皇国の使者3
「その声は…!」
聞き覚えのある声を耳にして、十河はパァッと晴れた顔で振り返る。
先ほどまで歩き回って死にかけていたというのに、一気にテンションが上がっている十河は、背後にいた人物を見てニコニコと笑みを浮かべた。
「美月ちゃん!久しぶりだのぅ」
「そうですね、かれこれ2年ぶりくらいですね」
元々親が関わりを持っていたため、十河は美月にとって親戚のおじさんのような感覚だ。
入学してから間もない結界事件以来の再会となる十河に、美月はいつもと変わらぬ表情で微笑みかける。
「そうだなぁ、最近は忙しくて忙しくて…」
「あははは…」
本当に仕事が忙しいかどうかは、吹けば飛んでいきそうなほど少なくなっている髪を見ればわかる。
十河の髪を見て苦笑いを浮かべた美月は、赤茶髪の男が路地裏に入って行くのを横目に、男が十河の視界に入らぬよう、自然な形で歩き始める。
十河も美月が話し相手とあってか、きちんと彼女のことを見つめ、すでに皇国の使者のことなど蚊帳の外状態だ。
「しっかし、あっという間だのぅ!美月ちゃんは来年で卒業かぁ…」
「はい。おかげさまで」
「進路は決まっているのか?それともまだ模索中かね?」
十河は進路指導の教員のように、美月の進路を尋ねる。
幼い頃から美月を知っている十河にとっては、愛娘に進路を聞いている感覚に近いのかもしれない。
美月は一瞬だけ視線を彷徨わせると、照れ臭そうに頬を掻く。
「好きな人について行こうかなって…思ってます」
「つまり一緒の大学に行くと?」
「いや…大学ってワケじゃないんですけど…」
彼氏は異能王になるので、戦乙女になろうと思います。
そう言いたいが、なんだか恥ずかしくてハッキリ言い切れない美月は、煮え切らない返事をしどろもどろで答える。
「?」
「そ、その…」
「その…?」
美月の煮え切らない返事に興味津々の十河。
彼女がなぜこんなに躊躇いながら話すのかわからない十河は、ハンカチで額の汗を拭う。
「戦乙女に…なります」
「…んん?」
瞬間、十河は硬直した。
十河は元々、頭の良い方だ。体型こそ肥満だが、国立大学を卒業しているし、エリート街道を直走ってきた彼なら、美月の発言が何を意味するのか、瞬時に割り出すことができた。
美月が入学間も無くして気になっていると言っていた人物が誰なのか、その人物とどういう関係になったのか、そして彼女の指す、戦乙女の意味も…
「あ、あの暁悠馬と付き合っとるのか?美月ちゃん!」
「はい…」
学生の色恋沙汰なんて、大人が聞いたところで「ふーん」や「あー、アイツね」的な軽い気持ちで聞き流されるが、今の美月の発言は、十河に衝撃を与えるには十分過ぎた。
いや、これで驚くなと言う方が無理がある。
次期異能王の悠馬と付き合っていると聞いて、十河は何がなんだか訳が分からなくなり、笑い始める。
「ははは…まさか美月ちゃんが…」
元同僚の娘が、次の異能王と付き合っているとは…
自分の娘ではないが、誇らしいと言う感情が湧き上がってくると同時に、彼女がどこか遠くへ行ってしまうような気がして、寂しい気持ちが溢れてくる。
笑いながら、なんとも言えない気持ちになった十河は、美月の真剣な紫色の瞳を見て、笑うのをやめた。
「大きくなったのぅ…」
「はい…色々悩んだし、迷いましたけど…私は彼についていきたいんです」
それが美月の思いだった。
いくら悠馬のことが好きと言えど、悠馬が異能王になれば、美月と悠馬が結ばれる方法は戦乙女になるしかない。
つまり、美月は自分の志望していた将来の夢なんかを諦めなければ悠馬についていけないワケだ。
まぁ、美月は明確な将来の夢があるわけでもなかったし、絶対にどこの企業に就きたいという願望もなかったため、そこまで思い悩む事はなかったのだが…
それでも、高校2年生というまだまだ若い段階で、一生の選択をするのはかなり難しいだろう。
本気で悩んで、自分がどうなりたいか、悠馬と結ばれたいのかを考えて、美月は悠馬の戦乙女になることを決意した。
もちろん、悠馬にこの悩みも事実も告げたわけではないが、美月はもう、迷わずに悠馬の誘いを受けるつもりだ。
十河は美月に迷いがないことを知り、肩を竦めて頬を緩めた。
「本当に、大きくなったわい…昔はこーんなに小さくてお父さんについて回っていたのに…」
