喫茶店
朱理と悠馬が出会って、3時間ほどが経過していた。
つい先ほど、飲み物を買いに行くと話していた悠馬と朱理。
彼らは今、小さな喫茶店の、木製のフローリングと、少し暗い灯が照らす、昔懐かしの空間で向かい合い、座っていた。
「悠馬さん。本当に、すみません」
「いや、全然気にしなくていいよ」
ほとんどの席が埋まり、喧騒が響き渡る中、申し訳なさそうに謝る朱理。
飲み物を買いに来たはずなのに、なぜ、こんな手間と時間のかかるお店の中に入っているのか。
その原因は、朱理の足にあった。
朱理は普段履き慣れていない下駄を履いていた為、靴擦れを起こしていた。
しかも、かかとじゃなくて、親指と人差し指の間。
靴擦れの中でも、トップクラスで痛いやつだ。
それを堪えながら歩いていることに気づいた悠馬は、朱理をおんぶして、喫茶店の中へと入場していた。
「いえ、そうもいきません。奢ってもらった挙句、介護までさせてしまってすみません」
「可愛い子の介護なら、むしろご褒美だよ」
「……すみません、それはちょっと気持ち悪いです」
あれ〜?
悠馬の脳内では、「あはは♪悠馬さん、なに言ってるんですか、このヘ・ン・タ・イ♪」的なノリで朱理が返してくると思っていたのに、朱理の表情は割と本気でドン引きをしているものだった。
「ごめん、今のはおふざけっていうか…調子に乗りました。ごめんなさい」
「あは♪そういう下心丸出しの発言、素直にドン引きです」
「すみませんでした…」
発言する言葉のほとんどに、朱理からの辛口な評価が飛んでくる悠馬。
男としては着実に成長していっているものの、メンタルがズタボロになっている彼は、うな垂れた状態で喫茶店の中に備え付けてあるテレビを見つめる。
「そういえば悠馬さんは、競技に出場しないんですか?」
テレビで中継されている競技を眺めながら、問いかける朱理。
競技の4割近くが終わった時間帯だというのに呑気にしている悠馬を見て、疑問に思うのは当然のことだ。
「あー…俺、フィナーレにしか出ないから…」
「なるほど…悠馬さん、もしかして相当な実力者だったりするんですか?」
「いや、全然だよ。偶然生徒会長と知り合いでさ。ノリで誘われただけ」
フィナーレという単語を聞いて、ピクリと反応した朱理。
本土から訪れた朱理でも、フィナーレがどれだけヒートアップするのかを知っているご様子だ。
各校の実力上位者たちがひしめき合う最終種目に、入学したての1年生が出場。
権堂という前例がいる為、前代未聞と言うわけではないが、それでもほとんどの生徒は、1年生が出場すると聞けば驚くものだ。
相当な実力があって大抜擢されたのだろうと考えるのも無理ない。
実際のところ、悠馬は実力で生徒会長からのお誘いを受けたのだが、どこで誰が聞き耳を立てているかもわからない為、軽い雰囲気で引き受けた話をする。
「それでも凄いことですよ。フィナーレは、日本支部のお偉方も見るわけですし。そこで活躍すれば、悠馬さんの将来は安泰ですよ?」
「ああ…そういう考え方もあるのか…」
フィナーレで目立つことではなくて、ただ純粋に、実力者と戦って、今の自分にないものを見つけ出したいとだけ考えていた悠馬。
朱理の言葉を聞いて、初めて別の考え方を知った悠馬は、感心した表情を浮かべる。
「私、絶対応援するんで、ちゃんと頑張ってくださいよ?」
「…まぁ、出落ちしないように善処はするよ」
「ダメです。せめて2位以内で収まってくれないと、見る価値ありませんし。…それに、おそらくこれが最後なので…」
「あ…うん。わかった…頑張るよ」
別に出落ちするつもりはなかったものの、朱理の悲しげな表情を見てマイナス発言をやめた悠馬。
最後、というのはおそらく、今年の異能祭が終われば、もう2度と異能島には来れない。ということなのだろう。
「ねぇねぇ、聞いた?異能祭終わった後にある後夜祭って、一緒にフォークダンスを踊った人と結ばれるんだって?」
「えぇー?そんなのありえないよー!」
2人の間に沈黙が流れると、嫌でも周りの話が聞こえてくる。
悠馬と朱理が座っているすぐ横に座る体操着姿の2人組の女子生徒たちは、携帯端末を弄りながら、噂話を始めていた。
その内容は、悠馬が豪華客船で調べ上げ、発見した内容と同じものだ。
悠馬は鼻で笑って馬鹿にしていたが、女子たちはそうはいかないらしい。
あり得ない、と言いながらも、横に座っている少女の目は、恋愛という名の肉に飢えた獣の目そのものだ。
そんな怖い瞳を見た悠馬は、身体をぶるっと震わせて、朱理へと向き直る。
「悠馬さん、後夜祭?って、なんですか?」
「えぇと…お疲れ会的な?異能祭が終わった後に、各校自分たちの学校に戻って、それで反省とか、来年頑張るぞーとか。思い出づくりの一環、的な?」
