悪羅vs強欲
「ま、こんなもんか〜」
異形の化物という言葉が相応しい形相の強欲は、ボコボコに凹んだ甲板を見下ろしながら呟く。
甲板には所々に人が倒れており、ある人は甲板に叩きつけられ、ある人は壁にめり込み…というように、凄惨な光景が広がっている。
そんな中、1人取り残されたソフィアは、青ざめた表情で強欲を見上げた。
「な…ぜ…私には攻撃を…」
強欲はソフィアに、一切の攻撃をしなかった。
ルーカスの白夜から始まったこの戦闘は、一方的な蹂躙と言っていいほど、強欲の圧勝で幕を閉じた。
もはや圧勝という言葉すら怪しいくらいだった。力の差で言えば、大人が赤子と戦っているような、そんな感じ。
そんな実力差を前にすれば、いくら総帥のソフィアでも恐怖を感じるだろう。
強欲は1人立ち尽くすソフィアの言葉を聞いて、困ったように頬を掻いた。
「そりゃあ…化物の匂いがするからだよ」
強欲は直感的に、ソフィアがどのような人物の庇護下にいるのかを理解していた。そして彼女に手を出した場合、ほぼ確実に自分がただじゃ済まないということも。
今は限りなく薄れているが、悠馬の異能によって守られていた形跡を感じ取っている強欲は、形跡だけで悠馬のレベルを予測し、攻撃をしてはいけないと結論づけたのだ。
それは賢明な判断だ。
聖魔と繋がりもあり、レベル99の悠馬の恋人であるソフィアを攻撃すれば、いくら強欲でも一撃で沈められる。
冷静に、ソフィアに殺意を向けることもなく話した強欲は、奇妙な6本の足を反対方向に向け、歩き始める。
「待てよ」
「えーっと…誰だっけ?」
背後から聞こえた声。
特に追い討ちをかけて死に至らしめるわけでもなくその場を去ろうとしていた強欲は、背後に立っていた、ボロボロの黒髪の男を見た。
「あー…特殊異能の…」
「崩壊」
「無駄だよ。崩壊は同じ次元の対象にしか当たらない」
「っ!?」
黒咲の放った崩壊の異能は、確かに強欲に届いたはずなのに、彼には効果がなかった。
それは強欲が、人類よりも一つ上の次元に到達しているからだ。言うなれば、セラフの領域。
神格こそ得ていないものの、セラフと人間とじゃ、その間に圧倒的なまでの開きがある。それは異能のレベルでなんとかできる問題じゃないし、まともな対策方法は、セラフにはセラフをぶつけることしかない。
この戦いは、黒咲がセラフ化を扱えない限り、何度試しても、何度やっても結果は同じ。
強欲は健気に崩壊の異能を放ってくる黒咲を見て、哀れみの視線を向けながら手を動かした。
「別に、俺は君らを殺そうってわけじゃない。攻撃されたから仕返しただけ」
ルーカスに攻撃をされたから、仕返しただけ。
その過程において、周りの人も参戦してきたから駆除しただけだ。
落ち着いてそう話す強欲だが、彼は全員を殺したわけじゃない。
元々彼は、自分が異能を奪う以外で他人を殺害するのは嫌がるタイプなため、無益な殺生をするのは、混沌からの命令があった時のみだ。
総帥も冠位も、もう戦闘不能になっているため戦う意味がないと思っている強欲は、彼らを追撃で殺すこともなく、攻撃すら当てれない黒咲に手を振りながら微笑んだ。
「ま、せいぜい頑張って。俺は君みたいな雑魚に構ってられないからさ」
「……」
黒咲は黙ったまま、強欲の言葉を受け止めた。
強欲の言ったことは、紛れもない事実。否定をするのは簡単だったが、ここで見栄を張ったってセラフ化が使えるようになるわけでも、状況が好転するわけでもない。
人は無力だ。
確かに人の中には、選ばれた人間などと持て囃される人間だっているし、そういう輩は、破竹の勢いで有名になっていく。
しかし彼らも、一度も挫折をしなかったわけじゃない。
時に自分よりも実力のある人間に捻り潰され、信用していた人間に裏切られ、ありもしないことをでっち上げられる。
そうやって現実に気付かされ、夢を諦める人間も多いはずだ。自分には向いていなかった。自分じゃこれ以上は望めない。そうやって諦めていくのが、人間だ。
だって、苦しい思いをして強くなるよりも、過去の栄冠に浸って、楽に衰退していく方が遥かに楽だから。
黒咲は人生で初めて、挫折を経験した。
