戦神
「……」
オリヴィアはとても気まずい状況にいた。
オリヴィア・ハイツヘルムという少女は、小学校卒業後からアメリカ支部の覚者としてロシア支部の世界大戦に初参戦し、そこからまともな教養を受けることはなかった。
もちろん、年齢の近しい軍人なんているはずがないから、同い年とだってまともなコミュニケーションをとったことすらなかった。
そんな彼女に転機が訪れたのは、1年と半年近く前に開催された、異能王主催の大イベント、フェスタだった。
各支部の生徒たちが選んだ、最強に相応しい高校生たちがトーナメント形式で争い、次代を担うであろう子供たちを観察する、言うなれば親善試合のようなもの。
そこで彼女は、運命的な出会いをした。
いや、正確に言えば異能王のエスカが手引きをして、勘違いから始まった出会いだ。
フェスタで優勝した悠馬と戦い、自分が必要だと言われ、日本支部に来た。
それから色々あって、話せば長くなるから割愛させてもらうが、なんだかんだで経過した1年。
オリヴィアは大きな問題を抱えている。
それは横を歩く学年がひとつ下の少女の影響に他ならない。
そう!オリヴィアは後輩という存在とどう接したらいいのかわかっていないのである!
彼女が最後に通っていた小学生という身分では、上下関係なんて学ばない。
1つ年齢が違っても仲が良ければ分け隔てなく話すし、登下校だって一緒にする。
しかし人間というのは不思議な生き物で、中学になってからは突然、先輩風を吹かせて敬語を使えだの気に食わないなどと訳の分からない言い分を並べ、後輩に色々と強要を始める。
オリヴィアはそれを知らないため、後輩の愛菜にめちゃくちゃ敬語で話されて距離を置かれるのが嫌になっていた。
結果として、気まずくなっているのである。
小学生の頃で年下との関係が終わっているオリヴィアは、程よい距離感を空けて横に並ぶ愛菜を見た。
桜庭愛菜はいい子だ。
でも、しかし、敬語を使ってくるし、先輩であるオリヴィアを立てようと考えてくれているようで、その心配りがなんだか心痛む。
年齢が1つ違うだけで、どうしてこんなにも気まずいんだろうか!?
同級生と会話やお出掛けをする程度の認識で愛菜と出かけていたオリヴィアは、愛菜に気づかれないよう、小さなため息を吐いた。
…話を少し戻そう。
まず、なぜこの2人が2人っきりでお出掛けをしているのかというと、セレスからのお使いを頼まれたからだ。
オリヴィアは悠馬と寮も近いため、基本的に予定がなければほぼ毎日、夜ご飯は悠馬の寮で食べることとなっている。
そして愛菜も、結婚騒動の後から悠馬の寮に居候していたこともあり、定期的に悠馬の寮にお邪魔しているのだ。
そんなことから、2人は食べているだけじゃ申し訳ないからと、夜ご飯の食材の買い出しを買って出た。
その結果がこれだ。
愛菜はついに会話のネタが尽きたのか、オリヴィアの方を意識しながらも無言で歩き、オリヴィアは最初から、自発的に話そうとしない。
グループでは結構仲が良いように見えるが、一対一になると気まずくなる、よくあるワンシーンだ。
「ま、愛菜、君はここに来て何年経つんだ?」
「へ…?」
ちょっぴり重たい買い物袋を片手に、沈黙が耐えきれなくなったオリヴィアが訊ねる。
しかし質問の質としては、劣悪も劣悪、最低な質問だ。
普通に考えて、愛菜はここに来て1年しか経過していない。
オリヴィアも愛菜の戸惑ったような声を聞いて、そのことに気付いたようだ。
自分でも予想のつくしょうもない質問に、穴があったら入りたくなるほどの恥ずかしさを感じる。
「い、1年ですけど…」
「くっ…」
そんな真剣な表情で答えないでくれ!
オリヴィアの質問の意図が読めずに、真面目な愛菜は正直に1年だと答える。
こういうのは、「オリヴィア先輩何言ってるんですか?笑」的なノリで返して欲しかった!
