最悪の展開
「はぁ…はぁ…」
時間は遡り、夕夏が悪羅と悠馬の戦闘を目撃することになる数刻前。
亜麻色の髪を靡かせながら必死に走る彼女の表情には、かなりの焦りがあった。
その理由は、異能祭後に行われた、後夜祭でのこと。
何気に美月と始めて1対1で会話をした夕夏は、少しのギクシャクはあったものの、最終的には大きく盛り上がりを見せた。
その理由は、屋上前の踊り場で、2人きりでフォークダンスを踊ったからだ。
お互い初めてということもあり、色々と試行錯誤をしていた結果、気づけば後夜祭は閉会式も終わっていて、校舎も鍵が閉められているという大事件が発生。
暗い空間、特に怪談やお化けが苦手な夕夏からしてみればそれは大事件で、パニックになって美月にしがみついたままだった為、閉め切られた校舎の中から抜け出すのにはかなりの時間を要した。
まぁ、結局のところ、徘徊している警備員に見つけてもらって外に出してもらったのだが、それは後夜祭が終わった数十分後の話だ。
そして現在。なぜ夕夏が走っているのかという本題に入ろう。
後夜祭が数十分前に終わったということ。そして補導時刻まで残りわずかなこの時間帯では、終電がすでに発車してしまっている。
第1まで電車通学をしている夕夏の帰宅手段は、徒歩しか無くなってしまったのだ。
時刻はギリギリで、補導はされたくない。
理由はただ単に怖いから。
そんな理由で全力疾走していた夕夏は、耳をつんざくような轟音を聞き、顔をしかめる。
「何かが倒れた…?」
まるで地面が削れるような、ビルでも倒れたかのような音。
ちょうど第3学区へと差し掛かっていた夕夏は、走るのをやめると、辺りを見回して異変の起こった箇所を探す。
しかし、辺りで異変が起こったところなど、一切見つからない。
そもそも、第3学区のオフィス街は、見晴らしがいいわけじゃない。
大通りが何本もあって、その大通りの両サイドには、高層ビルが立ち並んでいる。
直線的な見晴らしは良いものの、横の状況は一切わからない作りなのだ。
どうせ寮まであと少し。
時計を確認した夕夏は、補導の時刻まであと5分あることを知り、横の通りを覗き見ることにした。
事故とかだったら大変だし、その時は警察に通報しよう。
そんな甘い考えで隣の通りを覗き込んだ夕夏の視界に飛び込んできたのは、想像もしていなかった光景だった。
真っ先に見えたのは、抉れた地面と、そこに向かい合うようにして立っている2人の影。
夕夏は本能的にビルの背後へと身を隠すと、顔だけを出して様子を伺うことにした。
揉め事だろうか?こんな時間に、道路まで破壊して異能を使っている。
本来であれば即退学になりかねない行動のため、よっぽどの出来事があったに違いない。
念のため、警察に通報した方がいいのだろうか?
そんな夕夏の思考を停止させたのは、夕夏へ背中を向けて立っている1つの影の、声だった。
「ふざけるなよ!俺は3年前!お前に家族を殺されてからずっと!お前に復讐するためだけに生きてきた!その代償も支払った!そう易々と、はいそうですかって逃がすわけねぇだろ!」
聞きなれた人の声。しかし、いつも聞いている声とは、まるで違う声だ。
いつも落ち着いている彼の、怒ったような声。苦しそうで、今にも消えて無くなりそうな声。
「悠馬くん…?」
目を凝らして見てみると、夕夏に背を向けて立っているのは、間違いなく悠馬だった。
しかし、なんの話をしているのだろうか?
偶然居合わせる形になってしまった夕夏は、悠馬の言葉を頼りに、状況の分析を始める。
3年前に家族を殺された。
今、彼の目の前にいる男がその犯人なのだろうか?
それならなぜ、警察は動いていないの?なんでこの島に入れているの?
そもそも、悠馬くんの家族って、誰かに殺されたってことだよね?
だから始めて一緒にご飯を食べた時、彼は泣いてたんだ。
それを知った夕夏は、胸が苦しくなるような気持ちに囚われて、警察へ通報するという判断をなかったことにする。
だって…だってさ?
大切な人が居なくなるって、すごく怖いし、苦しいし、悔しいことだから。
悠馬くんが復讐をしたいって言うなら、私が横槍を入れる必要はないよね?
