ある知らせ
「…ということで、明日は終業式だ。2年の二学期が、明日終わりを迎える。お前たちには散々言ってきたが、長期の休みだからと言って、気は抜くなよ?」
コツン、と教卓を人差し指で叩く彼女の言葉を聞いて、教室内は緊張感に包まれる。
黒髪ポニーテールの担任教師、千松鏡花の放つ独特な緊張感には、もう慣れたものだ。
まだまだ鏡花の脅しに慣れていないクラスメイトたちを横目に、悠馬は窓の外の山を眺める。
入学試験で使用した山は、すでに雪が降り積り、冬だということを実感させてくれる。
そして明日は、鏡花の話した通り、終業式だ。
2年の二学期、最後の日。2年の三学期になれば徐々に進路相談も増え始めるのを考えると、おそらく今年までが、何も考えずに遊べる最後の年だ。
「…というわけで、ホームルームは以上だ」
「っしゃぁ!」
「明日の終業式終わったら遊ぼうぜ?」
「悪い、俺明日の午後に本土に帰省するんだ」
鏡花のホームルームが終わると、クラスメイトたちは待ってましたと言わんばかりに席を立ち、騒ぎ始める。
夏休みが明けてから長い学校生活が終わり、冬休みに突入する目前なのだから、騒ぐ気持ちも理解できるが…
まだまだ子供という単語が相応しいほど騒ぐクラスメイトを見る悠馬も、彼らと同じく、気づけば無邪気な笑顔で微笑んでいる。
「そうだ。暁。お前には話すことがある。応接室まで来い」
「え?はい」
鏡花は去り際に、教室の入り口から声をかける。
ここ最近、というか、あのお方騒動以降鏡花の耳に入るような問題を起こした記憶のない悠馬は、不思議そうに首を傾げた。
「よっ、VIP待遇!」
「教師に呼び出しくらうとか、さすが次期異能王はちげぇな!」
「お前ら絶対バカにしてるだろ…」
悠馬が公で呼び出されたせいか、クラスの男子たちは、悠馬が怒られると期待して冷やかしてくる。
そんな彼らの冷やかしを受ける悠馬は、呆れたようなため息を吐いて、教室を後にした。
***
応接室前。真っ白な廊下を歩いていると、職員室から出てきた元気な後輩女子生徒たちが走って帰宅するのが目に入る。
そんなありふれた景色を横目に過ぎ去る悠馬は、応接室の扉に足を掛け、寄り掛かっているスーツ姿の人物を見て早足になった。
「こうして2人きりで話すのは、半年ぶりだな」
鏡花は悠馬が早足で近づいて来ているのに気付くと、いつものトーンで声をかけてくる。
それと同時に、鏡花の発言を聞いた周囲の生徒や教師たちが、一斉に振り返った。
2人きりで話すのは半年ぶりだなんて含み気味な発言を聞けば、誰だって興味を示すだろう。
態とらしく周りに聞こえるよう呟いた鏡花は、唖然とした表情で硬直した悠馬を見ると、嬉しそうな笑みを浮かべて応接室へと入った。
悠馬もそれに続いて、応接室へと駆け込む。
「あの、噂になったらどうするつもりですか?」
誰かが興味本位で扉を開けないように、悠馬は応接室の扉に鍵をかけて振り返る。
半年前と変わらない、少し古びた高級そうなソファが向かい合って置いてある室内だ。
「何がだ?」
「いや、俺と鏡花先生の関係ですよ!」
鏡花のさっきの発言は、語弊を生むものだった。
噂好きの女子生徒や教員が聞けば、瞬く間に学校内に広まるであろう、2人きりで密会しているという内容。
恥ずかしそうに呟いた悠馬を見る鏡花は、プッと吹き出すと、口に手を当てて微笑んだ。
「私とお前は、そんな関係なのか?」
「あ…いや…」
コイツ、総帥秘書じゃなかったら絶対にひん剥いてる!
