目覚めは突然に
「おはよう」
「悠馬…眠りすぎよ…」
集中治療室の中、少し窶れた様子の悠馬は、もう動けるのか状態を起こし、花蓮とオリヴィア、そして黒咲の方を向いていた。
医者はそんな奇妙な光景に、ただただ、立ち尽くすことしかできなかった。
泣き付く花蓮を太ももに乗せ、優しく頭を撫でている彼の姿は、先ほどまでいつ死ぬかわからない状態だったとは、到底思えない。
そもそも心臓が壊れていたはずなのに、どうしてケロッとしているのかも、理解できない。
医者は自分の頬を引っ張りながら、集中治療室を後にした。
「きっと私も疲れとるんだ…」
集中治療室から医者もいなくなり、室内には4人だけが取り残される形になった。
黒咲は目覚めた悠馬のオーラが、一先ず自分の知る暁悠馬だと悟ると、ほっと胸を撫で下ろし、壁に背中を預ける。
「…ごめんね、心配かけたね」
「ううん…私の方こそごめん…」
花蓮は泣きながら悠馬に顔を擦り付ける。
しかし彼女は、怒ることができない。
なぜなら、これは花蓮の選んだ選択肢でもあったからだ。
ルクスを救いたいという花蓮の気持ちを汲んだ結果、悠馬がそのツケを払うこととなった。
そしてその結果、花蓮は深い後悔に苛まれることとなったが、自分の選択を否定すれば、同時にルクスを否定することになる。
悠馬が無傷で助かるには、ルクスを助けなければ良かったという結論に至るわけで、真面目で正義感の強い花蓮は、矛盾に気が狂いそうなほど苛まれたはずだ。
悠馬は花蓮の苦しみに気づいているからか、ポンポンと頭を叩いて、頬をつねった。
「いひゃい…悠馬…」
「その様子だと、全部うまくいったみたいだね」
「…ええ。ルクスもさっき目覚めたわ」
「そっか。よかった」
悠馬はそう言って、軽く微笑んだ。
まず最初に、混沌が悠馬によって倒された、その後の話からするとしよう。
混沌が撃破された後、異能島内には黒咲と同タイミングで到着した総帥、冠位たちが、使徒殲滅作戦に移行していた。
彼が土塊から作った使徒たちは、主人が死んでもなお勝手に動き続け、結果総帥たちに処分されてしまったわけだ。
元々使徒自体はレベルもそこまで高くなかったため、異能島の学生たちでも、異能を使えば対処できたことだろう。
だから今回の戦いは、異能島の学生から誰1人として死者や行方不明者を出さずに幕を閉じた。
中には骨折をした学生や切り傷を負った学生もいたようだが、大半は使徒に連れ去られそうになって抵抗した擦り傷や打撲などで済んでいる。
結果だけ見れば、あの混沌を相手にして死者が出ていないのだから、百点満点と言ってもいい。
悠馬は花蓮の泣き顔を見て、ほかに重大な事態が起こっていないことを悟ると、オリヴィアを見て微笑んだ。
「おはよ、オリヴィア」
「寝すぎだ。心配したんだぞ…」
「悪いな」
オリヴィアは目尻に涙を溜めながらも、悠馬に抱きつきたい気持ちを堪え、いつものように振る舞う。
凛々しく振る舞おうとするオリヴィアを見てフッと笑った悠馬は、花蓮を撫でる手を止めると、オリヴィアの手を掴んで、手の甲を優しく撫でた。
「オリヴィアの身体は大丈夫か?」
「ああ。私は1日検査入院で終わった。君とルクス…そして南雲?だったか?彼以外は、大抵私と似たり寄ったりで退院してるはずだ」
「南雲?」
花蓮が離れ、携帯端末を手にしているのを横目に、悠馬は自分が眠っている間に入院していたという意外な人物の名前を聞いて驚く。
南雲と言えば、Bクラスのリーダーとも言える南雲だ。
あの日、混沌を前にして南雲と遭遇した覚えはないが、南雲も南雲で何かあったのだろうか?
「南雲颯太が怠惰と交戦し、手と耳を切断されて入院してる。お前ほど重症じゃないし、もうくっついてるから安心しろ」
悠馬が首を傾げていると、黒咲は壁に寄りかかったまま、片目を閉じて補足をする。
南雲は怠惰との戦いにおいて、悠馬の次くらいの重傷を負って入院したが、なんとか治療は成功し、後遺症は患っていない。
お前は他人の心配よりも自分の心配をしろと言いたげな黒咲は、廊下から微かに聞こえてきた足音を聞いて、悠馬に背を向けた。
「お前が起きたなら、俺は帰る」
「ああ。お前のおかげで助かった。ありがとな」
「礼はイギリス支部総帥に言ったほうがいい。俺はあの人が居なかったら無力だった」
悠馬がお礼を言うと、黒咲はそれを受け取るつもりがないのか、扉に手をかけたまま、振り返らずにそう発言した。
ソフィアが何かしたのだろうか?
