恐怖
時は数分前に遡り、碇谷と真里亞の後に出発した2人。
程よい距離感、というよりも、最早距離感しかない2人は、互いに道の端と端を歩いていた。
金髪の男子生徒はニヤニヤと笑いながら。
黒髪の女子生徒は、不機嫌そうに彼を睨みつけながら。
「ねぇねぇ加奈ちぃん。せっかく2人っきりなんだからさぁ〜、秘密のお話とかしたくな〜い?」
5メートルほど距離を開けながら、いつもの口調で話す連太郎の声からは、恐怖を微塵も感じられない。
「貴方と話すことなんてないわ。馴れ馴れしくしないで」
対する加奈も、恐怖は感じていないようだ。
真っ暗な夜道を2人で歩いているというのに、雰囲気は若干、ギスギスしたものとなっている。
冷たくあしらった加奈を見た連太郎は、つまらなさそうに頬を膨らますと、少しの間無言になる。
加奈は連太郎のことが嫌いだ。
加奈は教室で悠馬の隣の席ということもあり、休み時間には通や八神、連太郎に話しかけられる機会も多い。
彼女の連太郎のイメージというのは、おちゃらけていて、将来のことを何も考えていない。
自分と違って、明確な目的もなく、ただ無意味に時間を浪費しているように映る連太郎。
異能島に入学できたからといって調子に乗っている男子生徒のようにしか見えていなかった。
「えぇー、加奈ちぃん酷いなぁ…いつもそんな風にしてるからお友達増えないんじゃないの〜?」
連太郎の、こういうデリカシーのないところも嫌いだ。
他人のことなど何も知らないくせに、心の中にズカズカと上がり込んで来ようとする、この男が嫌いだ。
「私は貴方とは違って明確な目的を持ってこの島に来たの。友達を作る暇なんてない」
「へぇ?その目的って?それが終わったら、加奈ちんは美哉坂夕夏とお友達になれるのかな?」
「っ…!?」
突如として雰囲気が変わった連太郎。
つい先ほどまではいつものようにふざけた態度で話していたのに、今はなんとなく、尋問をしているような、そんな雰囲気に包まれている。
その違和感に気づいた加奈は、バッと連太郎の方を向いた。
「何が…言いたいの?」
それは加奈が、周りには知られたくなかったことだ。
絶対に知られてはならないことだ。
「いやさぁ、普通に考えたらわかるよネ。美哉坂さんと加奈ちんの中学校は、名門中の名門」
「お嬢様しか入学できない上に、高校はエスカレーター式のはずでしょ?それなのになんで、君らは異能島を目指したのかな〜?」
そう、加奈と夕夏が通っていた中学校はエスカレーター式で、本土にある高校の中でもトップを誇る高校への進学ができる。
そんな中学校に入学しておいて、何故、それを棒に振ってまで異能島への入学を目指したのか。
この行為は、自ら茨の道に入るようなものだ。
「関係ないって言ってるでしょ!」
「あはは。聞かれたくないことがあるんだ?何々?教えてよ?」
彼女は何かを隠している。
連太郎は、あることに気がついていた。
それは、彼女は夕夏のことを、友達だと思っていないということだ。
最初はただの、違和感だった。
本来、入学当初というのはクラス内でも、同じ中学校の生徒や、近所の中学校に通っていた生徒たちで固まるものだ。
見ず知らずの生徒たちに囲まれて生活することになるのだから、最初は身内で固まろうとするのが、人間としての本能だ。
それなのに加奈は、入学初日から、夕夏の元へは近づかなかった。
クラス内で夕夏が話題になっている時も、一切輪に入ろうとしない。
まるで、知らない女子生徒の話を聞いているような、そんな雰囲気だった。
その違和感が、確信へと変わったのは、連太郎が裏、つまりは自分の仕事柄状、手にしてしまった情報を見てしまったからだ。
「加奈ちん、負い目感じてるんじゃないの〜?」
「黙って!これ以上言うようなら力づくでも…!」
加奈の秘密を手にしている連太郎。
彼が何かを知っていることに勘付いた加奈は、連太郎の方を向いて構えると、容赦なく拳を振るおうとする。
「うわっ、ちょっとタンマ!いきなり暴力は良くないよ加奈ちん!そんなだから男子にも人気ないんだよ!」
「うるさい!私だって好きでこんなことしてるわけじゃないんだからっ!変な詮索はしないで!」
加奈の右ストレートを回避しながらまたしてもデリカシーのないことを言う連太郎。
加奈からしてみれば、またしても燃料を投下されたようなものだ。
加奈の心のメラメラと燃えあがった炎は、タンマという連太郎の言葉など、聞くはずもなかった。
「誰か!!!」
しかし加奈の怒りは、そこで治ることとなった。
いや、治めなければならない状態になったというべきか。
海沿いを歩いていた2人が、山へと入り込んでから数秒が経過した直後だった。
女子生徒の叫び声が聞こえると同時に、木々が倒れるような、何かが激突しているような、大きな音が響き渡る。
「うるさいなー!」
徐々に近づいてくる、その大きな音を聞いた連太郎は、不機嫌そうに異能を発動させると、植物の蔓でネットのようなものを作り、飛んで来たものを受け止めた。
「ビビって何投げてきたん…」
その時の連太郎は、前を行っていたペアが、ビビって異能を使ったか、何かをしでかした。そんな甘い認識だった。
しかし、蔓が受け止めていたものが目に入った連太郎は、言葉を詰まらせると、いつになく真剣な表情へと変わる。
