シャドウ・レイは難しい
「そう。そのまま集中を続けてください」
「……」
聖魔の落ち着いた声が、潮風の吹くビーチに優しく響き、悠馬は額に汗を流しながら瞳を閉じている。
悠馬の手のひらには、白と黒の混ざり合った球体が、完全に交わることはなく、白と黒で分離した状態で浮かんでいた。
「その調子です。では、出力を…」
「あっ…」
聖魔が出力を上げろと言おうとした直後に、悠馬の手のひらにあった球体は、漆黒に包まれ、黒い球体に変貌する。
「っ…はぁー!むずすぎだろ…」
「そうでしょうね。悠馬さんは闇の異能を得意としているので、対の両立は難題でしょう」
悠馬は黒い球体を消滅させると、砂浜にドサっと横たわり、深いため息を吐きながらジタバタと足を動かした。
その様子から察するに、この細かな火力調整は、かなりフラストレーションが溜まるのもだと理解できる。
「シャドウ・レイ…早く使えるようになりたいな…」
悠馬が習得しようとしている異能、シャドウ・レイ。
それは本来両立しないはずの聖と闇を瞬時に極夜と白夜の火力にまで調整し、デバイスに乗せて放つ異能だ。
しかしこれが、めちゃくちゃ難しい。
瞬時に極夜と白夜の火力に持っていくと聞けば、簡単じゃん、火力あげれば良いだけだし。と考える人が多いだろうが、冷静に考えていただきたい。
聖と闇は、もともと両立しない異能なのだ。
それを同時に放つとなれば、当然、同時に同等の火力を放出しないといけないわけであって、どちらかの異能の火力が0.1%でも違うと、火力が高い方の異能に吸収されてしまうのだ。
つまり、49.9%と聖と、50.1%の闇でシャドウ・レイを放とうとすれば、聖は闇に吸収され、極夜になってしまうわけだ。
この火力調整のラインが、かなり難しい。
微調整、しかもミリ単位の狂いも許されない異能なんてこれまでほとんど使ってこなかった悠馬は、似た系統の狂いが許されないゲートをイメージして異能を発動させているが、全くうまくかない。
今の季節は2月で、シャドウ・レイは去年の12月から特訓を始めているため、かれこれ3ヶ月近く、チュートリアルで足踏みしていることになる。
そろそろ焦りも限界に達し、フラストレーションも溜まっていく。
「今日はこの辺で辞めておきますか。焦りや怒りの感情が増せば、シャドウ・レイは闇に呑まれます。そうなれば練習にはなりませんからねぇ」
「…そうだな…今日もありがとう、聖魔」
「いえ。これは私が貴方に教えたい異能でもあるので礼には及びません」
この異能の難易度が非常に高いことは、聖魔が一番理解している。
悠馬がいくら天才だったとしても、こんなごく短期間でシャドウ・レイを習得できると思っていない聖魔は、焦ることも、不服そうな表情をすることもなく、スウォルデンの剣を右手に携える。
「悠馬さん、一戦どうでしょう?」
「いいけど…急にどうしたんだ?」
右手で剣を構えて見せる聖魔を横目に、悠馬は砂浜から起き上がり尋ねる。
聖魔はこれまで、悠馬に対しシャドウ・レイのことを教えはするものの、剣を交えることも、異能をぶつけ合うこともなかった。
それは聖魔なりの、敵意がないアピールだったのかもしれないが、彼が自ら進んで一戦交えたいと言い始めたため、悠馬は驚きを隠せない。
「先月の一件で、レベルが40以上も離れた人物の蹴りで転んでしまいまして…身体が鈍っていることを実感しました。それから個人的にトレーニングは続けているつもりですが、現状調子がどのくらいまで戻ったのかを知りたい。というのが本音です」
「なるほど…いいぜ」
聖魔が蹴りで転ばされたというのは、間違いなく焫爾なのだろう。
異能ありきの戦闘では圧倒的に聖魔有利ではあるが、人間で、しかも身体強化系の異能を持っていない以上、肉弾戦に持ち込まれれば実力と経験次第で相手にダメージを与えられる。
それがよっぽど不満だったのか、聖魔は個人的にトレーニングまでして、自身の感覚を全盛期にまで持っていくつもりらしい。
初めて、本気で戦えるかもしれない。
セカイという異能を手にして早くも半年、悠馬は全力で戦うという機会が回って来なかった。
混沌と戦った時以来の本気が出せるかもしれないと考える悠馬は、ニヤリと挑発的な笑みを浮かべ、右手の人差し指を動かして「来いよ」と言いたげにアピールをする。
「では。お手柔らかに」
「っ!」
直後、聖魔は一瞬にして居なくなり、彼が立っていた砂浜は、遅れて砂を撒き散らせる。
どれだけの脚力で踏み込んだら、数十メートルも砂が撒き散らせるのだろうか?
