夕夏のデバイス
結局あれから、日が暮れるまでスウォルデンは悠馬たちを引き留め、ソフィア宅へと帰って来れたのは、23時を回った頃だった。
ここが異能島だったなら、補導待ったなしの1時間オーバーだ。
悠馬たちよりも早く仕事を終えて帰ってきていたソフィアは、大人のセレスが同伴していたから怒りこそしなかったものの、少しだけ不機嫌そうだった。
ソフィアは総帥だし、いくらセレスがいると言えど、こんな時間に学生が出歩いているのは不安なのだろう。
幸い悠馬たちが、帰ってきてからすぐにソフィアに謝罪をしたため、彼女はすぐに機嫌を直してくれた。
…と、ここまでがさっきまでの話。
「ふぅ…」
湯煙漂う大きな浴槽の中、だらしない体勢で足を伸ばす悠馬は、大きく息を吐きながら白亜の天井を見上げた。
「…寮生活もいいけど、ソフィアの家も良いよな…」
高校に入学してから1年と半年、悠馬は自身で選択した寮の中でほとんどの日々を過ごしている。
入学試験当日に自分で選択したためか、寮の立地や内装はかなり気に入っているし、彼女の寮と繋がっているしで嫌いになる要素なんて何ひとつないのだが、そんな寮と比べても、ソフィアの家は住みたくなるものだった。
ソフィアと結婚して、ここで過ごすことができたら、かなり楽しいだろう。
ソフィアと会う機会が少ないためか、昨日からソフィアのことをメインに考えている悠馬は、ニヤニヤと笑いながら浴槽に口元を沈める。
悠馬が口元まで沈めると同時に、浴槽にはブクブクと泡が浮かんでくる。
「はぁ…あったかい…」
体の芯まで温まるような湯船の温もりが、11月のイギリス支部の寒えを吹き飛ばしてくれる。
「るーるるるるるるーるる」
彼女の家で、彼女の風呂で、色々と予定通りに進んでいる。
1人になったからか、それとも突発的になのか、テンションが徐々に上昇し始めた悠馬は、謎の鼻歌を唄いはじめた。
直後、風呂場の扉はゆっくりと開き、悠馬は鼻歌を唄いながら扉へと顔を向けた。
「夕夏!?」
「お邪魔しまーす…」
扉の先に立っていたのは、身体にタオルを巻いた完全防備の夕夏。
肩や膝下は出ているものの、畜生!湯煙が邪魔だ!などという以前に、彼女の身体を見るのは絶対的に不可能だ。
そのことを悟った悠馬は、驚きながらも心を沈ませる。
だってそうだろ!?
男っていうのは女性のぽろりや見えるか見えないかギリギリのラインに一喜一憂するもので、完全防備の彼女がそんなギリギリのラインを攻めてくるはずがない!
朱理だったらギリギリのラインで挑発をしてくるだろうが、夕夏は悠馬を挑発したりはしないため、そういったイベントはまず発生しない。
「どうしたんだよ…?風呂は上の階にもあるんだろ?」
少し頬を赤く染めている夕夏に、純粋な疑問を投げかける。
昨日彼女たちは三階にあるらしい大きな風呂で一緒に入っていたようだし、てっきり今日もそうなるのかと思っていた。
最初から期待をしていなかっただけに、戸惑っている悠馬は、ニヤケながらピースをした夕夏へと顔を向けた。
「えへへ、ジャンケンで勝ったの」
「ジャンケン…?」
「そう!ジャンケンで勝った1人が、悠馬くんと一緒にお風呂に入れるっていうルールでジャンケンをしたの!」
「え、なにそれズルイ!」
逆が良かった!
