カナリア姫はイチゴがお好き
「最高の天気ね!」
カーテンを開けば燦々と太陽の光が降り注ぐ。身体を天井へ向かって大きくそらせば清々しい朝の始まりだ。
早速マリーはネグリジェからお気に入りの若草色のドレスに着替え、キッチンへと直行した。
シェフに頼んでバスケットいっぱいのサンドイッチやお菓子を作ってもらうためだ。
マリーが辿り着いた時にはすでに沢山の食事が完成していた。だがまだだ。まだ足りない。マリーは調理長の元へと足を運ぶ。台の高さには身長が足りない彼女は精一杯背伸びをして彼の手元を覗き込んだ。
「私、イチゴがいっぱい入っているお菓子がいいわ!」
「今日はいつもよりも沢山イチゴのお菓子を作ってありますよ」
「本当に!?」
目を輝かせるマリーに調理長は手を止め、顔を綻ばせた。
「ええ。だって今日は年に一度のマリーお嬢様のお誕生日ですから」
今日はウィンター男爵家の1人娘、マリーの誕生日。
朝から馬車に乗って少し遠くの花畑でお昼をとった後、夜は家族3人でホールケーキを食べる予定だ。
夜会デビューはおろか、お茶会デビューすらまだのマリーにはまだ友人と呼べる相手はおらず、両親とのピクニックこそが最高の誕生日祝いだ。
マリーの笑顔を見たい一心で、使用人達は朝早くから腕によりをかけて最高の料理を手がけていた。
「お昼が楽しみだわ!」
「お嬢様、お昼も前に朝ご飯ですよ。そちらも今日は特別です」
調理長の言葉にマリーの気持ちはさらに高鳴る。最高のお誕生日に舞い上がったマリーはルンルンと両親の待つリビングへと向かった。
ーーそして最高の朝食を前に、彼女の心は地の底へと落とされる。
「すまない、マリー。急に予定が入ってしまって、一緒にピクニックに行ってやれなくなってしまった……」
「そんな……」
「1年にたった一度の、可愛いマリーの誕生日だ。お父様も一緒に祝ってあげたい。だがどうしても外せない用事が入ってしまったんだ。……本当に、すまない」
幼いマリーとて、父にとって仕事がいかに大切なものかは理解していた。もちろん仕事に負けてしまったのは悲しい。けれどぷっくりとした唇をギュッと噛めば我慢出来ないこともない。
我慢しないと。
ワガママは、いけないもの。
涙の代わりに牛乳を飲み込んで、マリーは苦しい声を漏らす。
「お仕事なら仕方がないわ……」
父に急な、その上外せない仕事が出来たということは、母も屋敷で待機しているようだろう。
つまりピクニックは中止になってしまうーーそれだけは何としても避けたかった。
両親がいなくとも、たった1人だったとしてもマリーにとって今日はお誕生日であり、ずっと前から計画していたピクニックの日なのだ。
「ねぇお父様」
「なんだい、マリー」
「お出かけできないお父様に、お花を摘んできてあげるわ」
目を丸くする父はしばらく固まり、そして「それは楽しみだ」と頬を緩ませた。
こうしてマリーは侍女のリコと共に、3人分の食事とお菓子、お茶が詰まったバスケットを抱えて馬車で揺られていった。
本来ならば家族でピクニックをする予定だった花畑に到着したのは屋敷を出てから1時間ほど経った時のこと。
幼いマリーの外出としては少し遠いのだが、この花畑は父と母の思い出の場所。初めてデートした場所であり、プロポーズをした場所でもあるらしい。母が顔を赤らめながらその時の思い出を語る度、マリーもいつかは大事な人と訪れたいと夢を思い描いていた。
けれどマリーには未だ婚約者すらいない。
マリーにはまだ早い! と言いつつも、お父様はいつかはピッタリの男性を見つけてくれると言う。お父様が連れてくる人ならきっと素敵な人だわ。だってお父様が見つけてきてくれる人なんだもの。
今日の約束はお仕事だから仕方がないけれど、普段のお父様はお母様と私を大事にしてくれるのだ。
