力の差
「悠馬さま!?」
寮のベッドに寝かされた悠馬に、青ざめた表情のセレスが駆け寄ってくる。
悠馬の制服は血で赤く染まり、彼女の冷静さを失わせるには十分すぎる状況だ。
いくら元戦乙女の隊長と言えど、彼氏が大怪我を負って帰ってくれば冷静さは保てない。
「落ち着いてくださいセレスさん。怪我は治ってます。…しかし身体が反動を受けているのか、動きません」
ベッドの横に立っている聖魔から事情を聞き、セレスは悠馬の手を握った。
「私がなんとかします」
「ごめんねローゼ」
「私は大丈夫です。一体何があったんですか?」
花蓮を頼んだと言って出て行ったと思ったら、大きなダメージを負って帰ってきた悠馬。
一度顔を上げ、星屑と聖魔を交互に見たセレスは、真剣な表情で治癒を始めた。
「ルクスさんを依代に、夜空さん。…つまり混沌が復活しました」
「っ…なん…」
「その際、ルクスさんを助けようとした悠馬さんが、セカイを奪われました。端的に話せばこのくらいでしょうか?」
落ち着いた調子で機械のように淡々と説明する聖魔には、怒りや焦りといった表情が一切感じられない。
セレスはそんな聖魔を見て、空いていた左手に神器を呼び出した。
「…聖魔さま。…私はまだ、貴方を信用できません。…混沌が復活した今、どうして貴方は向こう側に居ないんですか?」
これまで見たことのない鋭い眼差しを向けるセレスに、聖魔は驚いたような表情を浮かべる。
「驚きました。貴女は私に対して最も優しく無警戒な女性だと思っていましたが。それも全て演技ですか」
「私は優しくありませんよ。ただ、近くにいる敵に行動を起こさせるには、無警戒を演じるのが一番だった。それだけです」
「ローゼ、聖魔は…」
「悠馬さまは黙っていてください」
混沌が復活し、セカイも奪われた。
この最悪な状況下において、最も警戒されるのは聖魔だろう。
何しろ聖魔は、出会った当初に混沌によって作られたと話したのだ。
もちろんそれ以上のこと、つまり混沌の配下になる前は混沌と敵対していたなんてことは聞いているが、数百年前の記録にも残ってない話のため、それを全て信じるのは危険すぎる。
混沌が復活した今、聖魔が寝返り、背後から不意打ちをされるのではないかと考えるセレスは、赤眼の瞳で聖魔を睨んだ。
「そうですねぇ。貴女のお気持ちは察します。…それに私も、主人の恋人に警戒されながら生きていくのは居心地が悪すぎる。…潔白を証明しましょう」
セレスの敵対的な眼差しを見て、聖魔は白目のない真っ黒な瞳で、ニンマリと笑う。
それは元戦乙女のセレスですらゾッとする表情で、聖魔はデバイスを手に持つと外へと向かった。
「なにを…」
「私は夜空さんには勝てません。力の差がありますからね。…ですが、他には勝てます。出来る限りここに敵は近づけないようにするので、セレスさんは治癒に集中してください」
「……」
自分がここにいたら、セレスが警戒を続けて治癒が遅れると判断したのか、聖魔は外に出る。
「ローゼ、聖魔は敵じゃない」
「悠馬さまは優し過ぎます。…私が一番怖いのは、悠馬さまが心を許した人物に、背後から刺されることなんです。ですから私は、悠馬さんが心を許した相手であろうが、油断はしません」
それが戦乙女隊長としての責務だ。
悠馬が心を許した人物だろうが、旧知の仲の人間だろうが、裏切る可能性も考え決して油断はしない。
人間、誰にでも裏表があるわけで、いくら仲が良いからといってその人の全てを知っているわけじゃない。
当然、悪意を持ちながらも友人になろうと近づいてくる人間だっているし、悠馬ほどの実力者になれば、寝首をかこうとする人間も現れる。
悠馬はシヴァの再生があるからと油断しているようだが、悠馬ほど楽観視していないセレスは手を握りしめ、キスをした。
「っ!」
「…最速で治します。ですので数分間、私と口づけを交わすことをお許しください」
「…ああ」
***
「さて、と…」
スウォルデンの国宝デバイスを片手に、聖魔は肩を竦める。
「まさか、一番仲が良いと思っていたセレスさんに警戒されていたとは…残念です」
