詰み
「悠馬…何がどうなってるの?」
ルクスが混沌に抵抗して生じた隙を利用して、悠馬は撤退をした。
ここは第7学区、花蓮の寮の中だ。
真っ赤で豪華なカーペットに膝をつく悠馬の横には、セレスや美沙の姿もある。
悠馬がゲートを使用して、混沌の前から撤退する際に、2人も助け出したのだ。
不安そうな花蓮の声を聞いた悠馬は、真っ白な壁に寄りかかり息を吐いた。
「混沌がルクスの体を乗っ取って復活した。…さっきのアレは、もうルクスじゃない」
「そんな…」
ルクスと最も親しい花蓮には酷な話だ。
この半年、一緒の寮で共に過ごし、休日は2人でお出かけをするくらい仲が良かったのに、突然その友人はもう戻ってこないと言われれば、誰だってショックを受ける。
悠馬の発言に愕然とした表情を浮かべた花蓮は、蹌踉めき、壁に手をつく。
「助けられるわよね…?」
花蓮の質問に、悠馬は顔を顰め、夕夏は目を逸らした。
物語能力者である夕夏は、すでに気付いているのだろう。ルクスはもう助からないと。
視線を向けた先で2人が黙り込んだ姿を見た花蓮は、唇を噛んでその場に蹲った。
「嘘でも言いなさいよ…助けられるって言いなさいよ…ルクスは…あの子は…悠馬のことを…」
別れは突然だ。
いきなり混沌が現れ、ルクスの身体が乗っ取られたという話に納得できない花蓮は、涙を流しながら壁を叩く。
「それにアンタ、去年混沌は倒したって言ってたじゃない…」
そう。混沌は去年、あのお方との戦争中にどさくさに紛れて悠馬が殺した。
混沌の死を見届けた人はほとんどいないようなものだが、それだけは事実だ。悠馬はタルタロスで、確かに混沌を殺した。…はずだった。
「殺したよ。確実に跡形もなく消しとばした。…でも、左腕だけ残ってたみたいで。日本支部がそれを回収してて、その腕が奪われた」
これは悠馬が悪いわけじゃない。
確かに、あの時ジェットストリームを放った後に周囲の確認を怠ったのは事実だが、確実に息の根は止めた。
花蓮は悠馬の話を聞いて、再び壁を強く叩いた。
「それはわかった。でもどうしてルクスなのよ!?あの子は関係ないでしょ!」
「…ルクスは混沌の子孫なんだよ。…混沌の血を引いてる。…だから依代に使われた」
「そんなことって…」
奇跡的な確率だと言ってもいい。
混沌を倒したのが悠馬で、そんな悠馬が偶然知り合うこととなったルクスが、混沌の子孫だなんて。
確率にすれば、限りなくゼロに近い数値でしか巡り合わない運命で、2人は出会ってしまった。
情も何もない相手なら、悠馬だってそれなりに接戦を繰り広げれたことだろうが、ルクスのことを知っているのが仇となり、本気を出せずにいる。
「…どうするの?」
花蓮は吐き気を催すようなショックに囚われながら、最悪の可能性を考える。
混沌がルクスを依代にした理由も、なぜ混沌が復活したのかもわかった。ならば次に考えることは、混沌をどうするのかだ。
花蓮の脳裏には、すでに導き出された結論があって、彼女は悠馬にそれを否定して貰いたくて尋ねる。
悠馬はというと、結論を決めかねていた。
…もし仮に、さっきと同じように花蓮や彼女たちに危害を加えようとするなら、その時はもう殺すしかない。
だが、殺したくないという気持ちもある。
半年以上も共に過ごした影響で結論が出せない悠馬と花蓮が黙っていると、その沈黙をある人物がぶち破った。
「殺すしかないよ。早いうちに殺したほうがいい。彼女がまだ、彼女としての自我がある間に」
沈黙を破ったのは、星屑だった。
美沙は全く話が理解できてないようだが、その場の雰囲気に呑まれ、殺すという言葉に驚愕する。
