嫉妬に燃ゆる
「あった!」
夜色に染まる室内に、よく映える銀髪が揺れる。
紫色の瞳を輝かせ、ロッカーの中からピンクゴールドの腕時計を取り出した美月は、本当に嬉しそうだ。
悠馬から誕生日プレゼントで貰った腕時計を見つけることができて喜ぶ美月を見ていると、思わずこっちも嬉しくなってしまう。
美月の笑顔を見て微笑んだ朱理は、薄暗い更衣室の中を振り返り、体育館を見た。
「19時過ぎの学校も、こんなに暗くなるんですね」
「去年の肝試しは、結構遅い時間にしたのにね」
「はい。楽しかったです」
夜の学校を見ていると、去年の夏の出来事を鮮明に思い出す。
友達がたくさん集まってワイワイできた肝試しは、本当に楽しかった。
朱理も美月も、高校に入るまで友人と遊ぶという生活をしてこなかったため、友人との肝試しというのは強烈な印象として残っている。
探し物が見つかり安堵している美月は、肝試しを思い出して随分と嬉しそうだ。
「…そういえばあの時、悠馬さんが何かを見たような様子でしたね」
「へぇ…悠馬が…」
美月は1年の頃の合宿で悠馬と肝試しをした際、悠馬が怖がりじゃないことを知っている。
もちろん、あのときは神宮の暴走で肝試しは途中で終わったし、あれは悠馬が強がっていただけでボロが出ていなかっただけの可能性もあるが、悠馬が肝試しで反応するというのは意外だ。
朱理の意外な話を聞きながら腕時計を付けた美月は、満足そうに立ち上がると、朱理の背後を見て飛び上がった。
朱理の背後には黒い人影のようなものが、こちらを伺うようにして佇んでいた。
「うぁ!?」
「美月さん?」
「あ、朱…後ろ!」
「?」
美月が叫ぶと同時に、朱理はガバッと振り返る。
鋭い眼差しで、人でも殺しそうなほど目を細めた朱理は、背後を確認してピタリと動きを止めた。
「…何も居ませんけど…」
「え…あれ…?」
朱理の振り返った先には、誰もいなかった。
つい先ほど、美月が自分の目で確認できていたはずの黒い人影は存在すらせず、開かれた扉の先に広がっているのはだだっ広い真っ暗な体育館。
どこか不気味さを感じさせるような暗闇の体育館を見た美月は、ゴクリと生唾を飲み込み、額に手を当てた。
「美月さん、もしかして怖いの苦手なんですか?」
「うぅん…そういう自覚はないけど…確かに今、そこに何かが立ってたように見えたんだけどな…」
美月は怖いものが苦手なわけではない。
肝試しでだってあまり驚かないし、お化けだってほとんど信じていない美月は、朱理の言葉を聞いて歯切れ悪そうに返事をした。
確かに、今の状況から鑑みれば肝試しの話でビビって幻覚を見た怖がり女子という称号が相応しいだろう。
朱理が振り返った先に何もいなかった以上、真っ向からびびって幻覚を見たという可能性を否定できない美月は、若干不服そうだ。
人間、本能的に怖いと感じていれば、少しの物音でもお化けのせいだなんだと騒ぎ立てるし、もしかすると自分も、心の奥底では怖いという気持ちがあったのかも知れない。
そんな可能性を考える美月は、横に置いていた鞄とデバイスのケースを手に取ると、朱理の元へと歩み寄った。
「…」
確かに何かいた気がしたんだけどな。
何もいない静かな体育館に目を凝らす美月は、朱理と共に更衣室を後にした。
コツコツと、真っ暗な校内に上履きの音が響き渡る。
通い慣れた学校のはずなのに夜の景色は新鮮で、初めて訪れた場所だと錯覚してしまうような感覚を感じる。
程よい寒さが快適さを感じさせ、片手に重厚感のあるデバイスのケースを持つ朱理は、廊下から見えるグラウンドを見て、笑みを浮かべた。
「聞いた話によると、異能祭後のフォークダンスを一緒に踊ると必ず結婚できるというジンクスがあるようですね。美月さんはご存知でしたか?」
「うん、1年の頃はその話でかなり盛り上がってたから」
再来月に控えた異能祭。
グラウンドを見て、第1の中で噂になっているジンクスを思い出したのか、朱理は興味津々だ。
異能祭の後、男女がフォークダンスを踊れば結婚するというジンクスは、美月が1年の時にはすでに存在していて、当時は男子も女子も、狙いの異性をフォークダンスに誘ったものだ。
美月もそのジンクスを信じて、悠馬をフォークダンスに誘おうと画策していたくらいだ。
