終焉
淀んだ空気の漂う道を歩く。
冷めた眼差しで、邪魔するものは全て斬り伏せ、声は出さず、ただひたすらに神器を振るい。
まだ少し寒い風に黒髪を靡かせて歩みを進める黒髪の少年、暁悠馬は、徐々に近づいてきた第4学区、通称旧都市を視界に映し、レッドパープルの瞳を細める。
「聖魔。わかってるだろうが、助けは来ない」
「ええ。来たところで邪魔でしょうからねぇ。…つまり、私たちが負ければ、その時点でこの世界は終わったも同然でしょう」
「…ああ。だが俺はこんなところで終わるつもりはない」
ようやく答えを手に入れた。
復讐という原点を捨て去り、彼女たちと幸せになるために、自分の幸せを掴むために歩き始めた悠馬にとって、ここで終わるつもりなど微塵もない。
ハッキリと、不安も感じさせず終わるつもりはないと断言した悠馬は、クラミツハの神器とスウォルデンの魔剣モデルを腰に携え、一度息を吐いた。
「お前は混沌に危害を加えれないんだったな」
「ええ。元々敵対関係にありましたからねぇ。私は夜空さんに攻撃すると、自動的に弾かれてしまいます」
「…だけど、牽制くらいはできる…だろ?」
「フ…そうですねぇ。実際は攻撃できませんが、恰も夜空さんとやり合えるように振る舞うのは可能です」
「それだけできれば十分だ。あとは俺がアイツに」
『シャドウ・レイをぶち込む』
混沌は聖魔が自分に危害を加えれないとたかを括っているだろうから、それを利用させてもらう。
もちろん、混沌が使った異能が何かわからない以上聖魔にかけられた束縛を解除することはできないが、それでも悠馬がセカイを持っている以上、聖魔にかけた束縛が解除できる可能性がある。
それを用いれば、混沌は聖魔が束縛から解放され、自分にダメージを与えられるのではないかと警戒するはずだ。
本来であれば悠馬1人にしか向かないであろう警戒を、2人に分散することにより注意力を散漫にさせ、その隙をついて悠馬がシャドウ・レイでトドメを刺す。
杜撰な作戦ではあるが、現状この作戦しか勝ち筋がない。
セカイを奪われ、混沌より悠馬の方がレベルが低い以上、真正面からぶつかり合えば敗北は必至。
聖魔クラスのレベルじゃないと助力にすらならないため、これ以上人を増やして攻め入ることもできない。
色々と考えた結果、これしか勝ち筋がないと結論づけた悠馬は、神器の柄を優しく撫でた。
「……」
悠馬はシャドウ・レイを成功させたことがない。
この半年近く、ただひたすらにシャドウ・レイの特訓をしてきたわけだが、彼は一度もシャドウ・レイを放つことができなかったのだ。
しかしこの戦いで必ず必要となるのは、シャドウ・レイ。
ルクスを生かすにせよ殺すにせよ、必ず必要な技になるわけだが、悠馬はそれを使えない。
無論、混沌に危害を加えることができない聖魔も同じだ。
不安や焦り、どうしようもないような虚無感を感じる悠馬は、第4学区へと足を踏み入れ、淀んだ空気を手で払った。
「この先にあるんだよな?」
「ええ。儀式の間の位置を変更していないならば、この先に夜空さんはいるはずですよ」
第4学区へと入った途端、使徒の出現はパッタリと止み、物音一つ聞こえないシンと静まり返った空間になる。
いくら土から作られた使徒といえど、生命として生きている以上、この瘴気のような毒素のような臭いには耐えきれないようだ。
悠馬と聖魔はレベルが高いためまだなんともないが、他の人間ならば、すでに気分が悪くなっていたに違いない。
「…夕夏さんは連れてこなくても良かったんですか?」
「……いい。…俺が失敗したら、ルクスを殺すのを目の当たりにしちまうだろ」