悠馬の発言に語弊があることを指摘する鏡花は、悠馬の反応を楽しんでいるように見える。
悪魔的な笑みを浮かべる彼女を見て不貞腐れた悠馬は、鏡花がソファに座ったのを確認してから、向かいのソファに座った。
「それで?なんか用ですか?」
「まぁ、なんだ。いきなり本題に入るとつまらないし、最近の話でもしないか?」
「いや、俺は別に鏡花先生と話すことなんて…」
ここに呼び出された理由が、ますますわからなくなって来た。
単刀直入に本題に入ろうとした悠馬は、それを阻止され、与太話に付き合う羽目になる。
「セレスティーネ」
「!」
悠馬は鏡花の出した名前にピクリと反応する。
セレスは悠馬の恋人であり、一国の王女。デールのイザコザの後から完全に忘れていたが、セレスティーネ皇国との問題が解決したわけではない。
覚者のヴェントを退け、デールは殺されたわけだが、セレスの話は何ひとつ好転していないのだ。
「お前も随分と勝手をしてくれたな。まさかあの女をまた戦乙女にするつもりとは…」
「な、何か言われたんですか…?セレスの国に」
「ここをどこだと思っている。日本支部だぞ?流石に一国の主と言えど、総帥や冠位を持つ日本支部に真正面から文句を言う度胸はない」
総帥を持つ国と持たない国では、発言権が違う。
そりゃあ、各国異能王に資金拠出を行っているから表向きには同格かもしれないが、軍事力が圧倒的に違うため、下手に喧嘩は売れないのだ。
異能という武器を誰もが持っているからこそ、総帥を持っている国には手を出したくないというのが本音。
しかも日本支部には、表向き、冠位の死神が生きていることになっている。世界に7人しかいない総帥と、世界に7人しかいない冠位を持っている日本支部には、喧嘩を売りたくはないだろう。
「ヤったのか?」
「ヤ…何言わせるつもりですか!?言う必要あります!?」
何を言わせるんだコイツ!
危うく口を滑らせそうになった悠馬は、鏡花の問題発言に気づき、慌てて話の流れを変える。
「いや、純粋にセレスティーネがどれだけ本気なのか知りたくてな。あの国のルールから鑑みるに、お前らの親愛度はそっち方面の方が測りやすい」
情熱的なルールがあるセレスティーネ皇国で、身体を許すと言うことは、生涯添い遂げることを誓うと言うこと。
他国のようにそう易々と身体を許せない国だからこそ、この一言で全てが判断できる。
「まあ…当然でしょう」
「当然なのか。一応言っておくが、検挙されるぞ」
「はぁ!?誘導尋問かよ!」
「お前じゃなく未成年に手を出したセレスティーネがな」
「尚のこと問題だわ!」
なんと答えるのが正解だったのかわからない悠馬は、机をバンバンと叩きながら憤慨する。
「冗談だ。流石に、人の恋愛をとやかく言うつもりはない。お前がどんな反応をするのか見たかっただけだ」
セレスの話でどこまで熱くなれるのかを見ていた鏡花は、面白おかしく鼻で笑いながら、胸ポケットからライターを取り出し手先で回転させる。
「次変な冗談言ったら、総帥秘書だってこと言いふらしますからね。俺たちがお互いの弱みを握っていて、対等だってことを忘れないでください」
なんなら、鏡花の立ち位置の方が悪いまである。
以前は悠馬が暁闇だと言うことを隠していたため、互いの秘密を隠し合う対等な関係だったが、今は違う。
鏡花は総帥秘書であることを未だに隠し続けているが、悠馬が暁闇であることはすでに知れ渡っているし、悠馬が今暴露されて困ることは、ソフィアと付き合っていることや、セレスと付き合っていることだ。
悠馬は対等だと総評したが、聡明な鏡花なら、どちらの立場が危ういかはもう理解しているだろう。
「善処しよう」
「善処じゃなくて、やめてください」
「…わかった」
生徒の恋愛事情がよっぽど気になるのか、食い下がろうとする鏡花を一刀両断した悠馬は、溜め息を吐く。
いくら自分が最近恋人のできた処女だからって、高校生の恋愛にまで足を突っ込まれたら堪ったもんじゃない。
「ところで、ソフィアの方とは…」
「鏡花先生…懲りませんね…」
「私も女だ。噂は好きだし、恋愛は気になる。少しは付き合え」
「俺に何一つメリットがないじゃないですか」
まさかこんなことを話すために、呼び出したわけじゃないよな?
