体の異変
「はぁ…きっつ…まじしんど…」
Aクラス女子更衣室。
体育後に、制服へと着替え始める女子たちの中、最初から制服だった美月姿の悠馬は、疲れ果てた表情で長椅子に座っていた。
なぜ悠馬が、ここまで疲れているのか。
その原因は、美月が雷を使えるようになって、悠馬が戻ってきた直後に起こった。
美月は加減ができなかったのだ。
最大火力で鳴神を発動させたり、周りに放電しまくったりと、その都度先生に呼ばれたという嘘をついて、美月の元に全力ダッシュすること6回。
元々、美月の体はほとんど運動をしていないため、わずか6回の全力ダッシュでも、身体に限界が訪れていた。
足は鉛のように重たいし、さっきから耳鳴りもしている。
「先生も最低よね。美月が身体弱いこと知ってて、あんなに雑な扱いしたわけ?」
「それな!まじ信じられないんだけど?」
「美月、具合悪そうだけど大丈夫?」
さっきから少し気持ち悪いような気もするが、まだ耐えられる気分の悪さだ。
不安そうに身体をさすってくれる湊の手を握って、美月姿の悠馬は力なく微笑んで見せた。
視線の先に映った湊は、白と黒のストライプの下着姿だったものの、気分の悪い悠馬は、それを見てはしゃぐ気力すらない。
風邪なのだろうか?
朝は好調だった美月の身体が、次第に不調へと変わっていくような気がした悠馬は、額に手を当てて熱があるのかを確認しようとする。
体温はわからないが、熱があるわけではなさそうだ。
美月の身体の体力がないことは知っていたものの、身体が弱いというのは学校側が付けてくれた設定である為に、本当にこんなことになるとは思いもしなかった。
「そういえば美月、今日、薬飲んでなくない?」
「薬?」
その単語を聞いて、気分最悪の悠馬は、苦しそうに湊を見つめる。
美月は毎朝、ホームルーム前と、昼食前。そして夜に3種類ほどの薬を服用していた。
それは、過去のイジメでできてしまった深いトラウマや、傷跡、そういったものを全て和らげて、精神を安定させ、そして落ち着かせる薬なのだ。
そんなものを毎日飲んでいるとは知らない悠馬。
もちろん、薬なんて飲んでいないし、なんならその存在すら知らなかった。
これだけ距離を詰めておきながら、悠馬は美月のことを、何も知らなかった。
「み…なと…」
次第に目の前に映る景色が、ドロドロと溶けていくような、そんな気持ちの悪い景色へと変わっていく。
頭は割れるように痛いし、腹部にあった傷も、また開いたのではないかと思うほど激痛に変わり、吐き気を催す。
「うぷっ…」
全身に寒気が走った悠馬は、視界に映った湊の手のひらを握り、倒れこむ。
「ちょ!美月!?美月!」
「美月ちゃん!」
「先生!先生呼んできて!」
「救急車でもいいから!」
次第に騒がしくなっていく、更衣室内。
美月が倒れた影響で、クラス内の女子は大騒ぎだ。
まだ着替えていない女子たちも、緊急事態と判断したのか、体操着姿や、下着姿なのを御構い無しに、扉を解放して叫び声をあげる。
その声の、最初の方は聞こえていたものの、悠馬の目の前に広がった景色は真っ暗なもので、徐々に聴力も衰えていった。
「なん……これ…」
今までに感じたこともないような苦痛に襲われた悠馬の意識は、そこで暗転した。
***
「アンタ、生まれて来る価値無かったんじゃないの?」
「調子に乗んなよ、美月。アンタは泥で薄汚れてる方が、お似合いなのよ」
色褪せた世界から、聞こえてくる声。
自分自身が体験したことのない、美月の過去の記憶を読み取っているような、そんな空間で、悠馬はゆっくりと目を開いた。
「……キツイな…」
イジメと言っても、それには段階がある。
クラス内からハブられる、バカにされるだけの人もいれば、近づくことすら許されない人や、暴力を振るわれる生徒。
そんな段階の中の、1番上に美月はいた。
背後から押され、トラックに轢かれた。
毎日のように、暴力を振るわれた。
それでも彼女は、逃げなかった。
いつか救いがあると、そう信じていたから。