夕夏は物語能力者で、悠馬、聖魔の次に戦力としてまともに機能する。
おそらくこの瘴気にだって平気で耐えるだろうし、物語能力を使えば、混沌を引っ掻き回すことだってできるだろう。
しかしそれは問題じゃない。悠馬が一番問題視しているのは、自分の放ったシャドウ・レイが失敗すれば、ルクスが即死する瞬間を、彼女の眼前に晒してしまうということだ。
悠馬は彼女にそれだけのトラウマを与えたくない。
友達を殺す瞬間、慣れ親しんだはずの少女を目の前で失うのだけは、見られたくない。
同様の理由で、花蓮にも寮から出ないようにお願いした。
あそこには美沙も待機しているし、おそらく大丈夫だろう。
聖魔は悠馬の話を聞いて、呆れたように手を広げた。
「相変わらず、自分の愛した女には甘い人ですねぇ。貴方も」
「その言い方だと、どこかの誰かさんも一緒だったみたいだな」
「フフフ…誰だって、好きな人には美しいままでいて欲しいものですよ。仕方がありません」
自分がどれだけ罪を背負うことになろうが、自分の愛する人だけは純真無垢の、穢れを知らないままの美しい少女でいてほしい。
それが大抵の男の願いだ。それが男として、当然の欲求だ。
男だから、女だからではなく、ただ愛する人に汚れて欲しくないから、大切な人を置いていく。
2人が会話をしていると、地面が小さく揺れた。
それは震度で表すと1程度の揺れで、通常ならば大半の人間がスルーしてしまうような小さな揺れだったが、聖魔も悠馬もその揺れを感じて、互いに顔を見合わせた。
「どうやら、儀式を始めたようですねぇ…」
「急ぐぞ」
***
「嫉妬に怠惰、憤怒に色欲までやられたか」
真っ赤な空気に染まった一室で、混沌は呟く。
蝋燭に灯った火の灯りだけが頼りの空間、何かの方陣のようなものが記された床の中心にいる軍服姿の混沌は、自分自身、つまりルクスの手首の頸動脈を切り、方陣に血を流し込んだ。
「ご苦労さん。もうお前らは必要ない。あとは俺だけでやるから、永遠に眠ってろ」
混沌が勝ちを確信した瞬間だった。
300年前からの悲願、300年前のあの日、初代異能王によって死守された儀式の間へとたどり着いた混沌には、あの日と決定的に違い、セカイの異能がある。
肉体はとうに朽ち果て、ルクスという少女を依代に復活したわけだが、形はどうであれ、神格を得る瞬間がようやくやってきた。
ポタポタと手首から垂れていく血液は、方陣の線を綺麗に辿って行き、方陣はルクスの血液を吸い込むと、徐々に怪しい光を放ち、地面を揺らし始める。
地震というほどではないが、揺らぐ方陣の上で笑みを浮かべた混沌は、儀式に取り掛かった。
「神格を得るには、確か10分間、セカイを方陣の上に取り出す必要があるんだったな」
人間が神になるためには、一度その異能を完全停止させ、器を作る必要がある。
つまり一度セカイを取り出して、無能力者になる必要があるというわけだ。
そしてその間、安全にセカイをこの世界に留めておくのが、この方陣。
器が10分で完成すると呟いた混沌は、迷いなく自身の心臓部分に指を突き立て、光り輝く球体を取り出した。
「セカイ…少しのお別れだ。すぐに迎えに来るからな」
中心部分に配置されていた杯にセカイを置いた混沌は、旧都市の中に2つの反応が入っていることに気がついた。
「往生際の悪いカスだなぁ…セカイがなくても、お前くらい簡単に殺せるのに…」
確かに、この儀式においてセカイを取り出してしまえば、使用者は無能力者になる。
しかしセカイや物語能力を手にする前に、元々生まれ持っていた異能があれば?
