決別の時
いい加減、覚悟を決めろ。
俺に彼女は釣り合わない。彼女のことが本当に好きなら、彼女のことを想っているのなら、今この場で身を引くべきだ。
俺は闇堕ちで、悪羅に家族の復讐をしなければならない。
彼女を幸せにする余裕なんて、あるはずもない。
幾度となく迷い、考え、その度に胸を引き裂かれるような感覚に囚われた。
自分の側にいたら、彼女は幸せになれない。
森の中を歩きながら、自分にそう言い聞かせる悠馬の表情は、苦しそうで、とても諦めきれているとは思えない。
「ねぇ悠馬、どこまで行くの?」
当然、悠馬を背後から追う花蓮にその表情は見えていないわけで、彼女のいつものような凛とした声が、心臓を締め付ける。
「ほんと、久しぶりよね。3年ぶりかしら?いや、もうすぐ4年よね…」
「…そうだったかな…もう忘れちゃったよ」
昔を懐かしむように、遠くを見つめる花蓮。
そんな彼女を見ずに、忘れたと言い放った悠馬は、勿論、4年近く前の彼女と過ごした日々のことを、忘れてなどいない。
悠馬にとっては、心の底から幸せだと思えた唯一の時間。
叶うならばもう一度、時を巻き戻して訪れてほしい時間だ。
「…花蓮ちゃん。今日は重要な話があるんだ」
言うんだ。今日ここで、彼女にお別れを告げないと、いつまでも引きずってしまう。
中途半端にキープして、2人とも傷つくなんてごめんだ。
美月の言う通り、ハッキリしておかないといけない。
「なに?悠馬」
悠馬が振り返ると、昔と変わらぬ笑顔をみせる花蓮が視界に映り、今にも泣き出しそうになってしまう。
本当は、今すぐにでも謝って、叶うなら、もう一度だけ彼女に触れたい。
しかしそんなこと、許されるわけがない。
俺の手は汚れすぎている。
「…ごめん…許嫁…解消してくれないかな…」
悠馬の口から、絞り出すように、吐き出すようにして出た言葉。
「…え…?」
その言葉を聞いた花蓮は、目眩がしたような気がして蹌踉めくと、背後にあった木によりかかり、一度深呼吸をする。
「聞き間違い…よね?」
「…聞き間違いじゃないよ。ごめん花蓮ちゃん。僕は君の横に、立つ資格がないんだ」
家族も何もかも失った。闇堕ちで、人殺し。
そんな俺が、彼女の横に並んで、彼女と一緒に微笑む資格なんて、あるはずがない。
「待って。待ってよ?他に好きな人ができたの?大丈夫よ、世の中は一夫多妻よ?」
しかし、花蓮は悠馬の内情なんて、一切知らない。
ずっと悠馬のことが好きで、数年間音信不通でもその気持ちが変わることのなかった花蓮からすれば、悠馬の発言は絶望的なもので、そして意味のわからないものだった。
「……ここでお別れだよ。花蓮ちゃん。君には君の道を進んで欲しい」
「……悠馬?さっきからなに言ってるの?私全然わからない!理解できないわよ!なに1人で納得して、先に進もうとしてるわけ!?私は置いてけぼり!?そんな簡単に捨てるなら、なんで連絡の1つも寄越さなかったのよ!」
出会って僅か数分で、許嫁を破棄宣言された。
ずっと悠馬のために生きてきた花蓮は、瞳に涙を溜めながら、風の異能を身に纏う。
「…そんなに私との関係を破棄したいなら…!今ここで!私と戦いなさい!私が勝ったら、アンタはこれまで通り、私の許嫁!アンタが勝ったら、アンタの好きなようにすれば良い!それで良いでしょ!?」
「……わかった」
涙を流す彼女の方へと向き直り、氷の異能を発動させ、空中に待機させる悠馬。
思うことは、ただ1つだけだ。
悪羅さえ居なければ、こんなことにはならなかった。悪羅さえ居なければ、花蓮と一緒に、幸せに過ごせていたはずなのだ。
悪羅百鬼などという人間が存在するからいけないんだ。
花蓮の涙と、その表情を見て息苦しさを感じる悠馬は、自身の内心に憎悪を溜め込んで、1度目を瞑る。
しかし、それと同時に、悠馬の頬には鋭い痛みが走った。
慌てて目を見開いた悠馬の視界に映るのは、金髪の少女の怒った表情。
悠馬の頬からは、彼女が放ったであろう烈風によって、鋭い切り傷ができていた。
頬を伝う血の流れがわかる。
「目を瞑るなんて、ずいぶん余裕見せてくれるじゃない。聞くけど、アンタ私に勝てたことあるわけ?」
鋭い眼差しで問いかける花蓮。
悠馬はこれまで一度も、花蓮に異能で勝てたことはなかった。
無論、それは小学生の時の話であって、今の悠馬と花蓮が戦えばどうなるかなどわからないだろうが、悠馬に花蓮の異能に対する苦手意識があることは、確かなことだ。
