枝垂桜
日本支部本土、新東京郊外。
第5次世界大戦により区画整理が進んだこじんまりとした邸宅の中で、黒髪細目な男は、あぐらをかき、肘をついて仏頂面を浮かべていた。
彼の名は枝垂桜義和。枝垂桜現当主にして、この国の裏の筆頭、紅桜、桜庭に次ぐ序列第3位の枝垂桜だ。ちなみに4位が、河津桜。
そんなトップに近い立ち位置にいる枝垂桜は、仏頂面を変えることなく、畳に置いてあったナイフを投げた。
枝垂桜邸は日本造な建築で、例えるならば日本の江戸の内装を模したような家だ。
悠馬のリビングの倍ほどの大きさの家の中、なんの前触れもなく投げられた義和のナイフは、飾ってあった生花の花がヒラリと散る直前で、見事に花弁の1枚だけを射抜く。
花弁はまだ散る直前だったため、地面へと落ちていくわけでもなく、一般人ならば、こんな些細な生花の花が一枚散ったところで、反応すら出来ないだろう。
人間離れした動体視力で花の散る瞬間を見逃さなかった義和は、真っ黒な髪を両手で掻き毟り、バチンと自身の膝を叩いた。
「どういうつもりや、紅桜も桜庭も」
義和が仏頂面なのは、花が散りそうだったからではない。
先日寺坂の辞職が確定してから生じた、当主継承の一件について、不満があるからだ。
この国の裏は現在、紅桜が飛び抜けて強力で、他の三家と比べても頭が一つ抜けている。そして序列2位の桜庭から序列4位の河津桜までは、ほぼ横這いの実力差で、一つの任務で序列が逆転してもおかしくないほどだ。
だから桜庭は、飛び抜けている紅桜の面目を潰そうと、紅桜を除く裏で話を進め、悠馬を暗殺しようとしたわけなのだが…
「なんで紅桜連太郎と桜庭愛菜が結婚する話になってるんや?」
完全に裏切られた。
桜庭に協力していたつもりだったが、桜庭は結局、自分たちが紅桜と同等の力を付けられればいいと思っていたようだ。
一応協力関係、休戦協定のような状態だったにも関わらず、勝手な行動を起こし紅桜と繋がった桜庭に、義和は怒っている。
次期当主候補として最有力だった愛菜は当主の座を弟に譲り、弟が桜庭次期当主になる。
実績も異能も大したことのないお飾りを次期当主に据え、紅桜に愛菜を嫁がせようとしているのだ。
そして紅桜も、どうやらそれを承諾したらしい。
きっと桜庭は、紅桜家との間に生まれた優秀な子供に、紅桜と桜庭の技術を教育し、最終的には桜庭の後継者にするつもりなのだろう。
そんな魂胆が見え見えの策略に、義和は畳を叩いた。
バン!と鈍い音が響き、外にいた鳥が音に驚いて飛んで行く。
桜庭の行動は目に余る。
「女をこさえた理由もそれかいな」
日本支部の裏、つまり桜の名を持つ家系には様々なルールがあるが、特に女性からの批判が多いのは、女性が次期当主になった場合、結婚ができないというルールだ。
これは女性は当主にはなれるものの、裏の任務上、妊娠して出産までの1年間もの時間を割くわけにはいかないと言う理由で、結婚が許されないのだ。
だから当主が女の場合、必ずその家の当主補佐が然るべき人物と結婚し、子供を作る必要があった。
義和も、てっきりこのルールで愛菜が当主になるのだと思っていた。
無能な弟が結婚をし、有能な姉が、当主として活躍。
それが誰もが考え得る最適解であって、まさか無能な弟が当主になるとは考えもしないだろう。
愛菜はおそらく最初から、こうなるために生まれてきたのだろう。
有能であろうがなかろうが、当主としての教育を施され、紅桜に嫁いだ後、優秀な遺伝子を盗んで子供を産み、桜庭と紅桜の教育を施し、桜庭家に連れ帰る。
「雷児ぃ」
「なんでしょうか。お父様」
襖を見た義和が名前を呼ぶと、それと同時に襖が開き、ショートカットな男子が現れる。
顔立ちはごく平凡だが、体格はかなり良く、裏の人間の連太郎よりも幾分かガッチリしている。
そんな彼、枝垂桜雷児は、現当主の父親に呼ばれたとあってか、片膝立ちで頭を下げた。
「お前の代、ここで終わらせる必要があるかもしれん」
