女同士
常夜灯だけが暗くなった室内を照らす中、雑魚寝のように布団を敷いた人物たちは、横になったまま沈黙を貫く。
ここは女性の就寝室。フレディは流石に女性の家に泊まるわけにはいかないと言って帰り、悠馬とソフィアは、熱い夜を楽しんでいる。
今日はイギリス支部に到着した初日の夜だ。
仕事をこなしたルクスやセレスはぐっすりと眠れるかもしれないが、年齢的にも、体力的にもまだまだ余裕のある学生組は、薄暗い室内で目をぱちくりと動かし、互いに顔を見合わせる。
「あの…ソフィアは迷惑をかけてないですか?」
そんないつ破れるかもわからない沈黙を破ったのは、イギリス支部総帥秘書のアメリアだった。
彼女はソフィアの過去を知っているためか、彼女が集団の輪に入る機会がなかったため、輪を乱していないか心配しているようだ。
不安そうに訊ねたアメリアに対し、夕夏は両手で少しだけ状態を起こして布団から出た。
「迷惑なんて…むしろ、いつもお世話になってて、ソフィアさんに負担がかかってないか心配なくらいですよ」
ソフィアは嫌な顔ひとつせず料理だって手伝ってくれるし、買い物にだって付き合ってくれるし、朱理のゲームにも付き合ってくれる。
集団の輪を乱すというよりも、率先して集団の輪を作ってくれているソフィアに、文句を言いたいことなんてひとつもない。
アメリアが心配していることなんて何一つ起こってないため、夕夏は微笑みながら返事をした。
「アメリアさんはどうなんですか?」
「え?私ですか?」
「はい。結婚とか、好きな人とか…」
アメリアの質問が終わり、次は夕夏が訊ねる。
アメリアとソフィアの任期は、早いもので来年まで。もう眼前まで迫っている総帥秘書という仕事をやる時間は数えるほどしかなく、それは反対に、自由になるということ。
自分だけの時間が、仕事に追われるだけの日々に終わりを迎え、好きな人と家庭を築いたり、自分の趣味に費やす時間が増えるはずだろう。
アメリアが既に社会人ということもあってか、同じ女だからこそ気になる将来に、夕夏は興味津々だ。
「難しい質問、ですね」
「え?好きな人とかいないんですか?」
アメリアの反応を見て、美月は驚いたように口を挟む。
アメリアはスペックで言うとかなり優れているし、容姿だって平均以上だ。
引く手数多とまではいかないだろうが、たくさんの男性から自分の好みを選べるであろうアメリアが、一体何を迷っているのだろうか?
「私、元々は戦乙女を希望してたんですよ」
「!」
どこか遠くを見つめながら切り出したアメリアに、セレスはビクリと反応する。
セレスは現異能王、つまりアメリアが応募したであろうエスカの戦乙女の元隊長だった。
しかもセレスが元々エスカに対して興味のカケラも持っていなかったのは総帥や総帥秘書の間では有名で、不採用になったアメリアからしてみると、エスカに最後まで仕える気のない女が横にいるのはかなり不満だったろう。
そんな想像をして、少し怯えたように身体を硬らせたセレスに気付いたアメリアは、慌てて身振り手振りで何かをアピールする。
「あ、いや、ごめんなさい。貴女に何か言う気はないんです。ただ、それが失恋のようなものだったので…」
そう、結局、セレスが最初から結ばれる気がなかったのだとしても、エスカはセレスを選んでいた。
それは変えようのない事実で、セレスが戦乙女に応募させられた時点で、全てが決まっていたことだ。
今更文句を言う気もないアメリアが伝えたかったのは、エスカのことが好きだったということだ。
彼女の淡い夢は、戦乙女の選考の時点で打ち砕かれてしまっていた。
「まぁ、最初で最後の失恋っていうヤツ…。だから今の私に、好きな人なんていないんですよ」
諦めたように話すアメリアを、ルクスはじっと見つめる。
その様子は、まるで彼女の仕草や言動の一つ一つを吟味しているように、そしてルクス自身は、そのアメリアの行動を、小さく真似ながら何かを確認している。