「アンタ…誰よ!私たちの会話に割って入ってこないで!」
「これが最適解だよ花咲花蓮。これ以上被害を出さないために、混沌が完全にあの子の身体を支配する前に、殺してあげるべきだ」
星屑のことを、花蓮は知らない。
初対面でルクスを殺すべきだと提案してきた彼に怒りを隠せない花蓮は、今にも掴みかかりそうな表情で星屑へと詰め寄る。
「か、花蓮ちゃん!」
「どいて夕夏!私コイツは許さない!悠馬!アンタもルクスのことを殺すなんて言わないわよね!?」
軽い揉め事に発展している花蓮を見て立ち上がった悠馬は、彼女を強く引き寄せ、ギュッと抱きしめた。
「…ごめん花蓮ちゃん。…次、花蓮ちゃんや夕夏…俺の大切な人に混沌が手を出すなら、殺さないっていう保証はできない」
何事にも、順番というものがある。
人間の人生というのは選択の連続で、どちらかを選ばなければ、どちらも失ってしまうのが大半だ。
だから選ばなくちゃいけない。
悠馬は悪羅が選ばずに失敗した未来を知っているからこそ、選ぶ判断を取るしかない。
アレがルクスの身体だろうが何だろうが、次、大切な人に危害を加えるようなら殺すかもしれない。
そう答えた悠馬に、花蓮は言葉を詰まらせた。
きっと花蓮自身もわかっていたはずだ。悠馬が1番恐れていることは大切な人たちを失うことで、相手が大切な人を奪おうとするなら容赦しないことも。
「…今の俺には、ルクスを助けられる方法がない」
セカイが完全だったのなら、神格を得て何とかできたかもしれない。しかし3割も奪われたセカイで出来ることといえば、反転セカイとほとんど変わらないのだ。
闇や聖を同時に使うことこそできるものの、神格を得たり、無から何かを創生するなんてことはできない。
だからルクスを救える方法がない。
わかっていたことと言えど、悔しくてたまらない花蓮は、悠馬の胸にしがみついて嗚咽を漏らした。
「嫌だ…嫌よ悠馬…そんなこと言わないでよ…」
「ごめん…花蓮ちゃん」
どうするのが正解だったんだろうか?
あの時もっと早く気付いていれば、ルクスを救えていたのだろうか?
大きく肩を震わせ号泣する花蓮の背中をさすりながら、悠馬は考える。
「どうすれば…」
お前を救えたんだ?
***
「暗いですね」
「そうだね…なんか不気味かも…」
場所変わり、ショッピングモール前。
平日の放課後や休日は学生で賑わうショッピングモールには、悠馬の恋人である美月と、朱理の姿があった。
2人は大きく梱包されている箱を手にして、不気味な空を見上げながら会話をする。
「しかし、驚きましたね。まさかスウォルデンさんのデバイスが、ショッピングモールで受け取りだなんて」
「あはは…そうだね。業者さんが間違ったんじゃないかな?」
今日、2人がショッピングモールに訪れた理由は、手違いでショッピングモールに配送されたスウォルデンのデバイスを回収するためだ。
異能島に入ってくる大きな商品は、大抵ショッピングモールが販売するものだし、間違って運び込まれたのだろう。
ちょっと怒りたい気持ちもあるが、デバイスを無事に受け取ることができて満足している2人は、愚痴ることもなく歩みを進めていた。
「…そういえば美月さん、今日は腕時計を付けてないんですね」
美月の方を向いて話していた朱理は、いつも彼女の左腕についているはずのピンクゴールドの腕時計が付いていないことに気づく。
アレは朱理が転入してきた頃から、美月が肌身離さず大切に持っていたものなのに、今日つけていないのはなぜなんだろうか?
