フィールドワーク2
フィールドワークが始まってから、20分以上が経過した頃。
茶髪の男子生徒は、1人で不機嫌そうに歩いていた。
いや、不機嫌そう、ではなく、かなり不機嫌に歩いていた。
「くそ…ぶん殴ってやりたい」
なぜ悠馬がこんなにも不機嫌なのか。
その原因は約5分ほど前に遡る。
小川に沿って登り始めた、悠馬のフィールドワークのグループは、雰囲気が壊滅的なほど悪かった。
先輩は何も言わずに上流を目指し始めるし、ろくな会話もない。聞こえてくるのは悪口だけで、チームワークの向上、学年間での協力体制など取れるはずもないと、すぐに察しがつくほど、あからさまに距離を置かれたのだ。
「こういうのは下級生が気を使って先輩の問題の答えを見つけるんだよ暁くん。わかったらさっさと行ってこい」
出っ歯のメガネ野郎が、メガネをぐいっと上げながら、悠馬を軽く睨みそう告げた。
それを聞いた悠馬は、その時点で既に、若干ムッとしていた。
何しろ、昨日3年生がやっていたことは登山。つまり、3年である生徒は、登山中にヒントを見つけていてもおかしくないのだ。
それなのに後輩をコキ使って、自分たちは楽をしようというのだから、悠馬がイラつくのも、無理はない。
かといって、権堂から忠告を受けたばかりなのに、いきなりそれを破って揉め事に発展するわけにもいかない。
素直にそれを聞き入れた悠馬は、先輩の地図を2つ受け取り、1人で森の中を探索し始めたのだ。
そして、その時よりも不機嫌になっている理由がもう1つあった。
それは悠馬の持っている地図。
1年生用に配布された地図は綺麗に二つ折りされているのに対して、3年の2人が渡してきた地図は、汚く曲げられ、挙げ句の果てにはミッションの文字が滲んで読めない。
それが印刷的なミスではなく、手でこすって消したような跡だったため、悠馬の機嫌は益々悪くなったのだ。
おそらく、悠馬が文字が見えずに、何の成果も得られず帰ってきたことに対して、無能だの何だのと文句をつけて、下級生をいじめて優越感に浸る魂胆なのだろう。
見た目からしてねちっこいやり方をしてきそうだった2人の顔を思い出した悠馬は、軽く異能を使って大木を殴る。
すると、大木は大きく揺れ、木の枝や葉っぱが落ちてくる。
悠馬が殴った大木には、拳の跡がくっきりと残っていた。
「これで1つ目の問題はクリアだろ」
先輩のミッションの中にある、山の中腹にある大…の名前を探せというミッション。
それを山の中腹にある大木だと判断した悠馬は、大木にかけてあったクヌギの木という文字をメモし、その場を去る。
獣道ではなく、きちんとした山道があることから、昨日間違いなく、3年はここを通っているはずだ。
本来であれば、後輩たちが「わからない」と必死に探しているところを、先輩が「ああ、それなら知ってるぜ」ってな感じで一緒に見つけ出し、「先輩すごいですね!」と言われるような場面なのだろうが、そのイベントすら起こらなかった悠馬は、腹いせと言わんばかりの自分がここへと訪れた証を残した。
おそらく、これがバレたらフィールドワークでこのミッションを割り当てられた生徒が見つけ出され、怒られることだろう。
そうすれば、悠馬は怒られること間違いなしかもしれないが、教師たちが先ず飛んでいくのは問題を割り振られた、先輩たちの方だ。
そして先輩たちは、後輩に任せたから知らないと言いたくなるだろうが、後輩1人に任せたということがバレれば、教員から怒られるだろうし、評価にも関わってくる。
どう言い逃れしようが、先輩たちがダメージを負うのは確定なのだ。
「先ずは地味な嫌がらせからだよな」
先輩たちが後々困ることをしでかしていこうと悪魔のような笑みを浮かべた悠馬は、掠れた文字を目を細くしてみながら、山道を歩く。
***
一方その頃、権堂と美幸、そして3年の2人チーム。
小川の中腹あたりで、大きな岩に座り偉そうにする3年生2人と、砂利の上に座る2年の権堂と美幸。
2つの学年の間には、大きなスペースが空いていた。
「チッ、暁の奴おせえな」
「早く戻ってくると思ってたけど…まぁ、それで成果が無ければ予定よりも叩けるからいいのでは?」
「ああ。そうだな」
そう話しながら、ニヤニヤ笑いをする3年の2人。
彼らは悠馬のことを嫌っている。
