雑貨店
放課後。人の居なくなった廊下を歩きながら、銀髪の女子生徒はさまざまな出来事を思い返していた。
入学試験に、結界事件。そして合宿の神宮の暴走。
結局、この島に適応できなかった神宮は、そのことに納得がいかず大暴れ。
不意打ちでBクラスの碇谷に大怪我を負わせて、悠馬が神宮を無力化して、神宮はそのまま退学。
そして共犯者だったBクラスの霜野も、その繋がりがバレて退学になった。
鏡花の異能によって暗示をかけられている生徒たちは、合宿での出来事をその程度の形でしか記憶していない。
悠馬が無力化した、というのも、知っている生徒はごく一部だった。
何か引っかかる点もあるものの、それが思い出せない美月は、特に深く考えるわけでもなく、下駄箱から靴を取り出す。
西側、東側校舎の間の建物、時計塔の裏ではサッカー部や、その他の運動部が練習をしているらしく、元気な掛け声が聞こえてくる。
学校と反対車線にある野球部用のグラウンドからは、バッドで野球ボールを打つ金属音が、定期的に響いていた。
中学校の時と違って、なんの汚れもない、清潔な下駄箱。
入学前までは、下駄箱を荒らされたり、落書きされたり、上靴や外履きを隠されたりしていたが、そんなものは、今は見る影もない。
それが普通のことなのに、下駄箱に何も異常がなかったことに安心している自分が嫌になる美月は、一度ため息を吐くと、外履きへと履き替えて、昇降口から外へと出た。
入学から早くも1ヶ月と半分。
入学直後はピンク色だった桜も、その大半を散らし、緑色の新芽が出てきている。
小さな水路はいつもと同じように、綺麗な水質を保っているようで、水場に湧く虫が増殖する気配もなく、チョロチョロと小さな川のような音を立てながら流れていた。
そんな光景を眺めながら歩く美月は、少し楽しそうだった。
美月は今、この異能島での生活が人生で最も楽しい時間なのだ。
好きな人を見つけて、いじめも無くなって、自分の過去を知る者はほぼいない。
これで身体の傷さえなくなれば、どんなに幸せなことだろうか?
ありもしない妄想をしながら、階段を下っていく銀髪の少女。
ちょうど反対車線では、野球部が紅白戦をしている光景が目に入る。
楽しそうに声を出し合う野球部を横目で見ながら、階段を降りた美月は、携帯端末を取り出すと、時刻を確認する。
時刻は17時30分。
部活動生と、生徒会以外の生徒は既に寮に帰るか、友達と遊んでいるくらいの時間帯だ。
「よし」
帰り道で同じクラス、学年の生徒と鉢合わせる可能性が少ないと判断した美月は、足早に、帰り道とは違う道へと向かった。
赤いレンガ調のタイルに、桜の木が並ぶ学校横の道路を抜けて、駅や飲食店が並んでいる空間の手前の、細い路地裏へと入る。
駅はそこそこの人通りがあるように見えたものの、路地裏は人の気配が一切ない。
そんな寂れた空間に、なんのためらいもなく入った美月は、赤いレンガ調のタイルが、真っ黒なアスファルトの地面に変わった空間の中で、歩みを進めた。
昔ながらの看板に、イタリアン料理と書いてある店や、怪しげなアロマグッズ店。
そういった類のものには目もくれず、突き進んだ美月は、目の前に見えた、真新しいお店を目にして、立ち止まった。
古びた建物が並ぶ路地裏で、一際目立つ新装オープンしたかのような建物。
緑色の屋根と、黄色のコンクリートで出来た建物だからか、余計に目立つ。
「ハーメス?ヘーメス?ヘルメス?」
そして、店の前に釣り下がっている看板を目にした美月は、そこに書いてある英単語に首を傾げる。
お店の名前はヘルメス。
神の名前を騙った店というところが、余計に怪しさを増長させている。
うわ、これ絶対詐欺店だろ…と言いたげな美月を見る限り、彼女もこの店を怪しいと思っているのだろう。
しかし、美月はその場からは引き返さず、そのまま店の前へと歩いていった。
詐欺店ならすぐに店から出れば良いだけだし、店の中を見るくらいなら何も問題はないはず。
外観はそこそこ良い感じのお店だったため、一応警戒しながらも、引き返すことはしなかった美月。
お店の前までたどり着いた彼女は、透明な窓ガラスから映ったお店の中を見て、目を輝かせた。
なんの迷いもなく、扉に手をかけて、ゆっくりと開く。
自動ドアではない店によくある、扉の上につけてあるベルが、開かれると同時に、その音を鳴らす。
「いらっしゃーい」
そのベルの音がなると同時に、あまりやる気のなさそうな声が店内に響く。
「…学生?」
店へ入ると、真正面に見えるレジカウンターに座っている男子。
髪の色は連太郎よりも薄い金髪で、緑色の瞳。