「ないけど。次は俺が勝つよ。ニブルヘイム」
「風よ!切り裂きなさい!」
悠馬が一歩足を踏み出すと、周囲の空間が一気に凍りつく。
まるで最初から凍りついているかのように、冷たい冷気を放ちながら、静かに。
その氷を、自身の領域内に入るものだけ見事に風で切り刻んだ花蓮は、風でできた球状の物体を、悠馬へと投げつける。
「…それはもう効かないよ…プロミネンス」
花蓮の放った異能は、悠馬にはよく見覚えのあるものだった。
4年近く前、花蓮が決め手、悠馬にトドメを刺す時によく使っていた異能だ。
しかし、今の悠馬には、そんな異能は通用しない。
時の流れというものは、残酷なものだ。
楽しかった時間を、思い出を作り上げた異能を、微笑みあった関係を、一瞬にして焼き払った悠馬。
「……花蓮ちゃん。今の君じゃぁ、もう俺には勝てないよ…」
以前は立場が逆だったのに、すっかりと変わってしまった。
2手目で詰んでしまった花蓮を哀しそうに見つめる悠馬は、彼女の姿から目を背けると、トドメを刺さずにその場から去ろうとする。
「……負けないわ。絶対に負けない。負けられないのよ!これが私の奥の手よ!サイクロン!」
「……名前付き、か…」
小さい頃は、お互いに名前付きの異能を使えずに、ショボい異能に名前を付けて自慢しあっていたものだ。
それなのに今は、世界が公認している名前付きの異能をお互いに使用し、戦っている。
サイクロン。文字通り、自然災害で起こるサイクロンと同等の威力を誇る、風の異能の中でも最上位に位置づけられている異能だ。
「…焼き尽くせ。ムスプルヘイム」
そんな花蓮のサイクロンに対して悠馬が放った異能は、ムスプルヘイム。炎の異能の中で最高位に属する、広範囲に高火力の炎を放つ異能だ。
レベル10のムスプルヘイムともなると、温度的には軽く数百度を超え、辺りにある木々が燃え始めるほどだ。
2人の最大火力の異能が激突し、辺りには熱風と火の粉を撒き散らす。
その光景を見送る悠馬は、自身の異能が優っていることを悟り、炎と風の奥に見えた花蓮の顔を見て、小さな声で呟いた。
「さようなら。花蓮ちゃん。これまでも、これからも、ずっと好きでした」
***
「逃げ、るなぁぁあ!」
悠馬と花蓮が激突している間。
ただひたすらに逃げ惑う覇王を追いかけるレオは、悠馬の時と比較にならないほど激昂し、胴体を龍に、両手を蛇にして、黒髪の男子を追いかけ回していた。
「ひぃっ…ひぃっ…!いやいや!逃げるでしょうよ!先輩の異能、キモいっつーか、近寄って勝てるもんじゃないでしょう!」
「戦、え!」
キモいと口を滑らせて、さらにレオを煽っていくスタイルの覇王。
無論、意図的に発した言葉ではないが、彼の語彙力と学力はあまり無いため、意図しないところで相手を煽ることが多い。
「っ…時間、が!」
競技開始から、約35分ほどが経過し、15分近く異能を使い続け、尚且つ動き回っているレオの体力は、残り2割を下回っていた。
しかも、肉体をかなり大きな龍へと変容させているため、体力は持って5分程度だろう。
燃費の悪い異能で、追いかけっこを強いられる。
それはかなりイラつくシチュエーションだ。
「もう、焼き、尽くす!」
「げっ!まじかよ!ブレスとか…!」
我慢が限界にきたレオは、大きな龍の口を開き、そこに体力を集めると、炎のブレスのようなものを吐き出す。
勿論、ブレスもかなり燃費の悪いもので、炎系の異能力者が炎を扱うのよりも、倍ほどの体力を使って発動させるものだ。
「喰らえや!氷のドラゴン」
背後から迫る白炎のブレスを見た覇王は、振り向くと同時に、悠馬が競技開始に放ったコキュートスを目撃していたのか、それを真似て氷状のドラゴンを放つ。
「っ…!お前、ウザイ…」
「へへっ、まぁ、俺くらいになるとそのくらいのブレス相殺できるっつの」
レオのブレスを相殺して、鼻をこすりながらドヤ顔を浮かべる覇王。
覇王の放ったコキュートス(笑)は、悠馬の放つそれよりもかなり劣化していて、大したものではなかったものの、ブレスを相殺できた為、余計な自信がついてしまったようだ。
「お前の、それ、ニセモノ。ショボい。弱そう」
「っ!負け惜しみか!俺のがショボいなら、俺の異能に相殺されたお前の異能はどうなんだよ!幼稚園のお遊戯会か!?」
