駆け上がれ!
「行って来な、加奈さん。今なら誰も動けない」
雷児が加奈の背中を叩くと、彼女はハッと我に返ったのか、火を付けられた導火線のように走り始める。
加奈は戦闘向きの異能を持っているわけじゃない。
だから加奈の出番というのは、聖魔と悠馬が裏の主力を無力化させた後にしかなかった。
その場のイザコザの影響でまだ気付くことが出来ていない連太郎の元へと、加奈は駆け寄る。
「連太郎くん!」
「…!」
***
本当は、羨ましかった。
横で結ばれ、抱き合う悠馬と愛菜を見て、連太郎は少しだけ残念な気持ちになっていた。
正直言って、もうこの結婚なんてどうでも良くて、お互いに望まない結婚なんだから、傷口を舐め合うことができるんじゃないかって、期待をしている自分がいた。
だってそうだろ?
自分が望まない結婚なのに、相手が勝手に望んでる結婚なんて考えるだけでも鳥肌モノだし、それならばいっそ、互いに望まぬ結婚をした方が、割り切れて幸せだと思っていた。
だから悠馬が乗り込んできたとき、ショックだった。
愛菜には助けが来たが、自分には助けが来ないと理解していたから。
加奈は現実的な人間で、他人の結婚式をぶっ壊すなんて非常識なことは絶対にしないし、連太郎と同じく、現状を大人しく受け入れる側の人間だ。
連太郎が別れも告げずに他人と結婚したって、仕方ないの一言で終わらせるような性格だし、それっきりの関係で、自分の恋は終わるのだと思っていた。
だから自分の名前を呼ぶ声が聞こえて、不覚にも泣きそうになってしまった。
「加奈ちん…」
心臓の鼓動が早まり、「どうして?」「なぜ?」という気持ちなんかよりも、喜びが溢れてくる。
階段を駆け上がる加奈を見た連太郎は、彼女へと手を伸ばし、加奈は連太郎の伸ばした手を見て、地面を大きく蹴った。
「絶対に許さない」
加奈は連太郎にしがみつき、小刻みに震えながら呟く。
きっと怖かったし、悔しかったし、不安だったのだろう。
別れも告げずに逃げ出した連太郎の肩をぽすっと殴った加奈は、連太郎のタキシードで涙を拭く。
「ごめんね。身勝手で」
「本当よ…私の気持ちも考えないで、勝手に人の心を引っ掻き回して…そういうところ、出会った時から何も変わってない。大っ嫌い」
「あはは…厳しいなぁ加奈ちん…」
連太郎は嬉しい気持ちを感じながらも、若干ショックを受けていそうに呟く。
横で泣き付く愛菜を抱きしめる悠馬のように、こっちもあんな感じになるんじゃないかと期待していたが、蓋を開けてみると加奈の口から出てくるのは説教。
そりゃあ、自分が全面的に悪いという自覚もあるし、自己中だと理解はしているが、もうちょっと甘い感じになってもいいんじゃね?と思ってしまう。
口元は緩み切っているが、目元は微妙そうな連太郎は、抱きついている加奈の頭を優しく撫でる。
「責任…取って」
「え?」
「私を不安にさせた責任、とって」
「ぐ、具体的には…」
加奈の不穏な発言に、連太郎は血の気がなくなっていく。
彼女の発言を聞いて真っ先に思い浮かぶのは、フェスタの時のお土産爆買い事件だ。
なんでもすると言ったことが原因で、財布の金がなくなるまでお金を使わされた連太郎は、また同じようなことをさせられるのではないかと恐怖を感じる。
正直に話すと、今の連太郎にそんな財力あるはずがない。
連太郎が加奈と結ばれるということはつまり、紅桜家と縁を切るということ。
当然実家と縁を切れば連太郎は一文無しだし、なにかと言い訳を付けて加奈に貢ぐことすらできない大貧民に陥るわけだ。
加奈に金品の要求だけはしないでくれと心から願う連太郎に対し、加奈は俯いたまま、ボソボソと何かを呟いた。
「これからずっと…一生私のことを不安にさせないって約束して」
「へ…?」
「ちゃんと責任とって」
一生不安にさせないと約束しろ。
それは暗に、加奈からのプロポーズを意味している。
自身の耳に入ってきた衝撃的な内容に理解が及ばない連太郎は、キョトンとした表情のまま思考停止に陥る。
今のはプロポーズなのだろうか?