染めているよりは地毛といった感じで、日本支部の人間ではないというのは明らかだ。
そして年齢も、かなり若そうに見える。
悠馬と同じくらいの身長で、ヒゲも一切生えていないことから、学生バイトと思ってしまうほどだ。
美月が入ってきたことには気づいているようだが、彼女の方には目もくれず、必死に何かを細工している。
「おや、1人のお客さんだなんて、珍しい」
細工がひと段落ついたのか、それともちらっと見えた美月がそれほど珍しかったのか、細工を中断した男は、嬉しそうな笑顔を向けて立ち上がる。
オレンジ色の派手なエプロンを着て、下には襟付きのシャツを着ている。
「ここでバイトしてるんですか?」
素直な疑問。
異能島は、外国人の生徒がいるということ自体が珍しい島であって、第1ではアルカンジュとアダムの2人しか在学していない。
おそらくは別の高校の生徒なのだろうが、美月が気になったのは、なぜここでバイトをしているのか?ということだ。
第1から徒歩数分の距離。第2、第3などのその他の高校からはかなり離れているわけで、そこまでしてここでバイトをする必要性がまるでわからない。
胡散臭いし。
「あはは!よく言われるけど、こう見えても僕がここの店主なのさ!学生じゃないよ!」
「ええ!?そうなんですか?失礼なこと言ってすみませんでした」
目の前に立っている、若そうな金髪男子が、まさか学生じゃなくて店主だなんて思わなかった美月は、深々と頭を下げながら、謝罪をする。
「いいよいいよー、学生と思われるとこっちも嬉しいし!」
嬉しそうな笑顔を見せる、金髪の店主。
世の中には、2通りの人間が存在する。
若く見られて、俺が〇〇に見えるのか?とキレてくる輩と、素直に喜んでくれる人だ。
今、美月の目の前にいる男は、後者だったようだ。
「ところで君は、どうして1人で?」
「え…?」
美月の質問に答えた男から、次は美月に質問が飛んでくる。
自分に質問が飛んでくるとは思っていなかった美月は、数秒黙り込み、1人で来た理由を考えていた。
「いや、ほらさ。最近はこの店も結構噂になってて、冷やかしにくる女の子たくさんいるんだけどさぁ、1人でくる人って、珍しいの。だからどうしてかな〜?って思って!」
路地裏にある、怪しげな薬などを売っている雑貨店の噂。
その話を聞いた女子たちは、1人で店を訪れるのが不安だからか、大抵がグループで雑貨店へと足を運んでいた。
そしてその殆どは冷やかしで、買い物をしに来た客ではない。
「あー…そういうこと、ですね」
その言葉を聞いた美月は、つい先ほど、グループで話していたように、噂を聞いた女子が、1人じゃ不安だから複数で…というノリで訪れていることを悟る。
「私はみんなに知られたくないことがあるので。今日は1人で来ました」
他人になりたい。
自分じゃなくて、他の誰かになりたい。
そんな願望を密かに抱いている美月からすれば、詐欺であろうと、本当にそんな物が売っているのか、ということが気になっている。
そして、他人になりたいなどと考えているとは、仲のいいメンバーにも話せない。もちろん、悠馬にもだ。
誰にも話せないことだから、1人で来た。
それが美月だった。
「ふーん、何が欲しいの?」
「他人になる薬って、置いてあるんですか?」
珍しく1人で来たお客さん。
仲のいいグループで来た女子たちに、軽々しく話しかけると、「え、ナンパ?」「キモい」などと言われてしまう為、今まで我慢して来たのだろう。
彼女が話せる相手だと知るや否や、レジカウンターから身を乗り出して、食い入るように美月を見ている。
「他人になるっていう表現は間違ってるね。正確には、他人になるんじゃなくて、他人と入れ替わるだけ」
どっちも大して変わらない気もするが、専門家からしたら大きな違いなのだろう。
美月の疑問に対して、人差し指を立てながら流暢に話し始めた男。
「例えば俺が、君と入れ替わるためにその薬を飲む。すると、記憶は俺のままだけど、身体は君。記憶は君のままだけど、身体は俺。ってことになるわけ!」
「えぇ…」
それを聞いた美月は、ドン引きをしているご様子だった。
なにしろ、簡単にいうと、薬を飲みさえすれば、誰とでも入れ替われることになる。
そんなことが裏ではやってしまえば、中身が誰なのかもわからない、外見だけの人間と会話をしていることになるのだ。
外見は知っている人でも、中身は全く知らない人。
そんなことが日常的に起こってしまえば、異能島は大パニックだ。
「でも安心して。その薬、互いが心を許してないと発動しないから。お互いが、入れ替わりたいって思ってたり、この人になら全てを曝け出してもいいなって思ってないと、成功しない」