「…と、申しますと?」
義和は目を細めながら、様々な可能性を予測する。
桜は異能時代初期から日本支部を密かに守り続け、各家の実力も、ある程度同じだった。
しかし時代が経つにつれ、どこかの家は寝返り裏に消され、或いは廃れ消え去り、はたまた任務に失敗し、一家総出で自害をした。
そんな暗い過去の中で、徐々に力の差ができ始めた。
まぁ、異能はガチャガチャと同じで生まれてくるまでどんな異能なのかもわからないし、親がレベル10同士だからと言って、必ずレベル10が生まれるわけではないから、差ができるのは仕方のないことだ。
結局、今は上から4家が裏の中では飛び抜ける結果になっていて、その中でも飛び抜けているのが紅桜。
百歩譲って、廃家ギリギリの下っ端の桜が紅桜と結婚するのは良しとしよう。
それは枝垂桜としても、将来的な負担の軽減になるし、4家の他に新たな力が台頭してくれれば、今の三竦みプラス一強の勢力図が崩れるかもしれないから。
しかし一強の紅桜と、三竦みの一角、桜庭が結婚するのは間違っているだろう。
義和は首を傾げる雷児を見つめながら、立ち上がる。
「桜庭と紅桜の面目を潰す必要がある。…幸い、雷児、お前が次期当主候補の中で最も実力があるのは周知の事実や。桜庭と紅桜がくっつくのは、こっちとしても黙っとれんわ」
義和が出した結論。
それは紅桜と桜庭の面目を、二家がくっつく前に叩き潰そうというものだった。
そんな物騒な提案を受けた雷児は、少し不安そうな表情を浮かべながら、義和を見た。
「ですがお父様、俺では本家に戻った連太郎と愛菜には手を出せません。…確かにアイツらの実力は俺より下ですが、アイツらの本家には、焫爾さんと御影が居ます。2人の目を掻い潜るのは、俺でも正直できるかどうか…」
雷児は確かに、連太郎と愛菜より強い。実績は愛菜より多くないし、任務の成功数だって2人の方が上なのだが、雷児は生まれた時からレベル10だった。
生まれた時はレベル9だった連太郎や愛菜と違い、大きなアドバンテージを貰って生まれることに成功したのだ。
だから周りの期待も大きく、2人よりも難しい任務を与えられ、失敗することが多かった。
しかしそんな彼でも、恐れるものはある。
同世代では敵なしでも、桜庭現当主の桜庭御影や、紅桜現当主の紅桜焫爾。彼らは雷児の目から見ても、文字通りの化け物で、そんな彼らが目を光らせる中、二家の面目を潰すのは至難の業といえるだろう。
雷児は二家を敵に回すつもりでいる自身の父親に対し、それが難しいことを提言する。
しかし義和は、そんな問題既に想定していたのか、ニヤリと笑みを浮かべた。
「何も、お前1人でしろとは言ってない」
「…河津桜や他の桜と協力するのですか?」
上位二家を潰すために必要な戦力は、同じく不満を抱く裏から補充するのが当然のこと。
そう考える雷児に対し、義和は真っ黒な瞳で遠くを見た。
「もっと別の、適任がおるはずや」
***
普通の家のリビングほどの大きさの、床に畳が敷き詰められた空間。
薄暗く、古めかしいオレンジ色の和風電球が天井に吊され、大きなテーブルを挟んで向かい合って座る2人の姿は、昭和を彷彿とさせる。
肩にかかる程度の黒髪に、綺麗で澄んだ青い瞳の少女、桜庭愛菜は、テーブルにセッティングされている豪勢な食事を一瞥し、前に座っている金髪の男子を睨んだ。
愛菜の前に座っている金髪の少年、紅桜連太郎は、テーブルにセッティングされている豪勢な食事を子供のようにキョロキョロと見回すと、手も合わせていないのに箸を手にして、早くもご飯を食べようとしている。
「愛菜ちーん、そんな顔しててもこの話は破談にはならないぜ?何しろお前んとこの親父が持ちかけた話なんだからサ」
連太郎は愛菜の冷たい視線に気づいていたのか、睨まれるのは心外だと言いたげに呟く。
この話を持ちかけたのは、焫爾ではなく御影のため、紅桜家の連太郎が恨まれるのは間違っている。
