合宿2日目
2日目、朝6時。
鳥の鳴き声のような謎の音楽が起床の合図だったということもあり、寝覚めが悪そうに上体を起こした悠馬は、若干憂鬱そうな表情をしていた。
悠馬はあることを思っていた。
そう、この部屋には一切の癒しがないのだ。
ここ1ヶ月近く、夕夏という美人さんにほぼ毎日夜ご飯を作ってもらっていた悠馬からすれば、今の状況は少し苦痛だった。
いびきのうるさい男たちと同じ部屋で、寝る前も起きる時も野郎の顔が視界に映る。
そんな環境で喜ぶ男なんて、ほとんどいないだろう。
起床の合図である鳥の鳴き声が聞こえないのか、ベッドから片手をはみ出して眠る碇谷と、まるで棺桶に入っているように綺麗な姿勢で眠るアダム。
その2人をぼんやりと眺めていた悠馬は、小さなため息を吐いた。
「これが花蓮ちゃんだったらな…」
花蓮ちゃん、というのは悠馬の許嫁である、超絶美人の女子のことだ。夕夏にも引けを取らない容姿を持っている。
花蓮のことを、最初は一方的に好きだった悠馬からしたら、今目の前に眠っている碇谷やアダムが花蓮だった場合、全裸で飛びついていてもおかしくないくらいだ。
そんな花蓮と、悠馬が再び出会うのは、合宿から約1ヶ月後のことである。
「んんっ…朝か…」
悠馬の怪しい視線を感じたのか、ベッドの上で伸びをするアダム。
見るからに安眠できた様子の彼は、髪の毛を爆発させながら、上体を起こすと長いあくびをした。
「はぁーぁ。今日も1日頑張らねえとなぁ…」
悠馬と同じように、憂鬱そうな表情を浮かべるアダム。
その理由は、昨日と同じようなランニングや集団行動といった精神的にも肉体的にも苦痛な訓練をさせられると思っているからだろう。
「碇谷まだ寝てんのか!おい!起きろビビリ!」
朝の目覚まし代わりの鳥の鳴き声が響き渡る中、未だに爆睡している碇谷のベッドまで歩み寄ったアダムは、容赦なく彼の頬をビンタする。
「痛そ…」
加減はしてるだろうが、朝から頬を叩くいい音が室内に響き渡っている。
その光景を目を細めて見ていた悠馬は、寝間着から体操着へと着替え始める。
「痛い…痛えよ!やめろバカ!寝ているやつをビンタで起こすバカなんて地球上探してもお前しかいねえぞ!」
アダムがビンタを初めて数秒。悲鳴にも近い怒鳴り声を上げた碇谷は、左の頬を抑えながら、アダムを睨みつける。
本来揺すったり、話しかけたりして起こせばいいものを、ビンタで叩き起こしたのだから、碇谷が怒るのも無理はないだろう。
叩かれて赤くなった頬を抑えた碇谷は、ご機嫌斜めだ。
「おいおい、起こしてやったのにそれはねえぞ碇谷!そこは感謝するところだろ!」
「朝から男のビンタお見舞いされて感謝する奴なんてこの世のどこにもいねえよ!お前、ビンタして感謝された記憶でもあんのか?オイ!」
きっと、ビンタをされて感謝した人間なんて、どこにもいないだろう。
おちゃらけるアダムと激怒する碇谷。
悠馬は昨日もこの光景を目にしていた。そしてなんとなく悟った。
昨日のランニングの前、碇谷とアダムの言い合いは結構な時間続いた。集合時間に間に合わないくらいに。
それはつまり、今日、この瞬間に起こっている揉め事も、すぐに終わらないという可能性が示唆される。
2日連続で遅刻。昨日は許されても、今日は許されないだろう。
昨日の夜に教師から聞いた日程によると、6時半には中央グラウンドに出て、ラジオ体操があったはずだ。現時刻は6時8分。
「おい、頼むから早く着替えてくれ。お前らが遅れると俺まで怒られるんだよ。勘弁してくれ」
「お、そうだな!んな小さなことで怒るなって碇谷!そんなだから彼女できないんだぞー!」
「ぁあ?そういうお前も彼女居ねえだろうが!調子に乗ってんじゃねえぞ童貞!」
2人とも、悠馬の話を聞いて着替え始めたものの、言い合いは続くらしい。
アダムの発言が火に油を注ぎ、碇谷が怒る。
昨日初めて見た光景だったはずなのに、今ではもう見慣れてしまった感じだ。
事あるごとに揉める2人を横目で見ていた悠馬は、半ば呆れた表情だった。
「お、おい、昨日なんか光ってたよな?」
「ぁあ?それがどうかしたのかよ?」
窓側のベッドで寝ていたアダムが、カーテンを開くと少し怯えたような表情で悠馬と碇谷を見る。