「あ、安心しました…」
美月の不安は、誰もが思うことなのだろう。
彼女が質問をする前に、予測された質問、不安要素を答えた男は、レジカウンターの裏にある、アンティーク調の引き出しから、小さな瓶に入った緑色の粉を取り出し、レジの上に置く。
「でも、そしたら薬の効果って、大半の人が現れないんじゃないですか?」
しかし、美月は不安が解消されると同時に、1つの疑問に辿り着いた。
もし仮に、入れ替わる薬を購入したとしても、心を許しあっていなければ発動しないならば、その薬は完全な無駄金になってしまう。
「うん。そういうもんだよ。相手の意思を関係なしに入れ替わる、なーんてのは神様が許さないから、ネ」
意味ありげにウィンクをした金髪の男は、レジの上に置いた瓶をくるくると回しながら、美月を観察するように、じっと見つめる。
「他に欲しいものとかあるの?」
「……過去の傷を治せる薬って、ありますか?」
美月がこの店へ訪れた、最大の理由。
身体の傷さえなくなれば、他人になりたいなどと思うこともない。
身体の傷さえなければ、過去のことを忘れられるはず。
他人と入れ替わるなんて薬があるのなら、過去の傷だって治せるはずだ。
そう考えた美月は、今日、雑貨店へと訪れたのだ。
「それは心の傷?少し和らげるくらいの薬ならあるけど」
「身体の傷です」
「それはないかなぁ…」
しかし、美月が考えていたほど、世の中は甘くなかった。
過去の傷が治せる薬などをないことを悟った美月は、男の答えを聞いて、少ししょんぼりとした表情を浮かべる。
「ごめんね、お役に立てそうになくて」
「い、いえ!私の願望だったんで!気にしないでください!」
そう、傷が治る薬なんて、あるとは聞いていなかった。
だからこれは、美月のあったらいいなという願いであって、店主に謝られるようなことではないのだ。
「それじゃあ、この薬だけください」
「はい、70,000円だよ」
気を取り直した美月は、店主の前まで歩いていくと、レジカウンターの上に乗せてある、瓶に入った薬を指差す。
「なな…」
想定外の金額。
冷静に考えてみれば、他人になるなんて薬がそこそこの値段で置いてあるはずもなく、学生の中でもほんの一部にしか手の届かない金額を設定されているはずだ。
それでも、3.4万円と思っていた美月からしてみれば、その倍の金額提示は驚きを隠せない。
「あはは!これいうとみんな怒って帰るんだけどね!そのくらいしないとさ!だって他人と入れ替わるんだよ?安くで売っていいものじゃあない!」
「…カードでいいですか?」
ケラケラと笑いながら話す店主を見ながら、財布の中からカードを取り出す美月。
彼女がカードの色は真っ黒で、普通の人が持つようなものじゃない、警視総監の娘だから持っているものといってもいいだろう。
「いぃや、お代はいらないよ。俺、君のこと気に入ったから!」
「え…?」
美月の瞳の奥の考えを見透かすような眼差しで、微笑みかけてきた店主。
その眼差しを目にした美月は、自分の過去に気づかれていそうな恐怖を感じながら、一歩後ずさった。
「はい、じゃあこれは、俺と君の、出会いの記念として。好きな人と入れ替われるといいね?」
「え、ちょっと!」
美月の胸ポケットに瓶を入れた店主は、後ずさった美月に近づくと、彼女の肩を掴み、180度回転させて店の外まで強引に押す。
「それじゃーね!」
「あ、ありがとうございます?」
急に店から追い出されたような感じになってしまった美月は、自分が何か粗相をしたのではないかと思いながらも、深々と頭を下げる。
「はいよ、気をつけて帰るんだよ」
一礼された店主は、去っていく美月を見送りがら、にっこりと笑っていた。
「おい、ヘルメス!お前また人界に降りてたのか?怒られるぞ!」
「ははっ、ヘパイストス、そりゃあお前もだろ?」
ヘルメスが美月を追い出した直後、レジカウンターの入り口から突如として現れた白毛の男が現れた。
その男を冷ややかな眼差しで見つめているヘルメスと呼ばれた男は、まるで邪魔をされたと言いたげな表情に見える。
「今日は何をしたんだ?」
「ん?いい女の子を見つけてね。俺、ああいう娘の結界になりたいなー、って!次来た時、契約お願いしようかな」
美月に興味を持ったのか、嬉しそうな話をする神、ヘルメス。
そんな話をしながら、彼は指をパチンと鳴らして見せた。
彼が指を鳴らすと同時に、店の外観は古びた建物へと変わっていく。
まるで最初から、雑貨店などなかったかのように、古びた建物が並ぶ路地裏。
そこには、人影も、雑貨店も存在などしていなかった。