「あら。でも意外ですよね。現異能王、エスカの周りに今いる女は、アメリアさんより可愛くないと思いますけど。1人可愛い人はいましたけど、性格はドブスでしたし」
「あ、朱理…!ダメでしょそんなこと言ったら!」
「あら、事実ですよ」
どストレートな発言をした朱理は、注意する夕夏に対しても反省する気配がなく、自分が世界の中でも有数の権力を誇る戦乙女を馬鹿にしたことなんて気に留める様子もない。
「そもそもこんなに美人な隊長を手放した時点で、あの男は物好きなんですよ。ブスを囲って遊びたいんでしょう」
「あ、朱理さま!?」
朱理はセレスの背後に回ると、彼女の真っ白な胸を鷲掴みにしながら悪魔のような笑みを浮かべる。
不敬罪や問題に巻き込まれるのが嫌だから口に出さないが、朱理はそもそも、エスカのことが好きではない。
普段は何も考えていないように振る舞っているが、その裏で緻密な計算を施し、全て自分の思い通りに動かしている。
自分がその気になればすぐに終わる仕事を全てセレスに押し付けて、無能を演じているのが、朱理には見えていた。
だからセレスを使い潰すだけ使い潰して、あんな最悪なやり方でセレスを追放したエスカへの評価は、朱理の中では最低、暮戸と同ランクにまで落ちている。
エスカの話を聞いて、エスカに惚れていたなどという世迷言を聞いて火がついた朱理は、ここぞと言わんばかりに燃やしていく。
「私が男だったら、こんな極上の女性ぜっったいに手放しませんし、そもそもあんなブスと性格ブスを雇ったりしません」
「朱理!ダメだって!」
残されている戦乙女をブスだブスだと罵る朱理の口を、夕夏は慌てて塞ぐ。
慌ただしく口を塞いだ夕夏と、言葉の暴力を吐き続ける朱理の一連の動作を見たアメリアは、思わず「ぷっ…」と吐き出すと、大きく肩を揺らしながら目を細める。
「あはははは…!やっぱり、私の美的センスは間違ってないんですね!」
「え?え?」
面白いことでもあった?と言いたげにキョロキョロと周囲を見渡す夕夏と、ヤレヤレ、と呆れ気味に苦笑いを浮かべる美月。
そんな彼女たちをみてケタケタと笑う花蓮と、そんなことお構いなしで眠りに就いているオリヴィアを横目に、アメリアは目尻に涙を溜めながらお腹を抱えた。
「あ、いや、私も思ったんですよ。セレスティーネとマーニー以外、全員イマイチじゃんって!」
失恋をした女の嫉妬や暴露話は怖い。
何しろ彼女たちの会話は、誰に飛び火するかわからないのだ。
朱理が色々とぶっ込んだ影響で壊れてしまったアメリアは、彼女と同じく、セレスの胸に触れながら笑みを浮かべる。
「この美女をクビにする!?あり得ませんね!あのクソ男!見る目ありませんよ、挙句片手失ってますしね!はやく辞職しろ税金泥棒が!」
「ひどい言われ様…」
自分を採用してくれなかった男への不満を吐きまくる。
アメリアは総帥秘書として何度もエスカと顔を合わせているし、戦乙女に採用された側近たちからは、戦乙女に採用されなかった哀れな女という眼差しを向けられていた。
まぁ、要するにアメリアは戦乙女に下に見られてきたわけで、エスカの愚行っぷりも、総帥秘書として見てきたわけだ。
ちなみにだが、セレスはアメリアが応募していたことなど知らない。そもそもセレスにとっては、誰が応募していようが、誰が採用になっていようがどうでも良い話だったため、そういう話には加担してこなかった。
大きく肩で息をするアメリアは、怒りが頂点に達しているようだ。
「そもそも私最終面接まで行ってたんですよ!?」
「え!?」
「貴女は知らないでしょうね!セレスティーネ!だって周りなんて気にも留めていませんでしたから!」
「酒入ってる?」
「さあ?」
ギャーギャーと叫ぶアメリアを見て、美月と花蓮は話す。
多分だが、どこかのタイミングで酒を飲んで、それが今酔いとして回ってきているのだろう。
とてもじゃないが総帥秘書とは思えない言動が続いている。
「マーニー!アイツ、私が不採用になってソフィアの総帥秘書として再会したときなんて言ったと思いますかぁ!?はい、セレスティーネ!」
