甘く、ほろ苦く
大男と通り過ぎてからすぐに電車に乗り込み、第3学区の海浜公園へとたどり着く。
悠馬や夕夏が第3学区から通学しているように、第1高校から第3学区までの道のりはさほど時間はかからず、20分ほどで目的地にたどり着いた。
八神はまだまだ肌寒い潮風を顔に受け、目を細める。
夕焼けに染まる海がロマンチックで、まるでドラマさながらのワンシーンのようにも感じる。
「やっぱ、春は人が少なくていいねー!」
夕焼けに見惚れていると、横にいた美沙から声をかけられた。
彼女の声に反応した八神は、言われてみれば人気のない海浜公園を見渡して、首を傾げた。
「今日は晴れなのに、珍しいな」
「寒いからでしょうよ…」
夏や5月にもなってくると人は増えるが、わざわざ肌寒い春先に、風の強い海浜公園に行こうと考える人は少ない。
特に今は4月だし、1年生も入学したてだから海浜公園に寄ろうなんて考えもしないことだろう。
何も知らない八神に呆れたように答えた美沙は、両手を後ろで組み、クレープ屋さんのメニューを凝視する。
「わっ、こんなにメニューあったんだ!全部食べようとか思ってたけどこれは無理!」
美沙に言われてメニューを見てみると、確かにクレープ屋さんのメニューは、クレープだけで20種類もあった。
これを1日で食べ尽くすのは、まず無理だろう。
多種多様なクレープのメニューを見つめる美沙は、嬉しそうに手を合わせ、何を食べるのか考え始める。
「八神は何にするか決めてんの?」
「いや、まだ決めてないな…下調べはしてたけど、メニューまでは調べてなくて」
「そっか」
美沙はメニューまでは調べてなかったという話を聞いて、ちょっぴり残念そうに視線を逸らした。
それもそのはず、女子からして見るとこういったデートはなんでもエスコートしてもらいたい。
あそこが美味しいよ、次はここに行こう、実はこの近くに…などなど、入念な下調べがあるからこそ発展するデートというものもあるし、下調べをしていた方が、ちゃんと意識してくれているんだと実感できて嬉しい。
だからこそ、クレープ屋さんまでしか調べてないと明言した八神の言葉は、美沙とのデートをその程度にしか考えてなかったという認識になる。
「國下?」
「なんでもないー」
八神がキョトンと首を傾げると、美沙はツンとした表情で目を閉じ、唇を尖らせる。
何か間違ったことを言ってしまっただろうか?
乙女心は案外繊細で傷つきやすいと知らない八神は、目に留まったメニューを見て指さした。
「あ、俺これにしようかな?」
「えー、ベタなの行くね」
八神が指さしたのは、ストロベリーチョコバナナクレープという、どこのクレープ屋さんにでもある超無難でありきたりな商品だった。
美沙も無難すぎる八神の注文に、思わずベタだと呟いた。
「べ、別にベタなやつでもいいだろ!」
「いいけどさ〜、せっかくのデートなんだし、もっと面白そうなの頼んでよ〜」
「で、デー…っ!面白いやつってなんだよ!」
デートという言葉に流されそうになったが、そうはいかない。
顔が火照っているのを感じながらも、美沙の口車に乗せられるギリギリのところで踏みとどまった八神は、ニヤニヤ笑いをする彼女に反応する。
「これとか?」
「ブラックコーヒークリームクレープ…?」
「苦さMAX!」
「嫌だよ!ゲテモノだろコレ!」
美沙の指差すメニューを見て見ると、そこにはコーヒーの豆を潰してクリームに混ぜた、独特なクレープの写真がある。
甘みと苦味が程良いバランスでおいしいと書いてあるが、残念なことに美味しそうには見えない。
コーヒーの苦味を想像する八神は、食べてもいないのに舌が苦味を帯びてきたような気がしたベロを出した。
「八神〜、男は色々挑戦だよ?私は保守的な男はあんまり好みじゃないかも…」
美沙は八神と話しつつ、自分の好みを暴露した。
そう、美沙は保守的な男よりも、挑戦的な男が好きだ。
様々な男との経験がある美沙にとって、保守的な男というのはつまらないものだろう。
なにしろ日本支部には、保守的な男が溢れ返っている。
なんの目的もなく社会人として働き、深く考えずに一生を終えていく保守派。
そういう人々は、社会に出ても絶対に成功しない。
なにしろ保守的なのだから、時代の最先端を先どりすることができないのだ。
美沙に好みじゃないと言われた八神は、ハッと顔を上げ両手で握り拳を作った。
「わかった。俺はブラックコーヒークリームクレープにする」
「さっすが〜、私、そういう男大好きよ」
八神が宣言をすると美沙が左腕に抱きついてきて、八神は今にも燃え上がりそうなほど顔を真っ赤に染める。
今にも心臓が飛び出しそうだ。
これまで、幾度となく女性と接する機会があった。
八神は容姿が整っているし、性格的にもかなり優しい部類に入るから、声をかけてきた女性の中にはこうして美沙のように、強引に抱きついてくる人も少なからずいた。
その時は特に何も感じなかったし、おっぱい柔らかいな。程度の認識だったが、今は違う!