自身の異能が全く通じず、相手にも敵としてすら認識して貰えていない。
心折れた黒咲を確認した強欲は、彼の表情を見て満足そうに動き始めると、銀色の煌めきを見た。
それは流れ星のように美しく、しかし、空を通過するのではなく、真っ直ぐにこちらへ向かって降り注ぐ。
「神器からの攻撃…」
一直線に飛んできた4本の矢を難なく受け止めた強欲は、攻撃された方角を見て、ニヤリと笑って見せた。
「アルテミスの矢…面白そ〜!」
ここは海の上。
当然だが風の流れは陸地に比べれば激しいし、そんなところを狙って弓矢を放って、対象に見事に当てるなんてことは偉人ですらできない。
少なくとも数キロ離れた異能島から、この距離で射抜くなんて芸当、神クラスでなければできないはずだ。
矢を受け止め、嬉しそうな笑顔を浮かべた強欲は、6本の足にギュッと力を加え、勢いよく飛び跳ねて見せた。
ソフィアは大きな風圧を感じ、目を閉じる。
「っ!?」
彼が飛び跳ねた瞬間、軍艦は何かに激突したような大きな揺れに襲われた。
金髪を大きく揺らしながらソフィアが目を開くと、そこには隕石が落ちたような窪みが出来上がっているだけで、強欲の姿はどこにもない。
「…!みんなを…!」
しかしこの恐怖やわけのわからないと言った余韻に浸っている暇はない。
いくら殺されていないと言えど、それなりに怪我を負っている総帥や冠位の確認をするべく動き始めたソフィアは、背後から黒咲に手を掴まれ、動きを止めた。
「…何かしら?」
***
その日、使徒よりも数倍は大きい飛翔物体が日本支部異能島で確認された。
ある学生はアレは飛行機だったと話し、ある学生は、人のような顔が見えたと話し、意見は三者三様。
結局何かはわからない謎の飛翔物体を、日本支部は後に大型使徒と断定し秘密裏に捜査を行った結果、第1異能高等学校脇の砂浜で、まるで数千年放置されたようなミイラ化した使徒らしき残骸を発見し、捜査員たちを困惑させることとなる。
これはその、数日前の出来事だ。
大きな飛翔物体は、腕で器用に軌道を修正しながら弓を射た人物がいるであろう方角へと向かう。
彼の名は強欲。
この世界で唯一、他人の力を奪うことができる異能の持ち主。半永久的に、自分が望む分だけ力を手に入れることができる彼は、これまでの人生で感じられなかった喜びという感情を胸に、日本支部異能島へと到達した。
「今の技術…欲しい!」
みなさんは他人の力や思考を奪えるとなると、真っ先に何を考えるでしょうか?
いけ好かないアイツの力を奪う?
超有名なあの人の能力を?あの軍人の異能を?あの人の学力を?
大抵、そんなことを考え、他人から力を奪うだろう。
…しかし考えて頂きたい。
確かに、強欲という異能は強力だ。
自分が望めば望むほど力を得ることができるし、他人の考えることが手にとるようにわかってくる。
最初はとても楽しい。だって自分に見えなかった新たな世界が、他人の力や思考を奪うことによって一気に広がるのだ。
その景色と言ったらとても美しくて、強欲は能力を奪った先にある景色を見るために、他人から力を奪い続けた。
しかし前述の通り、それは最初だけだ。
数千、数万と人の力を奪っていくごとに、景色は新しいものから、似たようなものに変わっていく。そうして徐々に、新たなものが手に入らなくなっていく。
結果、強欲は無益な殺生を辞めた。
新たなものが手に入るわけでもないのに、他人から力を奪ったところで気分が悪くなるだけだからだ。
例えるなら、食べ飽きた食材を毎日毎日、全く同じように加工して食べている、ただただ苦痛な日々と同じ。
しかも力は食事と違い、奪わずとも生きていけるのだから、わざわざ食べ飽きたものを奪ってまで食べるメリットはない。
しかし今は、状況が違う。
強欲は300年ぶりにこの世界に完全に解放され、真っ先にティナの配下の大罪異能の持ち主を喰らった。
それは実に甘美で、これまで持っていなかった新たな景色を、新たな世界を見ることができて満足だった。そして今もだ。
人間離れした技術で、軍艦の上の対象を狙ってきた人物の力を奪いたい。
