嗤う者
第3学区、噴水広場前。
昼間は快晴だった空模様も、段々と怪しくなってきて、生憎なことに、分厚い雲に覆われて月明かりは見えない。
そんな中、1つの影が噴水広場の中の、噴水の目の前に立っていた。
体操着ではなく、私服に身を包んだその男子生徒は、茶色の髪の、本日の第1高校優勝の立役者である悠馬だ。
半袖半ズボンの彼は、6月の、しかも雲行きがあやしい事もあってか、両腕をさすりながら、今日ここへくるはずの女の子のことを待っていた。
時刻は21時半。
約束した時間よりも1時間半以上もオーバーし、約束した時間の30分前から待っている悠馬は、かれこれ2時間近くもその場で待機していることになる。
そんな、ただの棒立ちで2時間も立っていた悠馬は、疲れたのかベンチへと向かうと、そこに座る。
「はぁ…やっぱり、もう本土に帰ってるのかな…」
今日の昼の出来事である朱理とのデート。
その最後の方で、朱理が父親に虐待か何かを受けているのではないかと判断した悠馬は、お節介だとは思いながらも、自分ができる最大限のバックアップを取ろうとしていた。
死神に連絡を取り、朱理を異能島に入学させる手回しと、そして彼女を保護し、親の監視から遠ざける手続きまで行うくらいには全力だった。
しかしそれは、当然のことだが朱理の話を聞かなければ何も始まらないことだ。
彼女が何を受けたのか。なぜあんなに怯えているのか。絶望していたのか。
その全てとは言わないが、大まかな内容が分からなければ、救うことはできない。
計画の主軸である彼女が来なければ、この計画は遂行できないのだ。
まだ来るかもしれない。どこかにいるかもしれないと、彼女のことをずっと待ち続けていた悠馬は、ベンチに項垂れると、脱力したように長いため息を吐いた。
「色々と無茶したけど、結局救えずじまいか…」
朱理のことを中途半端に知ってしまったせいか、とても半端な、後味の悪い幕引きだ。
そのことに罪悪感を抱く悠馬は、携帯端末を取り出すと、異様な通知の数を見て、目を細める。
「なんだよこの通知の数…スパムメールか何かか?」
悠馬の携帯端末のアイコンに記されているマークには、通知が234件と記されていた。
常日頃の通知が1〜5件の悠馬からしてみれば、誰かにいたずらをされたか、スパムメールのサイトか何かにアドレスを登録されたかのどちらかという考えしかない。
「勘弁してくれよ…アドレス変えるの、時間かかるんだぞ?」
一気に不機嫌になった悠馬は、めんどくさそうにアプリを開くと、通知をスライドさせる。
その中には、悠馬の思っていたような、スパムメールの類は一切なかった。
曇っていた表情が徐々に明るくなり、そして思わずニヤニヤしてしまうほど、嬉しくなるような文章。
「暁くん、美沙から連絡先聞きました。今度一緒にお茶しませんか?」
「今日のフォークダンス、一緒に踊りませんか?」
「フィナーレめっちゃかっこよかった!おめでとう!」
などなど。
通知の8割以上が女子だということと、その女子たちの大半が、ご飯やお茶のお誘いであることに気がついた悠馬は、携帯端末をポケットに直すと、誰もいない空間で1人笑う。
「これから俺の時代かぁ…でもまぁ…悪いけど、全部断るけどね」
完全勝利したように、両手を挙げて伸びをした悠馬は、何かを悟ったように、脱力した笑みへと表情を変える。
いくら女子たちからのお誘いが増えても、もう悠馬の気持ちは変わらない。
悠馬の好きという感情は、一生花蓮の方へと向き続け、そしてその感情はもう2度と、死ぬまで他人に告げることはないだろう。
1番大好きな人を切り捨ててしまった悠馬からしてみると、嬉しいお誘いではあるものの、その全員が恋愛対象ではなかった。
夕夏や美月が恋愛対象に含まれないと言えば嘘になるが、1番好きな人を差し置いて付き合うほど好きでもない。
悠馬の中では、1番は永久に花咲花蓮なのだ。
「……花蓮ちゃん」
叶うのなら、彼女に触れたい。抱きしめたい。
そんな気持ちは、今でもある。諦めきれるはずがない。
でも、諦めなくちゃいけないんだ。彼女が前へ進んでいようと、進んでいなかろうと、闇堕ちである俺が隣にいちゃいけない事だけは明白だ。
俺には、彼女の横を歩く資格がない。
何度も自分に言い聞かせた言葉を、再び脳内で唱えた悠馬は、ふぅっとため息を吐くと、噴水の音に耳を澄ませる。
