第二戦
夜の道、八神は木陰に身を隠す。
つい先ほどまで美沙とデートをしていた八神は、憤怒の襲撃を受けた後、美沙との合流を控えていた。
今合流をすれば、返って美沙を危険に晒すのではないかと考えたからだ。
軍人が最も警戒すべきなのは、偵察を行った後の帰り。
もし仮に、偵察がバレていて背後から尾行されていたら?
敵軍を自分たちの拠点へと、招待することになってしまう。
もし仮に憤怒がどこかにいったのがフェイントで、八神が味方の場所に向かうのを待っているのだと考えると、待ち受けているのは最悪の事態だ。
元軍人として、美沙に合流するのは危険だと考える八神は、何度か口を開き、小声で何かを呟く。
「連太郎…聞こえてるなら来てくれ。お前ならもう把握してるだろうが、助力が欲しい」
この状況で頼れる人間は、限られている。
異能島の学生たちは、実力的には申し分ないが、実戦経験があるわけでも、堂々と異能を振るえるわけでもない。
だからこういう時に確実に頼りになるのは、この国の裏の人間である桜の人間か、もしくは実戦経験のある、ホンモノ。
現在の異能島で言えば、八神自身にオリヴィア、悠馬、そして連太郎が該当することだろう。
愛菜が裏の人間だと知らない八神は、この距離でも声を聞き取ることが可能な連太郎に助力を願う。
連太郎は殺すことに躊躇いがないし、殺しの技術がずば抜けているし、レベルが離れていようが憤怒を殺すことだってできるかもしれない。
何度目かわからないが、連太郎の名前を小声で呼んだ八神は、徐々に聞こえてきた足音を聞いて木の影から顔を少しだけ出した。
「よ」
「連太郎…来てくれたのか」
「ま、そりゃあな。これだけヤバい状況なんだから、動く他ないだろ」
連太郎は4月だと言うのに、すでにしっとりと汗に濡れ、かなり熱っている様子だ。
おそらく、八神が助けを求めるまでも、使徒の駆除に当たっていたのだろう。日本支部の安全を維持するために存在する裏の人間の連太郎は、こういう事件が起こった場合、真っ先に動かなければならない。
句句廼馳の神器を手にしている連太郎は、くたびれた様子もなく両手を広げて八神に歩み寄る。
「八神、お前はどうすんだ?…この状況、お前も戦えば功績こそ貰えるだろうが過去まで掘り返されるぞ」
日本支部異能島は、原則として許可のない異能の使用は禁止。暗黙の了解で、各々大怪我にならない程度の実力行使で争ったりはしているものの、バレれば即退学なのだ。
そして当然、今のような状況でも、異能を使用した者はリストアップされ、公表されることだろう。
事件が大きくなれば大きくなるほど、学生たちの中にも異能を使った者がいるんじゃないかと騒ぎ立てる無能が現れ、退学にしろと騒ぎ始める。
そしてその結果、総帥や上層部はそれを鎮圧するために、使徒制圧に尽力した異能島の学生たちを、功績を贈る形で発表するはずだ。
表向きでは、異能島を救った英雄として。
…しかし、英雄として扱われると同時に、八神の場合は父が鬼神であることなんかも掘り返され、下手をすれば八神自身が元軍人だった過去までバレるかもしれない。
そうなれば、八神は異能島どころか学生として生活できなくなる。
何しろ国際法を破って戦争に参加していたのがバレるのだから、日本支部が被る不利益が大きすぎる。
連太郎は今ならまだ引き返せると判断したようだ。
彼は紅桜家という都合上、国家権力の警察が動いたという形で処理されるため、八神のように名前が公表されない。
「…いや。お前1人に任せられない」
「どういうことだ?…俺も常に異能を使ってるわけじゃないから、詳しく説明してくれよ」
連太郎は常に異能を使っているわけじゃないため、八神が今まで、何をしていたのかわかっていない。
八神は連太郎の声を聞いて、木に寄りかかりながら口を開いた。
「さっき、赤髪の大男、憤怒って名乗る奴に会った。…多分、使徒を操ってる大元だと考えていい」
「…そか。ソイツ殺せばいいのか」
「待て。…ソイツは化け物だ。正直連太郎1人で行っても、返り討ちに遭うと思う」
「なぁるほど。けど、お前が首を突っ込む必要はないんじゃねえの?」
遠回しに自分を連れて行けと言っている八神に、連太郎は首を傾げた。
