夜ニ染マル
「ぐぷっ…」
ルクスの胸に沈み込んだ混沌の腕は、徐々に彼女の内部へと減り込んで行き、ルクスは血を吐き出す。
「ルクスっ!」
「大丈夫…悠馬クン…大したダメージじゃ…っ!?」
「ははは!これで夜空様が復活する!300年前のあの日の続きが始まる!」
「テメっ…」
大喜びする色欲に神器を振るおうとするが、色欲の使っている身体は入学当初からの友人の通だ。
怒りで首を斬り落としたい気持ちになりながらも友人に危害を加えることができない悠馬は、ギリっと歯を食いしばってルクスへと駆け寄った。
「星屑!」
「おいたが過ぎるぞ傀儡風情が」
悠馬が叫ぶと同時に星屑ではない人物の怒りの篭った声が聞こえてくる。
右手にデバイスを持ち、人を殺しそうな勢いで迫ってきた黒髪黒目の男、聖魔は、デバイスにシャドウ・レイを溜め込みながら剣を向けた。
「悠馬!離れろ!彼女はもう…!」
ルクスに駆け寄る悠馬と、そんな悠馬をルクスから引っ剥がそうとする星屑。
その付近で色欲に向けてシャドウ・レイを放とうとする聖魔が剣を振るうの同時に、ルクスはゆっくりと目を開いた。
「あー…よく寝た」
「っ…」
「くっ…!」
ドスッという鈍い音と同時に、心臓部に鈍い痛みと、鋭い痛みが襲ってきた。泣き叫びたいほどの痛みな気がするが、あまりに突然の出来事過ぎて悠馬はただ、自分の心臓部分を見下ろす。
起き上がったルクスの右手は悠馬の心臓部分に深く突き刺さり、悠馬は口から血を流した。
直後、ルクスの背中から放出された闇は、聖魔のシャドウ・レイを容易く相殺すると、余力で聖魔の胸ポケットに入っていたティナの眼球を奪い取った。
「やぁ色欲。随分久しいな」
「ああ…!お待ちしておりました、夜空様!」
「憤怒は…寝てるのか。起きろ」
悠馬の心臓部分を深く貫いたまま、ルクスは話す。
…いや、外見はルクスだが、中身は混沌というべきか。
ルクスの身体を乗っ取ることにより復活した混沌は、悠馬の心臓部分から光り輝く何かを奪い取り、ルクスの心臓部分にねじ込んだ。
「ははっ…セカイを手に入れたぞ…!」
悠馬の心臓部分から取り出したのは、セカイの異能の一部。
物語能力者である混沌は、悠馬の身体からセカイを奪うことに成功した。
「なぁオイ、久しぶりだなぁ盗人。聞こえてっか〜?」
聖魔から奪った培養器に入っているティナの眼球を握りつぶし、悠馬に蹴りを入れる。
ぽたぽたと培養液から垂れてくる冷たい液体を顔に浴びる悠馬は、飛びかけの意識で目を開いた。
「悠馬!」
体に力が入らない。
セカイを奪われた影響なのか、それとも何かの異能を使われたのかはわからないが、身動きが取れない。
まるで金縛りにあっているような状況で、歪んだ笑みを浮かべながら立ち上がった黒髪の少女、混沌を睨みつける。
「なんだ?まだ意識あるのか?…前戦った時から思ってたが、オマエ厄介な神と契約してるだろ」
悠馬が契約しているのは、ワールドアイテムに位置する神器、トリシューラを持つ破壊神シヴァだ。
当然、他の神々とは一線を画す存在であるため、得られる恩恵も絶大。
人の身ではあり得ない再生速度と生命力を持つ悠馬を、混沌は真っ黒な瞳で見下ろす。
「まぁいい。手始めにオマエを殺すとしようか。俺もオマエに一度殺されてるんだ。これでチャラと行こうじゃないか!」
混沌は一度、タルタロスで悠馬に敗れている。
当時4割しか物語能力を手にしていなかった混沌は、推定レベルで89。
しかし今の混沌は、それ以上にレベルが膨れ上がっている。悠馬のセカイを3割奪い、ティナの眼球を潰し物語能力の略奪に成功した混沌は、おそらくレベル99の領域に到達している。
彼は今、夕夏が保持している残りの物語能力を略奪せずとも、神の領域に匹敵するほどの力を手に入れているのだ。
混沌は悠馬の顔を踏み潰そうとする直前、自身がスカートを履いていることに気づき動きを止める。
「オイ色欲…なんで俺の体が女になってんだよ!」
「夜空様の血族がこの女しかいなかったのです。より確実に復活するためには、苦渋の決断でした」
「……チッ、まぁいい」
元々男だったため女のルクスの身体が気に食わないのか、舌打ちしながらスカートと衣服を破り捨てる。
「纏え」
ルクスの身体で下着姿になった混沌がそう発すると同時に、彼は黒衣の軍服に身を包んだ。
「どうだ?似合ってるか?」
「はい!とても!」