異能祭と違う点があるとするなら、それはいつものように、教員たちやごく少数の大人しかその場にはいないということだ。
この異能島は、異能祭終了直後から、本土から訪れた一般客の帰省を開始する。
しかしそれには、限度があって、夕方から夜にかけての海の便、空の便にも限界がある。
その為、異能祭が終わった翌日に帰宅する親も、少なくはない。
もちろん、厳重な警備がある為、一般客が夜に抜け出すことは難しいが、それでも1日泊まりたいという客は多い。
つまるところ、一般客が訪れることのできない、異能島の生徒だけのお疲れ会と言ったところだ。
まぁ、朱理みたいな学生だと、普通に出歩いていても島の生徒と勘違いされ、スルーされるのだろうが。
「そこで踊ると、結ばれるんですか?」
「そういう噂だね。本当かは知らないよ」
横の女子と、悠馬の話を聞いて、その話に食いついた朱理。
身を乗り出した少女の瞳は、決意の色に燃えていた。
「…私と踊ってくれませんか?」
「んん?」
普通、今の話を聞いて、男と一緒に踊りたいなどという女子は少ないだろう。
ましてや出会って数時間の、見知らぬ男子と踊るなど、以ての外だ。
「だって、踊れば2度目があるっていうことですよね?またいつか、巡り会えるってことですよね?」
真剣な眼差しの朱理。
しかし、彼女の目には、恋。などという形容が似合うような、そういう類のものは一切感じられなかった。
彼女の言う通り、2度目。ということが重要なのだ。
「2度目…」
朱理の言葉を聞いて、その単語を繰り返す悠馬。
悠馬の中では、あまり時間がない少女。
その彼女が、生きることができるとするなら、それはもう神頼みなのかもしれない。
2度目ということはつまり、来年やその先。またいつか、偶然出会う。生きていることが大前提となるわけだ。
だから彼女は、後夜祭でダンスを踊りたい。
病気、という点以外は、朱理の考えを読み取って、間違いなく理解している悠馬。
「うん。いいよ。それで朱理が救われるなら」
「っ…あり…」
「ここに居たのかい。朱理」
全てを察した悠馬が朱理を受け入れ、安堵したように座り込んだ朱理。
その空気をぶち壊したのは、朱理の背後、つまりは悠馬の真正面から現れた、スーツ姿の男だった。
朱理と同じく、病的なほど真っ白な肌。
怒った時の悠馬と同じような、輝きのない真っ黒な瞳。
そしてワックスで丁寧に寝かしつけられた、真っ黒な髪。
身長は180センチほどで、皮の手袋をつけているその男は、片手で仕事用の鞄のようなものを持ったまま、2人の方へと近づいてきた。
「っ…お父…さん…」
「お父さん?」
声のした方向を振り向くこともなく、怯えたような表情を浮かべる朱理。
彼女の様子を見るからに、本来の家族が、お父さんに向けられるようなリアクションではない。
「朱理。僕は言ったよね?少し待っていてくれと。僕は勝手に移動することも、他人と話すことを許した覚えも、何1つとしてないよ」
「申し訳ありませんでした…」
先ほど、悠馬と冗談を言い合っていた少女とは到底思えないほど、借りてきた猫のように大人しくなる朱理。
「君が誘ったのかい?」
「え?俺?」
にっこりと薄ら笑いを浮かべる朱理の父は、ゆっくりと悠馬のところまで歩み寄ると、しゃがみ込んで悠馬の瞳をじっと見る。
「どうなんだい?」
「あ…いや…まぁ、そうですけど…」
そこでようやく、悠馬は異変に気付いた。
朱理は病気などではないことを。
2度目がないというのは、苦しそうなのは、諦めたような表情をしていたのは、きっと、目の前にいる朱理の父親のせいなのだから。
ならば話は変わってくる。
悠馬が朱理に誘われて島を回ったと言えば、朱理はおそらく、もう2度と親の目を掻い潜って外を出歩くことはできない。
それなら、自分が強引に誘ったことにして仕舞えばいいというのが、悠馬の導き出した結論だった。
「そうかい。まずは、娘をどうもありがとう。と言っておくべきかな?」
「あはは…こちらこそ、素敵な時間を過ごすことができて、感謝しかないです」
まるで定型的なお礼の言葉を述べる朱理の父に、悠馬も作り笑いで対抗する。
もちろん、お互い微塵も、感謝などしていない。
「ところで君は…朱理と何を話した?何を聞いた?」
「…はい?質問の意図がイマイチわからないのですが…」
先ほどまでの温厚な態度はどこにいったのかと聞きたくなるほど、敵意むき出しの朱理の父。
まるで殺気を帯びているような、返答によっては悠馬を殺すと言いたげな、そんなオーラだ。
「…それとも、聞かれたくないことでもあるんですか?」
威圧的な朱理の父に尋ねる悠馬。
悠馬が言えたことではないが、この家族の在り方は、かなりおかしい気がする。
普通、抜け出て遊んだくらいで、子供がこんなに怯えるだろうか?
