蜘蛛の糸
「おい、花蓮?大丈夫か!?少しは楽になったか!?」
花蓮の寮の中、1人大声を上げる覇王は、生徒会長の刈谷に貰った飲み物を飲ませながら、問いかける。
「うっさい…あんまり大声出さないでよ…」
「わ、悪い…」
落ち着いてはいられない覇王。
花蓮の機嫌が悪いならいつも通り、軽い言い合いになっているのだろうが、現在覇王が目にしているのは、今まで見たこともないほど大人しく、そしてしおらしい花蓮の姿だった。
もし仮にこれが、覇王に対して心を開いてくれた結果だとするなら大変喜ばしいのだが、そうではない。
花蓮の結界が暴走しているのだ。
それを知らない覇王は、彼女の額に触れ、かなりの高熱であることを悟る。
彼女の額の温度が、平熱でないことは誰でもわかる。
覇王は、どこぞの天才みたいに、額に触れるだけで相手の体温を測ったりは出来ないが、花蓮に熱あることは流石にわかったようだ。
「冷えピタ?救急車?病院?」
尋常じゃない汗の量、そして高熱。
おそらく40度近くの熱だと察した覇王は、今までこんな場面に直面したこともなかった為、大パニックだ。
何をどうしたらいいのか、まず何をするべきなのかが全くわからない。
人は、パニックに陥ると自分が何をすべきなのか、なにをしたらいけないのかがわからなくなる時がある。
例えそれが、毎日毎日やっていて慣れきった事だとしても、パニックになると手順を間違ったり、なにをすればいいかわからなくなったりするのだ。
覇王は今、まさにその状態にある。
「ど、どうしよう…!?救急車!救急車呼ぼう!」
慌てふためく覇王は、部活のバッグの中をガサゴソと漁り、携帯端末を探す。
「か、花蓮、もう大丈夫だ。もう少しの辛抱だから頑張ってくれ!」
救急車でいいよな?あってるよな?間違ってないよな?
冷静さを欠いている覇王が自問自答する中、その自問自答を遮ったのは、インターホンの音だった。
少し高価そうな、普通のインターホンのような軽やかな音ではなく、重い音。
その音が寮内に響き渡っていることに気づいた覇王は、ガバッと頭をあげると、閉ざされた扉を開けるかどうか迷う。
今はそれどころじゃない。
救急車を呼ぶ方が最優先なんじゃないのか?
いや、ここで扉を開いて、自分よりも病気に詳しい人だったらこの状況は打破される。
「救急車を、呼ぶのが優先だろ…!」
インターホンなんて、最悪不在と言えばどうにかなるし、こんなタイミングで来るやつなんて、ろくな奴じゃない。
勝手にそんなことを考える覇王は、インターホンを無視して、部活動バッグの中から、携帯端末を見つけ出す。
「よし、あった!」
携帯端末を高々と掲げて、発見を喜ぶ覇王。
あとは救急車に連絡をして、救助を待つのみだ。
そう安心しきっていた覇王は、花蓮の寮の扉が開いたことに、気づくことが出来なかった。
「松山くん…キミ、なにしてるんだ…?」
不意に聞こえてきた、背後からの声。
その声を聞いた覇王は、ビクッと身体を震わせ、声のした方を向いた。
ここには花蓮と自分しかいないはず。
てっきりそう思っていたが、覇王は花蓮が扉を開けて玄関へと上がった際に、鍵を閉めていない。
つまり、誰でも入れる状況になっていたのだ。
そして現在、玄関先に広がっている光景。
それは覇王にでもわかる、わかりやすいマズイ状況になっていた。
玄関先には覇王の部活道具が散乱していて、まるで揉めあった後のように見えなくもない。
花蓮は意識がないのか、ピクリとも動かず瞳を閉じているし、これではまるで、覇王が無理やり上がり込もうとして、花蓮を気絶させたような光景にも見えなくはなかった。
そんな中で声を発した方を見た覇王は、その人物が第7高校の生徒会長であることを知り、一安心する。
会長なら、今日覇王が花蓮の寮へと行くことを知っていたし、誤解なんてしないだろう。
弁明なんてしなくても、だいたい事情は察してくれるはずだ。
そう安心しきっている覇王を見た刈谷が、ほんの少しだけ頬を緩めて発した言葉は、覇王の期待を裏切るものだった。
「お見舞いに来たら電気はついているけど、なかなか返事が返ってこないから、怪しいなって思って扉を開けたんだけど…まさか君、花咲さんを襲おうとしてたのか!?」
芝居染みた大声を上げる刈谷。
