確かだった。金銀の財に埋もれた貴族でもあの髪の金色に勝るものを持つことはできないだろうと、そう思えるくらいに。

 周りを見れば誰も彼もがその女性を見ていた。遠巻きに聞こえてくる会話からは内容こそわからないものの楽しげな明るい雰囲気が漂ってくる。


「へえ、あれが写し身かぁ……」


 突然の声に背筋が凍ったかのような感覚を覚えたのは偶然か、それともノエル自身の危機察知能力故か。声を発したのは極々普通の狐人の姿をした女性で、容姿は人間寄り。背の半ば程まで伸びた髪を先端の方で三つ編みにしていて、髪色はノエルよりも少し明るい茶という感じだった。

 女性の言葉が気になり言葉を掛けようとしたところではっとなって気付く。腰から生えている尾が二本あるのだ。獣人には獣より、人間寄りの違いはあれど二又の尾など在りはしない。そんな動物はいないからだ。

 人の身より堕ちた存在(フォールン)と言う言葉が思い浮かんだ。世に魔族と呼ばれる者たちのことだ、さっと視線を逸らすがその時にはもう遅かった。


「あら、見えてたの……」


 女性はノエルに気が付くとふわりと近寄ってくる。距離の感覚が物理的に計り辛く、目の前に来るまで接近された事に気付けなかった程だ。顔は笑っているが目の奥は笑っていない。言葉にしようのない怖気が背中を走り抜ける。


「私はコルデー、貴方は?」


「……ノエルです」


「良かったら少しお茶をしましょう。ね?」


「お茶をしましょう」という言葉の強制力は高く、ノエルはこれを断れず「はい」と答えてしまったのだ。飲むのはどこにでも売っている普通の紅茶、話す内容も他愛のない世間話。けれどそんな空間だからこそノエルは妙な気持ち悪さに襲われながらコルデーとの世間話を続けていた。

 思えばこのときしっかりと断っていればよかったのだ。相手は堕ち人(フォールン)、人ならざる者であり魔族の末端に名を連ねる者だ。

 嫌な予感はしていたのに見た目で判断してもいいのだろうかと逡巡してしまった。事実語気は強く半強制的ではあったが、コルデーの誘いを断れたはずなのだ。そうこうしているうちにこの気持ち悪い時は流れていき別れのときがきた。


「さて、今日は楽しかったわ。それじゃあ今日のことは誰にも言っちゃ駄目よ? さようなら小さな天使さん。また今度、ね」


 だからその日は嫌な気がしてすぐに家に帰ったのだ。ノエルは妹と、とある老夫婦の家に住まわせてもらっている。幼くして故郷から出てきた僕達を本当に善意のみで助けてくれた人達で今では祖父母の様に兄妹ともに親しく思っている。妹に関しては毎日仕事が終わってからベタベタに甘えているのをよく見かけるようになった。


「兄さん、おかえりなさい!」


「ただいま、ミシェル。おじさん、おばさんもただ今戻りました」


「ああ、おかえり」


「今、二人の好きなシチューが出来上がるところですよ」


 何があってもこの空間だけは壊させないと強く心に誓う。温かい食事に、夕飯を共にする家族。()()()のノエル達にはそれだけでも十分だ。実際ノエルの実力ならば薬草採取だけでも十分稼げるし、ミシェルも天翼人(アールム)の体力と身体能力を存分に使って色々な仕事を掛け持ちしている。

 妹は活き活きと毎日を過ごして、家に帰ればいつものように食卓を家族皆で囲む。そう、いつもどおりの生活でノエルは満足していたのだ。

 だからこれ以上は奪わないでくれと、何度祈っただろうか。しかし、遂にその願いは崩れ去る。翌日の朝ミシェルが居なくなった。

 机の上に置かれた一通の手紙と白練色の短剣を手に取る。


『貴方の妹は預かった。無事に返して欲しかったら白髪赤瞳の男と一緒にいる金髪の女を短剣で刺しなさい。ただし殺してはいけない。失敗した場合は――――――――』


 紙面には続きが書いてあったが視界が真っ白になって頭に何も入って来ない。置き手紙の下には確かに白練色の短剣が置かれていた。


――――攫われた?