ちょっとオネエチックにズルイと発言した悠馬は、自分と聖魔でジャンケンをして、ワザと聖魔に負けてもらい彼女たちのお風呂に乱入するというロクでもない想像をしている。
今の悠馬の想像は、通となんら変わらない変態のソレだ。
彼女たち全員と風呂に入った経験なんてない悠馬は、自分もジャンケンをしたかったのか、悔しそうな表情を浮かべている。
「もう、悠馬くんえっちなこと考えてるでしょ。変態!」
「うっ!?ち、違うよ!そんなんじゃないよ!?」
悔しそうな悠馬の表情だけで、夕夏は悠馬がロクでもないことを考えていることに気づく。
図星を突かれた悠馬は、焦って挙動不審になりながら身振り手振りで苦し紛れの言い訳を始めた。
「ぷ…あはは…!そんなに焦らなくても、怒らないよ!」
「うぅ…夕夏が俺のことからかうようになった…」
入学当初は、どちらかというと悠馬の方が夕夏をからかっていたし、からかわれた夕夏を見ているのが楽しかった。
しかし今では立場は逆転しつつあり、夕夏にからかわれた悠馬は、口を尖らせながら嘆く。
「あはは、ごめんね、焦る悠馬くんを見たくなったの」
「なにそれ…」
緊張も解れたのか、赤く染まっていた彼女の頬はいつも通りの色に戻り、夕夏は風呂場の中へと入り、扉を閉める。
その一連の動作がとても綺麗で、こんな美しい人が彼女で良かったと、心底思う。
浴槽に肘を置き、夕夏をじっと観察する悠馬は、とても嬉しそうだ。
「どうかした…?」
「あ…いや…すごく綺麗だなって…」
夕夏の身体はいつも見ているものの、艶々で傷ひとつない肌や、タオル越しでもわかる大きな胸、腰のくびれなんかがとても綺麗で、思わず口に出してしまう。
「もう!いつも見てるくせに…煽てもなにも出てこないよ!」
ぷくぅっと頬を膨らまし、夕夏は悠馬の発言を軽くいなす。
しかし彼女は言葉とは裏腹に、頬が緩んでいるし、少し自慢げだ。悠馬に褒められたのが、よっぽど嬉しいのだろう。
「シャワー、使っても良いかな?」
「どうぞ」
悠馬は浴槽に入っているためシャワーを使うわけがないが、それでもきちんと許可を取ってシャワーを浴びる辺り、育ちの良さを実感させられる。
さすがは元総帥の娘、その佇まい、オーラからも、全てが一級品だということが見て取れる。
「もう…見過ぎだよ、悠馬くん。これじゃあシャワーも浴びれない」
じっくりと夕夏を観察する悠馬に、注意を入れる。
いくら身体を交えた恋人同士の仲といえど、シャワー中を観察されるのは気恥ずかしい。
まだタオルこそとっていないものの、頬を赤らめた夕夏は、思い切ってタオルを剥いで、悠馬の顔へと投げた。
「うわ!」
悠馬の視界は一瞬にして真っ白に変わり、柔らかなタオルが顔面を覆う。
それが夕夏の投げたタオルであるとすぐに悟った悠馬は、どさくさに紛れてある変態的な思考に至り、そのままワタワタと手を動かす。
「あれれぇ〜?タオルが取れない…」
態とらしく、タオルが取れないアピールをして、彼女がさっきまで巻いていたタオルの香りを堪能する。
ソフィアの洗剤のいい香りがするものの、タオルの至る所から、夕夏の身体の匂いが、ほんの少しだけ香ってくる。
「もう!なにやってるの?悠馬くん!」
そんなアホらしい一連の動作を眺めていた夕夏は、頬を膨らませながら、悠馬の顔に乗ったタオルを引っ剥がした。
「悠馬くんがエッチなことばっかり考えるからタオルは脱ぎませーん!」
「えー…」
夕夏の発言に、悠馬は嘆く。
これなら、「くそ!湯けむりが邪魔だ!」という展開になっていた方が良かったかも知れない。
自分の選択が返って損に繋がったことを悟った悠馬は、少し寂しそうに浴槽に沈むと、シャワーを浴び出した夕夏を横目で見る。
「夕夏」
「ん?なーに、悠馬くん」
「夕夏の持ってる天照の神器って、なにに使うんだ?」
「八咫鏡のことかな?」
「うん」
夕夏の契約神である天照大御神の神器は、八咫鏡。
悠馬の契約神であるクラミツハの刀型の神器や、花蓮のシヴァのトリシューラと違って、夕夏の神器は明らかに、戦闘向きの神器ではないように見えた。
一度聞いてみたかった疑問を口にした悠馬は、興味津々で耳を澄ませる。
「特になにに使えるわけでもないって、天照は言ってたよ」
「えっ、そんな神器あるの?」
「うん、私も最初は驚いたんだけど…冷静に考えてみると、私も武器を使った戦闘はしたことがなかったし、ちょうどいいかなーって」
神器の中には、神と契約するための材料に過ぎないものがある。
特に夕夏の持っている八咫鏡は、特にこれといった特殊な攻撃ができるというわけではなく、ただ天照と契約するためだけに、この世界に在ったものなのだ。
夕夏はそもそも、神器で戦うつもりなど微塵もなかったのか、微笑みながらそう話した。
彼女からしてみれば、神器の能力など些細な問題で、重要なのは天照がそばにいてくれるかどうか、ということなのだろう。
「それに、神器に力がなくても、私自身は天照から恩恵を貰って強くなってるし」
「そうだな」
なにも神器で全てが決まるわけじゃない。
特に夕夏は、天照と契約している上に物語能力者なのだから、全てにおいて規格外。
そもそも彼女に神器なんて必要あるのかどうかすらわからないし、あってもなくても、変わらないような気がする。
そんなことを考えていると、ふと、脳裏に疑問が浮かび、悠馬は夕夏の方を向いた。
「そういえば夕夏、スウォルデンさんにデバイス見せてもらってたけど…結局何選んだの?」
夕夏はスウォルデン工房の中で、唯一工房の奥へと招待された。
それは聖魔や悠馬ですら叶わなかった招待であり、その中でなんのデバイスを選んだのかが気になった悠馬は、興味津々に問いかける。
「んー、たくさん魅力的なのがあってね、イメージしたいから、いろんなデバイスを持って欲しいってスウォルデンさんにお願いされたんだけどね」
夕夏は、みんなが招待されなかった工房奥でのデバイス選びについて話を始める。
夕夏に適するであろうデバイスは、スウォルデンの目を持ってしても見ることができなかった。
工房の奥でデバイスを握ったと話す夕夏の表情は、生き生きしている。
「一応全部触らせてもらったんだけど、途中からスウォルデンさんが興奮しちゃって」
「何かされたのか!?」
悠馬は夕夏の話を途中まで聞いて、驚いたように浴槽から立ち上がる。
スウォルデンはデバイスを見てはしゃいでいたくらいだし、女性にデバイスを触らせて興奮する性癖でもあるのかも知れない。
あの野郎、人の女に手出しやがったな!