マーニーの発言を当てろ。
突然のクイズ形式に目を見開いたセレスは、ギョッとした表情で冷や汗を流す。
「不採用になったからって総帥秘書?未練たらたらね。…でしょうか?」
「正解!はーっ、それ聞いた戦乙女たち、後ろで笑い堪えてたし!はぁクソ!」
『……』
もしかすると、開けてはならない扉を開けてしまったのかもしれない。
怒りが治ることのないアメリアは、ガンガンと布団を叩きながら涙を流し始める。
「情緒不安定だね…」
「てか実話なの?今の。実話だったら戦乙女ってクズ多い?」
「…えっと、一応彼女たちの名誉のために言っておきますけど、これに関してはエスカさまが悪いんですよ…」
戦乙女にも悪い部分はあるし、それを全てエスカのせいにするつもりはないが、元凶を作ったのはエスカだ。
現異能王の周辺に最も詳しいセレスは、気まずそうに補足を始める。
「そもそも、戦乙女って平和な職業なんですよ。だって本来なら、異能王と結婚して好きな人の護衛をするわけですから。全員が全員、異能王と関係を持っていてもおかしくないため、全員が家族…みたいな認識なんです」
「そうね。だから人気よね」
「はい。ですがエスカさまは誰1人として婚約者に迎え入れませんでした」
そう。本来であれば結婚できる立ち位置にいるはずの彼女たちですら、エスカと関係を持つことができなかった。
そのことに関して、エスカは何も言及することがなく、彼女たちの認識は徐々に変化を始め、この中の最も優れた人間がエスカと結婚できる。という誤解が生じた。
「アメリアさんと再会した時の戦乙女は、おそらく互いに潰し合っていた全盛期ですね。あの時は、神器を滑らせて髪の毛を切られたり、嫌がらせも横行していましたから…」
女同士の仁義なき争い。
好きな人と結ばれるために裏で潰しあっていた戦乙女たちは、アメリアというちょうど良い、戦乙女に採用されなかった女性を見てストレスをぶつけたのだろう。
「ま、無能の下につくとそうなりますよね〜、その点うちのソフィアは完璧!可愛いしお淑やかだし、ちょっと天然なところがあるけど直向きで可愛くて…あー!エスカクビになれ!」
セレスの弁明を聞いた(全く聞いてない)アメリアは、ドスッと勢いよく布団に寝転び、規則正しい寝息を立て始める。
「…絶対お酒飲んでましたよね?」
「…ですね。こんなに失言しまくる総帥秘書は見たことがありませんので…」
酔いが完全に回ったのか、意識を失う様にして眠ったアメリアを見て、セレスは話す。
「戦乙女って、大変だったんですね…」
「私たちも潰し合うの…?」
「それはないよ…だって悠馬くん、既に…あ、ナンデモナイヨ?」
「え?何?夕夏」
「何か言いかけましたよね?」
自分たちも戦乙女になれば、潰しあったり、蹴落としあったりするのだろうか?
そんな不安を抱いた美月を見て、夕夏は悠馬が持っていた指輪を思い出し、エスカのような事態にはならないと言おうとする。
しかしこれは言ってはならない。悠馬は全員と結婚するつもりで、全員を幸せにする気でいる。彼は自分が結婚できる年齢になってから、プロポーズする気でいるのだ。
夕夏の前では悠馬がうっかり口を滑らせ指輪を見せてしまったわけだが、こんなサプライズを、みんなに言いふらすのは絶対にダメだ。
危うく口を滑らせそうになった夕夏は、バレバレの表情でそっぽを向く。
夕夏は嘘がヘタクソだった。
「絶対何か隠してる…」
「も、もう寝よ?」
これ以上はマズイ。夕夏の言いかけた言葉に興味津々の彼女たちは、夕夏の提案など無視して彼女を食い入るように見つめる。
この話題からいち早く逃げ出したい夕夏は、そそくさと布団の中に入り顔を隠す。
「えー気になる」
「何を言いかけたんですか?」
「ヒントでいいからさー!」
夕夏の言いかけた言葉がどうしても気になる花蓮たち。
彼女たちが恋愛方面で揉めることは、まずないだろう。