…その異能は使えるということだ。
ルクスの身体の場合、生まれ持った異能は聖(闇)で、後付けで付けられたのが、物語能力とセカイ。
物語能力とセカイは現在、取り出してしまって使えなくなっているが、混沌はルクスの身体にいる限り、闇の異能を使えるというわけだ。
それに加えて、セカイを取り出してもレベルは下がらない。
奪われたのではなく、正式な形で方陣の上にセカイがある限り、混沌はレベル99の闇異能力者のままだというわけだ。
セカイを奪われ、若干レベルの下がっている悠馬程度、敵ではない。
混沌が呆れたように呟いた直後、儀式の間の壁が崩壊し、黒い影が現れた。
「さっきぶりだな。混沌」
「出たよお邪魔虫」
全身に雷を迸らせ、すでにセラフ化状態の悠馬は、白髪にレッドパープルの瞳とエメラルド色の瞳のオッドアイで、混沌を睨みつける。
混沌は壁を壊して現れた悠馬が神器を構えると同時に右手を大きく払った。
「っ!」
混沌が手を払うと同時に、まるで台風のような突風が吹き荒れ、悠馬は外に投げ出される。
「俺が弱くなるのを期待してたんだろうけど、レベルが下がってるお前にできることは何一つとしてねえよ」
「そりゃこっちのセリフだ。ちょっと俺のレベルが下がったからって、本気で俺に勝てるつもりなのか?」
「チッ、相変わらず腹の立つ野郎だな。いいぜ?お前をぶっ殺してやるよ…!」
悠馬の挑発に乗る混沌。
元より悠馬に一度殺されている上に、セカイを先取りされている混沌は、なにかと悠馬の言葉に反応し、攻撃を仕掛けてくる。
「ナメられたもんだな。まさか異能なしで戦うつもりかよ?」
「お前を倒すのに異能なんて必要ねえんだよ!」
何かの神器なのか、それともデバイスなのか。
歪に歪んでいる剣を手にした混沌は、闇異能を使わず地面を踏み抜いて悠馬の懐へと入り込む。
「くっ…!」
早い。
素の身体能力がずば抜けているのか、鳴神状態の悠馬よりも早く動く混沌は、剣を悠馬の懐に突き刺し、横に薙ぐ。
ズチャッと肉の裂けたような音が響き、臓物を撒き散らす悠馬は、斬れた小腸やその他の臓物を眺めながら、歯を食いしばった。
「保険くらい掛けてるに決まってるだろ?」
「ルクスの肉体を改造したのか…!」
「いいや、これは俺の肉体だ。あの女はもう死んでんだよ」
ここに妨害が現れることは、なんとなく察しがついていた。
いや、警戒心の強い人ならば、誰だって重要な局面で妨害が入ってくる可能性を考えるだろう。
1人で家にいるとき、風呂に入る時は家の鍵を閉める人が殆どだし、外に出る時だって、家の鍵を閉めて出ていく。
それと同じ原理で、混沌もセカイを取り出す前に、保険を掛けていた。
それは身体強化系などではなく、そもそものルクスという少女の貧弱な肉体を、鳴神よりも早く動けるように急激に変化させているのだ。
無論、その反動は全てルクスの精神体に行っているわけで、混沌はなんのダメージを負っていない。
改造人間という言葉が相応しい速さで動く混沌は、1年の頃、結界事件で益田が作っていた実験体とは格が違いすぎる。
ギリギリ目で追えているものの、攻撃を受けきれない悠馬は、再生する横腹から血を吹き出しながら混沌の顔へと蹴りを入れる。
「はは…!馬鹿だな…!お前は俺を殺したジェットストリームを使えない。使いたくないんだろ!?」
「う…るせぇ!」
悠馬に蹴りを入れられ、顔に赤い擦り傷ができた混沌は、馬鹿にしたように呟く。
悠馬はセラフの力を、ある程度抑え込んでいる。
本来であれば、悠馬に近づくものは全て問答無用で斬り裂くセラフ化のオーラは一切出ていないし、タルタロス戦の時と違って、ジェットストリームを放とうとすらしない。
それは単純に、ルクスをまだ救えると思っているからだ。
混沌は今、セカイを持っていないため、悠馬がジェットストリームやセラフ化をフルパワーで使えば、肉片すら残らない。
混沌がルクスの身体の中に止まる以上、そこまでの火力を使うことができない悠馬は、いくら口で強がろうが、決定的なダメージを与えることができないのだ。
セラフ化を加減して使っていることに気づかれた悠馬は、混沌のデバイスを左手で掴む。
「なんだ?左手ちょん切って欲しいのか?」
「これで距離は十分だ」
混沌のデバイスは悠馬の強く握りしめる左の掌にめり込み、血が伝っている。
赤い鮮血で鮮やかになっていく歪んだデバイスを握りしめた悠馬は、歪んだ笑みを浮かべながら自身の右手に握っていたクラミツハの神器を混沌へと向けた。
「な…」
「消し飛べよ。シャドウ…」
悠馬の構えた神器に光と闇が収束し、大きく渦巻く。
混沌はそれが危険な何かであるのかを瞬時に悟り、剣を引き抜こうとするが、悠馬が剣を強く握りしめているため抜けない。
ならば手を離せばいいのに。と思うだろうが、人間、咄嗟の判断で手を離すという選択肢を失うもので、混沌は大きく目を見開き、目の前に広がる光景を凝視していた。
極夜のエネルギーと、白夜のエネルギーが互いにぶつかり合い、反発する状態で神器を振りかざす瞬間。
まるで太陽と真夜中を合わせたような、暗闇と光が永遠に鬩ぎ合う一撃が、世界を飲み込む瞬間。
悠馬の放とうとしていたシャドウ・レイは一瞬にして漆黒に染まり、闇の異能が全てを包んだ。