めちゃくちゃ嬉しいというか、今ならなんでもできそうな気がするというか、はしゃぎ回りたいというか…
いや、本当に心から嬉しいのだが、連太郎は喜びを感じながらも、ちょっとした精神的ダメージを負っていた。
できればプロポーズは、男の自分からしたかった。
まさかここで永遠を誓わなければならない上に、プロポーズも加奈からという状況に陥った連太郎は、諦めたように、屈託のない笑みを浮かべた。
「別れたいって言っても絶対別れないぜ?未来永劫、死ぬまで一緒だぜ?いいのか?」
「望むところよ。さ、早く誓って?」
連太郎のタキシードを摘みながら、加奈は急かす。
このままはぐらかすのがいつもの連太郎だし、早く言質をとって安心したい。
悠馬と愛菜という証人もいる場所で宣言してもらいたい加奈の表情は、見たことがないほど色っぽく、恋する乙女という言葉がふさわしいように見えた。
「誓うよ、加奈。お前のこと、一生不安にさせない。ずっとそばにいる。…だから…そのな…」
連太郎は宣言をした後、しどろもどろになりながら頬を赤らめ、そっぽを向いた。
そして右手で頭を掻くこと数秒。
思い切ったように瞳を閉じた連太郎は、正面を向き、加奈の肩を掴んだ。
「学校を卒業したら、俺と結婚してほしい」
まだ時期尚早なのもわかっているし、結婚できる年齢じゃないことはわかっているが、ここまできた以上、連太郎は思い切ってプロポーズをする。
加奈に結婚してくださいとは言われてないし、これならば連太郎からのプロポーズになるだろう。
男として、その場の雰囲気に呑まれたり、彼女からプロポーズさせるのはダメだと考える連太郎は、真剣に加奈を見つめる。
「っ…はい!」
「っしゃぁ!」
数秒の間を無限のように長く感じたが、加奈から帰ってきたのは、迷いのない透き通るようなイェスの一言。
嬉しさのあまり拳を突き上げた連太郎は、直後加奈を抱き寄せると、彼女をお姫様抱っこして走り始めた。
「え?え?」
「逃げるぞ加奈ちん!」
幸せの余韻に浸る余裕などなく、式場から逃げ出そうとする連太郎。
もう少しこの感動を味わっていたかった加奈は、驚いた表情のまま、連太郎の首元に手を回した。
「っ!」
そんな幸せ絶頂の2人の元へと、黒く小さな何かが投げられる。
連太郎は咄嗟にそれを回避しようとしたが、加奈はその物体を両手で受け止め、物が投げられた方向を向いた。
「行ってこい。馬鹿野郎」
「兄貴…!」
式には顔を出していないはずの連太郎の兄、蓮一郎。
連太郎の兄である彼は、呆れたような表情で、それでいて清々しい表情で弟を見送る。
「車は出てすぐの所に停めてある。運転できるだろ?」
「ああ」
連太郎は裏の人間であるため、車の免許くらい持っているし、なんなら船だって動かせる。
加奈の受け取った車のキーと、式場の前に停めてある車を目にした連太郎は、ニッコリと笑みを浮かべた。
「さぁ、脱出だ加奈ちん」
「ええ。帰りましょ。私たちの居場所へ」
***
「うぅっ…悠馬先輩、悠馬先輩…」
連太郎と加奈が居なくなり、静かになった空間で愛菜は呟く。
悠馬は彼女の頭を優しく撫でながら、愛菜の小さな声を黙って聞いていた。
「私…悠馬先輩のことが好きなんです…好きだったんです…だから悠馬先輩がここに来てくれて…すごく嬉しくて…」
「うん。俺も愛菜のこと、好きだよ。だからここに来た」
正直、連太郎と加奈の関係は二の次だった。
悠馬の目的は最初から愛菜を攫うことであって、もし仮に連太郎が見ず知らずの誰かと結婚するなら、ここまでのことはしなかった。
愛菜は悠馬の発言を聞いて、ハッと顔を上げる。
「好きだよ。愛菜」
なぜかは知らないが、彼女の声を懐かしく感じるし、もっと顔を見ていたい。
これは朱理の夜な夜な英才教育の成果でもあるのだろうが、悠馬が元々、愛菜に対してちょっとした恋心を抱いていたのが最も大きな要因だ。
可愛い後輩、お土産を強請ってきたり、合宿の集合写真が欲しいと言ったり、無垢でピュアな彼女に、惚れないわけがない。
瞳を閉じた愛菜の肩を掴んだ悠馬は、彼女の唇を自分の唇で優しく覆い、瞳を閉じた。
それはとても優しくて、暖かいものだった。
