数多の願いの先にあるキセキ
「ぁ…」
オリヴィアは首元に届いた冷たい何かを感じ、自分が死ぬのだと悟った。
それはあまりに実感のないことで、オリヴィア・ハイツヘルムという少女は、走馬灯が過ったわけでも、死にたくないと感じたわけでもなく、ただただ真っ暗な崖下に突き落とされるような感覚のまま瞳を閉じる。
これまでの短い生涯で、たくさんの過ちを犯してきたが、彼女は暁悠馬という少年に出会うことで救われた。
戦神として敵国の軍人を無慈悲に虐殺し、苦しんでいた彼女は、悠馬と出会うことで苦しみから逃れることに成功した。
だからもう、怖いものなどない。
彼がいてくれるのなら、彼が生きてくれるのなら大丈夫だ。
そう思い瞳を閉じたが、首元に届いた冷たい何かは一向にオリヴィアの首を切り落とすことはなく、それはオリヴィアの体温の影響なのか、徐々に首元に届いているのかすらわからなくなる。
混沌は剣を振り下ろした瞬間…オリヴィアの首元に剣が届いた瞬間、自身が持っていた歪に歪んだ剣が消滅していることに気付いた。
オリヴィアの首元には擦り傷すら付いておらず、勢いよく振り過ぎて剣をすっぽかした可能性も低い。
混沌は瞳を閉じるオリヴィアのことなど無視して、周囲をキョロキョロと見回した。
「2度あることは3度あるってか?」
「3度目の正直だ。俺が殺してやるよ」
「おいおい…ここは同窓会かなんかか?」
周囲を見渡した後、ある一定の方角を見据える混沌の視線の先には、黒髪黒目の少年、黒咲律と、黒髪にレッドパープルの瞳の、暁悠馬が立っていた。
「なんか変なオーラを感じ取ったから、島に到着して最短ルートでここに来ただけだ。別にお前に会いたかったわけじゃない」
黒咲は同窓会という単語が不満だったのか、お前に会いたかったわけじゃないと明言する。
この面子は、半年前、タルタロスで殺し合いをしたメンツでもある。
懐かしい顔を2つ同時に目にした混沌は、勘弁してくれと言わんばかりに額に手を当て、深いため息を吐く。
「暁、あれは殺していいやつなのか?…オーラは明らかに混沌なのに、なぜあんなにも外見が違う?」
「この島にいる美少女の身体を乗っ取って復活したのよ。アイツ。だから身体はあまり傷つけないようにね?」
「…お前も知らない間にオネエになったんだな…」
悠馬の説明、口調を聞いて、黒咲はドン引きする。
悠馬は現在、クラミツハと同化…というかクラミツハがメイン人格になりつつある為、口調がクラミツハになってきている。
イケメンがオネエになるという目の前の混沌よりも由々しき事態に直面する黒咲は、悠馬が手にする蒼の聖剣を目にして指をさす。
「どうするつもりだ?策があるんだろ?」
「…ええ。あるにはあるけど、もう体力が残ってないから一発勝負になる。…それと、アレの懐に入る必要がある」
「…なるほど。その一撃がラストになるから、隙を作ればいいんだな」
「隙なんてものじゃないわ。…見ての通り、私の身体はもうボロボロ。走るのもやっとなのに対して、混沌は肉体を改造してるから、超スピードで動く」
「厳しいな」
黒咲は崩壊の異能しか持っていない上に、悠馬はシャドウ・レイ1発分の体力しか残っておらず、鳴神を纏うことすらできない。
つまり、鳴神と同程度の速度で動ける改造人間を、生身の人間が相手しなければならないのだ。
しかも殺すのはNGで、懐に潜らなければならない。
控えめに言って、要求がクソだ。
しかし黒咲は、クラミツハの提案を聞いても愚痴を言わずに、漆黒のオーラを放ちはじめた。
「…セラフ化」
『!?』
黒咲の発した単語に、クラミツハも混沌も、驚いたように目を見開く。
彼は明らかに、未だその領域には至っていない。
精神的にはまだまだ未熟で幼稚で、崩壊を確実に使いこなせているわけでもないし、何より異能を極めていない。
天才が何十年も修練をして、死ぬ前にようやくその領域に至るかどうかだと囁かれるセラフ化を、器を成していない黒咲が使ったのだ。
「大丈夫だ。コツは聞いてるし、お前が命を賭けて戦ってるんだ。俺はそれを笑わない」
漆黒のオーラに纏われながら、冷静に話す黒咲の表情には、以前のような慢心にも似た我儘さは一切感じられない。