争いは、同レベルの者同士でしか発生しない。
語彙力が乏しい覇王対、こちらも語彙力が乏しく、気分屋のレオ。
国立高校に入学はしているものの、2人とも王として、ペーパーテストの成績をガン無視して入学している為、とんでもないバカである。
そんな2人は、まるで幼稚園生のような言い合いをしながら、睨み合っている。
「俺のは、副産物。ブレスは、弱くて当たり前。お前のは、副産物じゃ、ない。なのに、お前の氷、第1の奴より、弱い!雑魚!ダメージ、喰らわない!」
「くそ!なめやがって!ぶっ殺してやるッ!!」
悠馬より弱いと言われたのが気に食わないのか、逃げることをやめて氷を生成し始めた覇王。
「は、お前、に、殺される、わけ、ない!こっちが、潰して、やる!」
ズカズカと近づいてくる覇王に向かって、レオが蛇の尾で放った一撃は、覇王の腹部へとクリーンヒットすると、彼はいとも容易く後方へと吹き飛んでいく。
「っ〜〜〜!痛てぇ…!」
「ほら、俺の、ほうが、強い!俺の、お遊戯会じゃ、ない!」
レベル10ともなれば、それなりにプライドもあるだろう。
自分自身の異能をお遊戯会と言われたレオは、そのことを根に持っているのか、吹き飛んだ先で木に寄りかかっている覇王を見て、さらなる追い討ちをかけようとする。
「ちょ、待てよ!追い討ちは卑怯だろ!」
「何が、だ!これは、競技!追い討ちは、普通のこと!」
自分がピンチに陥ったから、追い討ちは卑怯などというわけのわからない発言をした覇王。
それに対して、進撃を止める気がないレオは、瞬く間に覇王の目の前までたどり着くと、再び蛇の尾のようなもので、覇王を叩こうとする。
「トドメ!お前、おしまい!」
「まだまだこれからだろ…行け!氷の刃たち!」
起死回生の一撃を放った覇王は、弾けた氷の粒の影響で目を瞑ると、勝ち誇ったような表情を浮かべていた。
超至近距離からの、レベル10の氷異能。
食らって離脱をしない者など、まずいないだろう。
例外があるなら…そう、例えば、硬い鱗のようなもので全身を覆われていたり。
ゆっくりと目を開いた覇王は、目の前にあった巨大な影を見て、背後の木に背を預け、まるで粘着テープでくっついているようにピクリとも動かなくなると、引きつった顔で口をぽかんと開ける。
「お前の、氷、喰らわない…!」
「あ…いや、その!すみません!ちょっと調子に乗ってました!?話し合いましょう!?ねぇ!」
超至近距離で、自信のある異能を防がれた覇王からしてみれば、これは所謂詰みというものだった。
煽りに煽っていただけあって、目の前にいた男の方が自分より強いとわかると、血の気が去っていくのだわかる。
「お前、もう、離脱しろ!」
「っ!すみませんでしたァ!」
レオがトドメの一撃に放った、蛇の尾。
その攻撃が自身に到達する直前に目を瞑り、体を竦めた覇王は、自身の野望が失敗に終わることへの悲しみを感じていた。
まぁ、晩年最下位だと言われた第7高校が、フィナーレで3位にまで上がって、最終的には4位でフィニッシュできるのだから、大した成果ではないだろうか。
でも、叶うならもう少しだけ目立って、3位か2位になりたかったというのが本音だった。
そんなことを考えていた覇王だが、数秒経っても攻撃が飛んでこないことに違和感を感じ、目を開く。
「体力、切れ…」
「ふ…ふふふ…はーっはっはっはっ!俺の勝ち!」
目を開いた先に映る、真っ白な髪に赤眼の男子生徒。
ほぼ常に龍状態だった為、軽く誰?お前?となりそうだったが、今目の前にいる男が、自分を追い詰めていた男だと悟った覇王は、高笑いをしながら、氷の異能でレオを氷漬けにする。
「く…お前に、負けるの、心外」
「好きなだけなんとでも言え!いまのお前が何を言ったところで、負け犬の遠吠えだ!…まぁ、来年は体力切れで決着じゃなくて、普通に決着をつけてやるよ」
レオが離脱する直前にそう告げた覇王は、静かになった空間で、空を見上げながらため息を吐いた。
「まだまだ、世界は広いなぁ…」
レオが体力切れに陥らなければ、彼の勝ちで終わっていたことだろう。
今の勝敗は、覇王自身が手にした勝ちじゃない。
だから来年は、体力切れでの決着ではなく、正々堂々戦って、決着をつけよう。
そう心に決めた覇王は、辺りを見回すと、熱風が吹く方へと歩みを進める。
「花蓮、ワザと負けてなければいいけど…」