憤怒の実力は、レベル10を優に上回る。
八神のレベルで1のダメージも与えれなかったのだから、連太郎が向かっても結果は似たり寄ったりだろう。
つまり、どっちが行ってもダメ。
そうなれば、八神が首を突っ込む必要はなくなる。
八神がいたところで結果が変わらないのなら、八神はいる必要はないし、連太郎は上に報告するだけだ。
「…そうだな。悪い、ちょっと自惚れてたかもしれない」
八神はすこし、自惚れていた。
一度憤怒と戦い、彼のレベルは一瞬にして上がった。
実質頭打ちだった八神のやり方に、憤怒がアドバイスをしてくれたからだ。模倣するだけじゃなく、性質を理解しようとすることによって、異能の火力が上がる。
だからもう一度憤怒に会えば、もっと強くなれるんじゃないかと錯覚していたのかもしれない。
自ら死にに行く選択をしていたことに気づいた八神は、冷静さを失っていた脳内を一度クールダウンするために息を吐く。
「……悪い八神」
「なんだ?」
「そうも言ってられない状況になったかもしれねえ」
八神が首を突っ込む必要はない。
そう話した連太郎だったが、彼の表情は徐々に険しくなり、神器を握る右手に自然と力が入っていくのがわかる。
連太郎は聴覚強化の異能で、接近してくる足音を察知した。
そしてそれが、明らかに人間離れしていることも。
例えるなら、悠馬の鳴神のような速度だ。
そのくらいのスピードで地面を走り、空気を切り裂き、それでいて悠馬よりも体重が重い。
ズシズシと、地面を踏み抜く足音で悠馬よりも体重が重たいと判断した連太郎は、それが悠馬と同じスピードで動いているのだと理解し、背筋を震わせた。
「うぉぉ…ゾクゾクしてきた。…こんな感覚、親父に半殺しにされた時以来だ…」
宗介の時ですら、冷や汗は流したものの背筋は震えなかった。
長らく忘れていた、自身の命を賭けて戦わなければならない感覚を思い出した連太郎は、冷や汗を流しながら笑みを浮かべた。
「先手必勝。悪いが小細工いくぜ?」
「連…」
「見つけたぜ!さっきぶりだな!」
八神の隠れる木陰へと駆け寄ってきた憤怒。真っ赤な髪に、大柄な体格を前にした連太郎は、彼を即座に憤怒だと判断し異能を発動させた。
駆け寄るというか、最早飛び掛かるという表現が似合いそうな勢いな憤怒は、強気な表情を見せると同時に、両手両足に絡まった蔓に気付いた。
「んだ?これ…」
「お前が憤怒か。縛れ。そして引きちぎれ」
「っ!ほう!カス異能頑張って強くしたんだなオマエ!そういう健気なのは嫌いじゃないぜ!?」
ギチギチと蔓が締め付け、憤怒の両手両足は簡単に押しつぶされていく。それは連太郎の異能だ。
植物を自在に操ることができる連太郎は、憤怒を捕縛し、四肢を引きちぎって無力化しようと試みる。
しかし憤怒は、嬉しそうな笑みを浮かべながら、両手両足にグッと力を入れた。
ブチブチと蔓が千切れるような音が響き、憤怒は勢いよく、連太郎の異能で成長した緑色の蔓を引きちぎる。
「オマエの仲間か!?2対1でいいぜ!遊ぼう!」
「へぇ…ずいぶん余裕じゃん」
「連太郎」
「ああ。わかってる」
これは挑発でもなんでもない。
憤怒の2対1でいい発言は、こちらを挑発するための発言ではなく、純粋なハンデとして言ってくれている。
先ほど言われたように、確かに憤怒からしてみると、連太郎の異能はカスで使い物にならないように見えるのかもしれない。
連太郎が挑発だと勘違いして1人で突っ込むとでも思っていたのか、手で制してきた八神を横目に、連太郎は片手で神器をくるりと回した。
「八神。アイツの望み通り2人でいくぞ」
「ああ…!」
憤怒が2対1を容認してくれるなら、臨むところだ。
そもそも紅桜連太郎という人間には、戦闘においてのプライドなど何一つない。
彼自身に美学があるわけでも、卑怯な手を絶対に使わないわけでも、美しく、誰からも褒められるような戦い方をするつもりなんてハナからない。
戦いは勝てばいい。
異能島に通う大多数の学生のように、異能は美しくカッコ良く使うなんて思考を持ち合わせていない連太郎は、望み通り、2対1の状況を作り出す。
「じゃあ、俺の方からいくぞ!」
