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ここは日本の異能島!  作者: 平平方
アフターストーリー
449/474

混沌に沈む2

 最悪だ。最悪すぎる。


 悠馬は全身から血の気の去っていくような感覚と、冷や汗を流しながら握り拳を強く作る。


 夕夏を避難させたかった。

 いくら夕夏が物語能力者でも、セカイの領域に至った混沌にはまるで歯が立たないし、彼女を失うことだけはなんとしても避けたい。


 だから隙を見て、この場から撤退するつもりでいた。

 混沌を食い止めることよりも命を大事に考えている悠馬は、ここでの激突をなんとしても避けたかった。


 しかし、そんな悠馬を絶望の淵に叩き落とすように、タイミング悪く現れたのは、風呂から上がりたてで悠馬の寮に戻ろうとしていた花蓮。


 彼女はルクスが地面を割っている姿を見て、また悠馬が余計なことをして怒らせたのだろうと考えていた。


 呆れ気味に深いため息を吐いた花蓮は、茶色の髪を揺らし、迷いも不安もなくルクスの元へと歩み寄る。


「か、花蓮ちゃん!」


「ダメ!」


「なによ?どうせまた余計なこと言ったんでしょ?」


「ちが…」


 ルクスへと歩み寄る花蓮を止めようと、悠馬も動く。

 しかし混沌は、そんな悠馬を見て2人の関係性を察したのか、冷ややかな笑みを浮かべ花蓮へと近づいていった。


「クソ…っ!」


 花蓮を助けるということはつまり、ルクスを傷つけるということ。


 今の距離から花蓮を助け出す手段を持ち合わせていない悠馬は、必然的に混沌へと攻撃する他ない。


 様々な躊躇い。ルクスを傷つける度胸も、花蓮を失う覚悟もない悠馬は、歯を食いしばり神器を構えた。


「もう遅いよ」


 数秒の思考。わずか数秒、されど数秒。

 決定的、致命的な躊躇いを見せた悠馬に、まるで先生が教え子に話すように遅いと告げた混沌は、手の届く距離にまで来た花蓮へと手を伸ばした。


「花蓮ちゃん!」


 悠馬も手を伸ばす。

 10メートル以上離れているため絶対に届くはずがないが、それでも手を差し出した悠馬は、大きく目を見開いたまま、掠れた声で叫んだ。


「さようなら。名も知らない少女」


「え…?」


 バシっという音が響き、悠馬は目を瞑る。


「ぁぁぁぁぁっ…」


 ダメだった。届かなかった。最初から割り切って混沌を攻撃していたら、こんな結末にはならなかったかもしれない。


 目の前に広がっているであろう凄惨な光景を想像し、目を開けることができない悠馬は、硬いコンクリートの地面を何度も叩く。


 すぐに拳は真っ赤に腫れ上がり、皮膚はコンクリートで抉れ、血が流れる。


 しかし、悲しみに暮れる悠馬とは反対に、夕夏は悲鳴一つ上げず、目の前に広がっている光景を眺めていた。


「え…?」


 夕夏の間の抜けたような声が、辺りに響く。


 花蓮は目の前で起こっていることが全く理解できずに、一歩後ずさって混沌から距離を置いた。


「なんだ…?」


 混沌の声を聞いて、悠馬は恐る恐る目を開く。


 混沌が花蓮へと攻撃すべく伸ばした右手は、混沌自身の左手によって掴まれ、動かせないようにされていた。


 その事象が混沌も理解できていないのか、自身の右手の動きを阻害する奇妙な左手に、顔を顰めている。


 何が何だかわからないが、この状況で考えられることはただ一つ。


 混沌の中には、まだルクス自身の人格も残っている可能性だ。

 ルクスは花蓮と共に半年以上を過ごしてきたし、そんな彼女を手にかけるのを拒絶したのだろう。これは好機だ。


 咄嗟にそう判断しゲートを発動させた悠馬は、半ば強引に花蓮のいる場所にもゲートを発動させ、撤退を始める。


「花蓮ちゃん!」


「ええ…」


 悠馬に名前を呼ばれ、拒絶することもなくゲートの中に入っていく花蓮。

 しかし彼女の瞳は、不安そうにルクスを見据えていた。


 黒い渦が展開される中、身動きすら取れない混沌は、無理に動こうとはせずに悠馬たちが逃げ出すのを見送る。


 不安そうな花蓮の眼差しを見て、ニコリと微笑んだ混沌は、誰もいなくなった道端でため息を吐いた。


「さすが俺の子孫…この俺に抗うか」


 ガッシリと右腕を掴んだまま離そうとしない左腕に、混沌は躊躇なく異能を発動させ左腕を切り落とす。


 ボトッと音を立てて落ちたルクスのか細い腕は、重力に負けて地面に転がると、断面から鮮血を流しながらピクリとも動かなくなった。


 そんな左腕を混沌は蹴飛ばし、額に手を当てる。


「先ずはこの身体を完全に乗っ取っておいた方がいいか」


 これから先、今みたいな状況でルクスに抵抗されては困る。

 ピンチに陥るとは思えないが、それでも自分の身体に無意識に寝首をかかれる可能性があるのは、控えめに言って驚異だろう。


 身体が自分の思い通りに動かないと知った混沌は、切り落とした左手を再生させながら瞳を閉じた。



 ***



「なんとか…花蓮チャンは助けられたかな…」


 グレーがかった精神世界に1人取り残されているルクスは、1人呟く。


 目が覚めたらここにいた。何が起きたのか、なぜこの精神世界から抜け出せないのか、全くわからない。


 さっきから契約神であるオシリスの名を何度呼んでも反応してくれないし、何かがおかしい。


 精神世界というのは本来、自身の精神を保護するために存在する空間で、夢の世界のようなものだ。


 しかも精神世界は夢と違って、頭はスッキリとしているし、ここは現実じゃないということも瞬時に判断できる。だから本来、精神世界はその精神を作った人間が目覚めたい、抜け出したいと考えれば、意識が外面の世界、つまり現実世界に向くはずなのだ。


 しかしルクスは、それを何度試しても思い通りにならなかった。

 精神世界にたった1人、何ができるわけでもなく取り残されているルクスは、辛うじて外の世界の状況を理解していた。


 身体が自分の命令ではなく、誰かの命令で花蓮を殺そうとしていたところを阻止したルクスは、灰色の空間に座り込み、天井の見えない上空を見上げた。


「…?」



 ルクスが上空を見上げてすぐ。

 グレー色の空からは、黒い滴のようなものが一滴、降ってきているように見えた。


 雨など降らないはずの空間で、ルクスが黒く染めたいとも思っていないはずの空間なのに、黒い物体は徐々に大きくなっていく。


「アレは…」


 精神世界を侵食していく、ナニか。ルクスが見上げると同時に空間を侵食し始めた黒い滴は、グレーの精神世界を飲み込み、まるで何者かに適した環境を作っているようにも感じられる。