――――誰が……?


 あまりに突然の事だったので最初は思考する事さえ忘れていたかのように立ち尽くした。徐々に何が起きたのか理解していき、それと比例するように顔からも血の気が引いていく。

 それからノエルは二日かけてシルトの都内を走り回ったが、結局ミシェルの影すら掴めずじまいだった。その時まではノエルの頭の中に他人を殺すという選択肢は無かった。これは自分達兄妹の話で他人を巻き込む訳にはいかないと。

 焦って焦って町中を駆け回っていた。そんなときに突如、声を掛けられ後ろを振り向くとそこにはコルデーがいた。


「こんにちは。首尾はどうかしら」


「首尾……? 何の話をしているんですか」


 目の前にいるのは歴とした魔族だ。三日前はそんな気は起きなかったが、今はノエルも気が立っている。いつ牙を剥くともしれない相手に自然と臨戦態勢をとった。しかし、コルデーはその行為を無意味と嘲るかのように鼻を鳴らした。いや、今の鼻笑いはきっといつまでもとぼけたことを話しているノエルに対してだろう。


「決まっているでしょ。妹がどうなっても良いの?」


 シルトの路地裏は暗く狭く中心から遠い、そこで起きた喧嘩や暴行などは喧騒の間に消えてしまう事だろう。例えそれが魔法が飛び交うような戦いであったとしても。


「ミシェルを……どこにやった!!」


 地を蹴ると同時に地面の煉瓦が()()()。全身に魔力を漲らせ、全身全霊の拳を放った。


「随分と派手な挨拶ね。それなら私も相応に答えなきゃ公平(フェア)じゃないわね」


 間違いなく当たったと感じた拳は外れ、何もない宙を叩く。一方コルデーは直刀のサーベルを抜き放ち、軽快なステップでノエルの拳を交わしながら鋭い突きを打ち込んでいく。ノエルも槍ほど得意ではないし短剣を抜き放ち応戦した。


「ッ危ないわね」


 しかし、コルデーは短剣その物が嫌なようで大きく距離を取る。手のひらをノエルに向けて口を開く。

(魔法が来る……!)

 魔法が来ると思い、身構える。するとどうしたことか。魔法は確かにノエルに向かって放たれた。しかし、魔法の着弾は予想よりずっと速く、手の平を向けた瞬間に放たれたとしか思えない。


 無詠唱。そんな言葉が頭の中に浮かぶが、そんな事はあり得ないと口の中で呟く。有名な魔道士や賢者と呼ばれている者達すら詠唱をせずに魔法を行使することは叶わなかったのだ。


「私は火の精霊と精霊契約を結んでいるわ。貴方ならこの意味が少しは理解できるんじゃないかしら?」


「精霊契約……?」


 精霊契約。この契を交した者は自分の意志一つで精霊の魔法を行使できる他、超人的な身体能力と悠久を生きる寿命が与えられる。しかし、この契約は精霊側が選ぶものであるため術者が望んでできるものでは無い。

 術者が望んで出来る契約には儀式契約という魔法陣を用いたものが別にある。しかし、それとは出来る事の幅が違いすぎる。コルデーは剣と魔法の両の手があるのに対してノエルは普段全く使わない短剣一本だ。これで倒さずに勝って妹の居場所に辿り着くなどほぼ不可能だ。


「だからって、引き下がるわけ無いでしょう!!」


 ひたすら殴打と蹴りと剣撃を繰り返すがその全てを避けられるか、炎で相殺される。やがて鬱陶しくなったのか、コルデーは狭い路地裏の上に逃げ始めた。


「逃げるな!!」


「逃げたりなんかしないわよ」


 屋根の上から矢を番える様な動作をしたかと思うと直後炎の矢がノエル目掛けて飛来してくる。

(多すぎる!!)

