自主退学
季節は過ぎ、1月中旬。年も明け、冬休みも終わったとあってか賑やかな教室内では、ある人物の話で持ちきりだった。
「紅桜くん、今日で無断欠席10日目?ちょっとやばくない?」
「成績平均なのに、留年するつもりなのかな?」
連太郎が無断欠席を初めて、今日で連続10日目。
終業式から始まり、年が明けて始業式からの9日間欠席をしている連太郎の話は、噂になるには十分だった。
そもそも、インフルエンザでもない限りそんな長期欠席が許されない異能島で、長期欠席をするのは自殺行為だ。
留年や退学勧告、ほかの学校と比べれば比較にならないほど重い罰則が、異能島の国立高校には多い。
特に、留年や退学は他校に比べると猶予期間、つまり欠席日数の条件が極めて少なく、だからこそナンバーズに通う学生たちは、極力欠席をしないように心がけているのだ。
だからこれまでクラス内で長期欠席をした学生はほぼおらず、こうして連太郎の話がクラス内に立ち込めている。
そんな中、白髪の少年、八神清史郎は、窓際の角の席に座る悠馬の元へと歩み寄る。
「なぁ、悠馬」
「ん?どした?」
いつもと何ら変わらぬ光景だ。
仲の良い八神から声をかけられた悠馬は、驚くこともなく返事をする。
八神は通常運転の悠馬を見るや否や、少し迷ったようなそぶりを見せて、外を見た。
「…なんだよ?」
「あー…連太郎のヤツ、なにやってるのかな…って…」
「あー…」
聞きづらかったのか、躊躇いつつも素直に尋ねる。
八神は噂好きではないが、クラス委員として、連太郎のことを気にかけているのだろう。
八神と連太郎はそれなりに繋がりがあったし、もしかすると彼自身、連太郎のお家事情を薄々察しているのかもしれない。
「俺も知らないかな」
八神が言いふらす様な奴じゃないことは知っているが、さすがに本人の許可なく、彼の事情を言いふらすわけにはいかない。
なるべく嘘だとバレないよう、表情を変えずにそう呟いた悠馬は、椅子の背もたれではなく、窓に寄りかかる。
「なにやってるんだろうな?アイツ」
鏡花に聞いていた話では、連太郎は3学期までは学校に通うはずだ。
早い段階から不登校になっている理由だけが不可解な悠馬は、少なからず八神と同じ疑問を思い浮かべている。
悠馬と八神が互いに首を傾げていると、教室内にチャイムの音が鳴り響き、ホームルームの時間だと言うことを知らせてくれる。
これ以上会話をしても特に得られる情報がないと察した八神は、悠馬に向けて手を振ると、自身の席へと戻っていった。
教室内の生徒たちが粗方席に着くと、示し合わせたように教室の前扉が開き、スーツ姿の鏡花が入ってくる。
鏡花は一度全体を見回すように教室内を確認すると、ひとつだけ席が空いているところで視点を止め、教壇の後ろに立った。
「おはよう。今日で三学期に入って、9日目だ。2年の三学期ではあるが、徐々に進路相談も始まるだろうし、お前らの将来の夢、というビジョンが必要になる。既にビジョンを持ち合わせている奴はこの中にいるだろうが、特に考えていない奴は、少し、自分のやりたいことを真剣に考えていたほうがいい」
3年になれば、自身の望む進路に向けて各々が勉強を始める。
当然だが、その進路において全員望む進路が一緒なんて可能性があるわけがなく、勉強内容だって異なってくる。
2年の三学期から勉強をしろとは言わないが、取り残されないように進路だけは決めておけと発言した鏡花は、欠伸をする栗田を睨む。
「栗田、特にお前は、国立大学に進学するつもりならもう少し真面目に学業に取り組め。今のお前の成績は、合格最低ラインと同等だ」
「は、はい…」
欠伸をしていたためか、厳しい指摘を受けた栗田は蛇に睨まれたカエルのように大人しく返事をする。
