真里亞と夕夏
同刻。完全消灯時刻を過ぎ、真っ暗になった室内。
甘ったるい、女子特有の匂いがする部屋の中で、3人の少女は向き合っていた。
お団子結びの真里亞と、亜麻色の髪を長く垂らしている夕夏、そして黒髪の藤咲だ。
3人は現在、同じ班員として合宿初日の苦楽を共に過ごしている。
「こほん。それでは会議を始めましょうか?」
静まり返った室内の、沈黙を破ったのは真里亞だ。一度右手を口元にあて、可愛らしい咳払いをした真里亞は、藤咲と夕夏を交互に見ると、片目を瞑って話を始めた。
「まずは明日の夜のお話です。おふたりは、この部屋に呼びたい男子などはいないのですか?」
「居ない」
「い…」
真里亞の質問に即答する藤咲と、言葉に詰まる夕夏。
こういう話が来ることは薄々感じていた。
なにしろ、合宿の夜は2回しかない。
大抵の男女は、今頃携帯端末で連絡を取り合って、今から部屋に行っていい?とか、甘々なトークを繰り広げたり、一歩先に進んでいる生徒たちは、すでに部屋に上がり込んでいる時間帯だろう。
そんな時間帯にもかかわらず、この班のメンバーは誰1人として外へ出ることがなかったのだ。
「ま、真里亞ちゃんはどうなの?」
夕夏の苦し紛れのパス。質問に質問で返すという愚策をとった夕夏に対して、真里亞はクスッと笑って見せた。
「私は居ませんよ。ですから、おふたりが呼びたい方がいるなら、どうぞという意味で質問をしたのですが…余計なお世話でしたか?」
「うっ…」
苦し紛れにパスを出してしまった夕夏は、そこで自身が部屋に呼びたい男子がいるのに言えなかった事を、後悔する。
1度出されたパスをそのまま返したのに、やっぱり呼びたい男子がいます。というのも、変な感じだろう。
そんな事を不安視した夕夏は、挙動不審に目をチラチラと動かすと、思い切ってお願いをした。
「ま、真里亞ちゃん!陽子ちゃん!私、呼びたい男子がいるの」
「あらら〜。美哉坂さん、ずっと今みたいな表情で生活すれば、もっと人気でるんじゃありませんか?」
夕夏の恋する乙女の顔を見た真里亞は、笑いながら夕夏をおちょくる。
しかし、おちょくっているといっても、口にしたことは全て事実だ。
恥じらいながら、初々しく、頬を赤らめておねだりをする夕夏。彼女の表情は、百点満点中で、二百点を叩き出すような可愛さだった。
「こ、こんな顔見せられないよ…」
おちょくってきた真里亞に対して、自身の顔にあまり自信がないのか、ショボンとする夕夏。
これが猫かぶりだったら、なんて嫌味な奴だろうか?クラス、学年、学校で1番可愛いと言われてる女子が、顔を見せられないなどと、それ以下の女子からしてみれば、嫌味にしか感じない。
「はぁ」
どう生きれば、この容姿で、このレベルで、自信がなくなってしまうのか。
夕夏のことを、勝手に我の強い女だと思い、毛嫌いしていた真里亞からしてみれば、意外性の塊でしかない。
「いいですよ。とりあえず、明日の夜は美哉坂さんの呼びたい男子を呼ぶということでいいかしら?藤咲さん」
「ええ。問題ないよ」
夕夏が呼びたいと思っている男子の想像がついている藤咲は、真里亞からの確認をすんなりと受け入れ、本を取り出す。
「そういえば藤咲さんは本が好きなんですね?どういう類の本が好みなんですか?」
藤咲はいつも、時間があれば本を読んでいる。それは入学当初から変わっていないし、今もそうだ。
話が終わると本に目を落とそうとする。
真里亞はその様子を見て、よっぽど面白い本なんだろうか?と不思議そうに藤咲の読む本に目を落とし、そしてソッと、何事もなかったかのように座り直した。
「官能小説」
「え?なに?それ」
文脈を見てなんとなく察しがついていた真里亞と、官能小説という単語すら知らない夕夏。
不要な地雷を踏んでしまったことに気づいた真里亞は、頭を抱えた。
普通、この年で、周りに同い年がいる時に官能小説を読み始めるだろうか?