「色々あった異能祭だったな…楽しかったけど、悲しかったし、苦しかった…」
総合的に見てみると、悲しさが最も勝る異能祭だったろう。
『時刻は21時45分を回りました。外にいる学生は、速やかに寮へと帰宅してください。繰り返します…』
異能祭の総合的な感情値を割り出していた悠馬は、流れている放送を聞いて、現実へと引き戻される。
異能島の補導時刻は22時から。つまり、補導まで残り15分しかない。
流石に、補導時間を過ぎてもベンチで座って待機は出来ない悠馬は、ポケットに入っていたペンとメモ用紙を取り出すと、何かを書いてから、それを噴水の前に置く。
「ごめん、朱理。俺は帰るけど、もしここに来たなら手紙を読んでほしい」
独り言を呟いた悠馬は、残念な気持ちになりながらも、その場を後にする。
「静かだな…」
夜の帰り道、というのは実に静かなものだ。
普段の放課後と違って、一緒に帰る友人も、下校している先輩たちの姿もなく、ただ聞こえるのは、虫の鳴き声のみ。
特に、第3学区は企業のオフィスが集中している。
大抵の大人が、定時で上がってから本土へと帰省をするため、夜は人気がなくなるのだ。
まるでひとりぼっちの空間にいるような、そんな錯覚すら感じてしまう景色の中を、1人で突き進む悠馬は、目の前から歩いてくる人物を見つける。
「…こんな時間に人か…」
異能島の補導時間を破る生徒はほぼいない。
その理由は、セントラルタワーで全てを監視されているわけで、どこの誰が何時に出歩いていたかがすぐにバレてしまうからだ。
そのため、後夜祭があったと言えど、こんなギリギリの時間まで出歩いている生徒は、結構珍しい。
特に悠馬を気にしたそぶりを見せない影を見つめる悠馬は、一体どこのどいつだろう?知り合いか?などと考えながら、軽い気持ちで顔を見ようとする。
コツコツコツと、地面を歩く足音が聞こえ、フードをかぶった男の顔が、ほんの少しだけ視界に映る。
その顔を見た瞬間、悠馬の全身には、ゾワっと何かが走ったような、やっと心臓が動き出して、血が巡り始めたような、そんな奇妙な感覚に囚われて、男の進行方向を塞いだ。
「悪羅…百鬼…!」
忘れるはずもない。
それは3年前の、新博多でのテロ。
悠馬の両親を殺し、弟を殺したその男は、名前を呼ばれると同時に被っていたフードを取ると、狂ったような笑みを浮かべる。
真っ黒な瞳に、真っ黒な髪。顔は何かに斬られたのか、それとも手術をしたのか。右眼と鼻頭の間から顔の外側に向かって線のような傷痕が残っている。
「へぇ、君、俺のこと知ってるの?」
「っ…!」
悠馬のことなど全く知らない悪羅。
その発言を聞いた悠馬は、瞳の色を真っ黒に染めながら、歯をくいしばる。
あれだけのことをしておいて、俺の親を。家族を殺しておいて、顔すら覚えてないのか?
ふざけてる。残された側の気持ちも知らないで、好き勝手に暴れているこいつが許せない。
「…ふ…ははは…そういう奴だよなお前は!安心したよ!お前が正真正銘のクズで!クズじゃなくても、理由があったとしても、やるとこは変わらないけどな」
自身の憎悪という感情の全てを剥き出しにした悠馬は、異能島の中、そして異能の使用が禁止されている状況だというのに、なんの躊躇もなく神器を呼び出し、鳴神を使用する。
「なんでそんなに怒ってるのかわからないけど…俺、君に何かしたのかな?でも俺が日本支部で暴れたのって、結構前じゃない?君生まれてたの?」
悠馬が怒っている理由がわからない悪羅は、能天気な発言で悠馬の怒りに火を焼べる。
「…ふざけるな!お前はたった3年前に、自分が何をしてたのかも覚えてないのか!?」
「うん、覚えてないよ?逆に聞くけど、君は3年前の今日食べたご飯は何だったか覚えてる?覚えてないでしょ?それとおんなじだよ!…て、そんな話よりさぁ?少し愉快なお話しない?俺と君の、2人だけで」
怒りのあまり、持っている神器をワナワナと震わせる悠馬のことなど知らず、上機嫌に話をする悪羅。
彼にとっては、3年前の出来事など、些細なことだった。
ただの日常の1コマで、ご飯を食べるのと同じような扱い。
被害者は覚えていても、加害者の記憶には残っていないのだ。
そういえばそういう事件があったな。程度の軽い認識。