自分が予想していた方向とは違う方面に理解が進んだと知った覇王は、慌てて立ち上がると、身振り手振りで弁明を始めた。
「違いますよ!俺はただ見舞いに来ただけで…!会長だって知ってるでしょう!」
「ああ!知ってるよ?でもおかしいじゃないか!なんで花咲さんが倒れてるんだい?まったく…花咲さんと松山くんは仲がいいと聞いていたから君を推薦したというのに…まさか君が、彼女を気絶させてレイプ紛いの行為をしているなんて…!第7高校の看板に泥を塗る気か!?」
せっかく異能島のナンバーズの中で第3位になるという快挙を果たしたのに、これじゃあ評判は元どおり。
いや、覇王はフィナーレにも出ていて、知名度はそこそこ高いため、この一件が明るみに出ると、入学志望者は例年以下になること間違いなしだ。
頭を抱える刈谷を見た覇王は、一歩後ずさると、視界がぐわんぐわんと歪んで行くような感覚にとらわれる。
自分がやったことのない冤罪を、今擦りつけられようとしている。
「違いますって!花蓮が意識を失ってる理由はわかりませんけど、俺は何もしてません!信じてください!」
「…君がそこまで言うなら…潔白を証明してもらおうじゃないか」
自分は無実だと表明する覇王を見た刈谷は、その言葉に納得したそぶりを見せつつも、携帯端末を取り出し、電話を始める。
「もしもし。警察ですか?」
「お、おい、なにを…!」
刈谷が電話をかけると同時に発した言葉を聞いた覇王は、目を見開く。
警察?警察呼ぶって、本気か?
もし仮に自分が無実だったとしても、誰だって警察を呼ばれるのは怖い。
状況証拠だけで捕まったり、偶然変なものが出て来て、犯罪者に仕立て上げられることだってあるのだから。
しかも高校生ともなれば、警察を呼ばれてビビるのは当然のことだろう。
すでにパニック状態の覇王からしてみれば、なおさらだ。
「待て、やめろ!やめろよ!」
焦りのあまり刈谷の携帯端末を横へと払った覇王。
刈谷の携帯端末は宙を舞い、玄関の壁へと激突した。
それからしばらくの沈黙。
覇王は自分がなにをしでかしたのかを理解し、全身から血の気が去って行く感覚に囚われた。
「…松山くん。僕は君を信じたかったんだ。本当だ。でも、今の行動からして見ても、君が黒なのは明白じゃないか!一体なんで、どうしてこんなことをしたんだ!」
落胆の声を上げる刈谷。覇王が取った行動は、明らかに警察は呼ばれたくない、この場で全てを解決させようという魂胆から見せた行動にも見えなくはなかった。
「いや…そういうわけじゃ…」
「知ってるよ!君が花咲さんに好意を寄せていたことも、振られたことも!君は花咲さんが自分のものにならなかったから、腹いせでこんなことをしたんじゃないのか!?それがバレるのが嫌で、警察を呼ばれたくなかったんじゃないのか?」
「そんなつもりは…」
携帯端末を払いのけてしまった。
先ほどまでは強く出ていた覇王だったが、自分が悪手を踏んだことによって、反論の語彙が弱くなる。
これ以上会長の機嫌を損ねられて有る事無い事言われるのは、警察が来た時に取り返しがつかなくなってしまうからだ。
「君は卑怯だ!卑劣だ!第7高校の面汚しだ!我々の高校の宝である花咲さんに、なんてことをしたんだ!謝って済む問題じゃないのは、君もわかってるだろう!」
「お、俺はなにもしてません!警察が来れば、その事実はすぐにわかるはずです!落ち着いてください」
まるで蜘蛛の糸に引っかかったような、徐々に縺れて抜け出せなくなっているような、そんな感覚だった。
何を言ったって、状況証拠からして、刈谷の言っていることは正しい。
花蓮に振られたことも、それでも言い寄っていたことも事実。
今弁明できるだけの材料を、覇王は持っていない。
最後の希望を警察へと託した覇王は、無慈悲に鳴り響くインターホンの音を聞いて、心音を跳ね上がらせた。
「警察だ。この場にいるものは両手を頭の後ろに当てて、その場にうつ伏せになれ!」
扉を開くや否や、拳銃を構えた警察官たちがなだれ込んでくる。
その様子を見ていた覇王は、慌てて指示に従うと、うつ伏せになってから、数人の警察官を見つめた。
人数は3人。
その全員が武装をしていて、あたかも誰かを捕まえに来たようなご様子だ。
「警察に通報をした刈谷くんは、君だね?」