どういう心境の変化なのか、以前ならば混沌は1人で倒すなんて言っていたのに、今回はまるで別人だ。
強欲に一度プライドも何もかもへし折られた黒咲は、不完全なセラフの領域へと至り、本来辿り着けるはずのない領域に足を踏み入れた。
「マズいな…セカイを…」
崩壊の異能は、混沌の知り得る領域を超越している。
どういう原理で、どういう方法で崩壊という異能が完成したのかはわからないが、セラフの領域にたどり着いている以上、今の黒咲律という少年は悠馬よりも危険だ。
何より、セラフという次元にたどり着いている為、方陣を崩壊させる可能性すらある。
方陣を丸ごと崩壊され、セカイの器を無かったことにされたくない混沌は、オリヴィアから足を除けると同時に、方陣のある方角へと向かう。
「暁。俺が可能な限り奴を釘付けにするから、お前は行ける時に決めろ」
「ええ…助かるわ。少し待ってて。オリヴィア」
今はオリヴィアの治療に割けるだけの体力がない。
それに身体がズタボロだから、彼女を安全な場所まで運ぶことは不可能だ。
徐々にレッドパープルだった瞳すらも綺麗な黒色に変わっていく悠馬…いや、クラミツハは、蒼の聖剣を構えると、瞳を閉じて集中する。
「どこに逃げるんだ?」
「るせぇなイレギュラー。テメェらのせいで予定が台無しだ」
「お前の予定を台無しにできたなら俺は嬉しい」
「お前友達いないだろ」
猛スピードで方陣へと駆ける混沌の足元を崩壊させながら追いかける黒咲は、慣れた様子で崩壊を進め、混沌の進路を妨害する。
「なんだ?お前セラフ化使ってんのに単アビの雑魚かよ?」
「俺の異能は量より質だからな。お前とは違う」
「クソガキ…ぶっ殺してやりてえな」
黒咲の発言は暗に、混沌は質の悪い異能をたくさん持っているが、自分は質の良い異能1つで十分だと挑発しているようにも取れる。
まぁ、実際そうだ。
何をするにしろ、質の悪いものをたくさん持っているやつよりも、質の良いものをひとつ持っている人の方が優遇されたりするし、結局社会で求められるのは質の良さだ。
そんな黒咲の挑発に苛立ちを隠せない混沌は、方陣の中へと飛び込むと、光り輝くセカイを手にして地面に転がった。
「勝った…!俺の勝ちだ…セカイは完成している!」
「なんだ?その玉を崩壊させればいいのか?」
「黒咲!あれを取り込ませないで!混沌がアレを取り込んだら、私たちの負けよ!」
「!?そういうことは先に言えよ」
進路を妨害し、注意を逸らして動きを止めるだけでいいと思っていた黒咲は、クラミツハの声を聞いて崩壊の焦点をセカイへと移す。
「お前の負けだ。混沌」
セカイに焦点を合わせた黒咲の崩壊は、混沌が体内にセカイを取り込もうとするのと同時に発動した。
崩壊の異能は、黒咲が狙った対象のみを、視認するだけで崩壊させることができる。
事前に触れることも、リアルタイムで触れることもなく何もかも崩壊させることができる黒咲の異能は、彼の勝利宣言と共に、バチッと弾けた。
まるで稲妻が迸ったような電撃と共に、方陣が赤く光り黒咲の異能を強引に弾く。
「っ…!」
黒咲ははじめての経験に、慌てて2度目の崩壊を発動させた。
次の対象は、セカイではなく方陣へ。
方陣がなんらかの作用で崩壊を阻害しているのだと直感的に判断した黒咲は、崩壊を放つと同時に砕け散った方陣を見て、続いて混沌の手にするセカイへと焦点を定めようとした。
しかしすでに、混沌の手にはセカイはなく、彼の頭上には、セラフの輪が存在していた。
「ならそっちを…」
セカイが崩壊させれないなら、天使の輪を崩壊させる。
いい加減な推論ではあるが、体の一部として天使の輪が存在している以上、セラフのエネルギーの大半は天使の輪に凝縮されているはずだ。
黒咲が天使の輪に焦点を合わせると、混沌は嘲り笑うような笑顔を浮かべ、手を伸ばした。
「もう遅い」
そう呟くと同時に、地が裂けた。
まるで地割れが起こったように、黒咲の足元には巨大なひび割れが起き、黒咲は咄嗟に折れかけの鉄骨を掴んで回避する。
「お疲れ様。これで俺は、ようやく…300年の悲願を達成することができた」
「黒咲!」
「わかってる!」