美月がイジメられる日々を目にした悠馬は、少し窶れた表情で、目の前に映った、色褪せた世界を崩壊させる。
「くそ…過去の美月は救えない…」
どれだけの力があったとしても、どれだけの異能を持っていたとしても、時間を巻き戻すことが出来なければ、この傷は永久に治らない。
意識を失う前に感じた苦痛が、永久に続くのだ。
いくらレベルが高くたって、限界がある。
「はっ!」
そこまで考えたところで、身体に何かが触れたような感触が伝わってくる。
目を開くと、そこには明るい外の世界が広がっていた。
薬品の匂いが充満し、真っ白なカーテンが、ベッドの周りを覆っている。
そして、教室と同じ天井。
ここまでヒントがあれば、誰でも答えられる。
悠馬が今いるのは、保健室の中だ。
「夢…か」
美月の過去の記憶を見てしまった悠馬は、少し疲れた表情で、そう呟く。
一体何時間ほど休んでしまったのだろうか?というのは、カーテンの上から見える、柱に備え付けられた時計を見れば、すぐにわかった。
時刻は11時50分。
悠馬は、3時間ほど意識を失っていたということになる。
「走りすぎたからか?」
湊の薬という単語が引っかかってはいるものの、明確な理由としてあげられるものは、現状走ったから以外に見当たらない。
いつもあまり運動していない美月の身体を、酷使し過ぎたせいで古傷が痛んでしまったのではないかと、悠馬は考えていた。
「ううん。違うよ」
「うぁ!?」
独り言を呟きながら、考え事をしていた悠馬は、横から聞こえてきた声に、ビクッと身体を震わせ、声の主を見る。
声の主は、悠馬の姿をした、美月だ。
「それは多分、精神的なものなの。この薬を、朝昼晩飲まないと、今の悠馬みたいになっちゃうの。ごめんね。中身が悠馬なら問題ないと思ってたんだけど、変わらないんだね…」
どうやら、美月にとっても想定外だったようだ。
美月の考えでは、入れ替わっていれば体には何の異変も起こらないはずだった。
申し訳なさそうに謝る美月を見た悠馬は、怒ることもなく、大人しくベッドに横になっている。
「いいよ。なんか、自分に謝られてるみたいで妙な気分だな…」
自分自身が、目の前で頭を下げて謝っているという奇妙な光景だ。
「それともう1つごめん。授業、サボった…」
「まぁ、先に俺が、美月の身体でサボっちゃったわけだし、謝るのは俺の方だろ…」
お互いが自分自身に謝っているという、奇妙な謝罪会。
「おらバカップル。目が覚めたならさっさと出て行きなさい。ここはイチャイチャする場所じゃないよ?ったく…」
美月と悠馬がヒソヒソと話をしていると、カーテンが勢いよく開き、三十路ほどの保健室教師が2人を追い出そうとする。
勿論、左手の薬指に、指輪はない。
おそらく、自分は結婚していないのに、その独身空間でイチャイチャされるのが気に食わなかったのだろう。
2人はイチャイチャしていたわけではないが、保健室の中、カーテンで周りからは見られない空間…となれば、変なことをしていてもおかしくない。というのがこの女性の判断なのだろう。
「失礼しました。お陰ですっかり元気になりました」
「はいはい。篠原さん、アンタ身体弱いんだから、気をつけなさいよ?」
ベッドから起き上がり、上靴を履きながら、話をする美月姿の悠馬。
靴を履き終わると、会話をすることなく扉を開き、そして去り際にニヤリと笑ってみせる。
「それと私たち、付き合ってないですよ。独身です」
「なら尚更問題でしょうが!!」
美月の身体で、保健室の先生を煽る悠馬。
まさかカウンターが飛んでくるとは思っていなかった悠馬は、扉越しに聞こえてくる怒鳴り声に怯みながらも、その場を後にしようとした。
「みーつき!」
「うぁ!?」
背後から抱きつかれた悠馬は、情けない声を上げて、冷や汗を流す。
今の声は、黒髪つり目女子、淀川愛海の声そのものだ。
ということはつまり、悠馬と美月が2人で保健室から出てきたのを見られているということになる。
まさか、怪しまれてたりしないよな?
