ある知らせ2
「紅桜連太郎に恋人はいるのか?」
2人の間を静寂が包み込み、悠馬は彼女の言葉の真意を探る。
一言で言えば、連太郎には赤坂加奈という恋人がいる。
いつ惚れたのかは知らないが、彼らの関係に嘘偽りはなく、互いに好き合っているというのは、側から見ても嫌というほどわかった。
しかし、鏡花の求めている質問の答えが、それで正しいのかはわからない。
彼女の求めている答えがこれで正しいのか、別の意味を含んでいるのかわからない悠馬は、数秒考えた後、コクリと一度頷いた。
「……彼は第2学年終了時、学校を自主退学することになる」
「…どういうことですか」
まったくもって理解不能だ。
寺坂が2年後に辞職するからって、何故連太郎が学校を退学しなければならないのか、それに何故、恋人が絡んでくるのかもわからない。
「…日本支部の裏には、複雑なルールがある。そのルールの1つの影響だ」
「説明してください」
紅桜や桜庭、その他の桜の名を持つ裏の家系に様々なルールがあるのは知っているが、退学理由になるようなものは思い浮かばない。
鏡花が何かを知っていると判断した悠馬は、説明を要求した。
「日本支部の裏は、総帥が代わると同時に代々当主を変えている。以前の総帥との価値観の違いなどで軋轢が生じないようにな」
日本支部の裏、つまり紅桜家たちは、総帥が代わると同時に当主を変えてきた。
その理由は、前総帥の価値観に慣れていた現当主が、新総帥との価値観の違いにより対立し、言うことを聞かない、平気で裏切るなどの軋轢をなくすためだ。
つまり、紅桜家現当主の紅桜焫爾は、寺坂が辞職すると同時に当主の座を降りて、連太郎にその座を譲らなければならないというわけだ。
ある程度の状況を察した悠馬は、それと同時に湧いてきた疑問に気づき、口を開く。
「でも、2年後でしょう。なんで連太郎だけ今なんですか?…言いたくないですけど、アイツは優秀ですし、紅桜家の当主譲渡にそれほど時間は必要ないと思います」
連太郎は優秀だ。
見た目はあんなふうにおちゃらけているものの、彼のことを間近で見てきた悠馬は、そう評価している。
それに連太郎はバリバリの紅桜家現役だし、2年も空白の期間を設ける必要性がまるで感じられない。
寺坂が辞めるまでの2年間、連太郎が勉強させられると思っている悠馬は、食い気味に異論を唱える。
しかし鏡花はそんな異論を想定していたのか、考えることも間を置くこともなく、口を開く。
「異例なんだ。日本支部でたったの6年で総帥を辞職するのは、陽以外にいない。当然、裏もそんなことを想定していないから、次の代の子供が生まれていないんだ」
「…!いや、連太郎はまだ…!」
「裏には結婚の年齢だなんだというルールはない」
つまり鏡花が言いたいのは、連太郎が当主になった際、新たな当主後継が産まれていないことが問題だというわけだ。
寺坂のようにわずか数年で辞めるような総帥は稀有な例だが、当主が変わるのに、その後の次期当主が生まれていないのは、心許ない。
もしもの時に備えるためにも、ここで連太郎を退学させて、新たな当主後継を生ませようという話なのだろう。
「紅桜家の最有力当主は紅桜連太郎。蓮一郎は資格がないと辞退をしたため、実力も実績も兼ね備えている連太郎の方はこれを拒否できない」
連太郎の兄は大した異能を持っていなかったため、長男だが自動的に当主争いから脱落、だから実力を兼ね備えている次男に白羽の矢が立つというわけだ。
しかも紅桜家は2人兄弟のため、連太郎には拒否権がない。
「…裏は全部、次期当主作りってわけですか」
「…そうだ。桜庭も、枝垂桜も、河津桜も…有力な家系は、すでに当主変更後の先を見据えて、行動を始めている」
この国の裏の、トップ4。紅桜、桜庭、枝垂桜、河津桜。彼らは裏の筆頭であるが故に、どこよりも早く、能力に長けた未来の当主を作らなければならない。
すでに当主作りが始まっていると聞いた悠馬は、愛菜を思い出した。
「愛菜は…アイツはどうなんですか?」
