待ち人
春休みが明け、高校3年という最上級生になってから早くも1週間が経過した。
その間…というか、3年に上がったらみんな受験モードに入るかと思いきや、案外みんないつも通りで悠馬は以前となんら変わらない生活を送っている。
一つ変わったことがあるとするなら、それは愛菜が自身の寮に戻ったことだろう。
彼女がいなくなって少し寂しいような、悲しいような気持ちになる。
離れ離れというわけではないが、2ヶ月近く一緒に寝泊りをしてきた悠馬は、そんなことを考えながら外の景色を見た。
「ホームルームは以上だ。各自、気をつけて帰るように」
悠馬は聞いてなかったようだが、教壇に立っていた鏡花のホームルームが終わった様子で、クラスメイトたちは各々下校を始める。
「今日はどこ行く〜?」
「ウチ勉強〜、一応国立大学目指す予定だしさ〜」
意識の高い女子生徒の会話が聞こえてくる。
いつも通りの学校生活ではあるものの、中にはすでに、進路に向けて動き始めている生徒もいるようだ。
悠馬はそんな女子生徒に感心しながら、ポケットの中で震えた携帯端末を取り出した。
ホームルームが終わって間もないため、クラスメイトなら直接話しかけてくるだろうし、いったい誰だろうか?
悠馬は携帯端末のロックを解除し、画面を見るや否や席から飛び上がった。
ガタン!と大きな音が響き、教室内で話していた生徒たちの視線が一気に悠馬へと向く。
しかし悠馬は、それを恥ずかしがることも気にすることもなく、鞄を手にして教室から飛び出た。
「はぁ!?どういうことだよ?」
3年生で賑わう廊下を走り抜け、階段を飛び降りる。
どうやら悠馬は、かなり慌てているようだ。
連絡の内容が急用だったのか、それとも何か別のワケでもあるのか。
悠馬が一階まで駆け下り、昇降口までたどり着くと、そこにはすでに人集りができていた。
「え?誰?」
「めちゃくちゃ綺麗…」
「モデルかな〜?」
耳を済ませずとも聞こえてくる、女子たちの羨むような声。
そんな彼女たちを遠巻きに様子を窺う男子たち。
悠馬は慌ててこの場に来たわけだが、どうやら手遅れだったようだ。
「やぁ、悠馬クン」
人集りの中、遠くから現れた悠馬に気づいたのか、黒髪白人の女性は手をあげる。
それと同時に、生徒たちの視線は一気にルクスから外れ、悠馬へと向いた。
「え?暁先輩?」
「じゃあこの人って…」
「きゃー!」
女子の悲鳴と男子の嫉妬の眼差しを受けて、悠馬は気まずそうにルクスへと手を振る。
悠馬はルクスと付き合っていない。
そもそも互いに恋愛感情なんて持てるような関係じゃないと早期から結論づけている悠馬は、早々にルクスを自身の寮から追い出し、彼女は現在、花蓮の寮で過ごしている。
いったい何事だろうか?
悠馬がもらったメッセージでは、下で待ってるよ。という目的のわからない内容だったし、彼女が何を考えているのか全くわからない。
とにかく、この場から逃げるのが最優先だろう。
男子たちの嫉妬の視線、女子たちがネタになると言わんばかりに携帯端末を取り出していることに気づいた悠馬は、真っ黒な服に身を包んだルクスへと駆け寄り、彼女の手を握った。
「行くぞ」
「うん」
ルクスは悠馬の提案をすんなりと受け入れ、足早に第1異能高等学校から出る。
この辺りはめちゃくちゃ目立つし、正直言ってルクスやセレスには来て欲しくない場所だった。
何しろ彼女たちは綺麗で目立つし、悠馬自身、そんな彼女たちと関係があると知られたら面倒ごとになるのは重々承知していた。
だからこれまで、軽い気持ちで学校までおいでよなんて言わなかったし、なるべく学校には寄せ付けないように言い訳をしていたわけだ。
しかしもう、何もかも手遅れかもしれない。
きっと明日にはルクスの容姿が噂されて、男子たちから後ろ指を刺されて罵られることだろう。
未来を悟った悠馬は、諦めた表情を浮かべつつ駅とは反対方向に歩き始めた。
もう8割以上散っている桜を横目に、オレンジ色に染まった空を見上げる。