「っ…何が起きたの?」
蔓のネットの中で倒れ込んでいる、男子生徒。
吹き飛んできたのは、人間だったのだ。
服はボロボロで、頭からは血を流しているし、腕は変な方向を向いている。生きているのかも怪しいところだ。
その光景を目にした加奈も、只事ではないと判断したのか、連太郎に向けていた敵意を抑えると、彼が吹き飛んできた方向を見た。
一体、どれほどの威力で吹き飛ばされれば、大木を何本もへし折ることができるのか。
目の前に広がる、折れた大木と、抉れた木の痕跡を目にした加奈は、息を呑む。
「っ…ぐぅぅ…」
「へい碇谷。何があった?」
蔓に受け止められていた碇谷が、痛みの影響でか声を上げたことにより、連太郎は彼に向かって尋ねる。
「わかんねぇ…ただ、赤黒い人形の何かがいて…触ったら…」
折れているであろう右腕を抑えながら話す碇谷。
本来ならば、即死していてもおかしくないほどの攻撃を食らっているようにも見えた。
なにしろ、大木を何本もへし折りながら飛んできたのだ。
通常の人体では耐えれるわけがない。
しかし碇谷は、ビビってこっそりと異能を使っていたということもあり、幸いなことに骨が折れる程度で済んだのだ。
「そか。ペアの女子は?」
「っ…行かねぇと…」
何者かからの攻撃を受けたと判断した連太郎は、ペアになっていたはずの女子生徒の安否を確認する。
「加奈ちん、悪いけど碇谷を背負って今来た道戻ってくんね?」
「あ…あなた正気!?1人で行くのは危険すぎるわよ!3人で引き返すべきだと思う」
人間を軽く吹き飛ばすような得体の知れない存在に、1人で向かわせるわけにはいかない。
好き、嫌いという感情ではなく、命を第一優先に考えている加奈からすれば、当然の判断だ。
今は撤退をして、教師陣への報告をするのが最優先事項だろう。
「その間に、前を歩いてた生徒たちに被害が出てたら?もしかすると、前を歩いていた生徒たちは、みんなやられてるかも知れない。なら次は、こっちに向かって来るとは思わない?」
相手がどれだけの速さかはわからないが、重症人を抱えて逃げる、というのは、追いつかれる危険性と孕んでいる。
遠回しに時間稼ぎをすると言っている連太郎の方を見た加奈は、怒ったように彼を睨みつけた。
「それでも。貴方が1人で上へ行くより生存の可能性が高いと思うんだけど」
「加奈ちん酷いなぁ!辛辣すぎて泣けてきちゃうよ。けど可能性の話なら、安心しなよ。心強い助っ人も現れたようだしさ」
チラッと背後を見た連太郎は、嬉しそうにニヤつくと、後続を歩いていた2人のペアを目にして、会釈をして見せた。
「加奈!?」
「クク…変な音がしたと思えば…上では何か起こってんのか?」
連太郎と加奈の背後から現れたのは、夕夏と南雲のペアだった。
碇谷の肩を持っている加奈と、異能を発動させている連太郎を目にした夕夏は、驚きが隠せないといった表情で、加奈へと駆け寄る。
「はいじゃあ、南雲、悪いけど俺と一緒に山登りでもしようか?」
「そうだな…オイ、美哉坂と赤坂。お前らは碇谷背負って、後続の避難指示。そして教員たちに報告しろ」
野郎2人で肝試し。
もはや肝試しと呼べる状況かは疑わしいのだが、連太郎の申し出をすんなりと受け入れた南雲は、加奈と夕夏の2人に指示を出す。
「っ…それなら1番レベルの高い私が…」
「クク、美哉坂。冷静に考えろ。お前の異能じゃ山火事になるだろ。それじゃあ救えるものも救えなくなる」
夕夏の異能は、炎、というイメージが定着しつつある。
基本的に夕夏が使うのは炎の異能のため、大半の生徒がそう思っているのだろう。
レベル10の炎ともなると、山火事は簡単に引き起こせる。
そんなことは一般常識な為、南雲は夕夏を逃がす、という方針をとったのだ。
「わかった。2人とも、気をつけてね。行こう、加奈」
「え?ええ…」
意識も飛びかけの碇谷を両肩から背負った加奈と夕夏は、なるべく変な方向を向いている右手に触れないよう、慎重に歩き始める。
「オイ、紅桜。アレが凡人に出来ると思うか?」
「いいや。無理だろうな」
アレ、というのは、碇谷のことを指しているのだろう。
ボロボロになった姿を確認した南雲は、それが同レベル、つまりはレベル8や9が簡単に起こせるようなものではないことを、連太郎にも確認する。
「…じゃあお前は、この状況をどう考える?」
「そだなー…俺が知ってる中で、こんな格の違いを見せつけられるのは1人いるんだけどなぁ…けどそいつ、俺らより後続だし、なにより碇谷に攻撃をする動機が無いと思うんだよ」
レベルがかなり高い生徒の仕業ではあるが、誰の仕業なのかはわからない。
そんな奇妙な出来事を目の当たりにしながらも、怯えた気配を一切感じさせない2人は、変わらぬペースで山道を走る
「碇谷のペアって誰?」
「真里亞だ。アイツはレベルも碇谷よりは高えから、大事には至っていないと思うが」
だからと言って、安心できるわけではないのだが、気休め程度にそう告げた南雲は、走るペースをほんの少しだけ早める。
「おい!そんなに慌てて走って遭遇直後にバテたりすんなよ!」
「クク…この程度でバテねえよ」
***
「ふ…ふふふ…はははは!」
遂にやった。遂に俺はこの領域に至ったんだ!
