洗脳の成果
悠馬が加奈を呼び出し、学校から抜け出す光景を見送る黒髪の少女、美哉坂朱理は、無表情のまま右の口角だけを吊り上げる。
「あは。時間をかけた甲斐がありましたね」
悠馬と加奈が学校を抜け出した時点で、彼らがどこに行くのかはすでにわかっている。
朱理は自分が悠馬に仕掛けた罠を思い返し、歪んだ笑みを浮かべた。
そう、悠馬が特に何事もなく愛菜のことを好きになるなんてことはなく、朱理は毎晩毎晩、悠馬が寝静まってから録音した愛菜の声を耳元で流し、それとない理由をつけて、自然な形で悠馬と愛菜が遭遇する機会を増やし続けていた。
もちろん、この全てを悠馬は知らないわけで、今の悠馬ならば、愛菜のことを知人や友人以上の異性として見ているはずだ。
「全て、計画通りですよ」
「朱理、君がやっていた狂気の洗脳はこのためだったのか…」
歪んだ笑みを浮かべる朱理の横に並んだオリヴィアは、呆れたような声で呟く。
朱理はそんな彼女を一瞥しながら、窓に背を向ける。
「さぁ?洗脳していなくても、少なからず好意や同情心は抱いていたんじゃないですかね。悠馬さんはお人好しですし」
愛菜の家庭や生い立ちに同情心を抱き、そんな彼女が自分の影響で笑うようになった姿を見ていて、好意を抱かないわけがない。
男は案外単純でちょろくて、一度ときめけば、しばらくの間はときめいたままだ。
容姿的にも1年の中でトップに君臨する愛菜は、さすがの悠馬でも好意を抱かないのは難しいだろう。
「よし、私も悠馬に…」
「やめてください。貴女が行ったら台無しになります」
悠馬について行って何かをしようとするオリヴィア。
そんな彼女の首根っこを掴んだ朱理は、彼女にジトっとした眼差しをむけた。
「な、なぜだ!愛菜は戦乙女になるのだろう!私たちの中でそう話していたじゃないか!私だって協力したいぞ!」
「はい。確かに、文化祭のあの日、戦乙女の残り枠に愛菜さんを入れると話しましたね。ですがそれとこれとは別です。今悠馬さんがやろうとしているのは、囚われのお姫様を王子様が助けに行くシーンです。王子様の横に別の女がいたらダメでしょう」
愛菜とは近い将来、家族になるのだから自分も力になりたい。そんな感情を抱くなとは言わない。
だって、朱理としても助力はしてあげたいし、気になってソワソワしている節もある。
しかし、好きな人が助けに来たとき、その横に彼女がいたらなんだか気持ちが一気に冷めるというか、私はついでですか?的な気持ちになってしまうだろう。
朱理は悠馬に救われたし、オリヴィアも悠馬に救われたため、当時、あの場で悠馬の横に別の女が立っていたら…を想像して深く頷く。
「ああ。今回は悠馬に任せよう」
「そうしてください」
***
悠馬は走る。
まだ昼休み、5限目以降が残っているにも関わらず無断欠席を決め込んだ悠馬は、不安そうに後ろを付いてくる加奈へと振り返り、不敵な笑みを浮かべる。
「理由聞かずについて来てくれてありがとな。赤坂」
「…暁くんの行動に間違いはない、と思うから…」
他の男子ならまだしも、悠馬は周りの男子と比較にならないほど成功している。
暮戸の一件だって、オクトーバーの一件だって知っている加奈は、悠馬がついて来てくれと言ったから、大人しく従ったのだ。
他の男子からのお願いだったら、学校を抜け出すなんて暴挙には出なかっただろう。
「ところで、何するの?」
「実は連太郎、結婚するらしい」
「っ!?」
加奈に黙っていても、得がない。
本土へ行けばわかる事実だろうし、どうせ隠し通せる内容でもないため、悠馬は躊躇いもなく現実を突きつけた。
加奈は言葉を聞くと同時に、走るのをやめて立ち止まった。
「それは…」
加奈は迷いの表情を浮かべ、俯いた。
連太郎の家庭の事情はわかっている。だから自分のワガママに彼を巻き込んでいいのかがわからず、加奈は踏み止まろうとしている。
そんな理由で動きを止めた加奈を見守る悠馬は、肌寒い空を見上げながら、彼女の元へと歩み寄った。
「連太郎の奴、ぶん殴って連れ戻そうぜ」
「でも、そしたら…!」