まるで砂浜の中に小型爆弾でも仕掛けられていたのではないかと思うほどの聖魔の脚力に、悠馬は驚きつつも、右手を前に伸ばし、親指と人差し指、中指で黒い剣を押さえ込む。
「異能使っていいぞ。そっちの方が俺も楽しい」
「ほう…!随分と余裕そうですねぇ!」
「余裕じゃねえけどな!」
聖魔のデバイスを片手で白刃取りした悠馬だが、何も調子に乗って受け止めたわけではない。
自分がこれに反応できるのか、聖魔の速度を見切って剣を受け止めれるのか知りたかった悠馬は、満足そうな表情を浮かべ、夜の闇の中へと消える聖魔を見届ける。
「闇移動か…俺もやってみようかな」
初めてルクスと戦ったメトロで見た、闇移動。影移動と違い、自身の闇を自在に動かすことによりその中を高速で移動できるいわば車のような便利異能に、悠馬も闇を展開し、自身の闇の中へと入ってみる。
「うわ…暗…」
これが思っていた以上に暗くて、視覚が全く意味を為さない。
この中を自由に動き回り、相手へと攻撃を加えていたルクスは本当のバケモノなのだと、改めて実感させられる。
「慣れないことをすると怪我をしますよ」
「うぉっ!?っぶね…!」
何かが接近して来たような感じがして闇の中でしゃがんだ悠馬は、自身の髪がパサっと落ちて来たのに気づき、聖魔のデバイスが頭上を掠めたのだと知る。
危うく顔を斬られるところだった。
慌てて闇の異能を動かし始めた悠馬は、聴覚を頼りにして、聖魔が動く音を聞いて追尾を始める。
「ほう…やはり、コツを掴むまでの速さが異常ですねぇ…これならばあと半年もすれば、シャドウ・レイも習得できるでしょう」
「半年もかかるのかよ」
「私でも10年近くかかった。と言えば納得してくれますか?」
闇の中でクラミツハの神器を取り出した悠馬は、ガキン!と聖魔のデバイスと神器を打ち合わせながら話す。
おそらく外から見ると、砂浜の地面で謎の闇がぶつかり合い、金属音を出している子供が失禁しかねない光景になっているだろう。
「お前でも10年かかったのか…」
自他共に認める天才の聖魔ですら、シャドウ・レイの習得には10年の時を要した。
おそらくだが、これまでの人類史において、聖闇を両立させた人物は2桁ほどいるだろうが、その中でシャドウ・レイを放てるようになるまで経験を積んだ人物は、片手で数えるほどしかいないだろう。
元々あり得ないはずの異能のハイブリッドから、さらに天才でも10年かかるシャドウ・レイを習得できる人間なんて、ほんの一握りだろう。
「おっと…」
「当たらねえなぁ…」
悠馬が伸ばした神器は、聖魔をギリギリ掠め、聖魔は堪らず闇の中から抜け出す。
「……まだ続けるか?」
まだ打ち合わせて1分ほどしか経過していないが、互いの実力はある程度わかって来たし、これ以上やるとなると、おそらく互いに血を見ることになるだろう。
徐々に身体が温まり、ギアも上がり始めたところで口を開いた悠馬は、聖魔が手にしていたデバイスがフッと消滅したのを確認して、神器を鞘へと納めた。
「いやはや。やはりお強い。少しくらい渡り合えるだろうと思っていましたが、想像以上の強さですねぇ。これは夜空さんも負けるわけだ」
「そりゃどうも。…混沌はまともにやりあったんじゃなくて一撃で仕留めたからな。あのまままともにやり合ってたらどうなってたのかは正直わからねぇ」
タルタロスで戦った混沌には、セラフ化状態のフルパワーでジェットストリームを放ったため、まともにやり合ったわけじゃない。
どちらかと言えば、一撃必殺の技を当てて勝利した形に近い悠馬は、あの混沌を倒したんだぞと威張り散らせるほどの余裕は持っていなかった。
正直言って、今普通に戦えと言われたら、勝てるのかどうかすら怪しい。
そう結論づけている悠馬は、聖魔の言葉を聞き流しながら、自身の寮のベランダから寮へと上がり込む。
するとそこには、スポーツドリンクを片手に待機しているセレスの姿があった。
「お疲れ様です」
にっこりと、聖母のように微笑むセレスを見て、悠馬は思わず頬を緩める。
なんなんだこの完璧すぎる女性は。