そう、お父様が悪い訳じゃない……。
未だに少し、ほんの少しだけ引きずった心を前に向け、マリーは花畑へと足を下ろした。
周りが見渡せる場所まで進むと、花の甘い香りがマリーとリコの身体を包み込む。
まるでマリー達を歓迎しているようだ。
様々な彩りの顔を見せてくれる花達にマリーの機嫌はすっかり元どおりになる。
マリーが花に見惚れている間にリコは慣れた手つきでピクニックの準備を開始する。
本来ならば移動式のテーブルやイスを用意したいところだが、生憎とそれはマリーによって阻まれた。何でも両親の思い出をなるべく再現したいらしい。つまりマリーは花のカーペットの上に座り込みたいのだ。
それは貴族の淑女として許される行為ではない。
けれど今日はマリーの誕生日。
それもすでに予定とは少しズレてしまっている。これ以上、彼女の気を沈ませるようなことはしたくなかった。リコはせめて、と気休め程度の小さな布だけを敷いた。
ドレスの洗濯は自分が受け持とうと決めて。
「お嬢様、準備が整いました」
「ありがとう! ほら、リコも座って。一緒に食べましょう?」
「ですが……」
「さすがに私1人じゃ食べきれないし、残して帰るのは申し訳ないわ。それに……1人で食べるのは寂しいもの」
「それではお言葉に甘えて、ご一緒させて頂きます」
マリーのワガママにより、花畑のピクニックにリコも加わることとなった。
同席を許されたとはいえ、リコがマリーの世話を焼くことには変わりはない。マリーの大好きな物が詰まったバスケットからバランスよくお皿に取り分けていく。カップが空になれば温かい紅茶を注ぎ、スコーンには心ばかりのクロテッドクリームと大量のイチゴのジャムを塗ってはマリーの皿に乗せていく。
「リコも食べてよ」
けれどマリーはそれが気に入らなかったらしい。頬をぷうっと膨らませて、沢山のご飯が乗せられたお皿をずいっと突き出した。
「では頂戴させて頂きます」
「ええ」
半ば強引に渡されたそれをリコが受け取ったその時だった。
ぐうううううっーー
どこからともなく大きな音が響いた。これは間違いなく腹の虫の鳴き声だ。
そんなにお腹が空いていたのね〜とマリーはリコの顔を見上げる。きっと恥ずかしがっているだろう。けれどここには自分達2人しかいないのだ。大丈夫よ、誰にも言わないから。そう伝えてあげるつもりで口を開いた。けれどリコの表情はマリーが予想していたものとは違った。いつもの優しい笑みは姿を消して、周りを警戒するように目を細めていた。
「リコ」
「しっ」
何があったの? と続けようとしたマリーの口はリコの指で塞がれる。
これは危ないことが起こったと言うことだろうか。
マリーは唇をピッタリとくっつけて息を潜める。そしてマリーの誘導に従って背中へと隠れた。けれどすぐにその音を出した人物は姿を現した。
「なぁ、それオレにもくれないか?」
「え?」
「そんなに沢山あるんだろ。どうせあんたらだけじゃ食べきれないだろうし、少し分けてくれよ」
「スラムの……子ども?」
そこに立っていたのは薄汚れた少年だった。
背は高くはないが、決して低いとも言えない。少なくとも遮蔽物のないこの花畑でその身体を隠すことは容易ではない。そんな場所で、こんな距離に近づかれるまでリコが気づかない訳がない。
リコはマリーの侍女であるが、護衛を兼任するほどの実力を持っている。
それなのに……。
スラムという場所の性質上、気配を消すことに長けた子どもというのは決して少なくはない。
けれどこの場所は一番近いスラム街からでも30分は離れている。もちろんそれくらいなら子どもの足でも移動できない距離ではない。
けれどスラムの子どもが何の目的もなしに、わざわざこんな場所に足を運ぶとは考えづらかった。
もしや彼はスラムの子どもではない?