「問題ないよ。お互い望んでない結婚みたいだし、…責任を取るなら、ね?」
「っ!」
悠馬は目を細めて薄ら笑いを浮かべると、右手の人差し指を口元に当てて、そう呟く。
加奈は悠馬の言っている責任の意味を悟り、顔をボッと赤く染めた。
ここで言う悠馬の責任というのは、結婚のことだ。
加奈はそこまでの覚悟がなかったのか、明らかに狼狽しているように見える。
「じょ、女性の方は…」
「俺が責任取る。彼女が望むなら、俺が連れ去る。そう決めた」
連太郎のお相手の愛菜に対する責任は、加奈が考えなくてもいい話だ。
きっちりと責任を取る、連れ去ると明言した悠馬に、加奈は呆れたように吐息を漏らした。
「なんで暁くんじゃなくて、連太郎くんに惚れたんだろ…」
こんなカッコいい姿、連太郎は見せてくれない。
責任を取るとサラッと言ってのけるあたり、彼にそれだけの覚悟があるのだと実感させられ、そしてここまでの行動を起こす彼のことを、心底すごいと思う。
どうして悠馬ではなく連太郎に惚れてしまったのか自分でもわからない加奈は、呆れ気味に呟いた。
悠馬はそんな彼女を見て、キョトンと首を傾げる。
「さぁ?」
これでもう、加奈の気持ちも決まっただろう。
歩き始めた加奈の横に並んだ悠馬は、早くも連太郎がぶん殴られる瞬間を想像しながらニヤニヤする。
アイツと何かするときはいつも後手に回ってばかりだから、今度こそこれまでの全てを倍返ししてやる。
そんなことを考えながら、悠馬は右手を伸ばし、正面に真っ黒なモヤのようなものを生成する。
「ゲート」
悠馬がそう告げると同時に、モヤの奥は一瞬だけ輝き、目的地が決定したようだ。
自身の開いたゲートの中へと先に進んだ悠馬は、目の前に広がっていた集落のようなものを見て口をぽかんと開けた。
「っと…」
悠馬が立ち止まっていると、加奈もゲートを通過して集落の中へと足を踏み入れる。
2人の目の前に広がっている光景は、前時代的な景色で、ど田舎という言葉が相応しい。
見た限り木造の建物しか目に入らないし、右を向けば田んぼと森。のどかな景色の流れる空間の中で、悠馬はただならぬ存在感を察知して木造の建物の方を向いた。
「お前か?俺に連絡を寄越したのは」
人の影が見える前に、悠馬は大声で尋ねる。
周囲一帯には人がいないことを確認しているため、大きな声を上げたところで、誰かに聞かれるという心配はないはずだ。
悠馬が大声を出すと、建物の中からは、1人の男性がひょっこりと顔を出し、頭をかきながら外へと出てきた。
「…アンタが暁闇か?」
スタスタと歩きながら、少し背の高い男は口を開く。
悠馬よりも身長が高く、体格もそこそこ良いショートカットな男は、少し呆れたような表情を浮かべ、2人の前で立ち止まった。
「そうだけど。お前が枝垂桜か?」
「……確認して良いか?」
悠馬の顔を見て、枝垂桜雷児は顎に手を当てて首を傾げる。
暁闇と言えば、同世代の連太郎と愛菜を失敗に追い込んだ化け物をイメージするが、今雷児の目の前に立っているのは、人畜無害そうな好青年だ。
もしかすると電話番号が間違っていたんじゃないかなどと考える雷児は、訝しそうに悠馬の間合いへと入り込んだ。
「確認?」
悠馬が首を傾げると、直後、雷児は説明なしで回し蹴りを行い、悠馬の顔面を狙う。
「っ!」
雷児が回し蹴りをした瞬間、周囲には暴風が吹き荒れ、加奈は目を閉じた。
一瞬だけピリッと雷が迸った雷児を見逃さなかった悠馬は、回し蹴りなど見向きもせずに、彼の足を左手で容易く受け止めていた。
「確認は済んだか?」
「…ああ。成る程、これは連太郎も愛菜も失敗するな」
雷児はもう済んだだろ?と言いたげな悠馬を見て、足を下ろすと表情を緩める。
悠馬の至っている領域は、高難易度の任務や場数を踏んできた雷児なら、粗方予想がついているだろう。
まぁ、その予想ですら、まだ本当の悠馬の領域の足元にすら及んでいないのだが。
悠馬は何が起こったのかわかっていない加奈を横目に、制服に着いた砂埃を払う。