「は、はい」
「一体何があって、通報が途切れたんだい?何か緊急事態でも…」
「彼に叩かれました」
警察へと電話をした刈谷の方へと向かった警官たちは、刈谷から事情を聞いて、覇王へと向き直る。
「なるほど…つまり、何かやましいことをしていた可能性がある、と」
「し、してませんよ!俺は何もしてません!」
「動くな!知ってるだろ。異能島の警察は、常に発砲許可が降りている。下手に動くと、君の命は保証しないよ」
警察官が憶測で話をし始めたため、弁明を図る。
しかし、警察官が脅しと同時に拳銃を向けたことによって、覇王は口を噤んだ。
異能島の警察官は、発砲許可が常に降りている。
その理由は、異能島の生徒間での争いでよく異能が使われることと、牽制の意味を兼ねて、だ。
そのことを知っている覇王は、警官が撃つつもりならいつでも発砲できることを知っているため、従うしかない。
「よし。まずはそのペットボトルから調べろ。彼女に飲ませた可能性がある」
「はっ」
検査キットのようなものを取り出した警察官が、覇王が刈谷からもらい、花蓮に飲ませたものの確認を始める。
「ふ…ふふ…」
そんな光景を見ていた刈谷は、誰にも聞こえない声で、小さく笑っていた。
ここにいる警察官は全て、本物ではない。
全員が全員、刈谷の警備会社に勤める大人たちであって、その全員が曰く付き。
元警察官だったり、元自衛隊だったり。
そこそこの問題を起こして辞職せざるを得なくなった後に、刈谷の父親に拾われた身である男たちだ。
慣れた手つきで検査を始める男から、覇王に銃口を向ける男まで、全員がニセ警官である。
それを知っている刈谷からすれば、覇王がおとなしく指示に従っているのは、滑稽で面白いのだろう。
「…!これは!睡眠薬と媚薬の反応が出てるじゃないか!」
「は…?」
何かマークの入った容器を覇王に見せながら声を上げる警察官。
覇王はと言うと、身に覚えのないことであるが故に、理解するのに時間がかかっていた。
想定外の事態に、脳の処理が追いつかないと言うべきか。
「ま、待ってくれよ!そんなはずないだろ!?俺はその飲み物を会長から受け取ったんだ!それまで蓋なんて開けてないし、中身に何か入れたりなんてしてない!」
自分はやってない。潔白を証明しようとする覇王は、つい先ほどの警官の忠告など無視して、立ち上がり身振り手振りで事情を説明しようとする。
「取り押さえろ!罪の意識すらなく、他人のせいにするなど言語道断!」
しかし、覇王の弁明になど、聞く耳を持つ人物はここにはいなかった。
花蓮は眠っているし、覇王と花蓮以外は、刈谷の息がかかった者たち。
覇王が何を言ったところで、この空間での悪者は覇王。
絶対的優位な立ち位置にいるのが、刈谷なのだ。
先ほどまで飲み物の検査をしていた警察官が、取り押さえろと告げると、覇王の周りに立っていた警察官たちは、強引に両手足を掴み顔を抑え込むと、もがく覇王のことなど御構い無しに、銀色の手錠を取り出した。
「話は署で聞かせてもらおうか」
「ふ、ふざけんなよ!なんで俺がこんなこと…おかしいだろ!」
覇王からしてみれば、とんだ理不尽だ。
自分は何もしていないのに、刈谷の掌で踊らされた挙句、これから本物の警察に突き出されるのだ。
銀色の手錠が冷たく両手を拘束する中で、覇王は必死に打開策を考える。
無実で捕まるなんて、絶対に嫌だ。学校生活だってまだ始まったばかりだし、夢だって叶えてない。
そもそもなんで、こんな状況に陥ったんだよ?
そこまで思考したところで、覇王はようやく刈谷に感じた違和感を思い出した。
「会長…いや、刈谷!お前、俺を嵌めたのか!?」
「な、なんの話だい!?僕は何も知らないよ!君が勝手にしたことなのに、変な言いがかりはよしてくれ!」
そもそも、ここへ来るように告げたのも、飲み物を渡してきたのも刈谷。
そして偶然居合わせたのも刈谷で、警察に電話を始めるなんて、出来すぎている。
これがもし偶然だとするなら、まるで神が刈谷を応援しているようなものだ。
「くそ!離せ!離せよ!俺は何もしてない!アイツだ!刈谷を捕まえろよ!」
しかし、覇王が刈谷の悪意を知った時には、もう遅かった。
花蓮の寮内には、取り押さえられた覇王の叫び声だけが響き渡っていた。