愛菜が正直に答えたことにより返ってダメージを食らったオリヴィアは、顔を真っ赤に染め、半泣き状態だ。
きっと八神が見ていたら馬鹿にされていたことだろう。朱理にも、哀れみの視線を向けられるはずだ。
花蓮や夕夏のようなトークスキルがないオリヴィアは、そのことを深く後悔しながら再び口を噤んだ。
「……あの、ずっと聞くか迷ってたんですけど…」
「なんだ?」
「オリヴィア先輩、今の違和感感じ取ってますか?」
恐る恐る、愛菜が質問をする。
これが杞憂や何かの勘違いで終わってくれれば良いのだが、さっきから周囲のオーラというか、空間自体に違和感を感じている。
果たしてそれが、桜庭の人間として生きてきたせいで感覚が他人よりも敏感になっているから些細な違和感を感じ取っているのか、それとも他人にもわかるレベルの違和感なのか、わからない。
前者ならば、この異能島内の実力者が揉めている可能性もあるためスルーしてもいいのだが、後者ならば…
ちょうど第3学区の商店街から出た2人は、周囲の景色を見て、立ち止まった。
「夜…」
「……愛菜。さっきの質問だが…私もずっと違和感は感じている」
オリヴィアは冷静に、蒼眼の瞳の奥を冷たくしながらそう告げた。
愛菜にはまだ事実を教えていないが、オリヴィアは戦神。
当然だが、愛菜と同じくらいの感覚の鋭さを持っているし、この違和感を感じ取れないほど怠けてもいない。
元軍人として愛菜と同じく違和感を感じていたオリヴィアは、背後から聞こえた悲鳴を聞き逃さなかった。
「きゃぁっ!?」
バサッ!と巨大な鳥が羽を羽ばたかせるような音が響き、振り返った先では女子高生が奇妙な生物に掴まれていた。
商店街は一直線の吹き抜けの道となっているため、2人の反対側から迷い込んだのだろう。
劣化版使徒とも呼べる、そこまで大きくない使徒は、振り返ったオリヴィアと目が合うと、ニヤリと歯茎を見せながら笑い、女子生徒を腕で掴んだままオリヴィアへと飛び掛かった。
「…コキュートス」
そこそこのスピードで迫りくる使徒に、オリヴィアは臆することなく右手の人差し指を突き出し、そこから氷系統最上位異能、コキュートスを放った。
「な…!」
しかもそのコキュートスは、規模が極限まで抑えられていた。
使徒が向かってきた方向には商店街のお店が並んでいるため、火力特化で押し切るとかなりの被害が出る。
本来、氷系統の異能力者は強敵と遭遇した場合火力特化で押し切るため周囲のことなんてお構いなしだが、オリヴィアの放ったコキュートスは、鞭のように細くしなやかなものだった。
こんな芸当、並の人間ができるわけがない。
愛菜はオリヴィアのコキュートスを見た瞬間、彼女が只者でないことを悟った。
オリヴィアのコキュートスは、軽く蛇行しながら宙を舞い、使徒の顔面部分を貫通する。
それと同時に、泥水のような色をした血のようなモノがピッと数滴周囲に散り、使徒は顔面だけ氷漬けになっていた。
使徒が掴んでいた女子生徒に怪我を負わせないように、それでいて一撃で絶命できる場所を狙った一撃。
オリヴィアは使徒が絶命したことにより投げ出された女子生徒を受け止めると、優しく微笑んで見せた。
「大丈夫か?」
「は、はい…ありがとうございます!」
突然使徒に捕まえられ理解が及んでいないようだが、オリヴィアに救われたということだけ理解している女子生徒は、彼女の腕の中で感謝の言葉を口にする。
「…ここは危険だ。君たちは店の中に隠れていた方がいい」
「わ、わかりました」
屋根があって、入口が閉ざされている空間に避難した方がいい。
下手に商店街から抜け出せば、空を飛んできた使徒たちからは格好の的になるし、餌が自ら出てきたようなものだ。
ならばこの場が安全になるまで、屋根のある商店街内の、扉を閉めることのできる店に避難するのが最も安全だ。
オリヴィアは助けた少女から手を離すと、すぐに店の中へと避難をさせ、横に立っていた愛菜を見た。
愛菜の右手には、ナイフが用意されていた。
おそらく、使徒が現れた直後にナイフを用意したのだろう。
オリヴィアがコキュートスを放っていなくても、使徒は愛菜が殺していたに違いない。
さすがは元暗殺者、突然の出来事にもきちんと対応ができている。
「さすがだな。君は」