昨晩、霜野から謎の注射器を手に入れた神宮は、復讐したい相手が自身よりも後続に揃っていることに気づき、その注射器を使用した。
身体は見るに耐えない異形の化け物へと変貌を遂げてしまったが、そんなことは、今の神宮にとっては些細なことだ。
自分のレベルが格段に上昇した。
南雲に付いて回っていた金魚のフンを、軽く殴った程度で、おもちゃのように吹き飛ばせた。
圧倒的な力を手にした神宮は、気絶しているアルカンジュと、木の陰へと隠れた真里亞のことなど眼中にない様子で高笑いを続ける。
身体は使徒のようになってしまったが、人格はまだ神宮のままの、その異形の化け物は、月夜に煌めく赤黒い瞳で、森の中を見渡す。
「南雲…南雲!殺してやる!この力でアイツを!」
入学直後、圧倒的な力でねじ伏せてきた南雲を、次はこの力を使ってねじ伏せてやる。
俺を振った美哉坂を、ボコボコにして、泣いて謝っても許してやらねえ。
調子に乗っていた暁を、半殺しにして、海へと放り投げるのも面白い。
新たな力を手に入れたことにより、様々な復讐内容が頭に浮かぶ神宮は、正に天にも昇る心地だった。
テンションも、気持ちも最高地点へと到達している神宮は、変わり果てた図体を動かし、山を下ろうとする。
神宮が大きな一歩を踏み出すと、木々が軋むような、そんな音が響く。
「なんだぁ?」
その奇妙な音が耳に響いた神宮は、山道の下の方から、猛スピードで迫る巨大な何かを目にして、動きを止めた。
直後、神宮の赤黒い肌に、巨大な樹木が突っ込んできた。
「ははは!この程度!痛くもかゆくもないな!」
その巨大な樹木を受け止めた神宮。
数メートルほどノックバックはしているものの、ロクにダメージを受けていない様子の神宮は、大声で笑って見せると、迫る複数の影を見て、笑みを浮かべた。
「ははは!南雲だ!死ね!南雲!お前だけは俺の手で消してやるよ!」
「クク…ますます気持ちの悪い見た目になって、声まで気持ち悪くなっちまったのか神宮。そこまでして力が欲しかったのか?」
月明かりに照らされる、走っている南雲。
しかし、走っているのは2人だけじゃない。
こんな光景、見ず知らずの人が夜に目にして仕舞えば卒倒してしまうことだろう。
十数の影がすべて、月明かりに照らされると、その全てが赤い髪で、南雲と全く同じ体格。全く同じ表情だということが判明する。
「南雲をいっぱい殺せるなんて、最高じゃねえか!」
十数人の南雲を目にした神宮は、近づいてきた南雲から順に拳を振り下ろすと、加減など知らないのか、容赦なく吹き飛ばす。
しかし、大きな図体ということもあってか、複数方向からの攻撃に対処が遅れる神宮は、何度か南雲の攻撃を食らうこととなった。
南雲の異能は、自身を複製することだ。
人格は術者本人とほぼ同じで、単調な会話と、指示された行動しかとれない。加えて複製がダメージを負えば、その複製へと与えた体力に応じたダメージを負う。
そんな大したことのない異能だが、彼の異能は、結界を使うことによってさらに凶悪なものへと変化していた。
彼の結界、契約神は摩利支天。
その契約を最大限に利用した南雲の異能は、分身体が負ったダメージはなかったことにされ、分身体が消滅するのみ。
そして、分身体をさらに分身させる事が可能となり、その分身体が作った分身には、本体の体力の消費は必要ないという事だ。
つまり今の南雲は、10の体力で、数百の体力分の分身を作る事が可能になっているのだ。
キリがないほど分身する南雲。その光景は正に、無限増殖だ。
「うっわ、ゴキブリみてえ〜」
自身の味方のはずの、南雲の異能を馬鹿にした連太郎は、勝負がついたと判断したのか、そんな言葉を口にした。
これからは南雲のターンだ。