だとすればこの格好はあまりにもおかしすぎる。少なくともウィンター領で子どもに満足な食事や服を与えられない民など存在しないのだから。
「なぁいいだろ?」
大きな一歩を踏み出した少年にリコは警戒心を高める。けれどそんな彼女の思考など関係なしにマリーは笑顔を見せた。
「いいわよ」
「お嬢様!」
「お父様だって『困った人には手を差し伸べてあげなさい』っていつも言ってるもの」
「それは……そうですが」
「お腹いっぱい食べていって! うちのシェフの作る料理はどれも絶品なんだから」
マリーは顔を歪めるリコから視線を逸らして、空いてるお皿に少年の食事を乗せていく。
「あんた、変わってるな」
「何か嫌いなものあった?」
「ないけど」
「量はもう少し乗せても大丈夫?」
「大歓迎だ」
「そう! なら私のオススメをもっと乗せてあげる! これでしょう? あ、これも!」
鼻歌を歌いながら次々と自分の好物を乗せていくマリーを、少年は真っ赤な瞳を細めながら見つめていた。
そこにはスラムの子どものような、食に対する貪欲さはない。
だからこそ彼には何かあるはずだ! とリコはますます気を引き締めた。
けれど少年は最後まで『何か』を見せることはなかった。
少年はマリーからお皿をもらうと綺麗に平らげ、「ご馳走さま」とお礼だけ告げてその場を後にしたからだ。
「変な男の子だったわね〜」
マリーは空になったバスケットを抱えながら、上機嫌で馬車を揺られた。
まさかその少年が誘拐犯から逃亡中の隣国の王子様で、父は行方不明になった彼の捜索にあたっていたとも知らずに。
それからマリーは何度も誕生日を迎えた。
けれど未だ、旦那様どころか婚約者すらいない。婚約者の方はいた時期もあったことはあったのだが、不運が重なり話は流れてしまった。そして気づけばすっかり嫁ぎ遅れてしまったというわけだ。それでもまだ焦りすら感じていないマリーの元にとある訪問者がやってきた。
「マリー嬢、生涯あなたを守らせてくれ」
「へ?」
ウィンター屋敷のエントランスで大きな剣を寝かせ、仰々しく膝をつく青年にマリーは思わず目を瞬かせる。
なにせ透き通るような銀髪と、全てを見透かすようなガーネットの瞳を持つその青年は、国内外で恐れられる『氷帝』だったのだから。
噂によると血も涙もない絶対君主なのだとか。あくまで噂は噂に過ぎない。そんなことは長年、貴族社会に生きていたマリーだって承知の上だ。
けれど、ここでハイ喜んで! なんて受けられるかと言われればNOだ。
いや、そもそもこのプロポーズまがいのものは拒否することが可能なのだろうか?
マリーは身を震わせ、どうすればいい? と少し後ろで控えているリコに視線を投げる。けれどリコはマリーから視線を逸らすだけで答えは教えてくれそうにない。
「マリー嬢?」
「は、はい!」
「承諾してくれるのだな!」
「え……」
驚いて返事をしてしまったが、王子はそれを承諾とみなしたらしい。
「すでにこの国の王とあなたのご両親に話は付けてある。我が国もいつでも受け入れ体制を整えてある。あなたさえよければ今すぐにでも私の妻として国へ迎えさせてほしい」
「つ、妻!?」
それって結婚するってこと!?
もちろん今まで様々な理由で破談になってきたのも俗にいうところの政略結婚目的というもので、結婚に特別な夢を描いているわけではない。
けれどさすがに初対面どころか会って数秒でプロポーズ? をされ、早速隣国へ! なんて頭が正常な働きを拒否してもしかたがないことだろう。
「もちろんあなたが嫌なら無理にとは言わない。けれどこの命に代えて、あなたの命を守らせて欲しい」
私、いつのまに命を狙われるようになったのかしら?
状況についていけないマリーは遠くを見つめた。
まさかその始まりが10年以上も前の誕生日なんて知らずに。
それからマリーを置いて準備は進み、彼女はわずか半月後に隣国の王子さまへと嫁ぐことになる。
氷帝は宣言通り? マリーを守ろうとするあまり、彼女の側から離れようとはしない。まるで鳥かごのように大事に囲うのだ。どうしても離れざるを得ない用事がある時は決まって自分の部屋へと隠してしまうのだ。
やがてマリーは国民から『カナリア姫』と噂されることとなる。
もちろん城下でどう呼ばれているかなど日々守られているマリーの耳には届くはずもない。
けれど城下の民達が思っているほど、マリーはこの状況を憂いてはいなかった。
少し過保護すぎはしないかと思う程度。
これといった不便は感じていなかった。
この国に来て困ったことといえば、ご飯やお菓子が美味しすぎて少し太ったことくらいだろう。けれどその手が止まることはない。
ドレス、入るかしら? なんて思いながらも、大好きなイチゴが沢山乗ったパンケーキを口いっぱいに頬張るのだった。