「…オリヴィア先輩こそ。こういう経験あるんですか?」
オリヴィアの反応速度も、愛菜の反応も称賛に値するものだ。
しかしそれと同時に疑問も浮かぶ。オリヴィアは愛菜がどういう環境で育ったのかを知っているが、愛菜はオリヴィアが戦神だということを知らない。
普通の生活をしている女子生徒ではありえない反応を見せたオリヴィアに、愛菜は不思議そうに尋ねた。
「…まぁ。一応日本支部へ来る前は軍人だったからな」
「…非正規の軍人…」
オリヴィアの発言を聞いて、愛菜は瞬時に理解する。
非正規の軍人というのは、そう簡単になれるものではない。当然レベルだってかなり高ければならないし、人材不足だからと言って一般人の高レベルを投入したりはできない。
特にアメリカ支部ならば、尚更だ。
日本支部の人口はあまり多い方ではないため、戦争で戦力を消耗すればレベルの高い学生も非正規の軍人として戦争に参戦できるわけだが、世界トップの戦力を誇るアメリカ支部となれば別。
世界からの反応を最も気にしなければならないアメリカ支部は、基本的に非正規の軍人を雇うことはなく、その前例が覆ったのはただの一回のみ。
愛菜は裏でアメリカ支部の非正規軍人にしての情報を手にしていたため、オリヴィア・ハイツヘルムが何者なのかを瞬時に理解した。
「味方になってくれるならこれほど心強い存在はいませんね」
「フッ…最近は鈍っているから、あまり安心しないでくれよ」
「わかってますよ」
アメリカ支部冠位・覚者の戦神と、日本支部の裏、第2位の桜庭家。異色のタッグで立ち向かうのは、大量に湧いている人サイズの使徒たち。
不完全な使徒というか、人間が意図的に作ったキメラにも見えなくない不完全な生命体は、見ているだけで鳥肌モノだ。
しかも周囲に気を配って見れば、襲ってこないだけでその辺にウヨウヨと蠢いている。
木陰から様子を伺っている使徒や、物陰に隠れている使徒まで、様々だ。
「さて…オリヴィア先輩、風下には行かないでくださいね?」
「?ああ」
愛菜はそう言って、異能を発動させた。
オリヴィアよりも風下に移動し、使徒たちのいる方向へ向けて、毒の異能を空気に混ぜる。
無論、人が通行する可能性も考えて弱い神経毒だが、数分呼吸をしていただけでも、身体が思い通りに動かなくなることだろう。
もちろん、それは使徒も例外じゃない。
生物として機能している以上、特殊な検体でなければ神経毒が効かないなんて可能性は考えにくいし、これだけの使徒を殲滅するにはこの方法しかない。
使徒たちは愛菜の放った異能に気づいたのか、鼻がないため何度か口元をパクパクと動かし、首を傾げている。
「口呼吸…オリヴィア先輩、これって元々人だったと思いますか?」
使徒は使徒になった当事者のイメージから形を成すと言われているが、周囲に見える使徒は全て似たり寄ったりの外見で、しかもどの生物にも該当しないような外見だ。
動物に例えるには奇怪すぎるし、人というにもかけ離れすぎている。果たして全員が全員、このような姿をイメージして使徒になるのかと聞かれたら、誰もが首を傾げることだろう。
使徒になっても必ずあるはずの目も鼻もなく、あるのは耳と口だけ。
オリヴィアも何秒か解答を考えた後、右手を伸ばしながら口を開いた。
「人工的なモノだと思うぞ」
これらの使徒は、人工的なモノ。
そう結論づけたオリヴィアの右手には、夜なのにハッキリと青く煌く、蒼の聖剣が握られていた。
「ニブルヘイム」
足を軽く一歩踏み出し、まるで呼吸をするようにニブルヘイムを放つ。
オリヴィアの放ったニブルヘイムは、一瞬にして使徒たちの足元へと辿り着き、回避をしようとした使徒たちは、愛菜の神経毒によってうまく回避することが出来ずに氷漬けになっていく。
何体かの使徒はニブルヘイムを回避しているようだが、この調子だとすぐに殲滅が完了することだろう。
愛菜の神経毒で身体の自由を奪い、オリヴィアの広範囲異能で倒す。極めて相性の良い2人は、一気に使徒の数を減らせたことにより、一瞬の隙ができた。
いや、隙と呼べるのかどうかすら怪しい。
愛菜とオリヴィアが一瞬だけ互いに意識を向けた隙に背後から降り立った影は、商店街の屋根を突き破り、ニヤリと白い歯を見せて笑っていた。