2人で戦うと話した連太郎へと、憤怒の拳が振りかざされる。大きく振りあげられた拳は、連太郎まで5メートル以上の距離があったというのに、その拳が振りかざされると同時に、まるで暴風のような勢いの風が周囲に吹き抜けた。
「っぶね!」
連太郎は憤怒が拳を振りかざす瞬間に異能を発動させ、自身の背後と正面に巨大な樹木を生やしていた。
憤怒が放った拳圧を巨大な樹木で防ぎ、流れてきた風圧で飛ばされないように、背後の樹木に背を預ける。
憤怒が拳を振り上げてから一瞬でここまでの判断に至った連太郎は、自身の正面の樹木に、大きな拳のくぼみが出来ているのを見て苦笑いを浮かべた。
「連太郎!やられる前にやるぞ!コイツ…」
さっきよりマジだ。
さっきは八神に異能の指導をしているような感じだったが、今は違う。
確かに連太郎が先制攻撃を仕掛けたのは事実だが、まさか憤怒が攻撃を仕掛けてくるとは思いもしなかった。
ニヤリと強気な笑みを浮かべる憤怒を見ながら、八神は背後に無数の氷の剣を生成する。
「そっちが殺る気なら、こっちもそのつもりでやらせてもらうぜ」
「ハッ!やってみろよ」
「行け!」
憤怒が拳を振り上げる寸前に、八神は異能を放つ。
背後に停滞していた無数の氷剣は、八神が合図すると同時に剣先を憤怒へと向け、一斉に射出された。
一本一本が意志を持っているように、赤髪の大男を標的にしている。
憤怒は振り上げようとした拳が氷剣の相殺に間に合わないと気づくと、両足にグッと力を入れて、跳躍をしようとする。
しかし。
「っ!?」
憤怒の両足、ちょうど足首の部分には、蔓のようなものが無数に絡まり、身動きができない状態になっていた。
八神が異能を使うと同時に、憤怒の身動きが取れないように両足を縛っていた連太郎は、神器を片手に白い歯を見せた。
「脳筋は単純で助かるぜ」
回避ができなくなった憤怒へと、八神の氷剣が炸裂する。
憤怒に直撃すると同時に砕け散った氷の剣たちは、かなり低い温度だったのか、周囲を一瞬にして真っ白に染め、それはドライアイスの煙を彷彿とさせる。
「八神」
「悪い。できればニブルヘイムくらいの火力にしたかったが、複数作ったから火力が落ちた」
「そか」
剣一本一本をニブルヘイムと同等の火力にしたかったが、残念なことに今の八神ではこの短時間でそんな芸当はできない。
氷の弾けた冷気の中を凝視する八神は、徐々に消えていく冷気の奥に見えた男を見て、指先をピクリと動かした。
「?」
「ってぇな…意外と硬ぇじゃねえか!」
所々が氷付き、頬に擦り傷を残す憤怒は、傷口を拭いながら呟く。
「弱く…なってるのか?」
八神は憤怒の怪我を見て、即座に気づいた。
先ほど戦ったときは、ニブルヘイムも蹴りも、何一つとして通用しなかった。
今だってそうだ。
八神は氷剣なんて初めて作ったし、そんな半端な異能で憤怒が傷つくとは考えられない。
それに雰囲気も、つい先ほど相対した時よりもショボくなっているというか、オーラ量が明らかに違う。
そこから考えるに、今の憤怒はさっきの憤怒よりも弱い。
傷を付けられると知った八神は、憤怒に甲斐見える不可解な点を感じながら黄金色の雷を纏った。
「ここでお前を倒す。鳴神」
「擦り傷付けたくらいで自信ついちまったか?後悔すんなよ!」
「いつまで余裕ぶってんだよ。デカブツ」
八神との会話に夢中になる憤怒は、意識の外に追いやっていた連太郎からの攻撃に気づき、受け止めようとする。
「さっきから句句廼馳がさぁ…お前を殺せって言ってんだ」
最大火力で放たれた巨大な丸太のようなものは、先端が鋭利な刃物のように尖っており、それを受け止めようとした憤怒は、先端が胸元にチクリと刺さり、血を流す。
連太郎の契約神、句句廼馳神は当然ながら憤怒のことを知っている。元々悪神を倒すためにこの世界に降り立った神々だが、彼らもまた、悪神が自分たちと同じように、物語能力を結界の代わりに授けていることを知っているのだ。
つまり、混沌が憤怒に力を授けたことを知っている。
憤怒を倒せば、神々が少し優位に立つのは、ほぼ間違い無いだろう。
冷静に、それでいて冷ややかに話す連太郎は、再び神器を回転させて異能を発動させると、目を細めた。
「今日がお前の命日だ」