「お前みたいな屑がいるからこの世界は腐ってくんだよ。お前と話すことなんざ、何1つない」
彼の誘いを一蹴した悠馬は、発動していた鳴神で一気に距離を詰めると、寸止めをする気もなく、悪羅の右肩から胴体にかけて神器を振り下ろす。
「はぁーあ。せっかく、異能祭を見に来るために買った服なのに、酷いことしてくれるなぁ…」
「服の心配なんかしてないで、自分の心配してろよ。お前は今から死ぬんだよ」
真っ二つになった上着を残念そうに見つめる悪羅は、続けざまに放った悠馬の連撃を難なく回避してみせる。
「えぇー…それは無理でしょ。だって俺、異能王を殺したことだってあるんだよ?そんな俺が、高校生ごときに負けると思う?片手で十分だよ」
「調子に乗るなよ社会のゴミが。テメェは地を這ってる姿がお似合いなんだよ!雷切っ!」
片手で、来いよ。と煽ってみせる悪羅の挑発に乗った悠馬は、鳴神で一気に加速すると、目にも留まらぬ速さで彼を切り刻み、背後へと回る。
「あははは!はい、全部当たってないよ?」
振り向いた先にいる、元気そうな悪羅。
そのけろっとした表情を見た悠馬は、歯噛みしながら、自分の手に残っている感触を確かめる。
当たっていないわけじゃない。確かに当たっていた。
さっきの服を切った一撃だって、肉を裂いた手応えがあった。今の一撃だって、間違いなく直撃していたはずだ。
そこから考えられるのは、悪羅の異能は闇だけではなく、再生系もあるという可能性だ。
「っ…コキュートス!」
右手に神器を携えながら、左手で氷の異能を発動させた悠馬。
しかしそのコキュートスの色は、いつものような綺麗な水色ではなく、黒く禍々しい、ドス黒いオーラを吐き出す化け物のようなものだった。黒い渦を描きながら、道路をえぐり突き進む龍。
闇の異能と氷の異能を混ぜ合わせた、複合型の異能だ。威力と殺傷性はかなり上がっている。
「はは、黒いコキュートス、かっこいい〜!でも残念、それは俺に効かないね。百鬼夜行」
悠馬の放った黒いコキュートスに対して、悪羅が放った百鬼夜行と名付けられた闇の異能は、黒い鬼や妖怪の形をした闇を作り出し、コキュートスを相殺してみせる。
「結界!クラミツハ!」
「おお、君の結界はクラミツハなんだね」
コキュートスが相殺された。
それも悠馬が放てる中では最大クラス、そして最も得意とする闇の異能を織り交ぜて発動した、災害クラスの異能のはずだった。
それを難なく消し飛ばす悪羅の実力はやはり、異能王を殺害するだけの力があると断言していいだろう。
「ねぇ、やめない?俺今日、事を構える予定じゃないんだけど」
悪羅の行動を分析しながら立ち回る悠馬に対して、悪羅が発した言葉。
それは意外なもので、3年前やりたい放題で人を殺していた人間が発するような言葉ではなかった。
「ふざけるなよ!俺は3年前!お前に家族を殺されてからずっと!お前に復讐するためだけに生きてきた!その代償も支払った!そう易々と、はいそうですかって逃がすわけねぇだろ!ヘルヘイム!」
大切な家族を失った。他人が日常的に感じている幸せを感じられなくなった。
世間からは疎まれるようになった。何もかも、昔のように上手くは行かなくなった。
大好きな人を切り捨ててまで、復讐をすることを決意した。
今、この瞬間目の前にいる男に。
もう止まれない。止まれるわけがない。止まる理由がない。
悠馬が放った禍々しい闇の異能は、周囲の建造物など御構い無しであたり一面を覆い始める。
闇異能の最上位、ヘルヘイム。ムスプルヘイム、ニブルヘイムと同じく、加減なしでは極めて殺傷能力が高い技の1つ。
幸いなのは、悠馬が周りのことを考えていなくても、あたりはオフィス街で、人がいないというところだ。
激昂する悠馬をつまらなさそうに見つめる悪羅は、ため息を吐きながら目を瞑ると、悠馬の放ったヘルヘイムをかき消して、背後を指指す。
「いいの?背後の女の子の前で過去も異能もバラして」
悪羅が呆れたように指差す方向を向いた悠馬は、そこにいた女子生徒を見て、目を見開いた。
それは今1番、自身の異能と過去を知られたくなかった人物。
入試から数カ月に渡って、最も仲良く接してくれた、そして今の悠馬にとっては、唯一の心の支えである少女。
亜麻色の髪を靡かせ、怯えたような表情を浮かべた夕夏の顔が、悠馬の瞳に映った。