十河は大袈裟に、右手の人差し指と親指で、美月がそのくらいのサイズだったかのように話す。
「そこまでは小さくないですよ」
「ガハハ!冗談だ!」
どんなに小さくたって、指で測れるほどの大きさの子供はいない。
十河のジョークにツッコミを入れた美月は、微笑みながら腰の後ろで手を組む。
「ところで十河さんは、どうしてこんなところに?」
「…!」
美月に尋ねられ、十河は大きく目を見開いた。
セレスティーネ皇国からの使者を案内していたはずなのに、久しぶりに再開した美月と話し込んでいたせいで完全に忘れていた。
5分以上話し込んでいた十河は周囲を見渡し、使者が見当たらないことに気付いて冷や汗を流した。
いくらトイレと言っても、男のトイレなんて数十秒あれば十分だし、異能島はどこの店に入ってもトイレが完備されている。
行列ができる心配もないだろうし、だとするなら…
「アイツ…まさか…!」
十河は初めて、使者が自分の目から離れるためにトイレに向かったのだと知る。
危うく血管がプッチンしそうなほど顔を真っ赤に染めた十河は、不機嫌そうな表情で何度も周囲を確認する。
「悪いが美月ちゃん、ワシには重要な用事があったことを思い出した。また今度、じっくりと話を聞かせてくれ」
「はい、お気をつけて」
「ああっ!」
皇国の使者に逃げられた。
美月と会話をしている場合ではないと判断した十河は、途中で会話を切り上げ、短い足でヒィヒィと走り始める。
美月はそんな十河の背中を、にっこりと笑みを浮かべながら見送った。
「悠馬、こっちは時間稼いだからね」
***
「誰だキサマは」
複雑に入り組んだ路地裏の中に、オレンジ色の夕陽が差し込む。
そんな中、背を向けて立っている黒髪の人物へと声をかけた赤茶髪の男、皇国の使者は、最大限の警戒をしたまま、距離を詰めようとしない。
「不躾な問いかけですね。アンタだって皇国ではそれなりの立場なんだろ?礼儀作法は習わなかったのか?」
「…お前がこちらをチラチラと見ていたのだろう」
使者が声をかけると、黒髪の少年は振り返る。
特徴的なレッドパープルな瞳を冷ややかに使者へと向ける少年、暁悠馬は、出会い頭の使者の発言が不満だったのか、軽く煽りながら話をする。
「そうだな…困ってるみたいだから役に立てればと思ったんだけど…」
「ガキに話す事情などない。何もないなら行かせてもらうぞ」
「待てよ。学生の視線でノコノコついて来てんだ。相当追い詰められてるんだろ?」
不服そうに悠馬に背を向け、その場を後にしようとする赤茶髪の男。
そんな彼を、悠馬は薄ら笑いを浮かべながら呼び止めた。
普通、一国の名を背負って他国へ訪れた使者ならば、周りから好奇の視線を向けられるのは当たり前だし、そんな視線をいちいち気にしていては、業務なんてできたもんじゃない。
しかしこの男は、悠馬がひたすら視線を送るだけでホイホイと付いてきた。
おそらくかなり追い詰められていて、藁にもすがる思いでついてきたに違いない。
図星をつかれたのか、悠馬の発言を聞いて赤茶髪の男は振り返る。
「セレスローゼ様を探している。何か情報を持ってるか?」
「持ってるも何も、俺が預かってますよ」
「っ!」
悠馬が挑戦的な発言をすると、赤茶髪の男はマントの下に隠していた剣を引き抜き、悠馬へと斬りかかる。
悠馬はスウォルデンの魔剣モデルを抜剣し、無表情のまま使者の不意打ちを受け止めた。
「使者って言うからオッサンをイメージしてたけど…若いから警戒してて正解だったな」
白を基調とした軍服のようなデザインの衣服に、異界の騎士や貴族が付けていそうなマント。
これはセレスティーネ皇国の皇族に仕える人々にのみ支給される装備で、当然皇族に仕えるということはレベルもそれなりに高い。
無防備で会いに行くのではなく、一応警戒してデバイスを持ってきていた悠馬は、火花を散らすデバイス同士をじっと見つめる。
「キサマか…!セレスローゼ様を拐かした屑は!」
使者の男は、瞳を血走らせながら、吐き出すように低い声で悠馬を屑と罵る。
まぁ、自分の国のお姫様が帰国せずに、他国の男の元にいると知れば拐かされたと考えるのが正常な判断だろう。
だから悠馬も、ムカつきこそしたが怒りを露わにすることはなかった。