混沌が神格を得た。
その時点で悠馬と黒咲…この世界に生きている人々の敗北は決定していたのかもしれない。
しかしここに辿り着くまでの過程において、300年前から紡がれていた数多の願いの中で、さまざまなイレギュラーが発生していた。
まずは混沌が300年前に、大罪異能として自身の物語能力を7つ付与していたこと。強欲と傲慢以外はすでに亡き者となり、混沌の元に力が戻ってきているが、2人の力は未回収。
つまり彼の保有していた4割の物語能力は不完全状態であるということ。
そして初代異能王、エルドラが命懸けで今日まで繋げた、混沌を別次元に幽閉した力。
混沌はルクスと悠馬の極夜と白夜、ティナと死神の激突でこの世界の歪みを利用して戻ってきたわけだが、全ての力を保有したまま戻ってきたわけではなく、彼の残りの力はまだ、次元の狭間に残っているということ。
3つ目はタルタロスで敗北した混沌は、一度完全に物語能力を手放し、今日この日、不完全な状態で他人を乗っ取り復活した挙句、物語能力を全て集めるのではなく、悠馬の力を奪ってセカイを完成させたこと。
さまざまな人間が関わり、繋ぎ、紡いだ想いが今合わさり、奇跡という必然の形になって、大幅なイレギュラーを発生させてしまった。
本来ならば、この時点で混沌という存在は、神格を得ることができたはずだった。
しかし彼はさまざまな不確定な要因が影響し、現在、神として認められず神格を得るまでに時間がかかっている。
まぁ、当然の結果だ。
混沌は自分の体ではなくルクスを使っているわけだし、性別だって違う。
そもそもルクス・アーデライト・夜空という少女と物語能力、並びにセカイの相性は極めて悪く、いくら混沌の血を引いていると言えど、すぐに馴染むものではない。
だが混沌は、そんなことには気付いていない。
そりゃそうだ。彼は悪神の操り人形で、重要なことは聞かされていないのだから。
黒咲はただなんとなく、彼が別の次元に至っていないことを悟った。
強欲の時のような、崩壊が作動しない雰囲気は微塵も感じられないし、今崩壊を使っても確実に混沌に当たるという確信があった。
徐々に変化を遂げる混沌は、軍服の背中から純白の翼を生やし、悠馬と黒咲を見下ろす。
「どうだ?この圧倒的な力を見ろ!」
「行け。暁。崩壊」
「!?」
混沌の話を無視して、放たれた一撃。
翼を用いて空を跳ぼうとしていた混沌は、自身の翼が跡形もなく崩壊していることに気づき、大きく目を見開く。
「な…」
「サヨナラ。混沌。アイツによろしくね?」
黒咲が崩壊を発動させると同時に走り始めていたクラミツハは、混沌の懐へ入り込むと同時に体内に溜め込んでいた全ての体力を放出した。
瞬間、世界はモノクロに染まり、音は消え去り、静寂に包まれた。
光と闇の閃光だけがこの島を、世界を照らし、飲み込んでいく。
「こんなところで…」
混沌はクラミツハの放つとシャドウ・レイを前にして、再び自身の目の前に死があることを直感した。
300年間も次元の狭間で耐え抜いたのに、ようやくこの世界に戻ってきたのに、待っているのは2度の死のみ。
何かを残せたわけでも、何かを成し遂げたわけでもない混沌は、咄嗟にこの身体に…つまりルクスの身体にもっとも慣れ親しんだ、闇の異能を使ってシャドウ・レイに抵抗しようとした。
天使の輪が黒く染まり、混沌の身体には闇が纏わり付く。
「まだ終わらねえよ。俺は」
「使ったね。ボクの異能を」
シャドウ・レイに闇をぶつければ、聖は呑み込まれ、極夜に変貌するはず。
そう思い闇の異能を放とうとした矢先、混沌の闇はクラミツハへと向かうことなく、混沌自身の首を絞めて人の形へと変貌した。
「キサマ…生きて…」
「さぁ、一緒に地獄に落ちようか」
すでに人格が自壊したはずのルクスの影。
人格を奪い返すことが出来ずとも、自身の最も慣れ親しんだ異能でこの場に出現したルクスは、闇異能で自分自身の身体を縛り、完全に動けなくする。
「ありがとう。悠馬クン。さよなら」
クラミツハの一撃が、彼女の心臓部分へと到達する。
彼女は自身の心臓部分に到達する蒼の聖剣を見つめながら、シャドウ・レイの閃光に呑まれ消滅していく。