「暁闇。昨日の夜連絡した通り、ここに来たと言うことはつまり、そういうことでいいんだな?」
「ああ。正直友達の結婚式、それも連太郎の結婚式なら喜んでぶち壊すよ」
悠馬が昨日もらった連絡。
それは枝垂桜家からのもので、紅桜と桜庭が結婚するが、枝垂桜としてはそれを阻止したいため、協力してほしいというものだった。
そしてその報酬は、連太郎の異能島復学の保障。
枝垂桜は悠馬が連太郎と親友だと思っていたようで、悠馬ならば協力してくれると判断したのだろうが、悠馬はその場での結論を見送った。
そして今日、真里亞と話して、自分のすべきことを決めた。
悠馬は薄ら笑いを浮かべながら雷児を見上げる。
「保証に一つ追加してくれ。愛菜も異能島に復学させると」
「…別に、1人も2人も変わらないから構わないよ。…ただ、俺は裏の人間である以上、表立った行動ができるわけじゃない。こっちからお願いしておいてアレだけど、できるのはアシストだけだ」
「わかってる」
何しろ裏のトップ1.2に攻撃を仕掛けるのだ。
それは3番目の枝垂桜家としても容易なことではないし、もし仮に式をぶち壊すことを考えているなどとバレれば、枝垂桜は廃家になること間違いなし。
元から枝垂桜の援護やバックアップなんて期待していなかった悠馬は、連太郎がどこでいつ式を挙げるのかだけ知れたら、それで十分だと思っている。
愛菜の復学を承諾した雷児の挙動ひとつひとつを見逃さず、彼に不審な仕草がないのかを確認する。
幾ら裏の人間といえど、脈拍や癖まで変えずに嘘をつくなんてことはできないし、何か不審な点があれば、すぐに問い詰める。
雷児は悠馬と話しながら、横に立っている小柄な少女を見て首を傾げる。
「妹?」
「いや、連太郎の彼女」
「は?アイツ彼女できたの?」
雷児は驚いたように目を見開くと、まるで初めて見る道具を吟味するように、加奈をじっくりと見つめる。
「あんなイカれ野郎に?真面目そうなこの子が?」
「はじめまして…赤坂加奈です」
悠馬と同じ認識の雷児にとって、連太郎に加奈のような真面目そうな彼女がいるのは、想像もしていない事態だろう。
まず第一に、連太郎に彼女がいたと知っていたなら、悠馬ではなく彼女の方に連絡をして、式をぶち壊すお願いをしたはずだ。
「赤坂。連太郎の奴に脅されてるのか?式をぶち壊した後、俺が説教しておこう」
「あ、いや…!私から告白したんで…」
「あっ、ふーん」
赤面しながら自ら告白したと話す彼女を見て、雷児はこの子大丈夫か?と言いたげな表情を向けてくる。
そんな目でこっちを見られても困る。
雷児の困惑する表情を見て、悠馬ができることといえば首を傾げるくらいのことだ。
俺を見られても知らねえよ。という意で首を傾げた悠馬に、雷児は肩を竦めて首を振る。
「ま、いいや。連太郎に彼女がいたのは想定外だけど、なんだか面白くなってきたし」
裏の人間がすることといえば、人を殺すことや、人の情報を盗むことがメインで、人の結婚式をぶち壊すなんてミッションこれまでしたことがないだろう。
いたずら心が擽られるというか、何をしてぶっ壊してやろうかとウキウキ考える雷児の姿は、同い年の異能島の学生たちと、何ら変わらない。
彼らも裏の人間である前に、1人の人間で、感情はみんな同じなのだ。
「そろそろ教えてくれよ。連太郎と愛菜はいつ式を挙げるんだ?」
ウキウキな雷児が1人自己完結する前に、色々と聞いておく必要がある。
必要な情報を聞き出そうとする悠馬に対し、雷児は振り返ると、人差し指を唇に手を当てて、薄ら笑いを浮かべた。
「明日」
「えっ…」
「あっ…」
悠馬は雷児の言葉を聞いて、冷や汗を流しながら加奈の方を振り返った。
悠馬は加奈を引き連れ、昼休みを抜け出してここへ来たが、どうやらその必要はなかったらしい。
つまり何が言いたいかというと、今日授業を抜け出したのも、ゲートで慌ててここへ来たのも、全くの無駄足だったということだ。
明日という情報を聞いた悠馬は、加奈の冷ややかな視線を全身に受け、深々と頭を下げた。
「心からすみませんでしたァ!」