真里亞に至っては、今日がほぼ初対面なわけで、そこまで仲がいいわけじゃない。そんな真里亞に向かって、恥じらうこともなく堂々と、官能小説を読んでいると言ったのだ。
しかも、文脈的に結構ドギツイやつ。
「ねね、真里亞ちゃん、何?官能小説って」
しかも横には、純粋無垢な美哉坂夕夏がいる。
真里亞は悩んでいた。正直に意味を話して、夕夏に黒いものを混ぜるのか、このままはぐらかして、真っ白なままでいてもらうのか。
前者の場合、下手をすると人生を左右しかねないだろう。真里亞が説明をしたことによって、夕夏が黒く染まっていけば、後味が悪い、というか、責任を感じるのは真里亞自身だ。
そして後者を選択した場合も、結果は負けずとも劣らぬことになるだろう。
もし、真里亞がはぐらかした場合、夕夏は男子や他の女子たちに質問をすることになるだろう。
そうなれば、美哉坂夕夏は変態。という情報が流れかねない。
ぱっと見メンタルが弱そうな夕夏に、後者はかなり酷なことになってしまうことだろう。
自分の口からは言いたくないし、かといってはぐらかすこともできない。
悩む真里亞を救ったのは、藤咲だった。
「要するにエロ本」
しかしそれは、最悪な形での救い方だった。
夕夏に黒いものを混ぜてしまった。真里亞的には、夕夏は白のままでいて欲しかったため、ショッキングだ。
これなら、大人向けの本、とか、刺激が強い本などと言った方が幾分かはマシだっただろう。
「え!?ダメだよ陽子ちゃん!そういうのは18歳になってからじゃないと!」
エロ本と聞いて、藤咲から本を取り上げようとする夕夏。
どうやら夕夏には、それ以前の問題だったようだ。
美哉坂家の教育方針は、そういう類の情報は18歳になってから。
お嬢様学校の教育方針も、変なところで性的なことをしないように、そういうのは18歳になってからというものだった。
そんな夕夏からすれば、目の前で堂々と違反をしている藤咲を、見逃すわけにはいかない。
「夕夏、これは全年齢対象だから大丈夫なの」
「え?そうなの?」
真里亞は思った。
文脈を見た限りでは、あの本が全年齢対象なわけがないと。
しかし、文を見ていない夕夏は、それを聞いて納得した様子だ。
ちょこんと座ると、興味深そうにブックカバーに包まれた官能小説を見ている。
それが集中の妨げになったのか、本をパタンと閉じた藤咲。
彼女は真里亞の方をチラッと見ると、真剣な表情である提案をした。
「今の発言を聞いてわかったことがあるの。今の夕夏に、お付き合いは無理じゃない?」
「あ…」
真里亞も、藤咲の言葉の真意を理解した。
今の夕夏の発言。エロいことは18歳になってからという言葉を聞く限り、おそらく夕夏は生殖の方法を知らない。
おそらく夕夏は、キスをすれば子供ができてしまうと、寝ていると子供ができてしまうと本気でそう思っているはずだ。
それはつまり、夕夏はお付き合いが始まったとしても、キスはしないだろうし、手を繋ぐという行為ですら、ハードルが高いかもしれない。
そんな彼女とお付き合いをした男子のメンタルは、ボロボロになることだろう。キス禁止お触り禁止。それは実質、死刑宣告のようなものだ。
「ば、馬鹿にしないでよ!付き合うくらい私にだってできるよ!」
「キスは?」
「ちゃんと避妊してからするもん!大丈夫だもん!」
真里亞の質問に即答する夕夏。
キスに避妊などと言っている時点で、お付き合いは絶望的だろう。
「夕夏、残念だけど、キスしただけじゃ子供はできないよ」
「知ってるよ!キスしながら寝たら、朝起きた時に子供ができてるって!」
「……」
その発言を聞いて、真里亞と藤咲は顔を見合わせた。
お嬢様学校の教育方針がおかしかったせいか、夕夏の持っている知識もかなり酷いものになっている。
高校2年生になってから始まると言われている保健の授業で、夕夏は間違いなく赤点をとることになるだろう。
「夕夏、あのね、子供を作るってのは…」
「ま、待ちなさ…!」
お嬢様学校に通っていた夕夏のことを考え、真里亞が同情に浸っていると、藤咲が仕掛けた。
それは間違い無く、夕夏に本当のことを話すのだと、真里亞は直感してしまった。
しかし、止めようとした頃にはすでに手遅れ。
真剣な表情で止めに入ろうとする真里亞を手で止めた夕夏は、耳元で囁かれる情報を、真剣に聞いているご様子だった。
「ふ、ふーん…穴に入れると子供が…処女ってそういう意味だったんだ…うん、おかしいとは思ってたの。思ってたんだから!」