興味津々な鏡花をじっと観察する悠馬は、冗談やおふざけでなく、案外真剣に話を聞いていることに気づく。
「なんだ?この期に及んで等価交換がしたいのか?」
「等価交換というか…俺だけ一方的に話すのって、良くないと思うんですよ」
自分のあまり言いふらしたくない恋愛事情を話すのは、それだけでも不安要素になる。
特にセレスやソフィアはお姫様や総帥のため、悠馬の話が暴露された際に受けるダメージが大きすぎる。
「…しかしな。私が出せるものと言ったら、これか、これくらいなものだ」
鏡花は悠馬の話が聞きたいのか、ポケットからタバコを、机の上からコップをスライドさせ、2択に絞る。
鏡花の提案は、タバコをやるか、お茶を注ぐかの2択というわけだ。
「正気ですか?」
「…あとは膝枕くらいのものだが…」
鏡花は人差し指を頬に当て、そう呟く。
悠馬は膝枕と聞いて、半年前のことを思い出して赤面した。
あの時は色々と不安で、深読みやいろんな考えの末膝枕をしてもらったが、半年の時を経て、再びこの機会が巡ってくるとは思わなかった。
「…これには私もそれなりのリスクを背負うことになる」
「いや、俺がホラ吹きってオチで終わらせれるじゃないですか」
「そのポケットに入っている携帯端末は飾りか?」
悠馬が膝枕をしてもらったところで、それを何かの問題の際言いふらしても、信用度的には教師の鏡花の方が高いし、総帥秘書になれば、悠馬にはまず勝ち目がない。
そんな悠馬の正論に気づいている鏡花は、携帯端末を使えばいいと言い始めた。
瞬間、悠馬は彼女の言いたいことを理解した。
「撮影する気ですか?…いや、なんでそんなに他人の恋愛が知りたいんですか」
「……処女だからだ。何か文句があるか?」
「あ、いや…すみませんでした」
なぜ鏡花と近しい年齢のセレスやソフィアの恋愛について聞きたいのか、なぜ自らリスクを背負ってまで話して欲しいのかについて理解できた悠馬は、彼女が処女なことを思い出す。
そういえば彼女は二十歳を過ぎて処女の、天然記念物だった。
彼女としては、寺坂ともお付き合いを始め、もう少ししたら身体の関係も…という考えなのだろう。
なんとなく察しがついた悠馬は、乗り掛かった船ということもあってか、半ば諦めたような表情で鏡花のソファへと回った。
「早く座れ。時間は有限だ。あまり話し込んでもいられない」
「ではお言葉に甘えて…」
悠馬は鏡花の柔らかなスーツスカートを手で撫で、シワを伸ばしてから、彼女の太腿に顔を乗せる。
「…撮影しますね。もっと笑って〜…」
「こうか?」
「いい感じです」
携帯端末を取り出した悠馬は、鏡花との膝枕ツーショットを撮り終えてから、携帯端末をポケットの中に戻す。
「じゃあ、話しますね…」
等価交換というには些か釣り合わない気もするが、悠馬は鏡花の膝に乗せられたまま、話を始める。
それから数十分、窓から見える景色が紫色に変わるまで、悠馬は話し込んだ。
「…って感じですかね」
「そうか。ありがとう。少し理解が深まった」
鏡花は悠馬の話を聞き込むと、興味深そうに何度か頷き、ソファにもたれかかる。
「じゃあ、俺はそろそろ…」
「待て」
悠馬は自分の話が終わった後、外の景色を見て慌てて立ち上がる。
あまり長居をすると、花蓮や朱理からどこで油を売ってたのか尋問され、答えきれなくなる。
切り上げようとした悠馬を引き止めた鏡花は、悠馬が振り返ると、真剣な眼差しで口を開いた。
「…お前には話すべきだと思ったから話す。今日の本題に入ろう」
「何を…」
深刻そうな表情の鏡花を見ていると、なんだか悪い予感がして今にも帰りたい気持ちが襲ってくる。
しかしいつになく真剣で、冗談すら言わない鏡花を見ていると、帰ることはできなかった。
「陽は2年後、総帥を辞める」
「…!おめでとうございます!」
それは暗に、2人の結婚を示す言葉だった。
総帥として忙しい寺坂と、秘書として忙しい鏡花では、結婚しても行き違いが発生して、別れるのは目に見えていた。
ここで思い切って、まだまだ総帥として働ける寺坂が辞職するということはつまり、怪我か結婚しかないわけだ。
悠馬は2人が付き合い始めたことを知っているため、鏡花を笑顔で祝福しようとする。
しかし鏡花は、悠馬の笑顔に応えることはなく、俯き加減で息を吐いた。
「しかしそれと同時に、不幸になる人が出てくるのかもしれない」
「え…?」
2人の祝福のはずなのに、誰かが不幸になるという意味のわからない発言をした鏡花。
その言葉の真意がわからない悠馬は、鏡花が次に発した言葉を理解できずに、思考停止に陥ることとなる。
「紅桜…紅桜連太郎に、恋人はいるのか?」
2人の間を、静寂が包み込む。