病室から去っていく黒咲を眺めていると、外からは走っているような足音が複数聞こえてきて、思わず苦笑いを浮かべてしまう。
「悠馬くん!」
「悠馬さん」
「悠馬!」
黒咲が開いた扉が閉じる寸前、ガバッと伸びてきた手が扉を掴み、勢いよく開かれる。
扉の先には、大きく息を切らす3人の少女の姿と、車椅子で引っ張られてきたであろう、疲れ果てたルクスの姿があった。
おそらく目覚めて間もないのに車椅子を高速で動かされ、酔っているのだろう。今すぐ吐きそうなルクスの表情を見ていると、笑いがこみ上げてくる。
「ルクス…ゲロ?」
「うぷっ…」
悠馬が訊ねると、ルクスは口元を押さえ、顔を青くした。
やはり、3人の車椅子危険走行でかなり酔っていたようだ。
マーライオンのように、勢いよく吐瀉物を吐き出したルクスを見た悠馬は、驚くこともなく、肩を震わせながら笑った。
「わー!ルクスが吐いた!」
***
「…ごめんね、目覚めて早々に汚いものを見せてしまって」
「ん?別にいいよ」
かなり痩せているルクスは、夕夏に車椅子を握られながら、頭を下げて謝罪をする。ルクスも3週間眠ってたから、出てきたのは胃液と水だけだし、なんら問題ない。
ルクスがゲロったものを掃除し終わる頃には、悠馬の恋人たちは全員集結していた。
もちろん、ソフィアも。
ソフィアは殲滅作戦に移行してから3週間近く、イギリス支部には帰らず、日本支部の異能島のセントラルタワーを使わせてもらって総帥業務をしていたらしい。
悠馬が目覚めるまでは、きちんと仕事をするから絶対に離れたくないと、アメリアや寺坂にお願いをして、日本支部に留まっていたのだ。
ルクスの謝罪を受け流しながら、膝の上に顔を擦り付けるソフィアの頭を撫でる悠馬は、いつも通りの和やかな表情だ。
そんな悠馬を見て、セレスは不安そうに一歩を踏み出した。
「悠馬さま、お身体は本当に大丈夫なのですか?」
それが1番の不安。
悠馬がみんなの不安を払拭するために、無理をしていつも通りに振る舞っているんじゃないかと考えるセレスは、無理だけはしてほしくないようで悠馬に尋ねる。
「元々、眠ってたのは反動と欠乏症だと思うから…今はまだ少しだるいけど、あと少しすればいつもどおりになると思う」
悠馬が3週間も眠り続けていた理由は、心臓が壊れていたからでも、クラミツハと人格が完全に融合したからでもない。
医者は今も悠馬の心臓が壊れているような口ぶりだったが、悠馬の検査をしたのは、黒咲が悠馬を運び込んだ直後であって、今日まで欠かさず検査をしていたわけじゃない。
つまり医者は、初日に悠馬の検査を終えて、自然治癒の余地も治療の余地もないから、何度も検査をする必要がないと言う見解を示したのだ。
たしかに、悠馬の心臓は運び込まれた直後は破裂していたかもしれないが、その後はシヴァの再生の恩恵で、徐々に治療が進んでいた。
だから実際のところ、体力さえあれば悠馬はすぐに目覚めるはずだった。
それを妨げたのは、シャドウ・レイの大きな反動だ。
悠馬は1発目のシャドウ・レイを放った時点で、すでに体力がゼロになっていた。
しかし人間は不思議なもので、お腹が空いていても、なぜかお腹がいっぱいと感じる時があるように、悠馬は体力がまだあるのだと錯覚して、シャドウ・レイを何度も放った。
結果、欠乏症に陥り昏睡状態になり、まともに回復するまでに3週間かかったと言うわけだ。
「悠馬先輩」
「どした?愛菜」
悠馬が大丈夫だと話すと、愛菜は子供のようにセレスにしがみついて悠馬へと顔を見せる。
「…?」
もじもじとした様子の愛菜は、悠馬が反応しても中々話を切り出さない。
一体どうしたんだろうか?