「なにか勘違いしてるみたいだが、俺とローゼが一緒にいるのは互いの意思だ。無理やり彼女を監禁なんてするわけないだろ」
「そんな言葉を信じろと!?あの方は婚約が控えていたのだ!キサマのような男がセレスローゼ様を拐かしたせいで予定が大幅に狂っている!」
「誰と?デールと?アイツは犯罪者だったろ。国際問題に発展してる。それともヴェントか?本気でヴェントが国を取り仕切る立場になれると思ってるのか?」
「っ!」
確かに、セレスは4ヶ月前まで婚約の予定があったが、それは全て相手方の不都合でキャンセルされている。
キズギス共和国のデールは死後あのお方との繋がりが判明し、現在国家的な立場が危うい。
そして自己中ヴェントだが、彼は悠馬にぶん殴られてから音沙汰なしだ。
そのどちらにも悠馬が干渉したのは確かなことだが、しかしだからといって、セレスの婚約予定が狂ったのは悠馬のせいではない。
きっと悠馬が干渉していなければ、セレスの婚約はもっと悲惨な結果で終わり、セレスティーネ皇国という国の立場が危うくなっていたことだろう。
デールとの婚約を事前にキャンセルできたことを、感謝してほしいくらいだ。
使者もデールが危険人物だと分かっているからか、悠馬の反論になにも言い返せない。
「しかし…私たちの国は…」
「ならお前が日本支部の天皇の娘と結婚しろよ。俺がなんとかしてやるから」
「は…?」
悠馬は無表情のまま使者へと提案をした。
彼らセレスティーネ皇国が求めるのは、自国の地位と安全性であって、それさえ保証されるのならば、セレスが結婚する必要はない。
悠馬の異能を使えば、今から彼を日本支部の天皇の娘と結婚に持ち込むことだって可能だろう。
実際、そんな大逸れたことをするつもりなんて微塵もないが、悠馬はあたかも本気でそう思っているような言動で話す。
「俺の異能を使えば簡単だぞ。今すぐそうしてやろうか?」
「いや…私は…」
「嫌だよな?準備も出来てねえし、顔すら合わせたことのないお偉方と結婚するのは」
誰だって、どんなことをするにも心の準備が必要だし、それが結婚ともなると、実際に顔を合わせたことのない人物と婚約なんて、絶対に嫌だろう。
悠馬の言葉を聞いて、視線を彷徨わせた使者。
そんな彼を見た悠馬は、ニヤリと笑みを浮かべて畳み掛けた。
「ローゼはそれを一度やらされてんだよ。好きでもない異能王の側近をやらされて、それが終わったらまた好きでもない奴と婚約?ローゼの気持ちはどこにある?ローゼには婚約者を選ぶ権利すらないのか?」
「それとこれとは…」
「いいや同じだろ。今、お前は俺の発言を聞いて結婚を躊躇ったよな?ローゼが躊躇わなかったとでも思うのか?」
誰だって、いきなり好きでもない奴と婚約しろと言われたら躊躇う。
だから悠馬は、彼をセレスと同じ状況に陥れた。
正確には陥れてないが、言動だけで揺さぶりをかけた。セレスの味わった不安を、苦しみを理解させるために。
「それは…」
セレスだって人間で、生きていれば好きな人くらいできる。
自分と同じ人間のはずなのに、セレスの気持ちを尊重していなかったことを知った使者は、反論ができなかった。
まぁ、人間どんなに理解に乏しい奴でも、苦しい現状を突きつけてやれば嫌でも状況を理解する。
戦場を知らずに上から命令してくる馬鹿を、戦場に置いていくのと同じだ。
高みの見物、セレスにだけ負担をかけようとしていた使者に、悠馬は同じ分だけの負担をチラつかせた。
「……しかし…私は国王の指示に従うしかない」
セレスの気持ちはわかった。
彼女がどういう立場に置かれているのか、どういう気持ちで1度目の婚約を受け入れたのか、そして2度目の婚約で、どれほどの精神的負担がかかったのかも、想像できた。
徐々に剣に入れていた力を抜き始めた使者は、迷うような表情で、悠馬から視線を外した。
「セレスローゼ様がどういうお気持ちで婚約の話を聞いたのかは、わかった。…でも、だからと言って引き下がれないんだ」
「だろうな。お前に言ったところで、決定権は国王にある」
いくら揺さぶりをかけてこの使者を引き返させることに成功しても、それだけでは次の使者、また次の使者…が永遠に送り続けられるだけだ。
悠馬は使者の発言を聞いて、業務的な笑顔を浮かべた。