鏡花もそんな彼を見て、それ以上何を言うわけでもなく、栗田に向けていた視線を全体へと戻した。
「…そして、クラスでもそこそこ話題になっているが、紅桜連太郎の件について。…彼は家庭の都合により、昨日この島を去った。つまり自主退学だ」
「はっ!?」
「まじかよ…」
「何かあったのかな…」
もう忘れかけていただろうが、クラス内の殆どの生徒には神宮や霜野の事件が浮かんでいるだろう。
しかし今回、2人の一件と違うのは、連太郎が自主退学したということだ。
成績も普通だった上に、見た目こそガラが悪いが陽気な性格だったため、クラスからは少なからず彼を心配する声が上がっている。
そんな中で、加奈は大きく目を見開き、青ざめた表情で硬直していた。
悠馬は彼女の表情を見た瞬間、一度停止し、すぐにムッとした表情で前を向いた。
「アイツ…」
***
昼のうちの2年フロアは、連太郎が自主退学したという話題で持ちきりになっていた。
話題が憶測を呼び、憶測が噂となり、さまざまな説がフロア内に立ち込めている。
両親の不幸だとか、学費が払いきれなくなったとか、実は大きな病気を抱えていたとか。
悪い噂は殆どないあたり、彼が当たり障りのない感じで周りと接してきたのがよくわかった。
悠馬は1月の夕暮れに染まった校舎の中を歩き、2年Aクラスの教室の前で立ち止まる。
今は放課後だ。
うるさい生徒たちも帰り、残るのは部活動の生徒か、教師に怒られ、居残りをさせられたバカな学生。1日を終え、今頃帰宅部の学生たちは寮内でゆっくりしていることだろう。
悠馬は教室のすりガラス越しに見える、オレンジ色に染まる教室内の影を確認すると、ノックをすることなく扉を開いた。
悠馬が扉を開いた教室内に残っていたのは、顔を伏せ、嗚咽を漏らしながら座る少女だった。
「……赤坂」
今日の連太郎の自主退学の話題で、加奈に話題を振る生徒はいなかった。
それは単に、1年前の暮戸の一件でクラスの女子たちに距離を置かれていたためなのか、それとも彼女のことを思ってなにも聞かなかったのかは知らないが、加奈自身、この現実を受け止めたくないはずだ。
悠馬は教室の中に入ると、中央寄りの席に座る加奈を見た後、近くにあった机に腰を下ろした。
「…その様子だと、聞いてなかったんだな」
「……知ってたの?」
嗚咽混じりに、加奈の質問が飛んでくる。
悠馬はその質問を聞いて、廊下側に人がいないのを確認してから口を開く。
「…裏に詳しい人からそれっぽい話は聞いてた。アイツ、そういうこと俺には言ってくれないからさ」
鏡花が言わなければ、悠馬も連太郎が退学するなんてこと想像もしていなかったはずだ。
だから連太郎は、おそらく悠馬に、最後までなにも話すつもりじゃなかったのだろう。
悠馬は加奈の質問に対し、加奈だけに黙っていたわけじゃないということを強調して話す。
「…なんで…なんでその時に教えてくれなかったの?」
「アイツに自分の口で言いたいって言われた。だから俺がお節介焼いて雰囲気悪くなるよりも、2人で話したほうがずっと良いって思った」
「…そう。退学理由は文字通り、家庭の事情なんでしょ?」
「ああ…」
加奈は怒鳴ることも、激昂することもなく、悠馬の答えた内容を一生懸命飲み込んでいる。
きっと、怒りたいし泣き叫びたいはずだ。
悠馬だって、大切な人が突然いなくなれば、今の加奈のように落ち着いて話を聞ける自信はない。
連太郎が自主退学したのは、紅桜家の都合。
それだけ告げた悠馬は、顔を両手で塞いだ加奈を見て口を噤んだ。
「……ずっと続くと思ってた」
「うん」
「私、ずっと続くと思ってた…!彼の家のことは理解してるつもりだったけど…自分と住む世界が違うなんてわかってたけど!…こんな生活が続けば良いなって期待してた…」
それが加奈の本音。