「君は強いから…大丈夫なんだよね?」
自分が通報して、警察が犯人を捕まえて、警察の手柄になるよりも、悠馬自身に決着をつけさせた方がいい。
そっちの方が、悠馬だって納得するはずだ。
そう考えた夕夏が、再び悠馬の方を見ると、そこには黒い何かがうごめいていた。
悠馬が発生源のようにして闇の何かが発生し、広範囲に展開されていく異能。
ヘルヘイム。
それは闇の異能の中でも最高位に位置する、名前付きの異能だ。
異能祭のフィナーレでは一切見せることのなかった、闇の異能。
彼の後ろ姿を見ていた夕夏は、直感的に、それが何を指しているのかを察し、この状況の不味さを理解した。
レベル10。闇堕ち。3年前。殺害。復讐。
頭に断片的に浮かぶ単語を組み合わせた夕夏は、1つの結論へと辿り着いた。
3年前。確か福岡で起こったテロでは、1人の生存者を除いて全員が死亡。
そして残された1人は、目の前で家族を殺されたショックから激情、犯人と戦闘の末に敗北し、警察が到着した頃には悲惨な光景だったと聞く。
「暁闇…?」
だとしたらマズすぎる。
血の気が去っていく夕夏は、よろめくようにして大通りへと出ると、あることを考えながら、怯えた表情を浮かべた。
別に、悠馬を恐れたわけじゃない。
そもそも夕夏は、闇堕ちだなんだという話には一切の興味がないし、今更それを知ったところで、好きだと言う感情がどうこうできるわけじゃない。
ただ、問題なのは悠馬の目の前に立っている男なのだ。
悠馬が暁闇だとするなら、目の前にいる男は必然的に、世界最悪の犯罪者、悪羅百鬼ということになる。
数年前の異能王殺害や、複数の事件や事故に関与しているとされ、姿を見せては犠牲者を増やす大犯罪者。
先代の異能王ですら倒すことのできなかった悪羅を、高校生の悠馬が倒せるのか。
答えは不可能だ。
まともな思考を持っている状態ならば、全員が全員、不可能だと答えることだろう。
しかし悠馬は今、まともな思考ではない。
復讐をする。殺すという決意を胸に、実力の差など関係なしに異能を使っている。
「いいの?背後の女の子の前で過去も異能もバラして」
1人立ち尽くし、怯えた表情を浮かべていた夕夏は、悪羅から指を刺されると、ビクッと肩を震わせる。
それと同時に振り返った悠馬を見た夕夏は、何も話すことなく元来た道を走り始めた。
***
最悪の展開だ。
今のこの時、この瞬間を持って暁悠馬は全てを失った。
フィナーレで花蓮と縁を切り、現状一番知られたくなかった人に、異能を知られた。
「あーあーあー、だから言ったじゃん?可哀想に、好きな人から逃げられちゃって」
呆然と立ち尽くす悠馬を眺めている悪羅は、楽しそうに悠馬を冷やかすと、バカにしたような表情を浮かべる。
「……雷切」
「もう飽きたな。今の君の実力じゃあ、僕に傷1つつけることは出来ないよ」
ゼロ距離まで近づいた悠馬が放った、雷切。
神器である刀の、銀色の刀身が悪羅へと直撃する刹那、それを宣言通り右手で受け止めて見せた悪羅。
「少しお話ししようよ?」
「お前と話すことなんて何もねぇよ…!黙って俺に殺されろ!」
「君が話すことがなくても、俺は話したいんだよ。殺されたくないしね〜」
悠馬が持っている神器に力を加えるが、神器はピクリとも動かない。
まるで地面に刺さって抜けなくなったような、接着剤で固定されてしまったような、とても人に掴まれているとは思えない感覚だ。
神器が動かないとわかった悠馬は、左足に体重をかけて跳躍すると、手に持った神器を軸にして、悪羅の顔面へと回し蹴りを入れようとする。
しかし、それもいとも容易く避けて見せた悪羅は、悠馬の頭を掴むと、抉れた道路へと叩き付けた。
ドゴっという鈍い音と同時に、悠馬の握っていた神器が金属音を立てて転げ落ちる。
「君さぁ、復讐復讐言ってるけど、そんな人生で楽しいの?もっと楽しいこと、ほらさぁ、青春したほうがいいんじゃない?」
鈍い痛み。一瞬だけ視界が真っ白になったが、意識を奪われるまでには至らなかった悠馬は、悪羅の腕を握り、鋭い視線で睨みつける。
「楽しいわけないだろ…!」
誰が楽しくて復讐なんてするもんか。誰が好きで人殺しなんてするもんか。
目を背けることならいつだって出来た。
でもそれを許してくれない人たちがいる。
「お前が代わりに死ねばよかったのに」
不意に聞こえてくる声。
悠馬の瞳には、あの日、腹部を刺され、血を流しながら死んだ母親の姿が映っていた。
俺だけが幸せになるなんて、許されない。
お母さんもお父さんも弟も、復讐を望んでいる。
俺1人で簡単に辞めることのできる問題じゃないんだ。
もう死んで、いないはずの母親の影。あの日のトラウマが今も消えない悠馬は、自分が逃げ出しそうになると、限界を迎えると、いつも罵る家族の姿が映る。
「ごめんなさい…ごめんなさい…」
「ダメだな、これは…失敗だよ」
頭を抱えながらうずくまる悠馬を見た悪羅は、何か見えないものが見えている悠馬に呆れ、ゆっくりと手を離す。
想像以上に脆い男だった。
つい先ほどまでの威勢はどこに言ったのかと思うほど、美哉坂夕夏という少女が現れてからの悠馬は脆弱だった。
まぁ、守りたいものが何もない空っぽな人間の本気などというのは、こんなものか。
守るものをすべて捨ててまで復讐を望んだ今の悠馬では、この程度が限界だ。
「次会う時はもう少しだけ、強くなっていることを願うよ。じゃあね」
そのまま去っていく悪羅。その様子を見ていた悠馬は、絶望していた。
何もかも捨てたのに、これだけ努力したのに、まだ足りないっていうのか?