…まぁ、結局あのときは悠馬は朱理を救おうとしていて、後夜祭には現れなかったのだが。
1年の時の出来事を思い出す美月は、懐かしそうに外を見て、ハッとあることを思い出した。
「…そういえば…私と夕夏、後夜祭でフォークダンス踊ったんだけど…」
「あ……このまま行くと結婚しますね」
美月と夕夏は、後夜祭で悠馬と踊ることができなかった結果、偶然校内で鉢合わせ、その場の雰囲気でフォークダンスを踊った。
厳密にいえば美月と夕夏が結婚するわけではないのだが、悠馬の恋人である以上、2人が家族になるのはほぼ確定したようなものだ。
所詮噂話で偶然だと一蹴できる話でもあるが、ちょっとした偶然に、美月も朱理も、女心がくすぐられる。
朱理は女心をくすぐられ、紫色の瞳を輝かせながら笑顔を浮かべた。
「美月さん、私、今年の後夜祭は悠馬さんとフォークダンスを踊りたいです」
「いいね!去年は色々あって異能祭自体中止になっちゃったし、今年はハメ外したいよね」
去年は合宿の襲撃事件の影響で異能祭もフェスタも中止になってしまったため、今年は去年の分もハメを外したい。
朱理の夢見る乙女のような発言に笑顔で返事をした美月は、ゆっくりと瞬きをする。
朱理も美月と同タイミングで、瞬きをした。
和やかな雰囲気で好きな人とのフォークダンス、学校のイベントごとについて話す2人が目を開くと同時に、世界は赤く染まっていた。
「っ!?」
いや、厳密にいえば全てが赤く染まったわけではない。
赤く染まっているのは、外の景色が見えるはずの窓ガラスと、廊下の壁。
まるで返り血で赤くなっているような奇妙な光景は、2人を震え上がらせるには十分すぎた。
突如として変貌した景色に鳥肌がたった朱理は、美月と身体を密着させる。
「いいなぁ…いいなぁ…羨ましいなぁ…私も貴女たちみたいな顔が欲しいなぁ」
不意に背後から聞こえてきた声。
不気味に、それでいて笑いを堪えるように話しかけてきた声を聞いた瞬間、美月は体の芯から冷えていくような感覚に囚われ、冷や汗を流した。
「あ、朱…朱理…」
「……はい。…正真正銘のバケモノですね」
レベル10の2人を声だけで震え上がらせるほどの不気味さ。
振り返ることもなく絶望的な恐怖を感じる2人は、冷や汗をダラダラと流しながら歯を食いしばった。
逃げないといけない。
でもどうやって?逃げ切れるの?いや、戦うべきだろうか?
様々な考えが脳裏によぎり、一瞬にして過ぎ去っていく。
人間、こういう時混乱して何がなんだか分からなくなると思っていたが、実際混乱状態に直面すると、感覚が狂ってむしろ穏やかになってしまう。
脳内が徐々に鮮明になっていき、美月は震える手でデバイスのケースのボタンを押した。
カチャンという音と共に、美月の持っていたケースが開く。
それと同時に間髪入れずに振り返った朱理は、闇の異能を発動させて、校内だということもお構いなしに異能を放出した。
ガラスが砕ける音と、地面が削れたような不快な音が周囲に響き、朱理の放った闇が周囲を呑み込む。
美哉坂朱理という少女の溜め込んでいる闇の質は、計り知れない。
闇異能というのは異能の中でも特に特殊なもので、この異能は闇堕ちした際の絶望の度合いによって弱くも強くもなる。
つまり、聖異能でレベル10だったからといって、闇堕ちしてもレベル10とは限らず、質の悪い闇堕ちならばレベル7や8になってしまう可能性もあるのだ。
朱理はその中でも特に劣悪で、憎悪や苦しみ、絶望といった感情を悠馬以上に蓄えてる。
1年の10月、朱理がオクトーバーを相手に普通に戦えていたように、朱理の実力というのは、すでに総帥と並ぶほどだ。
これまでまともに異能を使ってこなかった朱理は、全身の細胞が震え上がるような悪寒を感じながらフルパワーで異能を放った。
「痛ぁい…痛いよ…」
振り返った先、闇の中から聞こえてくる声。
普通の人間ならば、重傷を負って身動きが取れなくなっていてもおかしくない状況で痛がるような声は、女性のソレだ。
美月はスウォルデンのデバイスを手にすると、黒銀を月明かりに反射させ、声のした方へと光を向けた。そして2人は、驚愕することとなる。
「っ!?」
「…!」
美月が反射させた光の先には、微かに返り血に染まった人物の姿が見えた。