今日1日、表情一つ変えずに過ごしてきた彼女だったが、実際はすぐに泣き崩れたかっただろう。
それを我慢していた加奈は、もう我慢しなくて良いと判断したのか、号泣を始める。
まぁ、悠馬には暮戸邸の一件で見られたくないもの、知って欲しくないものは全て知られたわけで、今更取り繕う必要もないと判断したのだろう。
悠馬は彼女が号泣する姿に焦ることも、嘲笑うこともなく見守る。
「うっぐ…ようやく…ようやく好きだって言えたのに…」
おそらく、彼女が紅桜連太郎に初めて恋心を抱いたのは、暮戸邸の一件だ。それから1年近く自分の思いに気づかず、もしくは騙し続け、修学旅行を経てお付き合いをはじめた。
修学旅行が終わってからまだ数ヶ月程度、付き合って大して時間も過ぎていない彼女には、到底気持ちの整理などつくはずがない。
悠馬は彼女を見守りながら、ムッとした表情でスマホを手にする。
連太郎は自分の口から説明するから、何も話すなと要求してきた。
だから悠馬は律儀にこの数週間黙っていたわけで、しかし連太郎は、悠馬へのお願いとは裏腹に、黙って本土へと帰省、挙句彼女にも何も話していないときた。
何が甘酸っぱくてビターだ。
結局自分が嫌われるのが嫌で、彼女に怒られるのが嫌で逃げ出した腰抜けじゃないか。
連太郎的には、美談的な感じであんな恋愛もあったな程度で終わらせるつもりなのだろうが、悠馬は断じて、連太郎の思い通りに動くつもりはない。
自分の気持ちだけ美化しようとする連太郎の行動に何とも言えない怒りを覚えた悠馬は、目の前の加奈の泣く姿も相まってか、連太郎のスマホへと連絡をはじめた。
しかし悠馬の頭の中へ火に油を注ぐように、スマホに表示されるのは、お客様のお掛けになった電話番号は…というやつだ。
悠馬はスマホを地面に叩きつけたい気持ちになりながら、それを堪える。
「赤坂…こういうことは言わない方がいいんだろうし、女心がわかってないって思われるんだろうけど…アイツのことは、すぐに忘れた方がいいと思う。きっと最初から、居なかったのと同じなんだ」
異能島支給の携帯端末はおそらく返却しているだろうし、スマホは電源を切っている。
もう彼が、加奈に連絡をする気も、この島の生徒とコンタクトをとる気もないと結論付けた悠馬が彼女に言えることは、早く忘れるべきだと言うことだった。
感傷に浸っている女に対してなんてことを言うんだと罵られるかもしれないが、これしかない。
連太郎のことをうだうだ考えたって、結局アイツは裏の人間で、この島に戻ってくることはない。
期待をするだけ無駄で、期待をした分だけショックを受けるのは、加奈自身。
それが分かっているからこそ、悠馬は連太郎という存在を、なかったものとして扱おうとする。
「…やっぱり、暁くんは強いなぁ…」
加奈にとっては恋人で、悠馬にとっては親友。
悠馬だってさよならは言えていないと気づいている加奈は、そんな中でも、悲しい表情ひとつすら見せずに、忘れようと言える悠馬に声をかける。
「…いや、俺はさ…赤坂が思っているほどアイツと仲がいいわけじゃないから」
入学した際、「アイツと同じ学校出身」と自己紹介をすると、「え?じゃあ仲良いんだ!」などと言ってくる輩もいるが、実際そう答えて仲が良いなんて答える人は稀で、同じ学校に通っているからと言って仲が良くないのがほとんどだ。
確かに連太郎とは色々あったが、悠馬的にはショックがないのか、加奈の呟きに対し、辛辣な言葉を返した。
きっと、今の悠馬の発言を連太郎が聞いたら悠馬は友達じゃないのなんだと喚き始めるはずだ。
悠馬の辛辣な発言を聞いた加奈は、その言葉が想定外だったのか、泣くのすら忘れてポカンと口を開ける。
「暁くん…貴方って、思ってた以上に冷めてるのね…」
何気ない加奈の発言が、悠馬を傷つけた。