「ははは…そうかい。その様子だと知らないようだね。なら結構だよ。さぁ、朱理。戻るよ」
「…やです…」
「ん?」
「嫌です。今日だけは。今日1日だけは、私の好きなようにやらせてくれませんか?明日からは、いつもの私に戻りますから。言うことを聞きますから!」
朱理が悠馬に何も話していないことに満足したのか、朱理を引き連れて去ろうとした父親。
しかし、朱理から帰ってきた言葉は意外なものだった。
「…朱理、僕は何度も言ってるよね?聞き分けのない子は嫌いだって。それに、ここへ来る前に言ったよね?今日〝も〟お客人の相手をしてもらうと。それとも…この男に何か言われたのか?」
朱理の願い。それは自由に過ごしてみたいという、ささやかな願いだった。
しかしそれすらも、自身の都合で制限する朱理の父親。
その光景をじっと見ていた悠馬は、朱理の置かれている環境故に、なんの口出しも出来ずにいた。
悠馬は異能島の学生で、朱理の家の近所に住む幼馴染ではない。
もし仮に、ここで悠馬が口出しをしたとするなら、悠馬が口出しをした分だけ、苦しむのは朱理なのだ。
朱理の父親は、間違いなく虐待をしている。
怯えながら話す朱理を見ていた悠馬は、自身に何かできることは無いのかと、必死に考える。
「彼は…!関係ありません…ただ道案内をしてくれただけです…」
「そうかい。それじゃあ、僕の言うことを聞いてくれるんだね?」
朱理の父親が、悠馬が何か口出ししたのかと尋ねると、ビクリと反応した朱理。
ここで悠馬ともう少しだけ居たいなどと発言をすれば、消されるのは間違いなく悠馬の方だろう。
そう判断して、まるで悠馬を庇うようにして口を開いた少女の顔には、つい先ほどの笑顔など、その一切が消えていた。
「行くよ。朱理。あまり時間もないからね」
「…はい。悠馬さん。今日はありがとうございました。私、少しの時間でしたけど、貴方と過ごした時間、幸せでした」
父親に言われるがまま、苦しそうな笑顔を見せた朱理。
深々と頭を下げて、去って行く父親に続く朱理を見た悠馬は、反射的に、彼女の手を握った。
「…待っ…朱理。今日の20時。第3学区の噴水広場に居るから」
待って。などと言ったところで、現状の打開策は何1つとしてない。
何をするにも、時間が必要だ。
朱理の父親に聞かれないように、後夜祭の約束を確認した悠馬は、彼女の手を離す。
「ああ。そうだ。朱理。ちょっと外で待って居なさい」
「…はい」
悠馬と朱理の会話に気づいた様子ではないが、何かを思い出した様子の朱理の父親は、先に朱理を店の外へと出すと悠馬の元へと戻り、肩を叩く。
「まずは。ここのお代だ」
「あ、はい…」
悠馬の肩を叩きながら、机の上に1万円札を置いた朱理の父親は、冷たい視線を悠馬に向けて、悠馬の肩に力を加える。
「それと。今日あったことは全て忘れた方が君のためだ。元の日常に戻りたいのなら、変な気は起こさないことだね。まぁ、学生のやれることなんて、たかが知れてるだろうが」
「ご忠告ありがとうございます」
要するに、これ以上関わるな。関わるならば危害を加えるという忠告だ。
言いたいことを告げた朱理の父は、悠馬から手を離すと、その場から去って行く。
その光景を見送る悠馬は、にっこりと薄ら笑いを浮かべながら、携帯端末を操作し始めた。
「さて…たかが知れてるだろうけど、俺にも意地があるからね…少しは頑張るよ」