愛菜もそれを理解しているつもりだが、高校一年生になったばかりの少女には、受け入れ難い現実だ。いくら割り切っていようが、苛立ちはするし苦しくもなる。
「連太郎先輩。貴方はこれで良いんですか?」
「なにがー?あ、これ美味そう」
愛菜の問いかけに気のない返事で返す連太郎は、美味しそうな脂の乗った大トロを箸で掴み、自身の皿へと持っていく。
「まじめに聞いてください!」
そんな連太郎を見て苛立ちを隠せなかった愛菜は、お茶の注がれていたコップを手にして、連太郎へと投げつけた。
びしゃっと、絵に描いたように放たれたコップの中のお茶は、テーブルの上の食事にも飛び散りながら、その大半は連太郎の顔にかかっていた。
ぽたぽたと連太郎の顔にかかったお茶が地面に落ち、愛菜は無言の連太郎を睨みながら、呼吸を荒くする。
「アンタ彼女いるでしょ!?私も好きな人がいる!こんなのワガママだってわかってるけど、私は好きな人と結ばれたい!連太郎先輩はこのままでいいの!?このまま家の意向に従うだけの奴隷みたいな人生で…!私は怖い!なんでそんなにヘラヘラできるの!?」
愛菜は連太郎と違って、自由になってからまだ日が浅い。
僅か数ヶ月、たった数ヶ月だが、外の世界で生き抜く元気な同級生たちに影響を受けた愛菜からしてみると、裏のしている行いは間違いばかりに見えてきてしまう。
当然、彼女の中にはこれまで芽生えなかった、乙女チックな妄想だったり、もっと遊びたいという子供的な感情だって芽生えているはずだ。
しかし連太郎は違う。
連太郎は中学生時から外の世界に触れ、その生活に終わりが来ることを知っていた。
終わりを知っていた連太郎と、まだ日常が続くと思っていた愛菜。
愛菜は連太郎も自分と同じ気持ちだと思っていたのか、彼の反応に心底失望しているようにも見えた。
「言いたいことはそれだけ?とりあえず座って飯食えよ」
「こんな状況でっ…!」
連太郎は愛菜にお茶をぶっかけられて怒ることもなく、無反応のまま呟く。
愛菜は歯を食いしばりながら、言われた通り畳に座った。
「お前、夢見すぎ」
「…は?」
「俺ら裏の人間が、思い通りの人生描けるはずねえじゃん」
「そんなの、やってみなきゃ…」
「じゃあ、なんでお前はここに来たの?どうして本土に戻った?」
連太郎の単調で無機質な問いかけが、愛菜の心に突き刺さる。
確かに、愛菜の発言には矛盾がある。
好きな人と結ばれたかったのならば、本土に戻らず、命令を無視して異能島内に滞在しておけばよかった。
流石の桜庭家でも、緊急事態じゃない限り、異能島への入島はできないし、それが一番愛菜が自分の願いを叶えるには現実的た手段だった。
「それ…は…」
連太郎の指摘を受けて、愛菜はハッと顔を伏せ、徐々に青ざめていく。
愛菜は自分では拒んでいたつもりなのだろうが、これまで生きていた中で、本家の命令は絶対。
結婚なんて絶対にしたくないと思いながらも、彼女は御影の命令で、ノコノコと本土に戻ってきたのだ。
それは一種の洗脳にも近いもので、命令通り任務を遂行してきた彼女は、本音とは裏腹に、本家の命令を聞いておけば良いと無意識で考えている。
「諦めるしかないんだよ。…俺らはただ、日本支部に仕えるだけの駒だ。そのためだけに生まれてきて、仕えて死ぬだけ。それが俺らに課せられた使命なんだから」
生まれた時から、裏の人間は死ぬまで日本支部の都合の良い駒だ。
総帥をも平等に罰する権利を持っているなどと聞こえの良いこと言うが、総帥なんて基本犯罪行為に手を染めないし、一生を彼らの為に費やして、死んでいく使い捨て。
最初から決まっているから諦めろ。そう告げた連太郎は、目尻に涙を溜めて歯を食いしばる愛菜を冷めた目で見る。
「ま、俺らがこの歯車を壊せるとしたら…」
連太郎は徐に立ち上がると、襖の前まで歩いて行き、襖を開く。
大きな木目調の廊下へと出た連太郎は、綺麗な月を見上げながら何かを呟いた。
「……」
彼の言葉は、誰の耳に届くわけでもなく、風に吹かれて消えていった。