その理由は、入学して間もない1年だというのに、悠馬の容姿は学年という垣根を超えて噂され、3年の女子たちは悠馬や八神の話題で持ちきりになっていた。
同じ男子としては、同じ学年の女子たちが下の学年の生徒のことをキャーキャー言っているのが気にくわないのだ。
だから、今日のフィールドワークが悠馬と一緒だと気づいた時に、嫌がらせをしてやろうと策を練っていた。
調子に乗っているであろう悠馬を叩き、泣いて許しを請うのを笑いながら動画に収めてやろうなどと、そんな馬鹿みたいなことを考えている。
しかし、距離があると言えど、悠馬に嫌がらせを行おうとしているのは、2年の美幸と権堂には丸聞こえだった。
2年の2人は、去年似たような出来事があったことを記憶しているため、尚更だ。
これはわかりやすい下級生イジメで、逃げ場などない。
原則班で戻ることが条件とされているため、1人で逃げるということも出来ないのだ。
それを知っている2人は、先輩には視線を向けないものの、不機嫌そうな表情を浮かべていた。
「先輩ー、会長はいつくるんですかー?」
「あ?知るかよ。まぁ、暁が帰ってきた後に現れて欲しい感はあるな」
美幸が会長の質問をすると、不服そうな表情をした2人。
それをみた美幸は、会長はこの件に協力していないということを悟り、ニヤリと笑った。
異能島、ナンバーズの生徒会長というのは、人気投票などで推薦されるわけではない。
生徒会長に選ばれるためには、教員たちから、品性や言動、人格にレベルなど、全てを評価され、もっとも評価が高かった生徒が選ばれるのだ。
そんな生徒会長が、下級生いじめに加担するはずもなく、おそらく、悠馬がいないことが判明した時点で、3年の2人は厳しく指導されることだろう。
だからこそ、2人は、会長が来る前に、悠馬に早く帰ってきて欲しいのだ。
「先輩方。我々も少しでもミッションを進めておいた方が賢明だと思います。幸い、手元には2年の地図が…」
「あーあー!うるせぇーなー!お前さ?自分の立場わかってんの?」
そんな中、権堂は、去年の出来事の負い目があるのか、悠馬だけに任せるのは悪いと言いたげに、手持ちのミッションだけでも終わらせて合流した方がいのでは、と先輩に向けて意見した。
「っ…」
しかし、権堂に発言権などなかった。
機嫌悪そうに権堂の方を睨んだ2人の先輩。
それを目にした権堂は、反論もせずに黙り込む。
「去年、あれだけひでぇ負け方しといて、発言権あると思ってんのか?」
「そうだよ。去年の戦犯、しかも後輩のいうことなんて、僕らは聞きたくないね。君の判断じゃロクな結果にならないんじゃないかい?」
ブサイクな男に便乗したように、出っ歯メガネも権堂を罵る。
権堂が言い返さないのをいいことに、好き放題言う2人の会話は、徐々にエスカレートしていく。
「あ、そうだ。ビッチちゃん。お前も戦犯の隣は嫌だろ?こっち来いよ」
何を言っても権堂は言い返さない。美幸も反論してこないと判断したのか、2人は下品に笑いながら、美幸を手招きする。
「い、いや、私は」
「来いよ。それとも先輩の言うこと、聞けねえのか?別に来なくてもいいんだぜ?まぁ、来なかったら異能島に戻ってからの生活は保証しねえけど!」
「ははは!そうだよ。何が賢明な判断か、しっかりと見極めなよ。馬鹿な君でもそのくらいはできるだろう?」
それは軽い脅しだった。
先輩たちの方にに来ないなら、学校生活は酷いことになる。つまりは、イジメだったり、学年間の繋がりを、今以上に酷くするということだ。
自分だけならまだしも、自分の判断のせいで2学年全体に迷惑を掛けてしまう。
それを悟った美幸は、下唇を噛み、拳をギュッと握った。
「後3秒以内に決めろよ。お前の1つ1つの判断にそう時間はかけちゃいられねえからな!」
決断を迫る2人の先輩は、こちらに来るという選択肢しか選べないことを知っている。
これ以上の関係悪化を後輩が望むわけもなく、当然のことだ。
ニヤニヤと笑う先輩たちがカウントをはじめ、美幸が意を決して立ち上がる。
「いやー、結構時間かかりましたねー」
「あ?」
3年生からすれば、完璧な流れ。
生活を保障しないと脅して、フィールドワーク中は美幸の身体を触ったり、やらしい事をしてやり過ごすはずだった2人からすれば、この流れは完璧なはずだった。