碇谷は、朝っぱらは夜ほど怖くないのか、強気な表情で、昨日の夜の怯えていた姿がまるで夢だったかのようだ。
「お、俺さ。てっきり向かいの建物から懐中電灯で照らしてたんじゃないかって考えてたんだけどさ」
アダムや悠馬にとってはその程度の認識だった。適当な部屋にモールス信号を送り、受信した生徒を冷やかして遊ぶ程度の、そんなおふざけだというのが悠馬にとっての判断。
そしてアダムにとっては、向かいの宿舎から光を当てられているという認識だったのだろう。
しかし、3人は窓の外の景色を見て、唖然とした。
ないのだ。向かいに宿舎なんて。あるのはヤシの木と、遠くに見える砂浜と海。
「お、おい!朝っぱらから変な話すんなよ!鳥肌たってきたじゃねえか!」
アダムの見解を聞き、両手で腕をさすりながら、ぶるっと震える碇谷。
向かいに宿舎がなかった。
それはつまり、昨日の夜、誰かが外に抜け出して、3人の部屋の前で数分間懐中電灯の光を当てていたことになる。
おふざけであったとしても、少し不気味だし、若干の狂気も感じる。
「あんな時間に抜け出して、わざわざ俺らの部屋の窓から懐中電灯で照らしてたってことか」
「いや、普通に怖いんだけど」
昨日は驚きはしたものの、軽い気持ちでいたために、朝になって目の前に広がっていた光景に、恐怖を覚えてしまう。
3人は、自分たちがそんなことをされる心当たりがないのか、微妙な表情をしてお互いを見た。
「と、とりあえず早く着替えて外出ようぜ。この部屋いたら呪われるのかも…」
「そ、そだな。俺も碇谷の案に賛成!」
「じゃあお前ら早く着替えろよ」
ビビっている碇谷とアダムを見て、悠馬は冷ややかな瞳で2人に言い返した。
早く着替えて外に出たいなどと言っている張本人が、つい先ほどまでいびきをかいて爆睡していた挙句、起きた後に揉め始めたんじゃないか。
着替えを終えていた悠馬からすれば、どの口が言ってるんだと文句を言いたくなるようなものだった。
「じゃあ、俺は部屋の外で待ってるから」
「お、おい、俺は呪われ…」
外へと出る悠馬。碇谷が何かを言おうとしたが、それを最後まで聞かずに扉を閉めた悠馬は、壁に背中を預け、目を瞑った。
「今日も頑張ろ…」
***
ラジオ体操を終えると、朝の地獄のランニングが始まった。
昨日と違い、島1周であった為、そこまで苦しいわけではなかったが、朝食を取る時間にはもう、生徒たちの顔は疲れ果てていた。
ラジオ体操、ランニング、朝食を食べ終えた頃、1年生は全生徒が中央グラウンドに集められていた。
「集合30分前なのに、人多いなー!」
「そうだな」
悠馬の後ろにいた通は、辺りをキョロキョロと見回しなが、話をする。
何故、班員の碇谷やアダムではなく、近くに通がいるのか。
その理由は、放送でクラスごとに分かれて待機をするようにという話があった為だ。
そんな理由もあってか、班員との別れを惜しむこともなく、生徒たちは上機嫌でクラスに戻っていた。
初めて行くところで、あまり話したことのない人たちと一緒に行動するというのは、気を使うのだろう。性格も合わなかったり、ギクシャクしてる班員もあったはずだ。
班から解放され、1ヶ月間共に過ごしてきたクラスに戻れたということもあってか、いつもよりも周りは、騒がしく見える。
「よぉー。悠馬〜、元気してたぁー?」
そんな中、左横から悠馬に向かって飛びついてきた、大きな胸。ではなく、美沙。
まるで彼女と彼氏の距離感並みの密着度で、悠馬の首に優しく手を回す。
「おはよう、美沙…胸当たってる」
「当たってるんじゃなくて、当ててるのー」
「え、は?」
べったりとくっつく美沙と、それを遇らう悠馬を見つめる通。彼は状況が飲み込めていないようだ。
美沙の可愛さは、クラス内でも3番目と噂されている。
美月と夕夏がぶっ壊れ美人であるからか、それとも美沙の性格がギャル系だからかは知らないが、彼女はモデルという過去を持ちながらも、2人の陰に隠れてしまっていた。
しかし何も、男子は美沙のことを知らないわけじゃない。夕夏に近づいて、あわよくば美沙と付き合いたいと考えている生徒は少なくない。
