日本史部集結
4月某日。混沌の腕が護送中に盗まれてから僅か2日後の出来事。日本史部東京都、特に総帥邸はかなり慌ただしくなっていた。
室内には見慣れたメンツ、各支部の総帥に冠位が並び、廊下には日本支部の隊長が5名に副隊長が7名、十強まで集結している有様だ。
しかもここには姿を見せていないが、応接室には紅桜を筆頭とした裏の面々も顔を出している。
日本支部の最高戦力の集結、ならびに各支部トップが集結した総帥邸で、寺坂は腕を組み深刻そうな表情だった。
「寺坂。目星はついているのか?」
「日本支部の国籍情報や犯罪者の情報を照合しても、犯人の顔は誰とも一致しなかった」
アリスの質問に寺坂が答える。
その質問はつい先日、混沌の左手を奪った人物についてだった。
映画館の半分ほどのモニターに映し出される、赤髪の大男。
アメリカ人のアリスですら驚くほどのその巨体は、一度でも目撃していれば忘れはしないレベルだ。
しかしこの場にいる誰もが、彼のことを知らない。
犯罪者でもなければ軍人でもない彼の顔を確認して、総帥たちは互いに顔を見合わせた。
「見たことがない。…けれど、隊長を2人も殺したんでしょう?」
「…ああ」
自国の軍のことについてはいくら総帥同士と言えど話したくはないが、この際言うしかあるまい。
素直に2人の隊長が死んだことを認めた寺坂は、モニターに映る男を指差し、各支部の総帥、冠位を確認した。
「コイツを見たことのある者は居ないか?」
「……」
寺坂の質問に、全員が沈黙を貫く。
それもそのはず、もし仮にこの中に混沌の手を奪ったモノを知っている人物がいるとするなら、ソイツは限りなく黒に近いし、協力者として疑われる可能性すらある。
そんなリスクを背負ってまで、私知ってますなんて名乗り出る奴はいないだろうし、何より情報量が最も優れていると名高い日本支部ですら名前と顔の照合ができないのだから、他支部が判別できるはずもない。
最初から答えのない質問をした寺坂に対し、片腕を失っているロシア支部総帥、ザッツバームは重い口を開いた。
「私はこんな質問を投げかけるよりも、最悪の事態に備えるべきだと思うが」
ここで犯人探しをしたって、不毛な時間だ。
この場に裏切り者がいるのかどうかも分からない状況なのに、これ以上無意味に歪み合うのは返って損に繋がる。
落ち着いた様子で意見を述べたザッツバームに、寺坂は小さく肩を竦め、黒い椅子に座り直した。
「そうだな。…私たちが備えなければならないのは、最悪の事態だ」
「混沌の復活…」
果たして本当に混沌が復活するのかなんて判りはしないが、ティナのところの残党の動きを見る限り、死人を生き返らせる方法はある。
それが各支部の総帥たちの出した結論だ。
ティナと同じ物語能力、いや、それ以上の力を持つ混沌ならば、理論上ティナと同じく死から生き返ることもできるかもしれない。
今、各支部の総帥たちが備えなければならないのは、その混沌が復活すると言う最悪の事態への対策。
「空のレーザーはどうなってる?」
アリスは天井を指差しながら話す。
彼女が指しているのは、間違いなく異能王の空中庭園のレーザーだろう。
「故障中だ。ティナが無理に使用した挙句、下から破壊されているため使い物にならない」
そんなアリスの質問に、イタリア支部総帥のアルデナが返事をする。
ティナが無理やりレーザーを射出したことにより、内側にもかなりのガタが来ているし、何より悠馬が神器を投げたことによりレーザーは修復不可能なほどのダメージを負っている。
300年前から備えられていた、唯一混沌に通用するとされるレーザーは使えない。
最悪の状況に陥っている彼らが出来ることは、混沌が復活しないことを祈ることくらいなのかもしれない。
「…ならば先ず、混沌が復活した場合のことを考えるんじゃなくて、混沌の復活を阻止する方法を模索するしかないな」
混沌が復活すれば、ゲームオーバー。
復活後の話し合いをするのではなく、混沌を復活させる前に腕を奪い返すと言う結論に至ったアリスは気を取り直して話をする。
「犯人はおそらく、日本支部から出ていない」
「どうしてそう言い切れるの?」
「奴の体格は目立つ上に、ケースには得体の知れない手が入っているんだ。先ず正規の方法で出国するのは不可能だ」
「非正規の方法もないと言い切れるの?」
「左手が盗まれてから、警戒レベルを最大に上げている。港の検疫は強化しているし、それこそゲート系の異能でも持ってない限り出国は不可能だ」
「なるほど…」
あれほどの巨体を持つ大人を見つけるのは、そう難しくない。
港や空港で見つからないということは、犯人はまだ日本支部に残っている可能性が高いだろう。
「…それに混沌を復活させようとするなら、セレスティーネの力を借りる可能性も高い」
「そうね。…セレスティーネが力を貸すとは思えないけど」
「待て、セレスティーネが日本支部にいるのか?」
寺坂とソフィアはセレスの現在地を知っているため話を進めているが、他支部の連中はセレスがどこにいるのかなんて知らない。
ヴェントは渋そうな表情を浮かべているが、他の総帥や冠位たちは身を乗り出して寺坂を見た。
「ああ…セレスティーネは異能島に滞在している」
誤魔化しが効かないと判断したのか、素直に答える。
セレスが協力するとは思えないが、彼女の力を使って悪さをしようとする奴らはこれまでにもたくさんいた。
あのお方の残党や戦乙女隊長時代にだって、犯罪組織のリーダーが怪我を負った際にセレスを誘拐しようと画策していたほどだ。