真っ黒な軍服に、金色のボタン。ルクスの真っ白な肌とは真反対の黒衣に身を包んでいる混沌は、悠馬の顔を踏みつけながら微笑む。
「この前は随分な仕打ちしてくれたよなぁ?」
「ハッ、知るかよ…テメェみたいな雑魚イチイチ覚えてねえよ」
「……あームカつく」
踏み付けられたまま唯一動く口だけを動かして、挑発的な発言を行った。
混沌は悠馬の挑発に容易く反応し、勢いよく足を振り下ろした。
ドッと鈍器で殴られたような鈍い音が辺りに響き、近くの木に止まっていた小鳥たちは一斉に飛び立ち、タイルには鮮血が散る。
この状況では混沌に勝てない。
顔を吹き飛ばされた憤怒も徐々に再生が始まっているし、以前以上に強くなっている混沌を相手にするには、今の悠馬では厳し過ぎる。
一度撤退すべきだと結論づけた悠馬は、星屑に親指を立てると同時にその親指で地面に触れ、ニブルヘイムを発動させた。
「うぉっ…」
無抵抗な悠馬がニブルヘイムを発動させるとは思っていなかったのか、飛んで回避した混沌を見て聖魔は聖異能で周囲に目眩しをする。
それと同時に星屑は、悠馬を抱き抱えてその場から逃げ出した。
「くっ…小賢しい…聖魔は敵なのか!?」
油断していたからか、聖魔の閃光により一時的に視力を失った混沌は色欲に声をかける。
「はい。ヤツは我々を裏切りました」
「無理やり首輪したからいつか裏切るだろうとは思ってたが…まさかあの野郎の味方になってるとはな…」
「追いますか?」
「いや。いい」
「っは!ぶねえ!死ぬところだったぜ!」
悠馬たち3人が撤退した空間で、憤怒は再生が終わったのか跳ね起きる。
「お!夜空さんじゃねえか!久しぶりだなぁ!」
「やぁ憤怒。派手にやられて眠ってたな」
「次は負けねえよ!二度も同じ手は受けねえ」
「そうかい」
両手で作った拳を打ちつけながら豪語する。
悠馬に一発でやられたというのにまだ自信がある憤怒は、ブロック塀の上に座る女性を睨む。
「オイ怠惰!テメェ夜空さんに挨拶すらできねえのか!」
「…貴方みたいな野蛮な猿と一緒にしないで。私と夜空様は、心で繋がってますの。夜空様が女になろうと、私は貴方様をお慕いしております」
「さすがは俺の眷属。300年、よく待っていてくれたね」
「そりゃあ夢の途中だったからな!ずっと待ってたぜ!」
300年前、初代異能王に夢を阻まれてからずっとこの時を待っていた。
ようやく混沌が復活し、しかも300年前以上に力を手にしている現状、向かうところ敵なしという表現が相応しいだろう。
現に、混沌はすでにセカイを手にした悠馬に逆上することもなく、執拗に悠馬を追うこともない。
それは暗に、悠馬以上の力を手にしたという自覚があるからだ。
「そういえば、御伽噺で神は土塊から人間を作ったらしいな」
「…!」
突然話し始めた混沌が花壇に近寄ると、色欲は何かを察知したのか、混沌に尊敬の眼差しを向け始める。
「オオォオオッ」
花壇の土塊を混沌が握ると、そこには人サイズの使徒のようなものが出来上がった。形はえらく歪んで到底生物とはいえないような醜いモノだが、それでいて確実に生命として機能している。
混沌によって作られた醜い生物は彼を主人として認識しているのか、キョトンと首を傾げながら主人を見上げる。
「物語能力じゃできなかった、物質に生を吹き込む力…!俺は手に入れたぞ!セカイを!」
幾ら物語能力でも、土塊を生命体に変化させるなんてことはできない。
悠馬はこれまでそんな不気味な実験を行ったことはなかったが、これはセカイの異能でしか起こせない万物を改変する事象だ。
つまり、混沌は完全にセカイの領域に至ったということになる。
「早速神格を…と言いたいところだが…まずはこの慣れない身体で肩慣らしでもしようか」
軍服を風に揺らし長い黒髪を靡かせた混沌は、笑いながら異能を発動させた。
***
「悠馬!大丈夫か!?」
「セカイ取られた。…多分かなりレベルが下がってる」
「そうか!でも全部取られてないだけ十分だ!」
悠馬を背負い、星屑は駆ける。
すでに第1高校からはかなり遠のいているが、足を止めない星屑に聖魔が追いつく。
「…聖魔か!俺は星屑、悠馬の友達だ」
「星屑…貴方は先ほど、腕がなかったように見えましたが…」
「どうやら俺は大幅な歴史改変に干渉できないようにされてるらしい!混沌の復活を阻止したかったけど、干渉できなかった!」