「どうしたんだよ?」
「花蓮チャンに悠馬クンの学校の場所を教えてもらったから、1人で行けるのか試してみたんだ」
「……頼むから休日にしてくれ」
緊急な理由でもなく、お散歩がてらのような理由で後ろ指を刺されることが確定した悠馬は、ブスくれた表情で呟く。
「なぜだい?」
「それは…目立つからだよ…」
ルクスは自分の容姿がどれだけ美しいのか理解していないのか、悠馬の嘆きを全くわかっていない。
目立つと言われて首を傾げたルクスは、自身の格好を確認して、不思議そうな表情を浮かべた。
「ボクはそこまで目立つ格好じゃないと思うんだけど…」
「…美形だから目立つって言ってるんだよ…お前は綺麗だからな」
「っ!」
正直に言わないと、きっとこれからも学校に来て面倒になる。
この際ハッキリさせておこうと言わんばかりに、ルクスに綺麗だと告げた悠馬は、これでわかっただろ?と言いたげな表情を浮かべている。
ルクスはと言うと、悠馬の発言を聞いて心なしか耳が赤くなっているような気がする。
「そうかい…ボクは目立つのか…」
「ああ。スタイルもいいし…だからさっきも人集りができてたんだよ」
「成る程…ボクに視線が集まっていたのは、外国人だからだと思っていたよ」
外国人を見るのに人集りができるなら、猿はもっと大人気だ。
個体数的にも、珍しさ的にも外国人よりも猿の方が上だと考えている悠馬は、ルクスの理論を聞いて苦笑いを浮かべる。
「ところで、どこに向かってるんだい?」
夕暮れに染まる異能島の中、駅とは逆方向に歩いている悠馬。
彼を追うようにして歩いていたルクスは、桜並木の大通りをひたすら突き進む悠馬を見た。
「こっちに海があるんだよ」
「?」
「あ、いや…特別な意味とかないんだけどさ…駅前だと目立つだろ?だからその…なんていうかお前が悩んでて俺に会いに来たと思ったからさ…人気のないところに向かってただけだ…」
勝手に気を利かせて人気のないところに向かっていた自分が恥ずかしい。
駅前で話しながら下校するのは目立つし、ルクスのお悩み相談なら人気がない方がいいと思っていた悠馬は、恥ずかしそうにそっぽを向く。
「…帰るか」
ルクスは悩みなんて持ってなくて、ただお散歩をしに来たような現状。
わざわざ人気のない海に引く必要はないと結論づけた悠馬がUターンをする様に振り返ると、ルクスは微妙そうな表情を浮かべた。
「海、見てみたいかな」
「なら俺の寮からでも…」
「ここがいいんだよ」
「そう?」
すんなりと帰ろうとする悠馬に対し、ルクスは真っ黒なロングスカートの太腿部分をキュッと握りしめて話した。
「?」
ルクスは1人、首を傾げる。
何故か鼓動が速くなって、どうして自分が今、帰りたくないと思ったのか理解できない。
海なんて何処も似たような景色だろうし、わざわざ時間をかけて行くような場所じゃないと思っていたはずなのに、何故だか彼との時間を名残惜しく感じて、思ってもないことを口にしてしまう。
悠馬はというと、そんなルクスに気付くこともなく海へと向かい始めた。
第1の駅とは真逆にある海は、部活動生がよく使う空間だ。
夏が近づくと砂浜でトレーニングをしたり、海で遊んだりしているらしいが、今は春ということもあって、部活動生も帰宅部も寄り付かない、人気のない空間となっていることだろう。
ルクスと2人きりで歩いていても誰からも見られないと判断した悠馬は、黒髪を潮風に揺らす少女の横に並び、口を開いた。
「ところでルクス」
「なんだい?」
「お前って何歳なの…?」
ずっと思っていた疑問。
外見的には同い年くらいに見えるが、学校には通ってないようだし、それにしてはそこそこ賢いし、高校は卒業しているように感じる。
しかし3年前の大戦の時からルクスの存在は冠位としてあるようだし、彼女の実年齢が全くわからない。
外見は18やそこらに見えるが、実は20歳を過ぎているかもしれない。オリヴィアはルクスのことを20歳だと言っていたし、いったい幾つなのだろうか?