そんな不安を抱いた悠馬とは裏腹に、背後から駆け寄ってきた湊は、不安そうな表情で美月の手を握った。
「それじゃあ俺は、教室に戻るから」
「あ、うん。ありがと」
その事態を目にしていた悠馬姿の美月は、自分がいると邪魔になると判断したのか、足早にその場から撤収していく。
残されたのは、美月姿の悠馬と、美月のいつメンのみ。
夢じゃないと知ってしまった悠馬は、この一挙一動で全てがバレてしまうのではないかとビクビクしながら、手を握る湊を不安そうに見つめた。
「美月…身体は大丈夫?」
「え?う、うん。おかげさまで、いつも通りくらいには戻ったよ」
湊たちは、昼休みに入ると同時に、真っ先に美月の元へと向かっていた。
「よかったぁ…」
美月の声を聞いて、安心した湊は、その場に崩れ落ちるようにして、安堵の声を漏らす。
彼女も彼女で、トラウマを背負って生きているのだから、過去の親友と、倒れた美月を重ね合わせ、気が気でなかったのだろう。
「湊、ごめんね。心配かけちゃって。私はもう、大丈夫だから」
「はぁー!ほんと良かった!湊ったら、今の今までずっと気が動転してたんだから!宥めるのほんとしんどかったー」
「それな!湊美月のこと好きすぎ!」
「ば、バカにしないでよ!本気で心配だったんだから仕方ないでしょ!」
「あははは!ありがとね、みんな!」
美月愛の強い湊をいじってみんながふざけ始めると、美月姿の悠馬は、微笑みながらみんなに向かってそう告げた。
「う、うん…」
「少し照れるなぁ…」
「しょ、食堂行こっか?」
そんな美月を目にした美月のいつメンは、照れ隠しをしながら、食堂へと向かった。
***
時計塔の4階。
洋風な造りの建物の中、渡り廊下を渡った先にあるその空間には、昼時ということもあってか、たくさんの生徒で賑わっていた。
ちなみに、時計塔の1階は文具店、2階は飲食物の売店、3階は吹き抜けで、4階が食堂という形になっている。
その4階。
4人組の女子生徒がテーブルを陣取り、賑やかに食事をしている。
湊に愛海、そして美月姿の悠馬と、ギャル系女子だ。
うどんをちゅるちゅると吸う悠馬は、特に何も話すことがないのか、無言のまま食事を食べ勧めている。
「そういえば美月〜、暁くんの腕の中はどうだった?」
「腕の中?」
うどんを啜る美月姿の悠馬に向かって、ギャル系女子が問いかける。
その質問の意図がわからない悠馬は、首を傾げながらうどんを啜るのをやめる。
「うんうん!美月が倒れた時、暁くんがお姫様抱っこで保健室まで連れて行ってくれたんだよ!」
「いやー、あれは惚れるよね!」
いつも男子の話が始まると、微妙な表情をする湊も、今日はそんな表情は見せない。
無言で深く頷き、何か納得しているように見える。
「へ、へぇ…そうだったんだ…」
まさか自分自身にお姫様抱っこで運ばれているとは思いもしなかった悠馬は、複雑な心境で頷く。
「その後も、ずーっと保健室にいてくれたんでしょ?」
「暁くん、絶対美月のこと好きだよ!」
「ない!ないないない!あり得ないから!」
勝手に盛り上がる女子たちは、悠馬の話など聞かずに、話をエスカレートさせていく。
確かに、悠馬姿の美月は保健室にずっと居たようだが、それは自身の身体が気になっているからであって、好きとかそういった感情じゃない。
それに、今の美月には、悠馬が入っているのだ。
美月のことは友人としては好きだけど、恋愛感情にまではたどり着いていない悠馬は、美月の姿で全力否定する。
「あれはただの友達っていうか!知り合い的な感じだから!絶対あり得ないから!」
美月がどう思っているのか知らない悠馬は、少なくとも恋愛感情は抱いていないだろうと全力否定をする。
「そっかぁ…お似合いだと思ったのにな」
「ざんねーん」
「ほ、他に何かあった?私が居ない間に」
この会話がこれ以上続くのは面倒だ。
そう思った悠馬は、話題を変更するべく、保健室で休んでいる間に起こった出来事を訊ねてみる。
「あ!そうそう、今日の放課後、1年合同のクラス会をしようって話になってて、私ら行こうと思うんだけど、美月はどう?」
放課後。クラス会。
異能祭を目前にして、さらに学年内の繋がりを深めようとする、粋な計らいだ。
その親睦会とも言える大きなイベントは、他クラスとの間に友達を作る絶好の機会であって、悠馬にとっては心から嬉しい行事だった。
「行く!行く行く!行きたいです!」
美月の身体だというのに、大きな声を上げて右手を上げた悠馬は、ウキウキ気分で席に座る。
「じゃー、私らも参加ってことで連絡しとくから!」
「はーい!」
こうして、美月姿の悠馬の、今日の放課後の日程は決定したのであった。
最近暑すぎますね。
熱中症にはお気をつけください