勝手な誤解をする悠馬は、憤怒に満ちた表情で壁を睨む。
「あはは、流石にそんなことにはならないよ。変なことされたら、ボコボコにするし」
「そ、そう…」
夕夏は悠馬が思っている以上に成長している。
以前の夕夏なら、嫌いな人に言い寄られても愛想笑いで会釈を返していたが、今の夕夏はそんなことしないし、実力行使には実力行使で対抗する。
なにを守るべきなのか、大切なものに優先順位を決めている夕夏は、椿のおかげで確かに成長している。
「それでねー、みんなの前では言えなかったんだけど、デバイス、全部作ってもらうことになったの」
「全部ぅ!?」
夕夏の全部発言に、悠馬はまたしても驚かされる。
スウォルデン工房は元々、数十年先までデバイスの予約で埋まっており、悠馬たちは特例として、新たなデバイスを作ってもらうことになった。
ただ、それだけでも仕事量は絶望的なほど増えるだろうし、ありがたいと言えど不安なところもある。
何しろ、聖魔、花蓮、夕夏、美月、朱理のデバイスを作ってもらうのだから、あまりにも多すぎる。
そんな中で、まさかスウォルデンが全部のデバイスを作るなどと口走っていたと聞いたのだから、驚くのは当然だろう。
「うん、全部。短剣は数十本用意したいとか言ってて、さすがにみんなに言うのはよくないでしょ?」
「良くないな…」
夕夏だけ、あまりにも優遇され過ぎている。
夕夏はそれを理解していたからこそ、あの場で自分がどのようなデバイスを選んだのか言わなかったのだろう。
彼女らしい配慮ではあるが、これはデバイスが届けば必ず判明する事実なだけに、どうやって彼女たちに伝えようか迷う。
スウォルデンも、才ある人に自分のデバイスをたくさん使ってもらいたいと言う気持ちはわかるが、これは流石にやり過ぎだ。
悠馬や聖魔はすでに剣技だけに特化しているため、まだどのパラメータにも数値を振っていない夕夏に期待をしているのだろう。
「ていうか、短剣はなんで数十本も用意?」
「こういうことかな?」
純粋な疑問を浮かべる悠馬に、夕夏はシャワーを浴びながら髪色をピンクに変える。
それと同時に、彼女の背後には円形に氷で出来た短剣のような物が浮かび上がっていた。
「すっげぇ綺麗…カッコイイ…」
背後に浮かんでいる、数十にもなる氷の短剣がすべてスウォルデンのデバイスになるのだから、その美しさと言ったら、おそらく世界一と言っても過言ではないはずだ。
夕夏が自在にセラフ化を操っていることに気づいていない悠馬は、ピンク髪の夕夏も素敵だなー、などと考えながら、彼女の氷の短剣に触れる。
「おー、ひんやりしてて気持ちいい」
「ゆ、悠馬くん、一応触らない方がいいかも…それ、一個でもニブルヘイム以上の火力があるから」
「えっ!?」
知らぬ間に、物語能力者として着実に成長している夕夏。
悠馬は氷の異能力者であり、セカイを持っているためダメージを負わないが、普通の人であれば、夕夏の氷に触れた途端、一瞬にして彫刻と化しているはずだ。
彼女に驚かせてばかりいる悠馬は、周囲の湯気が冷気に変わっていることに気づき、苦笑いを浮かべた。