ルクスは悠馬の質問を受けると、フッと微笑んだ。
「ようやくボクに興味を持ってくれたのかい?」
「まぁ…気になるな」
悠馬はこれまで、ルクスに対してあまり質問をしてこなかった。
やりたいことをやればいい、自分で道を決めろとアドバイスをしてきた癖に、悠馬はルクスのことをあまり知らないのだ。
ルクスは悠馬が興味を持ってくれたことが嬉しいのか、薄らと笑みを浮かべながら人差し指を口に当てた。
「乙女の年齢を聞くのは、感心できないな」
「…そりゃ悪かった」
勿体ぶるようなルクスの反応に、頬を膨らまして視線を外す。
「19だよ。日本で言うと、大学生くらいかな」
「えっ?若くない?」
「…歳に見えたのかい?」
「あ、や…!ルクスは賢いって言うか、博識だから、てっきり普通に高校卒業してから冠位になったと思ってたんだけど…」
オリヴィアの言っていた20歳という噂よりも、1歳若いルクスの実年齢。
ちなみにソフィアは高校卒業してからまもなく総帥になっているため21歳で、セレスは今年で26歳だ。
「まぁ、ボクの場合は教会で勉強を教えてもらっていたからね。学校でいう何処までの知識を持っているのかはわからないけど、それなりには学んでるはずだよ」
「へぇ…頑張ってんだな」
学校ではなく教会で学んだと話すルクスに、悠馬は素直に関心する。
何処の国でだって、勉強ができる環境でも怠ける奴は怠けるし、特に日本の場合は、真面目にすること=恥ずかしいことと認識している学生が多い。
ルクスは学びの環境が不十分だったからこそ、真面目に取り組めたのかもしれない。
2人が話をしていると、次第に桜並木が姿を消し始め、大きく開けた空間が見えてくる。
大きく開けた空間の中、眩い夕焼けに目を細めたルクスは、オレンジ色に染まった海を見て小さな声を漏らした。
「…綺麗…」
水平線に沈む太陽と、オレンジ色に染まった空。それら全てを背景にした大海原は、波に夕焼けを反射させ、オレンジ色に輝いていた。
真っ白な肌、真っ黒な衣装に身を纏う彼女を横目に、悠馬は砂浜の手前にあった階段に腰掛け、座るように促す。
「日本での過ごしはもう慣れたか?」
「うん。花蓮チャンが色々と教えてくれて、過ごしやすいよ」
ルクスは花蓮の寮でお世話になっているため、こうして2人きりで話す機会なんて滅多にない。
彼女が日本支部へ来てから半年以上が経過して、悠馬は過ごしに慣れたと話すルクスを見てから、安堵の表情を浮かべた。
「良かった。お前さ、最初日本支部来たときは死ぬ気満々だったから怖かったんだよ」
「ハハ…そうだね。最初はもう、本気で死んでもいいと思ってたんだ」
ルクスの目的は、ロシア支部を守り抜くことだった。
だからあの戦争で、一度世界を裏切る形であのお方の側について、寝返るという行動をとったわけだ。
そしてそんな行動をとった彼女に待ち構えていたのは、国外追放という罰。生きがいだったはずのロシア支部から追放された彼女は、死ぬことを考えていた。
しかしどうやら、もう気持ちは変わってるらしい。
ルクスが自殺したらどうしよう?などと考えていた悠馬は、彼女の表情を見て確信する。
「何かしたいこと見つけたのか?」
「したいこと…というか、そうだね。キミのことをもう少し見ていたい…って思ったんだ」
ルクスはそう言って、悠馬へと悪戯っぽく微笑んで見せた。
直後、潮風が吹き、ルクスの長い黒髪は風に揺れる。
不覚にもドキッとしてしまった。
彼女がどういう意味で、どういう理由で見ていたいと言ったのかはわからないが、もしかするとそういう関係を望んでいるんじゃ…と考えてしまう。
でも、悠馬はルクスと殺し合ったわけだし、そんなことはあり得ないだろう。
早々に結論づけた悠馬は、首を振って気を取りなおすと軽く微笑んで見せた。
「気が済むまで見ればいいさ。それがお前の生きがいになるなら、俺は嬉しいし、きっと花蓮ちゃんも喜ぶ」
ルクスがいてくれるだけでも、花蓮は楽しそうだし、みんなが賑やかになる。
恋人ではないが、すでに悠馬にとってルクスという人物は、大切な存在になりつつあった。