そんな疑問を感じて口に出してみると、美月は自身の左腕を確認し、ピタリと動きを止めた。
「え…!?」
腕時計がない。
ギョッとしたような表情で左腕を挙げた美月は、慌ててバッグを地面に置き、中を確認し始める。
「ない…」
ガサゴソとバッグの中身を確認した美月は、悠馬から誕生日プレゼントで貰ったはずの腕時計がどこにもないことに気づき、青ざめた表情で手で顔を覆う。
「大切な物だったんですか?」
「…1年の時に…悠馬からもらったはじめてのプレゼントなの」
「…それは…」
好きな人からはじめてもらったプレゼントを、どこかで無くしてしまうほど悲しいことはない。
そりゃあ、値段にすれば数万程度、学生ならばお年玉やアルバイト、親にわがままを言って買い換えることは可能なわけだが、物というのは、それまでの過程にこそ価値が宿る。
例えば道端で拾った高価な財布と、好きな人から貰った高価な財布なら、人は当然後者を大切に扱うはずだ。
美月の今にも泣きそうな顔を見た朱理は、残念ですね、諦めましょうなどと言わずに、言葉を詰まらせた。
「どこかで落とした可能性は…低いですよね」
長い黒髪を払い、頬に手を当て、推理を始める。
腕に着けていた時計が歩いている最中に取れてしまうのは考えにくい。
かなり古い時計なら落とす可能性もあるかも知れないが、2年程度しか使っていない時計ならば緩みなんてほとんどないだろうし、そもそも時計にだって重みがある。
当然だが、歩いている最中にぽろっと腕時計が外れたら、音や感覚で気づくことだろう。
そう考え、落とした可能性が低いと結論づけた朱理は、今日の出来事を思い出す。
「少なくともショッピングモールには無いですね」
人通りも多いショッピングモールで美人の美月が落し物をすれば、男子の1人や2人、気を利かせて落とし物を持ってきてくれるはずだ。
…というか、美月が落としてないものまで男子が持ってくるレベルだし、ショッピングモールで落とした可能性は考えられない。
ならば可能性として上がるのが、第1からここまでの道と駅、そして学校内だ。
「そういえば…今日は体育がありましたね」
「あっ…」
今日の6限は、体育だった。
授業内容を思い出した朱理にピクリと反応した美月は、顔を上げるとすぐに立ち上がった。
第1の体育の授業…いや、これはどこの高校も同じだろうが、体育の時間というのは基本的に腕時計やピアス、ネックレスをつけたまま運動をするのは禁止になっていて、体操着に着替える際に必ず装飾品を外す必要がある。
それは運動中に他人を怪我させないために、体育教師たちも徹底して装飾品をつけていないかの確認をしている。
腕時計を外す機会があったとするなら、その時くらいだろう。
美月は思い当たる節でもあったのか、左腕の腕時計を付けていた部分をさすりながら深く頷く。
「体育の時に外したのは覚えてる」
体育の時、更衣室で腕時計を外して、ロッカーに仕舞った。
体育の着替えは、男子は教室を使うが女子は更衣室を使うため、腕時計を忘れて行っても誰も気づかない可能性はかなり高いだろう。
なにしろ6限目が体育なわけだし、次に更衣室を使う女子たちはいなかったはず。
「では今から学校に向かいましょう」
「え…悪いよ。第1までは1人でも行けるし、さすがに遅くまで朱理を付き合わせるわけには…」
交通費だって掛かるし、時間もかかる。
既に周囲は真っ暗だし、朱理に迷惑をかけてしまうと思っている美月は、彼女の提案を軽く拒絶する。
「問題ないですよ。だって私たち、将来の家族じゃありませんか。…それに、少し嫌な予感もするので」
「…?」
朱理が空を見上げながら呟く。
まだ18時を過ぎたタイミングだというのに真っ暗な空に嫌な予感がした朱理は、1人で動くよりも、2人で動いた方がいいとの判断だ。
なんだか空気が少し重たいし、得体の知れない寒気も感じる。
美月も寒気は感じているのか、両腕をさすりながら立ち上がると、朱理の肩へと擦り寄った。
「美月さんって、案外甘えん坊ですよね」
「そ、そう…?」
まるで恋人同士のような距離まで詰めてくる姿は、仲のいい女子なら当然の景色なのかもしれないが、美月はその中でも特に距離が近い。
現に、肩は触れ合うほどの距離まで近づいているし、朱理の腕には美月の腕が当たり、ほんの少しの温もりも感じるほどだ。
美月は湊っ子でこれまで湊に甘えていたため、それも原因のひとつなのだろう。
別に近づかれたからと言って気分が悪くなるわけでも暑苦しいわけでもないから構わないが、美月の意外な一面を知れた朱理は、微笑みながら歩き始めた。
「ついでに、学校でデバイスの確認でもしませんか?」
「えぇ…怒られるかもよ…」
スウォルデンから作ってもらったデバイスを振り回したくてウズウズしている朱理。
元々朱理自身、血の気の多いタイプで、花蓮と違ってその血の気を内側に秘めているため早く試し斬りでもしたいのだろう。
朱理の提案に微妙そうな表情を浮かべた美月は、右手に持っていたデバイスのケースを見てから、生唾を飲み込んだ。
「…ちょっとだけなら…」
朱理に提案され、乗り気になってしまった美月。
彼女のこんな姿を見たら、警視総監の父親はきっと号泣するはずだ。