3年間死ぬ気で努力をして、ようやくこの力を手に入れた。他のレベル10の誰よりも強くなるために。
なのに、それでも悪羅には届かないのか?
いいや違うだろ。俺は死んでもいいんだ。こいつに復讐ができるのなら。ならば相討ちで殺せればいい。
歪んだ結論にたどり着いた悠馬は、瞳を動かしながら悪羅を探すと、まるでゾンビのように立ち上がる。
「待て…待て待て待て待て!何帰ろうとしてんだお前」
興味を失った悪羅を呼び止めたのは、他にもない悠馬だった。
真っ黒な瞳で、表情を歪めている悠馬は、何か恐怖に駆られているような、焦りを感じているようだ。
「まだやる気?精神的に大丈夫?」
「セラフ化っ!今ここで殺す!お前を殺す!」
明らかに様子が変わった悠馬が発動させたのは、人類の最高到達点であるセラフ化だった。
最高位の能力者、レベル10の中でも、さらに選りすぐりの人間しかたどり着けない、セラフの領域。
結界の領域をも超え、人知を超越するからこそセラフ化と名付けられたその奥義は、人の身を人の領域よりも一段階上の領域へと誘う。
悠馬の茶色だったはずの髪が白色になり、黒かレッドパープルの色だった瞳は、翠色へと変貌する。
悠馬がセラフ化と唱えると同時に周囲に発生した銀色のオーラは、飛んできた葉っぱをシュレッダーのように切り裂いている。
「随分と早い覚醒だね…」
そんな、現代異能の頂点ともされるセラフ化を目にした悪羅は、焦ることもなく、ごく普通の光景を見ているようにその場で悠馬の変貌を見守っていた。
「…お前を殺すための力だ」
落ちていた神器を悪羅の心臓めがけて蹴飛ばした悠馬は、鳴神と比較にならないほどの速度で距離を詰め、心臓を素手で貫こうとする。
「あはは…素手で来るなら、神器を蹴るのは悪手でしょ」
悠馬が蹴飛ばした神器を難なく受け止めた悪羅は、その神器の持ち手を掴むと、続いて飛んできた悠馬の手を切り落とし、そこから撒き散る鮮血を見る。
「っ〜…!」
腕から全身に伝わって来る鋭い痛み。
腕が斬り落とされた悠馬は、痛みで表情を歪めながらも、炎の異能を発生させる。
腕はシヴァの結界の恩恵で時期に治る。
腕を斬り落として油断している、今がチャンスだ。
普通の人間は、腕を切り落とされれば痛みでのたうちまわる。
それに、片手を失ったのだから撤退を優先するのだろう。
しかし今の悠馬に、撤退の2文字は無い。
なんの迷いもなく、直線上に炎の異能を放った悠馬は、自身の炎の隙間から飛んできた異能をモロに喰らいながら、悪羅へと距離を詰めようとする。
「回避しないと〜。いくら再生するって言っても、痛みは感じるんでしょ?それにさ、そのセラフ化はまだダメだよ。君の成長に見合ってない。知ってる?不完全なセラフは命を蝕むんだよ」
悠馬が今持っている全てを出し尽くしたセラフ化。
それがまるで不完全かのようにダメ出しをした悪羅は、いつのまにか悠馬の背後へと回っていた。
「きさま…!」
背後を取られた悠馬が振り向くと同時に、悪羅の右手が悠馬の心臓を貫く。
「な…ん…」
心臓を貫かれた悠馬は、それでも悪羅の手を掴み、反撃をしようとする。
「ここで眠ってろよ」
悠馬の瞳が虚ろになっていくのを見送る悪羅は、歪んだ笑みを浮かべながら、雨の降り出した空を見上げた。