いつも愛想良く話してくれる上に、柔和な眼差しを向けてくれた彼女が警戒しているなんて、思いもしなかった。
「ですがああいう人こそ、王の横に相応しい。警戒されていたのはショックですが、それと同時に貴女への評価は非常に高くなった」
誰も警戒していない人間を警戒するのは、難しいことだ。
例えば、道を歩いている子供に殺されるんじゃないかと警戒する人間なんていないし、道端で突然、人畜無害そうなサラリーマンが銃を乱射するなんて考えもしない。
人間、知らず知らずのうちに警戒を怠り、あり得ないだろう、起こるわけがないと決めつけて行動する。
だから完全犯罪なんてものが存在するし、あり得ないと考えるからこそ、犯人が見つからない。
半年以上も近くにいたというのに、警戒を怠っていなかったセレスには素直に称賛だ。
過去に話したことから分析し、聖魔も敵に寝返るかもしれないと判断したセレスに関心する聖魔は、やけに嬉しそうだ。
「逆に考えれば、今私が功績を挙げればセレスさんからも認められる。完全公認の、悠馬さんの執事になれるというわけです!」
両手を広げ歓喜するように叫んだ聖魔は、この戦いでセレスに認められたら、もっと悠馬に近づけると思っているらしい。
…もうおわかりだろうが、聖魔は夜空側に寝返ることはない。
悠馬を溺愛、というか敬愛するあまり悠馬の周囲に認められたい聖魔は、そんな理由で300年前の同志と敵対している。
「げひゃひゃひゃひゃ」
「…人語も喋れぬ使徒風情が」
飛行型の使徒なのか、上空を飛翔し、聖魔目掛けて一直線に飛んでくる小型の使徒。
いつも見るような人の数倍ある使徒ではなく、3歳児ほどの大きさの奇妙な使徒は、そのサイズに不釣り合いな裂けた口で、不気味な笑い声を上げながら飛んでいる。
ぱっと見目もないし、どこでどうやって敵味方を判断しているのかはわからないが、向かってくる辺り聖魔という存在には気付いているのだろう。
「吹き飛べ。白夜」
急接近してくる飛行型の使徒に向かって、斬撃を放つ。
極限まで火力を抑えているのか、それとも力をセーブしているのか、聖魔の白夜は夜空を明るくすることもなく、斬撃の形を模ったまま使徒に直撃した。
「げひゃ…」
「…偵察といったところか?…いや。夜空さんのことですから、私を狙ったわけではなさそうだ」
ピンポイントで悠馬を狙って飛ばしたわけじゃない。
そう結論づけた聖魔は、墜落していく使徒を見送り、微かに映った黒くウジャウジャとした影に目を細めた。
「成る程。300年前の再現でもする気ですか。この異能島の人々を巻き込んで…フフ…フフフ…いいでしょう。そっちがその気なら、乗って差し上げましょう」
デバイスを鞘に収めた聖魔は、片足で跳躍すると電柱の上に飛び乗る。
それと同時に、先ほどまで聖魔が立っていた場所には大きなヒビが入り、地割れが始まった。
「随分な挨拶ですねぇ。憤怒」
「よぉ!久しぶりだなぁ聖魔!300年ちょっとぶりか?」
聖魔を見上げるようにして立っている赤髪の巨体、憤怒。
憤怒は聖魔と敵対しているというよりは、以前と変わらぬ様子で声をかけてきた。
「ま、そうですね。貴方と会うのはかれこれ300年ぶりでしょう。…ところで」
夜に染まった異能島の中、憤怒は全身が凍えるような感覚に囚われ、冷や汗を流した。
それは単に、夜になったから冷えたなどという次元のものではなく、身体が本能的に凍えているのだとわかる。
聖魔の鋭い眼差し、刺すような殺気を前にした憤怒は、身体こそ凍えるように寒いものの、表情は勝ち気のまま聖魔を見上げた。
「お前…悠馬さんに手を出すなら殺すぞ?」
「はは…!バレてたか」
憤怒の目的は、聖魔でなくて悠馬だ。
悠馬と戦ってみたい、悠馬と争いたいと考える憤怒は、自分の考えが見透かされていた事に気づき白い歯をみせる。
「聖魔、暁悠馬を連れて来い!俺は小細工なんてしねえ!やるならサシだ!」
「先ほど悠馬さんに一撃でやられていたような気もしますが」
悠馬と憤怒の力の差は明白。
ついさっき、悠馬の一発の蹴りで首を吹き飛ばされたあたり、その実力差が分からないほど憤怒も馬鹿じゃないだろう。