「止まれ」


 ルクスの精神世界ならば、ルクスの言葉とイメージが真っ先に適応される。


 自分自身の精神世界を害そうとする何かに向けてルクスが止まれと発言すると、黒の侵食はピタリと止まり、動かなくなった。



「これは一体…」


 黒の侵食はすでに精神世界の半分を飲み込み、ルクスが何をイメージしようが戻ることはない。


 自分自身のイメージでどうにもならない空間に戸惑いを隠せないルクスは、背後からドチャっという肉が潰れたような音を聞いて、咄嗟に振り返った。


「やあ。初めましてだよね」


「っ!」


 瞬間、ルクスは身の毛もよだつような恐怖を感じ飛び退いた。

 振り向いた先に降り立っていた黒髪の人物は、寒気を感じるほどの禍々しいオーラを放ち、ルクスに挨拶をする。


 それはまるで、家族に向けるような柔らかな表情で、殺気や敵意といった感情は感じられない、柔和な笑顔。


「キミは…」


「混沌…っていえばわかるかな」


「な…」


 隠すこともなく、ルクスでもわかる自己紹介をした黒髪の男、混沌は、上空を侵食している黒を見て、ため息を吐いた。


「驚いたよ。まさか君程度の実力で、俺の黒の侵食を食い止めるなんて」


 素直に称賛してくる混沌だが、全く嬉しくない。

 なぜ混沌がこの空間に現れたのか、なぜ侵食しようとしてくるのか全く理解できないルクスは、警戒したまま距離を保つ。


「その怯えたような目。すごくいいね。瞳の奥が揺らいでいるよ」


 全てを見透かしたように話してくる。

 ルクスは闇堕ちだから表情や喜怒哀楽で表現できることはほとんどないが、全てを見透かしたように話してくる混沌には、恐怖を覚える。


 まるで心情を読まれているような、心臓を握られているような一種の寒気を感じたルクスは、冷や汗を流しながら震える手を隠した。


「混沌…どういう了見だい…?なぜボクの精神世界に存在できる?」


 一番の疑問。なぜ混沌がこの場に存在できているのか、なぜ混沌が精神世界を侵食できるのかわからないルクスは、相手との距離を詰めるべく訊ねる。


 いくら相手があの混沌だろうが、ここはルクスの精神世界。相手が油断したところでこの世界から排除できれば、混沌の力など関係なしに、ルクスが優位に立てることだろう。


「存在するも何も、今から君が消えるからだよ」


「は?」


「今日からこの身体は、俺のモノだって言ってるんだ」


 その言葉を聞いた瞬間、ルクスはなぜ精神世界から抜け出すことができないのか、なぜ花蓮に危害を加えようとしていたのかを悟り、激情に駆られた。


 イメージで生成した黒の聖剣を携え、闇の異能を発動させると、殺意の篭った眼差しで混沌へと斬りかかる。


「おっと…」


 早い。

 闇移動で急激に距離を詰めたにも関わらず、見向きもせずにルクスの剣撃を回避した混沌は、欠伸をしながらルクスの額に手を伸ばし指を弾いた。


「っぁ…」


「はは…今のはほんの挨拶だよ」


 頭部に鈍い衝撃が走り、浮遊感が体を襲う。一瞬だけ脳内が白と黒にチカチカと点滅するような景色を見た後に、ルクスは地面に倒れ込んでいた。


 何をされたのかも全くわからないし、頭がグワングワンと揺れて上手く体が動かせない。頭蓋が割れたように痛い。


 立っているのか、身体が自由に動いているのかもわからないまま、ルクスは額に手を当て真っ赤になった掌を見た。


「おいおい…今のはデコピンだろ?いくら女でも、弱すぎない?」