人とは思えないほど大きく目を見開き、歪んだ笑顔を浮かべる少女はホラー映画のソレ。
今にもちびりそうなほど、おそらく男子が見ても泣いて逃げ出すような顔をしている赤い女は、変な方向に曲がっている右手を押さえながらじっと朱理を見つめていた。
聞いたことがある。
去年、肝試しをした時の赤い教室の女の話を記憶していた美月は生唾を呑み込む。
確か赤い教室の女は、混沌の異能によってデスゲームと化した教室の中、クラスメイトを全員殺して解放されたという都市伝説だ。
返り血に染まり、人とは思えない表情という点が一致しているし、朱理の異能を受けてもピンピンしている姿を見る限り、その辺の学生じゃない。
レベル10の異能を相殺できる人物は限られているし、こんな時間にあんな不気味な姿の強者がいるはずもないだろう。
「いいなぁ…その綺麗なお顔…羨ましいなぁ…」
「あ…」
「え…?」
一瞬だけ銀色の何かが煌めいたような気がして、首筋が冷たくなる。
ゾワっと鳥肌がたち、咄嗟に首元を抑えた朱理は、自身の首がしっとりと濡れていることに気付いた。
いや、正確にいえば、濡れているという表現は間違っているのかもしれない。
朱理の首は、微かに斬られていた。
ドクドクと脈打つ心臓から押し出された血液が、斬られた首元から溢れてくる。
美月は首元を抑える朱理の手の隙間から、ダラダラと血が流れていることに気づき、スウォルデンのデバイスを構えた。
「いいなぁそのデバイス。私も欲しいなぁ」
なんらかの異能で朱理の首を斬り、腕の再生を終えていた女は、血に染まった赤黒い頬を手で擦りながら立ち上がる。
その姿は、お化けや殺人犯という言葉が相応しく、美月は怯えを感じながら一歩を踏み出した。
体が重い。
本能的に、相手に勝てないと体が認識しているから、どうしても躊躇いが出てくる。
人間の脳というのは面倒なもので、勝てない、無理だと判断していれば脳に自然とリミッターがかかり、100%のパフォーマンスができなくなる。
美月はまさに、今がその状況だ。
震える手でデバイスが小刻みに動き、歩みも遅く、反応も鈍い。
美月のデバイスを羨ましがる女は、そんな彼女を見つめると、人を殺しそうなほどの狂った笑顔を見せた。
「貴女の髪、すごく綺麗…」
「な…何が目的なの…?」
「目的…目的…私はね〜、自分が持って無いモノを持ってる人が羨ましいんだぁ…。だからね…私が持って無いモノを持ってる人はみんな殺して、私が一番になるの」
「…そんな理由でクラスメイトを殺したの?」
彼女が赤い教室の女だということを前提で話す。
話だけしか知らないし、300年も前の話だから生きているなんて思えないが、こんな状況で考えられるのは赤い教室の女だけだ。
「…最初に殺そうとしてきたのは彼奴ら。だから私が正当防衛をしたらクラスが血みどろになっちゃったんだぁ…あの時は怖かったよ〜…殺さなきゃ自分が死ぬんだから、面白くて面白くて」
彼女の容姿や発言から察するに、クラスの中心的な人間ではなかったのだろう。
どちらかといえば風景に同化しているような、当たり障りのない、あまり目立たない生徒。
当然のことだが、人間がピンチに陥った際真っ先に切り捨てられるのは、クラスの嫌われ者か地味で目立たない、あまり友達のいない生徒だ。
そういう人たちは大抵、切り捨てる際にも心が痛まないし、なによりも自分が標的にされるよりも他人を標的にしようとするのが集団の心理。
自分が標的にされたからみんな殺したと話す彼女は、自身の頬を撫でながらため息を吐いた。
「…貴女は要らないや。綺麗だけど神の臭いがキツいし…」
「…?神の臭い…?」
美月は神と契約を結んでいない。
これまで一度も神と遭遇した記憶も、契約をした記憶もない美月は、彼女の意味不明な言葉を聞くと同時に、肋骨がメキメキと音を立てながらめり込み、口から血を吐き出した。
それはあまりに突然で、痛みすら認識できなかった一瞬の出来事。
「ぐぷっ…」
「美月さん…!」
首元を止血しながら、血反吐を吐く美月へと朱理が左手伸ばす。
しかし朱理の手が美月を掴む直前、女は美月の脇腹へと蹴りを入れ、美月はガラスの割れた窓から外へと投げ出された。
「あーあ…お友達死んじゃったね」