「彼女も桜庭家の最有力当主だ。アイツはもう退学手続きも済ませているし、今学期中にこの島から去るだろう」
「……」
彼女は表のことを知りたそうにしていた。
合宿の時だって、周りに興味を抱き始め、周りと関わり、自ら外の世界を知ろうとしていた。
最近はようやく、友人らしい友人ができたようだし、悠馬自身も愛菜とはこまめに連絡を取っていて、寮にも招待するような間柄になっていた。
そんな彼女もすでに退学が決まっていて、手続きまで完了していると知った悠馬は、突如胸に大きく開いた虚無感のようなものを感じ、ショックを受ける。
愛菜は後輩の中で知る、唯一の女子だった。早乙女と愛菜のことしか知らない悠馬は、困ったら自分を頼れなどと言っていた己を恥じる。
「裏は…好きな人と結婚できるんですか?」
彼らに唯一残された幸せ。
結婚という、人生のゴールであり人生の墓場に縋るのはどうかと思うが、連太郎が加奈と結婚できるなら、それはそれで幸せなのかもしれない。
高校中退は確定したようなものだが、せめて好きな人とだけは…と考えている悠馬の希望を打ち砕くように、鏡花は重い口を開いた。
「できない。裏にそんな自由はない。好きな人と結婚するということはつまり、隙を作るということになるから」
「………」
住む世界が違う。そんな一言で済まされてしまうのかもしれないが、悠馬にとって、半ば幼馴染みの連太郎や、可愛がってきた後輩の愛菜に幸せが訪れないのは、悲しいし悔しい。
結婚も、人生すらも決められたレールを歩かされる彼らの人生は、果たして幸せなものなのだろうか?
こればかりは本人たちしかわからないため何も言えないが、悠馬はそんな疑問が脳裏に纏わり付く。
「…これが私の話したかったことだ」
「俺にどうしろと?」
「特にどうということはない。…ただ、お前らが中学の時からの同級生だと知って、せめてお別れくらいは…と思っただけだ。…原因を作った私が言えた義理ではないが」
自分の幸せを掴むか、決められたレールの上を走る人々のレールを長くするか。
鏡花からすれば、かなりの罪悪感があるのだろう。
特に連太郎は鏡花自身の教え子だ。教え子が自分のせいで退学するのは、正直嫌だろう。鏡花は手を震わせながら、頭を下げた。
「すまない」
「…貴女のせいじゃないですよ。鏡花さん」
鏡花はこれでも、結婚の日程を伸ばした方だ。仕方のないの一言で片付けていいのかはわからないが、こればかりは仕方ない。
鏡花が結婚しなければ済む話ではないし、いずれは来た分かれ道。今回はそれが、少し早かっただけなのだ。
「それじゃあ、俺はこの辺で。教えてくれてありがとうございます。…アイツ、このままだと絶対に言ってくれないんで」
悠馬は深々と頭を下げる鏡花の後頭部を軽く叩くと、応接室を後にする。
窓から見える景色は、すっかりと暗くなっていて、冬だということを改めて実感させられた。
***
「そんじゃねー!」
「早乙女ー!変なことすんなよー!」
「しねぇよ!お前らキッズと俺は違うんだ!」
カラオケ店から出てくる、1年生一同。
時刻は20時を回り、そろそろ下校した方がいい時間帯で帰宅を始めた早乙女は、男子たちからの冷やかしを受けながら、横を歩く黒髪の少女を見た。
彼女とは、意図的に一緒に帰っているわけでも、仲が良くて帰っているわけでもない。ただ、帰り道が一緒なのが2人だけだったため、こうして2人寮へと向かっているのだ。
「あのー?桜庭さん?」
「…なに?」
自身の黒髪を弄りながら歩く早乙女は、横並びに歩く愛菜へと声をかける。
愛菜はいつも通り、ぶっきらぼうな返事で早乙女の声に反応した。
「すっかり冬っすね〜、寒くない?」
「そうだね。寒くはないよ。だってさっきまでカラオケ店に居たし」
そういう話をしてるんじゃねぇんだよな〜…
会話の発展を望んで季節の話をした早乙女は、想定の斜め下をいく愛菜の発言に、ガックリと肩を落とす。
本当に、この女は本で学んだ恋愛知識が一切通用しない。
自称恋愛マスター早乙女は、台本通りに話を進めたはずなのに、予定通りには行かず早くも萎えている。