全てを避けきれずに魔力を纏わせた腕で炎の矢を払ったが、コルデーの姿を見失いほんの一瞬だったが焦りを覚えた。その失態が決定的だった。


「これで私との実力の差を実感出来たかしら」


 背後から火球をもろに喰らい、皮膚の焦げる臭いと共に意識が遠のいていくのを感じた。全身に火傷を負ったようで、患部がヒリヒリと熱を持っているのが、薄れ行く意識の中でも良くわかる。


「それじゃあ、依頼の事よろしく頼むわね」


 コルデーの顔にはもはや笑顔すら無く、その目は冷え切っていた。薄れ行く意識の中で考えたのは妹のこと。ノエルにとってミシェルはたった一人の肉親だ。絶対に失いたくはない。しかし、ノエルではコルデーには逆立ちしたって勝てないだろう。例え槍を持っていたとしても精霊契約をしているという事実だけで戦況などいくらでもひっくり返せるのだから。

 ふと、先日のギルドで見た青年と少女を思い出す。うしろから見ていただけなので顔は分からないが、透き通るような金髪だけは忘れられなかった。遠くから見ていても美しいその髪は輝いて見えた。

(あの人にこの短剣を突き刺すだけだ……何も殺す必要は無い。それなら……)

 それでも家族の生命とは引き換えになど出来るはずもない。だからこそ、薄れ行く意識の中でノエルは再び誓った。


          ♢


「――――だから僕はあの人に短剣を突き刺す必要があったんです」


 沈黙が訪れる。焚火越しのノエルはとても小さく見えて、純白の翼も地面に下がりきっている。ルークは洋盃に残った酒を一気に飲み干し、何かないかと言葉を探す。


「顔も知らない奴に恨まれるよりも大切な人を失うことの方が何倍も苦しい。だから俺も……同じ状況ならノエル、君と全く同じ事をする」


 ノエルがはっと顔を上げてルークを見つめる。その目は信じられないものを見ているかのように大きく見開かれている。


「僕と同じ……?」


「ああ、それに俺はなんの躊躇いもなく短剣を突き刺すよ。けれどノエルはアイリスを襲うときに一瞬迷ったよね」


 ノエルの肩がぴくりと震える。


「人はそれを甘いと言うかもしれない。けれど大切な人の命が掛かっていても他人を一瞬だけでも気遣うことのできるのはノエルだからだよ」


 何を言っているんだと自分でも驚いているところがなんと皮肉なことか。心の中には今にも溢れ出しそうな怒りが渦巻いているというのに。


「狙われたのはアイリスだ。それならそいつはもう一度来る」


 心にもないことがぺらぺらと口から出ていく。ノエルは俯いているからルークの表情を見ることは無いだろう。もし見られてしまったら今の自分はどんな顔をしているのだろうか……。


「ルークさん、僕を本当のメンバーとしてパーティに入れてくれませんか」


「アイリスさんには僕が自分で話して謝ります。だからもう一度機会をください」


 今度はルークが驚く番だった。ノエルはなにもふざけたことを言っているわけではない。その目は真っ直ぐで芯が通っている。声も同じだ。決意を新たに、そんな印象を受けたはずなのにだからこそその瞳の奥のものに驚いた。

 いや、驚いたというより〝慄いた〟と表現するのが正しいか。ノエルの瞳は真っ直ぐだ、ただし瞳の奥は暗く淀んだままなのだ。どこまでも暗く底が見えない。しかし、その意志は本物だろう。いくら瞳の奥が淀んでいるからと言ってそれだけでノエルの心の中を把握できる訳では無い。


 正直迷っている。このまま仲間に加えるべきか。一度は大切な仲間を傷付けようととしたのだ。それでもこの子の願いを叶えてあげたいというほんの少しの気持ちも確か。

 ノエルの妹が生きているかは分からない。たった一人の肉親、その言葉がどれだけ重いかなどルークは良く知っている。そしてその重荷が取れた瞬間にやって来るものは開放感などでは無くどこまでも続く虚無なのだとも。


「分かった。あいつにちゃんと事情を話して謝る。そこまでやったらシルトに行こう、出来る限りは手伝うよ」


「ッ!! ありがとう御座います……」


「俺も甘くなっちまったなぁ……」


「それなのに林檎酒は辛口なんですね」


「うるせぃ」


 ノエルの目尻には涙が溜まっていた。

 黄色く輝いていた満月は沈み、暁の空が妙に眩しく見えたのはきっと偶然だったのだろう。


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