好きな人から腕に抱きつかれた感触、制服越しに伝わってくる、微かな胸の柔らかさ。
好きだからこそついつい意識してしまう彼女の行動に、視界がくらくらと歪んでくる。
「私は何にしようかな〜」
そんな八神の心境などいざ知らず、美沙は腕を絡めたままメニューを凝視する。
「あ、これいいかも!」
八神が注文を決めてから、僅か数秒。
めぼしいメニューでもあったのか、大きな声を上げた美沙に、八神はようやく正気を取り戻した。
「何にするんだ?」
「この抹茶クリームクレープにしようと思うの!良さげじゃない?」
「美味しそう」
美沙風に言うなら、アリ寄りのアリだ。
無難とまではいかないが、明らかに美味しそうなクレープを選んだ美沙が、正直羨ましい。
八神は勢いでブラックコーヒークリームクレープなどというわけのわからないクレープを選んだのを、すでに後悔し始めている。
「いらっしゃいませ〜」
2人がクレープを選ぶのを律儀に待ってくれていた店員は、八神が屋台の前に来ると、営業スマイルを浮かべながら対応してくれる。
年齢的には二十代後半ほどの女性で、通が鴨られているドーナツ屋のお姉さんよりも少し歳がいっているように見えるが、大人特有の色気というものがある。
綺麗だ。
メイクをしているためか、整った顔立ちに見える店員さんに思わず見惚れてしまう。
そんな八神に気づいた美沙は、八神の無防備な脇腹へと肘打ちを入れた。
「うっ…」
「見過ぎ。なに?女なら誰でもいいわけ?」
「ち、違…!」
異能島では見かけない綺麗な年上お姉さんだから見惚れていただけだ!なんて口が裂けても言えない八神は、ジトっとした眼差しの美沙を見て、口を噤む。
「あのー、ご注文はお決まりですか…?」
目の前で繰り広げられる、カップルの茶番。
店の前にいるのに、注文もせずに惚気るバカップルを見た店員は、若干引き攣った笑顔になりながら、早く注文しろよと聞いたげな表情を浮かべていた。
人間、目の前で見ず知らずのバカップルが騒いでいると腹が立ってくるものだ。(偏見)
目の前で騒ぐ美沙と八神の会話を強引に中断させた店員は、メニューを八神に突き出し、早く注文を言えとアピールをしてきた。
「えっと、ブラックコーヒークリームクレープと、抹茶クリームクレープを1つずつお願いします」
「2つでお会計1390円になります」
店員の圧に負けた八神が、注文を始める。
その間も、美沙はジトっとした眼差しで八神を見つめる。
まぁ、デート中に他の女を凝視するのは絶対にやってはいけないことだと言ってもいい。今の八神の行動は、大幅減点だ。
「焼き上がりまで少々お待ちくださーい」
八神がお金を支払うと、店員はキッチンカーの奥へと消えていった。
幸いなことに、2人の後ろには待ちができていなかったため、自然と2人きりの空間が形成された。
「って、あ!八神、なにさらっと会計済ませてんの!?」
2人きりになってから、美沙は重要なことに気づいたようだ。
ごく自然に、呼吸をするように八神が注文を済ませ、会計を進めたため気づくのに遅れたが、美沙はお金を払っていない。
美沙がお金を払っていないのに注文が通ったということはつまり、八神が美沙の注文分のお金を支払ったというわけだ。
そのことに気づいた美沙は、慌てて鞄のチャックを開き、中からブランド物の財布を取り出す。
「いいよ。数百円だし」
「いや、流石にタメに奢ってもらうのは嫌だし…それにソレ、お小遣いでしょ…?」
さらっとカッコつけてお金はいらないよなんて言ってるが、八神の持っているお金は全て、本土のご両親から貰ったお小遣いだ。
八神がアルバイトをしているならまだしも、流石にご両親からのお小遣いを使って欲しくないと考える美沙は、700円を取り出し、八神に渡そうとする。
八神も八神で、受け取らざるを得ない状況だ。
八神がバイトをしていないことは同じ学校の生徒ならばみんな知っているし、当然美沙が想像するように、両親からのお小遣いで異能島の生活を過ごしている。
子供っぽい安いプライドでお金持ってるから支払うよ。的なアピールをしたかった八神だが、それがお小遣いからの支払いだと気づかれ、気まずそうな表情で頷く。