体の調子は悪そうじゃないし、オリヴィアが言っていた話によれば重症を負ったわけでもなさそうだ。
もじもじとしている愛菜は、セレスに優しく背中を押されると、足を一歩踏み出してソフィアの横に座った。
「わ、私も撫でてほしいです…!」
「なんだ、そんなことか。いいよ」
てっきり何か都合の悪いことでも起こっていたのかと思って、身構えてしまった。
子供っぽいと言うか、愛菜らしいお願いを聞いた悠馬は、彼女の願い通りに頭を撫でる。
「悠馬〜、私もまだ足りないな〜」
「ソフィアさん、甘えすぎですよ」
「え〜…朱理ん、だって…」
愛菜に対抗するように、猫の戯れたような声で何度も撫でてもらおうとするソフィアに、朱理のイエローカードが入る。
普通、撫でてもらうのは順番だろう。
まぁ、正確には撫でてもらわなくてもいいのだが、3週間も彼氏が眠り続けていたのだから、それぞれに募る話もある。
悠馬が眠っている間の出来事から、撫でられたい、手を繋ぎたい、キスをしたいなどなど。
みんなそれぞれ、悠馬が目覚めたことにより色々してもらいたいため、順番待ちのような状況だ。
朱理のツッコミを聞いて、室内には笑顔が戻った。それはいつも通りの彼女たちの表情で、彼女たちの笑いに釣られ、ルクスも微笑んだ。
それは屈託のない笑顔で、不自然さを一切感じさせない、無邪気な微笑みだった。
「あ、ルクスが笑った!」
「本当だ!」
兎にも角にも、悠馬は2度目の混沌撃破に成功し、今度こそ、平和な日常が訪れたはずだ。
残すところは悠馬が取り込んでしまった7割の物語能力や、クラミツハがどうなったのかだが、その辺の問題は追々…今彼らが、ここで気にするような話ではない。
***
「クソ…クソ…なんでこんな醜い身体に…」
痩せ細り、小汚い老人の格好をした男は、ボソボソと呟きながら路地を歩いていた。
「すべてはあの体がいけないんだ…さすが暁悠馬の友人…あれほどの抵抗力を持っていたとは…」
路地裏を歩くこのおじさん。…いや、この男は、3週間前に変態紳士3人組に成す術なく敗北した、大罪異能の持ち主である色欲だ。
彼は元々、聖魔や他の大罪異能の持ち主と違い、肉体が限界を迎えていたため、こうして寄生して生きていくしかないのだ。
そして彼の元となるものこそが、この指輪。
老人が付けている、少し高級そうな指輪の中に住み、装着者の身体に寄生して奪い取ることで数百年延命し続けた彼の運も、ここに来て終わりを迎えつつある。
異能島のショッピングモールにて捨てられた色欲の指輪は、清掃員に拾われ、ゴミ箱に捨てられ、本土の焼却施設にて、浮浪者であるこの体の持ち主に拾われた。
背に腹は変えられないと考えた色欲は、この老人に寄生したわけだが、この老人のレベルはたったの2しかなく、体の節々は限界を迎えているし、もう色欲としての力をまともに使うことすらできない。
しかも色欲が寄生に成功した頃には、混沌のオーラは完全に消え、彼の夢が実現することもなく、失敗に終わったのだと言うどうしようもない現実を突きつけられることとなった。
自分の寄生した肉体も限界で、自分の主人も完全に死んだ。
他の大罪異能の持ち主たちも死んでいることを悟った色欲は、路地裏のブロック塀を叩き、舌打ちをした。
「私がルクス・アーデライト・夜空の身体に寄生できれば…」
「おそらく微かに残っている物語能力を利用して、少なくとも今よりまともな人生を送れるだろう」
「そうだ…!私は死にたくない!……!?」
ごく自然に聞こえてきた声、自分の脳内を見透かしたような声に返事をした色欲は、寒気のようなものを感じて振り返る。
「なぜ…お前がここに…」
「はーぁい。初めましてだよね、色欲くん。悪いけど、ここで死んでもらうよ」
振り返った先に立っていたのは、絶望と言う名の2文字。
おちゃらけたように手をひらひらと動かし、私服姿で背後に立っていた男は、片腕を失った現異能王のエスカだった。
エスカがニッコリと笑みを浮かべると、色欲は大きく目を見開き、彼に背を向けて走り始める。
「なんで!どうしてこんな時に限ってあの男がいる…!?」
今の身体では、色欲の大罪異能を使ってもレベル10程度が限界だ。
しかもこの身体でレベル10の火力を使えば、反動で身体が四散し、指輪ごと吹き飛ぶかもしれない。
最悪の体で、最悪な相手に出会ってしまった色欲は、叫びながら逃げ惑う。
「チクショウ…!チクショウ!」
その日、路地裏では夥しい血痕と、砕け散った銀色の破片のみが見つかり、警察当局は今日もそれを事件として捜索している。