「桜庭ってさ、最近クラス会に積極的だよな。文化祭のちょっと前くらいから」
この気まずさをなんとかしたい。そんな理由で愛菜の変化について話す早乙女は、自分しか知らない彼女の一面を見つけ出そうとする。
「まぁ、早乙女が居なければずっと前から参加してたんだけどさ」
「はっ!?俺のせい!?俺顔だけはいいじゃん!イケメンだし?」
「ぷっ…冗談!貴方って、ほんと、そういうとこ直さないといつまで経っても彼女できないんじゃない?」
「はぁん!?失礼な!俺はその気になればなぁ、可愛い女の子とお近づきになれるんだよ!」
クラス会に参加しなかったのは自分のせいだと言われた早乙女が慌てふためく姿を見る愛菜は、口元に手を当てながら、吹き出すように笑う。
彼女が冗談を言ったのだと気づいた早乙女は、憤慨したように、またしても虚勢を張った。
無論、女の子とお近づきになれる機会なんてない。
これだけクラス会をしてもクラスの女子との接近がないのを見て貰えばお察しだろうが、早乙女は容姿の割にトークスキルがなく、残念系男子としての認識が定着していた。
「そーいうお前はどうなんだよ!暁先輩とはお近づきになれたのか!?」
夏の肝試しで、早乙女は愛菜が誰に想いを寄せているのかを知っている。
あの時は気になっていると言っていたが、文化祭の準備の様子なんかを鑑みるに、彼女が変わろうとしているのは悠馬のためで、ほぼ確実に悠馬のことが好き。
自分ばかり馬鹿にされるのが気に食わない早乙女は、してやったり顔で愛菜を指さした。
愛菜は悠馬との進展がない。それを知っているからこそ、ワザと痛いところを突く。
「…それはもう、終わったの」
「はっ、フラれたのかよ。ったく、相談してくれりゃ少しくらい良いシチュエーションアドバイスできたのによ」
少し暗い表情になった愛菜を見て、早乙女は微妙な表情になる。
ちょっと馬鹿にするつもりで悠馬の話題を出したが、さすがにフラれた可能性の高い人に対し、冷やかしはできない。
最低限のマナーは守っている早乙女は、歩調を遅くした愛菜に合わせ、彼女の横に並び直した。
「ねえ、早乙女」
「なんだよ?」
横目で愛菜を見ながら、返事をする。
いつもよりしおらしいというか、トゲのある言葉を言わない彼女は新鮮で、少しドキドキしてしまう。
「早乙女はさ、決められたレールの上を走らされるの、どう思う?」
「は?レール?レールがあるだけいいんじゃねえの?俺はこういう人間だから…やりたいこととかなにもねえし、夢だってない。だからレールがあるだけ、羨ましいな」
自分もああなりたい、こうしたい。そういう気持ちはある。
しかしそれを実行できるのは僅かな人間で、早乙女はそっち側の人間じゃなかった。
大した夢なんて持ち合わせていない早乙女からすれば、決められたレールの上の方が、美しく、綺麗に見えたのかもしれない。
隣の芝生は青く見えるというが、まさにその通りだ。
愛菜は自由な生き方をして見たくて、早乙女はレールの敷かれた人生の方が、幸せだと考えている。
愛菜は俯き加減に黙り込むと、数秒立ち止まって、笑顔で顔を上げた。
「…そっか」
「なんだよ?いきなり」
これが正しい答えだったのかはわからないが、愛菜の様子を見る限り、吹っ切れたに違いない。
自分の答えで満足してくれたと判断した早乙女は、満足げな表情で歩き始めた。
「早乙女、私、学校辞めるよ」
早乙女が歩き始め、愛菜との距離は広がっていく。
早乙女は愛菜の声を聞いて、慌てて振り返った。
「今、なんて…」
「これまでありがとう。少しの間だけど、みんなと過ごせて、みんなとこうして遊べて、ほんっとうに楽しかった。…だからたくさん、ありがとう」
愛菜はそう告げると同時に、走り始めた。
早乙女は咄嗟のことになにがなんだか理解が及ばず、反応すらできずに、彼女を追うことはできなかった。
「なんだよ…ソレ…」
早乙女の小さな声だけが、冬の異能島に小さくこだまする。
この日を境に、愛菜が学校に来ることはなくなった。