数百年間ぶりに胸中に欲望を渦巻く強欲は、微かに見えた校舎の上で、怠惰の反応が絶えたことを察知する。
「そこか!」
ドゴッ!と、第1異能高等学校の校舎は大きく揺らめき、屋上に数メートルクラスの異形の化物が舞い降りる。
屋上のタイルは砕け散り、余波で散っていく花々を見届ける悪羅百鬼は、爽やかな笑顔を浮かべながら振り返った。
「どうも」
「お前の力、俺にくれよ!」
「やだね」
死んだ魚のような目を大きく見開く怠惰の腕が、触手のように伸びる。
蟹のように細い手が伸びる姿は実に奇妙で、おそらく女性の方が見たら驚愕して気絶してしまうだろう。
伸びてきた骨と皮だけの細い腕を見た悪羅は、それを跳躍して回避すると、器用に腕の上に乗り、アルテミスの弓を手放す。
「いきなり随分なご挨拶じゃない?まずは自己紹介といこうよ」
「おっと…これは失礼しました。僕は強欲。貴方は?」
「お、普通に喋れるじゃん。俺は悪羅。悪羅百鬼だよ」
見た目は使徒のようで、一見意思疎通ができないように見えるが、強欲はこんな見た目でもきちんとした自我を保っている。
言葉を返せるレベルでは正常な強欲に驚く悪羅は、意外そうな表情を浮かべながら自己紹介を返した。
「おお!アンタが!お噂はよく知ってるよ。強いんだってね?君」
「まぁ、人並み程度にはね」
「あのティナ・ムーンフォールンを倒したとか」
「あのくらい、お前も倒せるだろ」
おそらく謙遜しているのだろうが、レベル的にはティナよりも強欲の方が格上。レベル80と50程度では力の差は歴然だし、強欲が最初から勝つつもりなら勝敗はすぐに決する。
「どうだろう。アレらは未来すら変えれるらしいから…そうなると太刀打ちできないかもしれない」
「その前に倒せそうな気もするけど」
「はは…!確かに!」
いくら物語能力者といえど、初手で息の根を止められては生き返ることすらできない。
悪羅はティナに恨みがあったから、チマチマとダメージを与えて苦しめていたが、その恨みさえなければ、肉片の一つすら残らず、一撃で吹き飛ばしていたことだろう。
そしておそらく、強欲もティナを一撃で消し飛ばせる異能を持っている。
様々な匂いが混じった独特のオーラを放つ強欲の腕に乗る悪羅は、両手を後ろに回し、紳士的な笑みを浮かべた。
「先に一撃、どうぞ」
「……死ぬよ?」
紳士的で、それでいて大胆に先制攻撃を譲った悪羅。
強欲はすでに一撃、悪羅へと攻撃を加えようとしたわけだが、仕切り直しと言わんばかりに穏やかに話す悪羅は、警戒したような眼差しを向けてくる強欲へと微笑みかける。
そんな彼をみて、強欲は悪羅百鬼という人間が小細工を弄するつもりがないのだと理解した。
悪羅の表情から読み取れるのは、絶対的な自信。
しかしそれでいて慢心はせずに、決して警戒を怠っているわけじゃない。
技術に裏打ちされた圧倒的な実力、物語能力者や力あるものと戦った場数、どれにおいても、悪羅百鬼という人間は規格外だ。
強欲は悪羅の笑顔に応えるように、異能を放った。
彼の胸の前には、大きな紫の球体のようなものが生成され、それは瞬時に周りの空気を吸い込み肥大化していく。
例えるなら、ブラックホールだ。
空気だけでなく、散った花々も木々も吸い込む強欲の生成した球体は、惑星すら飲み込むブラックホールに近い。
「悪いね〜…初手で決めさせてもらうよ」
悪羅とまともにやり合う前に、最大火力で捻じ伏せる。
いきなり最大火力で異能を作り出した強欲は、伸ばしていた腕から悪羅を振り払い、ブラックホールのような球体を放った。
その速度は数百キロを超え、足場を失った悪羅の元へと、僅か1秒未満で到達した。
まるで自動車が突っ込んできたような、そんな感覚。しかも自動車と違い、タチの悪いことにこの異能は周囲の物質を吸い込もうとする。
足場を失い逆さまになった悪羅は、白い歯を見せながら、紫色の球体の中に吸い込まれていった。そして辺りには、静寂が戻ってくる。
「あ…いけね…!能力奪い損ねた…!」
静かになってすぐ。
悪羅の実力を警戒したからこそ最大火力を放った強欲は、自身の目的を思い出し、手で顔を覆う。
「あーあ…やっちまった…」