セレスに言わず砂浜で聖魔と特訓をしていた悠馬は、特訓が終わるまで寝ずに待機していたであろうセレスに、さらに好感度を上げる。
最初から好感度のメーターがマックスだったのに、それが振り切れたと言ったほうがいいのかもしれない。
「ローゼ、今日は一緒に寝よっか?」
はいお嫁さん。お嫁さんにしたい。
自分のためにここまで尽くしてくれるセレスに感動する悠馬は、背後で聖魔が呆れていることなど無視して、子供のようにセレスにおねだりをする。
「ゆ、悠馬さま…聖魔さまもいるのに、そんな堂々と2人で寝たいと言うのは…その…一応私は一国の王女であるわけで…」
聖魔が何を言うという心配は正直微塵もないのだが、それでも他の男の前で今日は一緒に寝たいなどと言われると恥ずかしい。
王女ということを建前にするセレスからスポーツドリンクを受け取った悠馬は、聖魔に視線で合図をする。
聖魔はご飯を食べることも、水分を補給することも意味をなさないらしく、食欲というものがないらしい。
流石に血を失えば食事で必要量の血液を摂取するらしいが、数百年も生きているため、胃に負担をかけたくないようだ。
首を振った聖魔を見る限り、スポーツドリンクも要らないらしい。
全く、燃費がいい人間だ。
聖魔のことをそう評価する悠馬は、彼が自身の影の中へと沈んでいったのを見てから、セレスと顔を見合わせる。
「あの…ずっと思っていたのですが…」
「ん?」
「悠馬さまの影に聖魔さまがいるということはつまり、声が丸聞こえだったり…」
セレスは顔を真っ赤に染めながら、恥ずかしそうに口を開いた。
彼女が言いたいことはつまり、夜の営みや、プライベートな会話が全て聖魔に聞こえているんじゃないかという心配だ。
「安心して。音とか声は、俺が全部遮ってるから、聖魔が聞こうとしても絶対に聞けないようになってる」
聖魔は男としての機能が完全に停止しているため、何もそこまでする気はないと思っていたのだが、これは聖魔本人の希望もあって、彼が闇の中へ入った際は、外の世界の音が全て消えるようになっている。
もちろん、悠馬から聖魔に直接話しかけることと、その逆は可能なのだが、それ以外は全て不可能ということだ。
その答えを聞いて、フゥッと安堵のため息を吐いたセレスは、頬を掻きながら、いかにも女性らしい表情で悠馬を見た。
「お疲れですよね。私がマッサージをします」
「え、いや!それは申し訳ないよ…」
セレスはいつも寮の掃除と朝晩のご飯の支度をしてくれているし、何もかもセレスに甘えるのは、正直言ってかなり申し訳ないというか、寮主、彼氏としての立場がないように思えてくる。
特に土日なんて、寝転がっているだけでご飯が用意されてしまうし、「あれ?俺って邪魔な存在じゃね?」と考えてしまう時すらある。
正直疲れているしマッサージしてもらいたいという気持ちもあるが、流石にセレスにこれ以上負担をかける訳にはいかない悠馬は、身振り手振りで彼女の申し出を断る。
「遠慮なさらないでください。私、戦乙女隊長としての仕事がなくなってから悠馬さまの元で仕えていますが、これでも仕事量が足りなくて不安になるんです」
「そ、それなら…」
あと1年とちょっとしたら、またその戦乙女隊長としての激務に追われる羽目になるんですけどね…
まぁ、以前と違うことがあるとするなら、悠馬はエスカと違ってきちんと仕事をして、セレスに丸投げをしないだろうということだ。
しかしセレスはワーカホリックのようで、この戦乙女隊長としての仕事がない現状に不安を感じているようだ。
セレスの常識も、少しずつ改変していかないといけないかもしれない。
これまで異能王の仕事、戦乙女の仕事を1人でやっていたのかもしれないが、自分が王になる以上彼女を同じ目に合わせたくない悠馬は、1年後、自分が異能王になる前に彼女のワーカホリックをどうにかしようと計画し始める。
「?」
セレスはキョトンとした表情で、悠馬の肩を揉み始める。
彼女がワーカホリックじゃなくなる日は、果たしてくるのだろうか…?