それほどにセレスの異能は強力で、犯罪者たちは重宝している。
「では我々アメリカ支部は異能島を…」
「待てアリス。他国の異能島に軍を引き連れて乗り込むとでも?」
「アルデナ。何が言いたい?」
「善意で言ったのかも知れないが、さすがに軍人は連れて行けないだろう」
「そうだネ。他国の異能島に軍隊なんて、前代未聞だヨ」
アリスの判断は間違いじゃないのかも知れないが、これは立派な国際法違反だ。
総帥ですら立ち入りが難しい異能島に、あろうことか他国の軍人を引き連れて他支部の総帥が来るなんて過去にもない事例だし、アリスが悪意を持っていた場合最悪の事態もあり得る。
例えば異能島には混沌を倒した悠馬もいるわけで、何らかの接触を図る可能性だってある。
アルデナの発言に便乗したエジプト支部総帥、シェーナの言葉にアリスは黙り込む。
「私も、さすがに異能島に他支部の軍人を投入するのは良くないと判断した。…だからこの国の裏と各支部の総帥、冠位のみを異能島に投入しようと考えている」
公平性を保つため、安全を保つためにも、各支部から異能島に入ることができるのは総帥のみ1名。
隊長や副隊長には、このまま本土の警護に当たってもらうことを考えていた寺坂は、そんな提案をした。
アリスたちは特に反論はないのか、寺坂の発言を静かに聞き届けた。
「では、これで行こうと思う」
「待ってくれ」
「……お前は」
寺坂が話を終わらせ準備段階に入ろうとした矢先、部屋の扉がゆっくりと開き黒髪の少年が入ってくる。
総帥達は開かれた扉から聞こえてきた声に一斉に振り返った。
年齢は高校生ほどで、体格的にはごく平凡。
目立った体格でもなく、どこにでもいるような高校生にも見える彼に、寺坂はピクリと反応した。
「黒咲律…」
ソフィアが小さな声で呟く。
黒咲律。彼はセレスと同じく、人類にただ1人のみ与えられた特殊な異能の持ち主で、万物を癒すセレスの力とは異なり、万物を破壊する崩壊の異能の持ち主。
消したいと思った対象を見るだけで崩壊させることのできる彼は、この世界に存在してはならない異能の持ち主だと言っても過言ではない。
「なんだ?」
「俺も異能島に行きたい」
「…なんだと?」
寺坂の表情が、一気に険しくなる。
それもそのはず、黒咲は総帥である寺坂の命令には従うのだが、心内というものを一切明かさない。
何を考えているのか、何をしたいのかもわからない崩壊の異能の持ち主に対し、警戒をするのは当然のことだろう。
「理由を聞こうか?」
「…言っちゃ悪いが、ここにいる誰よりも俺が強い。俺1人が異能島に行った方が、本土がより安全になるはずだと思う」
「は?ナメんなよ」
黒咲の傲慢すぎる発言に、ヴェントが噛みつく。
ヴェントは怒っていた。…というか、気分が悪かった。
ただでさえ自分の好きな人を奪った人物がいる異能島にこれから向かわなければならない状態で腹ただしいのに、セレスを奪った悠馬と良く似た傲慢な性格の、同じ日本人を目の前にしている。
明らかにこちらを見縊っているような発言に痺れを切らしたヴェントは、人差し指をデコピンのように弾き、異能を発動させた。
「ガキは外で待ってろよ」
ヴェントが発動させたのは、風異能の鎌鼬。威力は極限まで抑えられているが、それでも直撃すれば深い切り傷になることだろう。
「なんだよ。そのヘボっちょろい異能は」
ヴェントの不可視の一撃が目に見えているのか黒咲が動く。
鎌鼬は風異能であるが故に、目に見えるものではない。
そんな異能をヘボっちょろいと明言した黒咲は右手を伸ばし、ヴェントの放った鎌鼬を握り潰した。
「…なんだその異能…」
「崩壊。これでわかっただろ。アンタ達が束になっても、俺には勝てない」
それは自身の異能に絶対的な自信があるわけでもなく、ただ単に心の底からそう思っているからこそ出てくる結論。
崩壊の異能というのは、神すら殺せる可能性のある最強の異能なのだ。
そんな彼を見て、寺坂はある疑問を抱いた。
黒咲はこれまで様々なワガママを口にしたことがあったが、任務に対して何か自ら提案したことはなかったし、異能島にだって欠片も興味を示さなかった。
そんな彼がなぜ今頃、総帥達の前で出しゃばってまでここに現れたのか。なぜ本土ではなく、異能島に行きたいのか。
全てが疑問だ。
「何を考えている?」
「…異能島の方が面白そうだから、そっちに行きたい」
「おい寺坂。連れて行けばいいだろ。ソイツがどんな異能を持ってるのかは知らないが、1人くらい人が増えたところで何が変わるでもない」
アリスは呆れたように黒咲の意見を受け入れる。
確かに黒咲がいれば、戦況は大きく変わるだろう。アリスは黒咲に冠位クラスの実力があると判断した。
「…そうだな。…黒咲、君も異能島へ来てもらう」
「ありがとう」
ニッコリと笑う。
あまり感情を表に出さない黒咲がニッコリと笑った瞬間、寺坂はゾッと背筋が凍るような感覚に囚われ、本能的に不安感を抱いた。
本当に黒咲律という人間は何を考えているのかわからない。
「あのイケメン野郎、異能島にいるみたいだし絶対そっちの方が面白い」
悠馬がいるから異能島に行ってみたい。
そう考える黒咲は、鋭い眼差しで睨みつけてくるヴェントなど気にも留めず、再び扉を開いてその場から立ち去る。
「さて。話は終わったな。各支部、方針を隊長と副隊長にきちんと伝えろよ」
「わかっている」
「今から1時間後、我々は日本支部異能島に向かう」