数分の後、事実を知ってしまった夕夏は半泣きだった。
夕夏は処女の意味を、キスをしたことがない人のことを指すのだと誤解していた。
つい先ほどまで、自身が自信満々に子供の作り方について話していたのが死ぬほど恥ずかしすぎる。
全ての情報が誤りだったと知った夕夏は、叫びながら転がり回りたいほどの羞恥を植え付けられた。
「…ところで美哉坂さんの好きな人って、どちら様なんですか?」
エロの方面へと行ってしまった雰囲気を、修正する真里亞。
夕夏は恥ずかしそうな顔をしながら、もう何の迷いもなくなったのか、好きな人の名前を口にした。
「暁悠馬くん。って言ったらわかるかな?私は彼のことが好き」
「へ、へぇ?」
それを聞いて、冷や汗を流す真里亞の視線は泳いでいた。
そう、真里亞も悠馬を狙っていたのだ。
しかしその理由は、夕夏とは大きく異なる。真里亞の好みは、レベルが低くて、かっこいい、若しくは可愛い男子。
そして、レベルが低いことを気にしていながらも、自分の為に尽くしてくれて、弱いのに自分を庇ってくれるような男子。要するに金魚のフン系男子が好きなのだ。
勝手に悠馬のことを低レベルで尽くしてくれそうだと思っている真里亞からすれば、彼はかなりの優良物件だったのだ。
「も、もしかして真里亞ちゃんも?」
「ば、馬鹿を言わないでください。私はレベルが低くて容姿が整っている、いつも私のそばにいてくれるような男子がいいんです!」
図星を突かれ焦る真里亞。藤咲は何かを悟ったように、目を逸らした。
真里亞は彼氏にはM体質は求めていないらしい。
「そっか!なら違うね!」
悠馬のレベルが高いことを知っている夕夏は、対象が悠馬でないことを把握すると嬉しそうに微笑みかけた。
その表情をみた真里亞は、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
騙してごめんなさい美哉坂さん。安心して。私は、暁くんのことを諦めるから。
競争相手が夕夏ということと、そもそも大好きというよりも、悠馬のことを優良物件としてしかみていなかった真里亞は、すんなりと心の中で手を引いた。
「でも意外ですね。女子から人気の高い暁くんと、男子からの人気が高い美哉坂さん。あなたたち2人が会話をしているところでも見られたら、噂は一気に広まりそうですが…」
夕夏×悠馬という噂話を聞いたことがない真里亞。
年頃の男女といえば、イケメンと美女が接触をしていれば、何気ない会話をしているだけでも噂になっていてもおかしくないはず。
その情報が、Cクラスのトップである真里亞に流れていないということは、会話を交わしていないということになる。
実際のところは、周りから見えないところで夕夏は悠馬にアタックをしているのだが、それが表に出ていない為、真里亞は不思議そうに首を傾げた。
「れ、連絡とかは結構やりとりしてて…ね?まぁ、最近は私が一方的に、なんだけど…」
「美哉坂さんが一方的に、ですか。もしかすると彼、すでに彼女いるんじゃないですか?」
「ぅへ?」
夕夏は肝心なことを忘れていた。
それは、悠馬に彼女がいるのか、そして好きな人がいるのかを、一度も聞いていないということだ。
実際は、彼女がいたとしても一夫多妻を許されているのだから問題はないのだが、先を越された、悠馬が1人にしか愛情を向けないような男子であったら、夕夏のこの恋は気づいた時点で終わっているということになってしまう。
今更気づいた重要な事に、夕夏は口をパクパクとさせ、ベッドに頭をぶつけた。
「…聞いてないんですね。美哉坂さん、貴女、恋愛に向いてないですよ」
真里亞の容赦のない追い討ち。夕夏はノックアウト寸前だ。
夕夏の不器用すぎる恋愛を知った真里亞は、それがおかしかったのか、ほんの少しだけ笑ってみせた。
「ば、馬鹿にしないでよ…私真剣なんだから…」
「うふふふ…ごめんなさい、噂では美哉坂さん、貴女は完璧少女という話だったので。私たちと同じ、普通の不器用な女子だということが知れて嬉しいんです」
夕夏だって、1人の女だ。彼女も人間である以上、完璧なんてことはまずあり得ないし、不得意な事だってある。
それを知れた真里亞は、夕夏に親近感が湧いたのか、ほんの少しだけ微笑みかけた。
「でもまずは、お付き合いをする前に恋愛について知る必要がありますね」
「うん!」
嬉しそうに返事をする夕夏。きっと今から、恋愛についての話を真里亞がしてくれるのだろう。
こうして、彼女たちの長い夜が幕を開けた。