 ニコニコと笑う混沌の姿は、ルクスのことを敵としてすら認識していなかった。


 ゲームで例えるなら、レベル99のキャラクターがスライムと戦うようなもの。負けるという思考すら頭に浮かばないし、軽く蹴飛ばしただけでも殺してしまうような存在として、ルクスのことを認識している。


「抵抗はしないほうがいいと思うよ?ここは精神世界。…どうなるかわかるよね?」


 人間というのは、幸せな生き物だ。

 本当に危険な時、命の危機に脅かされている時、人という生き物は意識を失うことでその場をやり過ごすことができる。


 意識を失っている間は何も感じないし、眠っているようなものだ。人間は知らず知らずのうちに、自己を防衛するため、意識を失い、精神を保とうとする。


 …しかし、精神世界はどうだろうか?

 以前話したかもしれないが、精神世界は自身の作り上げた世界であるが故、痛覚が機能している。味覚だって、聴覚だって、人間にできることが全てできる精神世界では、意識を失うということができない。


 だからどれだけ痛みを感じようが、即死量のダメージを負おうが、精神世界に閉じ込められた以上、その痛みを意識を失えず伴うわけだ。


 しかもタチの悪いことに、精神世界ではアドレナリンなどという脳から分泌されるものがほとんど存在しないため、感じる痛みは現実世界の数倍。


 混沌が何を言いたいのか、抵抗すればどうなるのかを悟ったルクスは、血を拭いながら立ち上がった。


「随分な挨拶じゃないか。勝手にヒトの精神世界に足を踏み入れておいて攻撃するなんて。キミは暴漢だね」


「はは…俺は俺のやりたいことをするんだ。周りがどうなろうが知ったことじゃない」


「清々しいほどのクズが」


 悪びれることもなく、自分以外はどうなってもいいと明言した混沌は、ルクスが警戒をすると同時に姿を消した。


「なっ…」


 目で追えないどころの話ではない。

 普通、目で追えないというのは、動き出しは見えているし、何かが動いているということだけは察知できている。


 しかし今の混沌の動きは、動いているというよりも、消えたという表現の方がよく似合う。


 周囲を見渡してもどこにもいない混沌を探すルクスは、直感的に寒気を感じながら身体を震わせた。


 まるで良くないことを身体が予感しているような、そんな寒気。


「ほら。心臓を貰うよ」


 姿を消した混沌は、いつの間にか最大限警戒するルクスの前に立っていて、彼はそう発言するとすぐに手を突き出した。


 ぐちゃっという肉を潰したような音が精神世界に響き、ルクスは目を見開いた。


「ぐ…ぁぁぁあっ!」


 激痛なんてものじゃない。

 これまで感じたこともない痛みに悲鳴を上げたルクスは、気が狂ったように瞳が揺らぎ、その場で発狂する。


 現実世界でなら、心臓を潰された時点で意識を失える可能性もあったが、精神世界では意識を失えずに心臓を潰された痛みだけを感じ続ける。


 ルクスの胸元に手を突っ込んだ混沌は笑いを堪えているのか大きく肩を震わせ、彼女の胸から血管に繋がれた心臓をむしり取り、地面へと投げ捨てた。


 ドチャっというグロテスクな音と、ルクスの悲鳴、混沌の笑い声だけが、精神世界に響き渡る。


「ははは…!人が泣き喚く姿はいつ見ても楽しいなぁ…」

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