「500円でいい。…小銭嵩張るし」
「…そ?なら、お言葉に甘えるね」
しかし美沙も、八神の男としてのプライドは最低限尊重することにした。
全額負担は申し訳ないが、八神だって、男として好きな人の前でくらい見栄を張りたい。
虚栄心丸出しの八神に若干折れた美沙は、500円だけ支払い、残った200円は財布の中へと戻した。
「いつもこんな風に奢ってるの?」
「そんなわけないだろ。俺だって周りと同じくらいのお小遣いしか貰ってないし…」
「じゃ、なんで?なんで私にだけ奢ってくれるの?」
「そ、それは…」
質問をするように、前屈みになりながら美沙が詰め寄る。
美沙は今日、覚悟を決めてこのデートに臨んでいた。
高校生活というのはかなり短いもので、日数に換算すると千日弱しか存在しない。
そんな千日弱しかないはずの高校生活は、既に6割以上が終了し、残っているイベントと言えば就職、受験戦争だ。
当然だが、いくら国立高校の異能島に入学していようが、彼らとて万能ではない。
異能に自信があれば学力に自信のない生徒もいるし、その逆も然り。
油断をすれば望む進路に進めなくなるし、だからこそみんな必死に勉強をするのだ。
…今は4月でまだ受験生の意識というものもなかなか芽生えていないだろうが、クラス内には少なからず、受験モードに切り替わっている面々もいる。
このまま美沙と八神が曖昧な関係を続ければ、受験や就活なんかで、高校卒業まで曖昧な関係になってしまうだろう。
八神との関係をこのまま友達で終わらせたくない美沙は、珍しくピュアな表情で八神を見つめる。
美沙はこれまで身体を使って異性を誘惑してきたわけだが、悠馬に薄っぺらだと言われ、あることに気づいた。
確かにこれまでの自分は、薄っぺらだったのかもしれない。
心から好きだとは言えない異性に告白をされ、まぁいいや。的なノリでOKをして、お付き合いをすることが大半だった。
そういう目的で近づいてきた人たちだって受け入れてきたし、プロポーションさえ良ければ、どんな男でも落とせると思っていた。
だが、今は違う。
悠馬に言われた通り、本当の気持ちで、誘惑なんてせずに、自分の言葉だけでこの人に好かれたい。
八神に恋をしている美沙は、一歩距離を詰める。
八神は一歩後退り、頬を赤らめた。
「そ、それは…」
好きだからに決まってるだろ。
好きでもないヤツに奢ろうとする奴は、大抵金を持て余したお金持ちか自分をよく見せたい馬鹿だ。
八神はそのどちらにも属さないし、異性と2人きりになった時だって、絶対に奢ったりしない。
美沙の質問に答えられない八神は、その空間から抜け出すようにして空を見上げた。
「……夜?」
「え、何言って…」
八神が顔を上げると、近くの空が夜色に染まり、夕焼けを侵食し始める。
わけのわからない発言に顔を上げた美沙も、八神と同じように、空を見上げて動きを止めた。
「夜…みたいね」
念のため、時計を確認してみる。
好きな人と過ごすのはあっという間と聞くが、流石にこれは早すぎる。
まだ目的地に着いて5分程度しか経過していないため時計を確認するが、時計は16:57を刺していて、日暮れにはまだ早い。
「誰かの異能か…?」
「だとしたら幻想的な異能よね。こうして世界の空を変えることができるなんて…すごい異能だと思う」
確かに、美沙の言う通りだ。
世界には数多の異能が存在し、天候を操作する、天変地異の異能の持ち主もいると聞くが、そういう類の異能は各国秘匿にする国家機密兵力級の異能だ。
こんなところでお目にかかれる異能じゃないし、明らかな違和感を感じる。
八神は違和感を感じると同時に警戒レベルを引き上げ、美沙の手を掴んだ。
「え?え?」
「…國下。俺から絶対に離れるなよ」
「は、はい…」
禍々しいオーラを感じ取って、人生で初めて身の毛もよだつという感覚を感じる。
八神はこれまで、冠位・覚者のディセンバーや戦神、蒼炎のゲルナンを直接目にしてきたわけだが、そのどれとも違う、明らかに次元の違うオーラを感じ取っていた。
恋心や下心なんかではなく、ただ美沙を守るために彼女の手を握った八神は、空を飛ぶ奇妙な生物を発見し、目を細めた。
「なんだ…アレ…」