確定している事象に割り込むことはできない(?)。
これまでそんなこと試して来なかったのが仇となった星屑は、唇を噛みながら走る。
「改変…ということは、未来でも見えているのでしょう」
「ああ!ちょっとマズイことになる!最悪みんな死ぬかもね!」
「…まぁ、あの様子からして夜空さんは神格を得る領域に到達したようですからね。確実に淘汰されるでしょう」
夕暮れだったはずの空が突如として夜の色に染まり、聖魔は空を見上げる。
「相変わらず、夜空さんは夜空がお好きなようで」
「空の色変えて意味あんのか?」
「夜空さんは明るいのが嫌いなんですよ。暗い世界で生きてきましたから。300年前は、1ヶ月近く夜が続きました」
「凍え死ぬぞ…」
混沌が夜が好きなのは分かったが、1ヶ月も夜なんて普通に凍え死ぬ。
星屑に背負われながらツッコミを入れた悠馬に、聖魔はフッと笑った。
「もちろん、一国に留まるということはしていなかったのでそこまで大きな問題にはなってませんが…」
「なるほど…アイツ動き回るのか」
この島にとどまるわけではなく、混沌は動き続ける。
まぁ、仕事も学校もない無職の混沌がここにとどまる必要性などなく、目的を達成したらすぐにこの島から去ることだろう。
「聖魔、アイツの目的なんだと思う?」
「神格を得ること。神々の領域に達し、人間を奴隷のように統治することが目的ですよ」
「…アイツが考えそうなことだな」
同じ人間に対し物語能力でひれ伏せと命令するくらいだし、余程人の上に立ちたいのだろう。
現代社会において中世の貴族、王族のように民を奴隷のように扱う時代は既に終わっており、人の身でありながら民を奴隷のように扱うことはできない。
混沌は自分が統治する世界、自分だけが信仰される世界を作ろうと考えているわけだ。
子どもっぽい考えではあるが、ティナよりもずっとシンプルかつ凶悪な思想。
ティナもティナで人類を全員殺そうと画策していたわけだが、それに勝るとも劣らない考え。
「神格ってどうやって手に入れるんだ?」
「詳しくは知りませんが、なにか時間の掛かる手間が必要なようです…なので、もしかすると戦力を補給するかもしれませんねぇ…」
逃走しながら話す。後ろから追手が来ていないことを確認しつつ話す聖魔は、違和感を感じ取って目を細めた。
星屑も悠馬も、聖魔と同じく違和感を感じ取った。
「なんだ…?」
「いきなり現れたな。使徒か?」
「使徒なら使徒になる前に急激にレベルが上がるはずだ。今のはいきなり過ぎる」
「……悠馬さん、もしかすると貴方は…無から生を作れたんじゃないですか?」
「!!」
悠馬と星屑の会話を聞いて、聖魔が訊ねる。
暁悠馬という少年は、セカイを何に使うわけでもなく、必要以上の異能を使ってこなかった。
その理由はセカイはこの地球そのものの定義、事象を揺るがしかねない力だから。
自分が本当に必要な異能しか使わず、実験的にも、やばそうなものには触れてこなかった。
「…多分、植物を使徒に変えたりはできたと思う。…ただやったことはないから、よくわからない」
「じゃあアイツ、無限に使徒作れるってことか?」
珍しく焦っている星屑からの質問。
いつもならば真っ先に未来を見て、余裕そうに最低限のアドバイスをしてくれる彼が、なぜさっきから疑問形なのだろうか?
「お前、異能使ってないのか?」
「権能な!正確には使えなくなった!さっき無理に干渉しようとした瞬間から何も見えなくなった!」
つい先ほど、確定化した未来に無理やり干渉しようと試みた星屑は、結果として異能を使えなくなるという制約を受けた。
つまり星屑は現状、アダムと同じ無能力者と化しているわけだ。
「あ、今戦力外って思った?」
「そこまでは思ってねえが隠れてろとは思った」
「安心しなよ。俺、一応これでも身体能力はかなり高い方だから。素手でも小型の使徒くらいなら多分やれる」
よく見ればわかるが、星屑は悠馬を背負ったまま異能を発動して走っている聖魔と同速で走っているのだ。
人間離れした彼の身体能力は、おそらく異能無しでは全人類トップクラスだ。
「まぁ、それはさて置き、お前のこと治せそうな人のところに向かうぞ」
「ああ…」
セカイを奪われないように抗ったからか、それともなにかの異能を使われたのか。
とにかく、悠馬を動ける状態に戻すのが先決だと考えた星屑は、さらに一段ギアを上げて加速した。