権堂も言い返せない。教師に言いつけたら学年間の抗争はますます激しくなる。
邪魔な1年も、教師も、生徒会長もいないはずだった。
だからこそ、目の前に地図を持って現れた、茶髪の男の存在に苛立ちを覚えた。
「暁くん。終わったんだよね?まさか終わってないのに戻ってきたとか言わないよね?」
突然戻ってきた邪魔者、悠馬に向けて、終わってないならもう1回行って来いと遠回しに言う出っ歯メガネの男。
「終わりましたよ」
即答する悠馬。
それを聞いた先輩は、驚いた表情を浮かべた。
なにしろ、悠馬に渡した地図のミッション部分は、ワザと字を見えないように擦って渡していたのだ。
それなのに、今目の前に戻ってきた男は、終わったと明言した。
本来であれば、ミッションがわからずに困った表情で帰ってきた悠馬に激怒し、泣きながら謝らせて優越感に浸る予定だったはずの2人からすれば、完全に想定外の出来事だ。
「ご苦労だったな。1年にしてはなかなかやるじゃねえか」
そう言ったのは、出っ歯メガネの男ではなく、ブサイクな方の男。
表情は若干苛立って見えるものの、取り繕って悠馬を褒めている。
「ありがとうございます。そろそろ移動しませんか?教員たちも見回ってましたし」
ブサイクな男に3年の地図を返却した悠馬は、にっこりと笑いながら先輩たちに意見する。
もちろん嘘だ。
教員たちは、各チェックポイント、というか、地図に記されている教員マークの所にしか立っていない。
当然、人数的にも、数十人にしか満たない教員たちが、こんな大きな無人島をぶらぶらと歩いているはずもなく、歩いていて遭遇するのは、生徒くらいだ。
しかし、先輩は悠馬の発言を無視できない。
何しろ、自分たちは小川の中腹で座っていただけなのだから、悠馬の発言を鵜呑みにするしかないのだ。
去年はこうだったからそんなわけがない。などと言ってここに留まり続けた結果、教員と鉢合わせて指導になった。なんてことになったら、笑い事じゃ済まされないのだから。
訝しそうに悠馬の顔を覗くブサイクな男は、悠馬が表情を変えずに話していることから、事実だと判断したのだろう。
地図を受け取りゆっくりと立ち上がると、あからさまに不機嫌そうな表情を浮かべ、舌打ちをした。
「チッ。2年も付いて来い。こっからは全員でやる」
「はーい」
元気よく返事をする美幸と、悲しげな表情で立ち上がった権堂。
その様子を見た悠馬は、自分が来る前に何か言い合いでもしたのではないかと、そんな可能性を考えながら、3年生と距離が開くのを待った。
3年の男は、かなり不機嫌だった。
何しろ、美幸に決断を迫り、いいところで悠馬に妨害された挙句、1年をいじめるのは失敗。
加えて去年と違って、教員が動いているという報告が上がったせいで、全てを1年に任せて、自分たちだけ楽をするという計画も破綻してしまったのだ。
先ほどまで、反論できない権堂や、学校生活を脅し文句に美幸を脅したり、見下したりして優越感に浸っていた2人にとっては、これはかなりムカつく出来事であった。
「クソ、良い所だったのに」
「まぁまぁ、あんなビッチでなくとも、学校生活を脅し文句にすれば、どんな女子でもひっかかるよ」
ブサイクな男と、出っ歯メガネの男は、権堂、美幸、悠馬の3人から十数メートル離れた距離を歩きながら、互いに慰め合う。
「暁くん、タイミングバッチグーよ!後で撫でてあげるね〜」
そして3年生から離れた所を歩く美幸は、やけに上機嫌だった。
なにしろ、悠馬のおかげでやりたくないことを回避できたのだ。難を逃れた美幸は、その立役者となった悠馬を褒めるように、にっこりと笑みを浮かべている。
「い、いえ…ほんと、たまたまなんで…」
褒められ慣れていない悠馬からすれば、美幸に褒められるのは、なんだかくすぐったいものだった。
人差し指で頬を掻きながら、照れる悠馬を見た権堂も、一瞬だけ頬を緩めた。
「たまたまでも俺たちは助かってる。ありがとう」
そう呟いた権堂は、悠馬が返事をする前に、気恥ずかしかったのか、顔を見られないように、ほんの少しだけ早足で前へと距離を置いた。
鬱蒼と茂る木々の中、5人の影は、次のミッションを探して遠くへと消えていく。