そんな、男子たちの付き合いたいランキングでも上位に入る美沙が、通の目の前でベタベタしているのだ。頭では理解していても、それを受け入れたくないようだ。
「お、おい!悠馬!抜け駆けかよ!」
「いや、別にそういう関係じゃないから」
裏切られたと言いたげな表情の通に、即答する悠馬。
そもそも、美沙と悠馬は、連絡を取り合う程度の仲だ。
入学2日目に通が誘ってくれたドーナツ屋さんで連絡先を交換し、1日に数十件の連絡のやり取りをするだけ。
悠馬の中では、美月、夕夏に次ぐ仲の良い女子ではあるが、通が思っているような関係ではない為、否定をする。
「ケッ、これだからイケメンは」
しかし通は納得はしたものの、怒りは収まらないようだ。
グラウンドの砂を蹴りながら、遠くへと消えて行く。
「急にどうしたんだよ?」
通がいなくなり、口を開く悠馬。
連絡を取り合う仲ではあるが、学校でもあまり話さない2人。
そもそも、学校内ではほとんど男子としか話さなかった為、男子から妬まれることのなかった悠馬からしたら、今の状況はかなりマズイ。
クラスでも上位の可愛さに入る女子に抱きつかれているのだから、あまり見られると男子たちにハブられる可能性すらあった。
しかも、今は1年全員が集まっているのだ。
「いやー、急ぎで聞きたいことがあってさー。悠馬は彼女いないの?」
「?いないけど」
深まる謎。
昨日の女子風呂での一件を知らない悠馬からしたら、まさか無人島に来てまで、彼女がいるかどうかを聞かれるとは思いもしなかった。
彼女を欲しいと思ってないといえば嘘になるが、現状、闇堕ちの悠馬お付き合いたい女子なんていないだろう。
つまり何が言いたいかというと、悠馬は現状、彼女ができないのだ。
「ふぅん?遠距離も?」
「いないな」
悠馬がそう答えると、ニヤリと笑う國下。
彼女は悠馬の背中を軽く叩くと、「おっけーおっけー!」と言いながら、女子グループの中へと戻っていった。
僅か数秒で終わってしまった会話。
悠馬は少しだけ、自分にショックを受けていた。それはコミュ力のなさについてだ。
八神や他の男子なら、もうちょっと会話を弾まさることができるのだろう。
しかし悠馬は、中学は3年からしか友達ができなかったし、こういった不意を突かれた状況での会話は、何を話せば良いのかわからなくなってしまう。
美沙の会話に対し、ほとんどを1つ返事で返してしまった悠馬は、悲しみに耽っていた。
そんな中、動きがあった。
宿舎の方から歩いて来たCクラスの担任である、若そうな女教師(多分年は結構いっているだろうが、それを言ったら殺されそうな気がする)が現れたことにより、それに気づいた生徒たちは、少しずつ自分のクラスの列を作り、静かになっていく。
「はぁーい、みなさん、よく出来ました。何も言わずに静かになれるなんて、先生は嬉しいです」
この女、絶対にそんなこと思っていない。作り笑いで手を叩きながら、「ぱちぱち〜」などという女は、絶対に裏がある。
男子も女子も、その作り笑いに違和感を覚え、ニヤついていた生徒たちの表情は、少しずつ落ち着いてくる。
「それでは本題に入りますね〜。今日はみなさんに、フィールドワークをしてもらいたいと思いまーす。今から配る紙に、ランダムで作られた班編成が書いてあるので、時間までにそこにたどり着いて、スタートしてくださーい」
そう説明を受けて、配られたプリントには、集合場所と、ミッションという名の使命が課せられていた。
このフィールドワークの真の意味。
それは、他のクラス、あまり関わりのない生徒たちとの繋がりを、体育祭の前に強化し、協力し合える関係性を築き、互いの長所を見つけ出すためのもの。
つまりは体育祭でギクシャクしないようにする為の内面強化だ。「あのクラスのアイツがいなければ勝てた」「アイツのせいだ」と言った批判を減らすための、教師陣の計らいでもある。
それを知らない生徒たちは、友達と地図を見合わせ、同じ集合場所じゃないことに阿鼻叫喚している。
このフィールドワークの目的上、お友達と一緒のグループになるという可能性はほぼないだろうに。
後ろで地図を見ている通と、集合場所が異なっていた悠馬は、静かに立ち上がるとその場を後にした。