心の中から、身体の芯から暖まって、安堵と多幸感が押し寄せ、さっきまでの不安感が全て浄化されていく。
数秒のキスの後、唇を離した悠馬を名残惜しそうに見つめる愛菜は、軽く微笑みながら悠馬に抱きついた。
「私たち、恋人ってことでいいんですよね」
「ああ。帰ろうか?」
「はい」
ここでの長居は無用だ。
後の処理は全て枝垂桜に任せるとして、聖魔と焫爾の戦闘は、静かになっているため決着がついているはずだ。
ゲートを発動させた悠馬は、式場をぶっ壊した挙句新郎新婦を掻っ攫うという暴挙に出た後、すぐにゲートの中へと消えていった。
「ふ…はは…面白いなぁ、外の奴らは」
枝垂桜義和は、一連の出来事を傍観し、面白そうに呟く。
それは義和や御影、焫爾の時代では絶対にあり得ない行動だったからこそ、面白く感じたのかもしれない。
「しっかし、どうするかなぁ…ここまで派手にやられるとは考えてなかったし、事後処理がしんどそうや…」
義和は2人が去った後の悲惨な式場を見て、小さな声で嘆いた。
***
「…フ…フフ…成る程」
聖魔はスウォルデンのデバイスを片手に握ったまま、焫爾を見る。
しかし聖魔はデバイスこそ握っているものの、剣先は一切彼へと向けず、じっと焫爾の動きを観察している。
「まんまとしてやられたわけですねぇ。最初からこうなることを想定していたと?」
聖魔になど目も向けず、ただ連太郎の逃げ去っていく姿を眺める焫爾。
愛菜の父、御影のようにこの結婚を本気で望んでいたのなら、このまま息子を見送るなんて行動、まず取らないだろう。
息子を見送りながらフッと微笑んだ焫爾は、怒っているようには見えない。
「用は済んだ。私とお前が戦う必要は、最初からないというわけだ」
「……残念です。久しぶりに少し本気を出せると思っていたのに」
焫爾は連太郎がいなくなった直後に、両手を上げて戦意がないアピールをした。
これを見れば、彼が何をしたかったのかわかってしまう。
焫爾は元々、連太郎の結婚などどうでも良くて、この式が成功しようが失敗しようが、特に干渉するつもりはなかったというわけだ。
しかし悠馬がこの式場に乗り込んだ際、紅桜家現当主、裏のナンバーワンとして最低限、悠馬の妨害を阻止するような仕草を取らなければならなかった。
それが聖魔という核兵器よりもタチの悪いバケモノを、式場の外に追いやるということ。
聖魔という超高レベル異能力者に対して時間稼ぎができたと裏に思われるだけでも、紅桜家の地位は揺るぎないものになることだろう。
学生にやられた桜庭現当主と、得体の知れない、大半の裏を戦闘不能に追いやった聖魔と互角に渡り合った紅桜現当主。
どちらの方がいい感じに聞こえるかと聞かれれば、間違いなく後者だろう。
焫爾はこの結婚式で、多くのものを得たと言ってもいいだろう。
まずは結婚式が失敗したことにより、桜庭家からこれ以上婚約の申し出があることもないだろうし、今回紅桜家に恥をかかせたと言って、強行的な姿勢に出ることだってできる。
それに加え、桜庭と紅桜では格が違うのだと、裏の人間たちは誤解を始めることだろう。
桜庭家に対する発言力と、周囲からの格付け。
どちらもトップである紅桜には必要なもので、そのどちらもが欠けてはならなかった。
「ここ最近、紅桜を貶めようとする輩も増えた。自分たちがダメだからと、足の引っ張り合いが多いんだ。だから今日、ここでお前に出会えたことを感謝する」
今回の騒動で、紅桜家は結婚に失敗した家系として覚えられるし嘲笑われるのだろうが、それ以上の成果は得た。
裏に対して十分力をアピールできた焫爾は、聖魔に対しお礼を述べた。
「足の引っ張り合いですか。忙しそうですねぇ」
一般的な社会人や学校生活の中ですら日常的に発生する足の引っ張り合い。
一見子供かよ。と思ってしまう人も多いのだろうが、実際、大半の人間は足の引っ張り合いというのをしている。
それはいつの時代だって変わらないし、聖魔が混沌の配下として生きている時にも、そういう輩はごまんと溢れかえっていた。
呆れたように笑う聖魔を横目に、焫爾は静かになった式場へと視線を向ける。
そしてもう一度、聖魔が立っていた場所へと視線を向けると、彼はもう、そこにはいなかった。