聖魔の一言を受けて、自身の首と顔に深く残った傷を確認する憤怒は、徐々に笑顔を消し、空を見上げた。
「俺は戦えればそれでいい。強い奴と戦って死ねるならそれでいいと思ってる」
「はあ」
戦闘狂の彼の話は、聖魔には理解できない。
なにしろ、自ら負け確定の戦いに挑むのだ。なぜそんなことをするのか、なぜそんな無意味なことをするのか、理解できる人は少ないだろう。
特に、悠馬は憤怒など眼中にないし、この戦いは憤怒が望むのなら回避できるものだ。
自分から死にに行く彼に呆れたような視線を向けた聖魔は、デバイスを抜剣し憤怒を見下ろした。
「了承しかねます」
「なぜだ!ビビってんのか!?主人が俺に負けることを!」
「いえ。その可能性は微塵も考えていないのですが…貴方が300年前によく話していた、対等な戦いは今行えませんし」
「…どういうことだ?」
憤怒は小細工を嫌う。
色欲のように策を弄して相手を陥れるなんて真似はしないし、やるんなら正々堂々、相手のパフォーマンスが最大限発揮できるところで、真正面から戦う。
もちろん、不意打ちなんてしないし、仮に相手が怪我をしていたら、傷が癒えるのを待つか、自分も同じ怪我をして戦いを始める。
聖魔の発言が引っかかった憤怒は、眉間にしわを寄せた。
「悠馬さんは夜空さんにセカイを奪われ、反動で動けません。貴方は身動きも取れない相手と戦うおつもりですか?」
そう。悠馬は動けない。
現在、セレスが全力で治療に当たっているが、それでも悠馬が動けるようになるには、まだ時間がいるだろう。
憤怒の望むような対等な戦いはまず出来ないと断言した聖魔は、歯噛みする憤怒の様子を確認する。
「チッ、それは本当だろうな?」
「当たり前でしょう。嘘をつく道理がありません」
今、憤怒に嘘をつくメリットは何一つない。
なぜなら今憤怒を殺せば、敵戦力は大幅に削れるわけだし、聖魔だって、悠馬が元気ならお願いをして憤怒を消し飛ばして貰ったはずだ。
「それでも不満なら…私が相手をしましょう」
不満そうな憤怒を見て、聖魔はデバイスを憤怒の方へと向ける。
「…お前はいい。お前とは飽きるほど殺り合った。お前だって、俺と戦うのは飽きてんだろ」
「そうですねぇ。正直、もうその顔も見たくないくらいに飽き飽きしてます」
混沌の配下として生きてきた彼らは、以前飽きるほど戦っていたのか、互いに戦うという選択肢はないらしい。
人間、好きなゲームをしていたって、それを1日15時間、30日続ければ嫌いになっている人だっているし、毎日毎日同じ人と戦っていれば、正直嫌気も差すだろう。
「…私は貴方のことを正当に評価しているつもりですし、他の大罪と違って、まともだと思っています」
「はは!そりゃ光栄だな!傲慢!」
憤怒は単純明快な行動理念で動いているから動きが読みやすいし、不意打ちを仕掛けてくる可能性も低いため安心ができる。
それに今だって、話の最中に攻撃を仕掛けてくることもなかったし、バカだが扱いやすい人間であるとには間違いない。
憤怒についてはあまり危険視していない聖魔が空を見上げると、空には一瞬白い閃光のようなものが光って、飛行していた使徒が墜落してきた。
「相変わらず、腕は落ちてねえな」
デバイスを空に向けた動作すら見えず、殺気も何も出さずに、飛行していた使徒を一刀両断して見せた。
人間離れした芸当で使徒を堕とした聖魔を見て、憤怒は笑いながら背を向けた。
「どちらへいくおつもりで?」
「近くで原石を見た。まだレベルは低いようだが、伸び代がありそうだ。そいつと遊んでくる」
「はあ。くれぐれも誤って殺さないように。…とだけ忠告しておきましょう。この島は私の主人、悠馬さんのテリトリーです」
「わかってるよ!俺はカス殺して喜んだりしねえし、単純にレベル上げ手伝ってやるんだよ!」
「…貴方は物好きだ」
他の大罪ならば誰彼構わず殺しまわって、被害者数を伸ばすことだろう。
しかし憤怒は想定外な事に、来る途中で見つけた才能の原石を磨きにいくようだ。しかも殺さないらしい。
自分の敵になり得る人物を磨きにいくと話す憤怒に、聖魔は肩を竦める。
「どうやら、応援が来たようですね」




